鍋本 由徳教授 国際情報専攻 文化研究コース
先生の経歴について教えてください。
生まれは堺(大阪府)で,両親とも関西人ですが,私が「大阪弁」を喋ることはめったにありません(小学3年までは普通に話していたようです)。中学の時はごく普通の中学生,高校では落第こそありませんでしたが,赤点をとるような落ちこぼれで自信喪失状態で過ごしていました。決して優秀ではなく,普通でもなく,大学進学自体が「無理ゲー」だったわけですから,当時の担任が「親を泣かせるな」と話してくれたのも「進学しないで泣かせるな」ではなく,「合格するはずないレベルで受験料だけ払わせ,親を泣かせるな」という意味だったのかもしれませんね。その頃は「史学科」だけにターゲットを絞っていましたが,とても合格できるような……。その頃の自分を振り返ると,今の自分は異世界から来たのではないかと思うときがあります。
なぜ歴史か。間違いなく,それは高校時代のW先生の影響です。小学生のころから歴史は好きだったと思います。最初に読んだツタンカーメンの本や,古墳の本,城の本,伝記なども歴史ものが多かったのは確かです。中学生までは「好き」なだけで,「これを学びたい」とまでは考えてませんでした。歴史(世界史・日本史)のW先生に強い影響を受け,「歴史を知り,教えたい」と考えたことが,転機だったと思います。当時の先生からは,日本史や世界史で点をとることではなく,年代や人名中心ではない,因果関係や時代背景を職員室でたくさん話してくれました。それが「歴史」の世界をめざす大きなきっかけとなったのは間違いありません。
浪人の末,日本大学へ進み,高校時代と違って本気で勉強したと自負しています。友人にも恵まれました。授業をサボろうとすれば「ダメだろ」と引き留められ,予習や復習をともにおこない,しょっちゅう史学科閲覧室で勉強していました。当時の助手からは「うるさい! 静かにしろ!」と怒られることが多かったですが,勉強するのが当たり前となっていました。無事に卒業し,教員の専修免許取得のために博士前期課程に進み,そのまま大学院博士後期課程へ進みました。
在学中,非常勤講師として某私立高校で日本史,その後,世界史を教え,特進クラスも面白かったですが,「日本史? 世界史? どうでもいい」といった感じのクラスの方が楽しく授業できたと思います。特進は入試問題をベースに授業を作りあげるだけでしたから,オリジナリティでは,普通クラスの方がおもしろかったです。そして,目標だった高校教師(専任職)が現実として見え始めたことで,大学院を退学しました。
退学後,1年あけて,縁があって助手として日本大学に戻る機会を得て,助手の任期終了後は非常勤講師,その後,これも縁あって,日本大学通信教育部助教として採用されて,今に至っています。
インターネットを使った通信教育についてのご感想は?
通信教育部非常勤講師として,「メディア授業」の作成に携わっていましたので,日本大学のなかでは早くからネット授業を動かしていた自負はあります。当時は今のような高速通信が多くなく,動画といってもFLASHを使ったアニメーションでした。掲示板を使ったディスカッション,グループワークをおこなっていましたので,現在のLMSについても特別なことを感じたことはありません。
近年,コロナ禍を通じて,通学課程がオンデマンド授業を展開し,通信教育課程の根幹が揺らいだと感じました。通信課程だからできることは何か。そのことを考えることは,学部(通信教育部)も大学院(総合社会情報研究科)も同じです。教員も学生・院政も,楽をしようと思えばいくらでも楽ができる。しかし,対面同様,あるいはそれ以上の効果を得るためにはどうすればよいのか。教員と学生・院生がともに考え,作りあげていくべき大きな課題だと考えます。
そして,動画技術をはじめとした目新しい技術にどうしても目を向けてしまいますが,どのような教材であっても,すべては「何を伝え,学んでもらいたいのか」といった意識の持ち方だと考えています。技術が優れていれば,確かに「興味を惹く」コンテンツを作ることはできます。動画配信サイトをみればわかるように,誰でもが高画質・高音質・テロップやアニメーションを簡単に使って動画を作ることができます。生成AIを使って画像を複数投げておけば,相応の動画を勝手に作ってくれる時代です。私たちは技術に溺れてはいけないと考えています。教育するのは人間であり,受けるのも人間です。インターネットを使っても,対面と同じように伝えられるか,それが何よりも大事だと私は思っています
オフラインでのエピソードは何かありますか?
イギリスに3か月滞在した時,大英図書館は「資料撮影禁止」でした。滞在中に制度が変わり,写真撮影可能になりました。一般閲覧室で撮影中,ガードマンが駆けてきて隣の若い子をメチャクチャ怒鳴り,次に私にも怒鳴りつけてきました。「今日から公式に撮影が認められた。カウンターで確認して(怒)」とガードマンに確認させたら,謝りもせずにさっさと入り口に戻っていきました……。
資料閲覧室での撮影開放日は帰国前日から。「立って撮影NG」「一番レフNG」など制約が多かったですが,一部でも持ち帰れたのはラッキーでした。ある日,閲覧室で「鍋本さん……」と日本人の声が。外国嫌いだった私は「あぁいよいよ幻聴まで…」と震えていたら「鍋本さん?」と再び声が。振り返ると日本の某大学に勤めている憧れの先生でした。まさかロンドンで! 偶然とは怖いものです。「資料を出してもらおうと思ったら,先約の日本人がいると聞いて,もしかしたらと……」と。私を思い出してもらえたことが何よりの喜びでした。本当に嬉しかったですね。
ちなみに,数年後ロンドンへ遊びに行き,すきま時間でカード更新のため図書館へ行きました。すると前の渡英時に撮影禁止だった「イギリス商館長日記」が撮影OKになっていまして,残り2日間,遊びの予定を全部とりやめて図書館に籠もったことも忘れられません。本当に一人旅でよかったです。友人がいたら,撮影を諦めていました。
趣味,休日の過ごし方は?
完全なオフを前提に書きます。ダラダラ過ごすことが多いです。オフは「怠惰」な姿しか見せていません。「完全休日はとにかく休み,一切仕事をしない」です。趣味はいろいろで,どれも中途半端です。鉄道模型は実家に置きっぱなしですが,完全オフの時は部屋にレールを敷いて走らせてみたいですね。自慢になるかもしれませんが,親父の影響もあり,私はNゲージではなく,HOゲージ派です。プラ製がイヤで,カツミや天賞堂などの真鍮製のものを走らせます。本当に高価になってしまい買えないのがつらいです。SLはいくらかなと久しぶりに銀座へ行った時,「これは私の小遣い1年分でも買えない」という値段を見て,今持っているもので満足しなきゃダメだと感じた次第です。
日常的には,配信でのアニメ鑑賞の一気見,ライトノベルや漫画の一気読みで,研究書をはじめとした専門分野の本はとにかく読みません。いわゆる〝オタ〟のような知識があるわけではありません。気に入ったものを見て,読む程度だと思っています。ビデオゲームは妻の趣味でもあるので,時々2人でプレイします。妻は徹夜でゲームするほどですが,私はFFⅦリメイク以来,徹夜はやめています。翌日身体がもちません。愛車(自動車)で道の駅までドライブすることが最近増えました。気分転換のドライブは爽快です。
完全オフではない休日は,溜まった仕事の処理,資料をめくり,独り言をブツブツ言いながらデータ取り。あとは授業の予習といったところでしょうか。
志望者に向けて,一言お願いします。
研究は志を高く持つのは当然といえますが,その目標に近づくためには,基礎技術を身につけることが大事だと思っています。基礎力があれば,いくらでも応用がききます。何か凄いことをやってやろう,凄い論文を書いてやろうという気持ちも,モチベーションを上げるために必要だと思いますが,それも基礎力があってこそです。奇抜なアイデア,流行にのったテーマ設定なども,注目されるきっかけになります。これもまた,基礎力の上に成立するものです。城郭建築にたとえれば,どんなに立派な作事でも(建造物を造ろうとしても),その地盤がグラついていれば,石垣は組めません。その石垣もいい加減に組んだらあっという間に崩壊します。緻密な計算と経験によって石垣は組まれています。以前,崩した石垣を現代技術で簡単に組み直せるといったゼネコンがあったらしいです。しかし組み上げることができませんでした。中世以来の石垣集団(穴太衆)が,ササッと組み上げたとかなんとか。どの学問にも基礎があり,学部時代の基礎を確実なものにして,さらなる高みを確実なものにするため,時には苦しくなる,イライラすることもあります。それを乗り越えて行く楽しみを大学院で味わえます。ともに学んでいきましょう。

