布袋屋 浩教授 人間科学専攻 スポーツ科学コース
先生の経歴について教えてください。
日本大学医学部を卒業し医師国家試験に合格した後、日本大学整形外科学講座へ入局いたしました。そしてスポーツ医学研究班に所属し、大学病院ではプロ野球、アメリカンフットボールなどのチームドクターや、ゴルフ、テニス、バレーボール、大相撲、陸上競技など、様々なプロ選手やトップレベル選手、社会人や大学生アスリートの診療に関わってきました。その後一般総合病院へ異動し、小児から高齢者までの幅広い年齢層の一般整形外科臨床に携わると同時に、スポーツドクターとして青少年のスポーツ障害からプロレベルに至るまで、多種多様なスポーツ外傷およびスポーツ障害を診療してきました。特に2000年より日本プロゴルフツアー機構指定医師を拝命し,多くの男子トッププロゴルファーの治療および障害予防対策を指導しております。これらの経験を生かし、2016年に新設されたスポーツ科学部ではスポーツ医学を中心にスポーツ生理学、機能解剖学、救急処置法、ドーピング論などを担当しております。
先生の研究テーマについてお聞かせ下さい
スポーツニュースなどでは選手の「ケガ」と「故障」がしばしば同じような意味で使われていますが、スポーツ医学の分野ではこれらを「スポーツ外傷」「スポーツ障害」と表現し、厳密に区別しています。「スポーツ外傷」とはいわゆる「ケガ」であり、練習や試合中に、骨や関節・靱帯・筋肉に対して急激に大きな力が働いて、骨折や脱臼あるいは断裂といった損傷を生じた場合をいいます。自動車に例えると衝突事故による破損と同じです。一方「スポーツ障害」とは、練習のしすぎや局所の過度使用により、筋・腱・靱帯・骨が損傷や炎症を生じた場合で、いわゆるオーバーワークに起因した「故障」であり、これは自動車のオーバーヒートと同じ状態です。なぜ「ケガ」と「故障」の区別が必要かといえば、両者が臨床症状やレントゲン、MRI等では全く同じであったとしても、原因は全く異なることから、当然治療方針も全然違ってくるからです。自動車の衝突による破損は、その箇所が修理されれば問題なく走行できるように、スポーツ外傷でもその損傷部位が修復され治癒すれば問題なくプレー復帰が可能です。オーバーヒートでも冷却されれば再び走行出来るかもしれませんが、同じ運転をしていればまたすぐにオーバーヒートを起こしてしまうでしょう。スポーツ障害も同様で、安静にしていれば患部の腫れや痛みは軽減するでしょうが、同じ運転の仕方、つまり同じプレーの仕方、同じ間違ったフォーム、あるいは同じ練習を繰り返していては必ず再発します。従ってスポーツ障害の場合は、発生している損傷や炎症の治療だけでなく、その原因を究明し、それを改善し、再発防止対策をしっかり立てることが必須条件となります。
スポーツにケガや故障はつきものですし、場合によっては選手生命にも影響を及ぼします。しかしスポーツ医学の知識があれば、原因、病態および治療法の理解はもちろん発生予防も可能になります。そして解剖学的に正しい身体の使い方、正しいフォームを習得することで、合理的にスピード、パワー、持久性および競技能力のいずれもトップレベルに向上させることが出来ます。すなわちスポーツ医学的の役割は、単にケガや故障に対する治療やリハビリ、障害予防だけでなく、競技力向上も担っております。
趣味、休日の過ごし方は?
子どもが空手と水泳をやっていて、これらの試合が無い時はなるべくゴルフに出かけております。自分がプロゴルファーの主治医である関係で、「自分が体験しないと患者さんの気持ちがわからないから」とゴルフも仕事の一環と家族には言い聞かせております。ゴルフは老若男女が一緒に楽しめるスポーツであり、娯楽的な要素もありますが競技スポーツとしての準備も必要ですし、また多職種の方々との交流も深めることが出来るので、最高の生涯スポーツだと思っております。
志望者に向けて、一言お願いします。
<アスリートにとってスポーツ医学の重要性>
科学とは、現状を把握し、起きている現象における不具合の原因を究明し、対応策を検討・計画し、そしてそれを実践してみて、その結果が成功するか失敗するか再度評価する、という過程の繰り返しといわれております。
スポーツの世界でも同様のことがいえます。4000本安打を達成した某有名プロ野球選手は、「4000の安打を打つには、8000回以上悔しい思いをしてきた」とコメントしています。また「僕は天才ではありません。なぜかというと、自分がどうしてヒットを打てるかを説明できるからです。」「やってみて“ダメだ”と判ったことと、はじめから“ダメだ”と言われたことは違います。」「何かをしようとした時、 失敗を恐れないでやってください。失敗して負けてしまったら、その理由を考えて反省してください。必ず、将来の役に立つと思います。」とも言っています。まさしく“反省的実践家”の代表選手といえますね。
このようにトップレベルのアスリートは、自分の身体のことをよく理解している選手が多いです。しかも調子が良いとか悪いというような主観的な感覚ではなく、測定データや科学的な知識に基づいた客観的な評価で自分の状態を把握しようとしますし、また新しい知識や方法に対しても貪欲に自分のものにしたがります。そのような意識の高い選手は、ケガをした時の対応や治療に対する姿勢、リハビリテーションやトレーニング方法、コンディションの作り方や私生活に関してまできちんと自分でコントロールしています。そしてさらに自分の技術や能力、パフォーマンスを向上させるための方法まで自分で見つけることが出来ています。
このことは、決してプロ選手やトップアスリートに限ったことでは無く、すべてのスポーツ選手に要求されるべきと思われます。まずは基本的な身体のしくみと解剖学的に正しい関節や筋肉の使い方を理解し、そして正しいフォームとはどういう理論に基づいているのかを習得することで、より上手に、より効率よく、より強くなることが出来ますし、ケガを負うリスクも減らせます。間違ったトレーニングや過度な練習によるスポーツ障害を減らし、よりレベルアップしたパフォーマンスを発揮するためには、スポーツ医学は必須の学問と考えます。
<競技スポーツだけでなく、現代社会におけるスポーツ医学の役割>
近年私たちの平均寿命は大幅に延び、2020年の時点で女性の平均寿命は87.45歳で世界第2位(1位は香港の88.13歳)、男性は81.70歳で世界第3位(1位は香港の82.34歳)でした。しかしその一方で、健康寿命すなわち健康上の問題がない状態で自立した日常生活を送れる期間は、平均寿命より女性で約12年、男性で約9年も短いことが分かりました。これは自立度の低下や寝たきり状態、つまり要支援・要介護状態の期間が平均で9~12年もあるということです。この要因の第1位は“運動器の障害”で、第2位の脳血管疾患19%より多く、25%を占めています。
これに対して日本整形外科学会では、運動器の障害を予防して健康寿命を延ばすことを目的に“ロコモ”という概念を提唱してきました。ロコモティブは機関車、移動という意味ですが、医学的には、筋肉・骨・関節・軟骨・椎間板といった運動器を指し、この運動器のいずれか、あるいは複数に障害が起こり、「立つ」「歩く」といった機能が低下している状態をロコモティブシンドローム(和名:運動器症候群)、通称ロコモといいます。ロコモが進行すると運動器が衰え、段差で転倒や骨折を生じやすくなり、日常生活にも支障をきたし、介護が必要になるリスクが高くなります。運動器は自分の意志で動かすことができる唯一の器官であり、スポーツにより何歳になっても鍛えることができます。
またスポーツはロコモの予防だけでなく、娯楽、自由時間の充実、豊かな社会的交流の促進、そして生きがいのある人生の構築にも大きく役立っています。さらには社会教育機能の強化、世代間交流、地域活性化、医療費削減、経済活性化、治安の維持など、スポーツの推進により得られる効果は莫大です。いつまでも自分の足で歩き続けていくためには、スポーツ医学の知識を深めて健康的にスポーツを続け、「運動器の寿命は自分で延ばす」という意識を持つことが大切です。