泉 龍太郎教授 人間科学専攻 医療・健康科学コース
担当科目の概要についてお教えください
「健康科学」,「運動生理学」,そして「産業衛生学」の3科目を担当しますが,これらの科目に共通して言えることが3つあります。まず第一に,いずれの科目でも,その基礎となるのは人体生理学,認知行動科学であり,このような基礎知識を踏まえることが重要です。第2に,いずれの分野においても個体を取り巻く外部環境との相互作用が大きな影響要因であり,その視点を忘れないようにすることが大切です。3番目は,それぞれの科目で何らかの課題に取り組む場合に,個体としてのヒトに対するアプローチだけでなく,その個人が所属する組織,例えば職場や地域社会としてどのように取り組むか,という観点を持つことも非常に大切なことです。特に近年では,遺伝子解析や分子細胞生物学の技術が大きく進展し,また医療に関連する分野ではエビデンスに基づいた診療行為や倫理的配慮が前提として考えられています。これらの最新の知識を踏まえて,リポートや自分自身の課題の取り組むことが重要だと思います。
「健康科学」ですが,日本は高齢化社会を迎え,年齢を重ねても如何に健康に過ごすかということが,社会的に大きく注目を集めています。WHOの定義にもあるように,病気が無いことだけが健康の条件でなく,また逆に持病を有していても健康的な生活を送ることも可能です。健康とは何か,健康を維持・向上するためにはどのように取り組んだらよいかを考えて行きたいと思います。
「運動生理学」は「健康科学」を支える一つの重要な柱ですが,自分自身の活動を含め,身の回りで行われている身体活動が,実際には人体にどのような影響を及ぼしているのか,という観点から人体生理学を深く掘り下げて行きたいと考えています。また応用問題の一つとして,「宇宙環境」を取り上げ,このような特殊な環境に適応し,そこで健康的に活動するためにはどのようなことを考えなければならないかも,勉強したいと思います。「産業衛生学」も「健康科学」に密接に関連しますが,この課目では実際に皆さんが働く職場において,どのような危険が潜んでいるのか,またそれらのリスクにどのように対処すれば良いのか,心身両面でストレスフルな環境で,如何に健康を保ち,さらにはどのようにしたら楽しく仕事が出来るのか,最近の社会情勢を踏まえ,また科学的なアプローチを通して,勉強して行きたいと考えています。
先生のゼミの特色・院生のテーマは?
社会での活動を続けながら勉強されている方が大半ですが,特に医療系であれば,日々の活動の中で,疑問に思うこと,改善したら良いと思うこと,あるいはもっと勉強したいと思う課題が必ずいくつか出て来るはずです。そのような自分が体験した疑問点やアイデアを大切にし,深く掘り下げて勉強を重ねることが,本人の研究テーマとなり,知識や経験の積み重ねになると考えています。
オフラインのエピソード。
私が担当するゼミ生が取り組む研究テーマとしては,患者さんを含め,人体の生理・生化学的データを計測し,それを解析する課題が大半を占めています。そのため,学生さんが在籍している期間に,なるべく一度は学生さん本人が仕事や研究を行っている現場を訪れるようにしています。単に現場を見ることが出来るだけでなく,実際に一緒に仕事や研究を行っている回りのスタッフの方々とも意見交換ができ,またご本人が所属する病院や施設の環境を知ることも出来て,非常に有意義だと感じています。将来的には私一人が行くのではなく,機会が許せば何名かのゼミ生も集まり,あるいはサイバーゼミで繋いでみるなど,大勢が参加出来ることも考えられないか,模索しているところです。
インターネットを使った通信教育についてのご感想は?
日本大学での通信教育で素晴らしいと思うのは,単に通信を手段として使うだけでなく,実際に学生さんと顔を合わせる場を持つことを重要視していることです。
宇宙機構で仕事をしていた頃は,宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士と如何にコミュニケーションを取るかが大きな課題で,必然的に通信システムを介した情報交換が大きなウェイトを占める訳ですが,その際,普段からの信頼関係が構築出来ているかどうかが大きな鍵となります。また宇宙ステーションでなくても,地上で他の海外機関等としばしばTV会議や電話会議を行いましたが,その際でも,顔を合わせたことがある相手かどうかで,会議の印象や効率がかなり違って来ます。通信教育は,時間と場所の壁を越えられることで非常に便利なシステムですが,その基本となるのは,お互いの顔の見える関係を大切にすることだと考えています。
先生の経歴について教えてください。
医学部に進んだのは,「人の為になりたい」という高尚な理由でなく,「人間とは何かを知りたい」という気持ちからだったと記憶しています。大学卒業後は,本当は基礎研究に進みたかったのですが,医学を学んだ以上,臨床を経験しておく必要があると感じ,基礎研究にも力を入れている九州大学の第一内科に入局しました。2年間の臨床を経て,基礎系の大学院に進み,分子生物学を学んだのですが,だんだん欲求不満が嵩じて来ました。当時はゲノム科学の黎明期でしたが,実際に自分で行っていた研究は1~数個の遺伝子の動きや機能を解析することが中心で,これをいくら積み重ねても,生命活動の全体像が見えないように思われたからです。そんな時,立花隆氏の著された「宇宙からの帰還」に触れ,宇宙開発に興味を持ち,自分自身でも宇宙飛行士になりたいと思うようになりました。第2回目の宇宙飛行士選抜試験を受け,当然途中で不合格となりましたが(選抜されたのは若田飛行士),その時の縁で宇宙開発関連の仕事に就くことになり,それから約15年間,宇宙ステーションを利用した医学・生物学研究の取りまとめに従事しました。自分自身の研究活動を行うという立場ではありませんでしたが,工学系を含め,基礎的な生命科学から衛生学,精神心理の分野まで,幅広く勉強させてもらい,同時にスペース・シャトルや種子島からのロケット打ち上げへの立会い,度々の海外機関のスタッフとの交渉等,非常に貴重な経験をさせてもらいました。
2009年,宇宙ステーション計画も軌道に乗ったのを機に,もう少し別の分野に進みたいという気持ちとなり,産業医として日本原子力研究開発機構で仕事をすることになりました。産業医と言うと,それまでと全く異なる職種と思われるかも知れませんが,宇宙機構での仕事自体が「宇宙に滞在する人間の健康管理」という側面が強くて内容的は共通する部分も多く,健康管理の対象が,一般の職種の方に広がっただけ,と考えることも出来ます。職場での健康管理やメンタルヘルスの重要性は,一般の方にもかなり認識が高まってますが,実際に仕事に取り組む環境としては,グローバル化や技術革新が進む中で,予算や人員削減,業務の効率化や業績評価等,厳しさが増す一方です。このようなストレスフルな状況下で,如何に身体・精神面の健康を保ちながら,仕事に前向きに,かつ楽しく取り組むことが出来るかが,今後の大きな課題だと思っているところです。
先生の研究テーマについてお聞かせください?
先の質問の「経歴」の項で述べたように,元々の原点として「生命とは何か,人間とは何か」という疑問があり,その疑問に対してミクロからマクロ,大きくは人間社会集団としてのアプローチも勉強して来ました。現在,最も関心を持っているのは細胞生物学の分野で,生命活動が,個々の分子の運動の総和で説明出来るかどうか,という課題です。シークエンス技術が発達し,大量のゲノムを簡単に読めるようになり,また分子レベルで細胞内の個々の物質の動きを解析出来るようになりましたが,膨大なデータを得られる反面,生命現象の本質が捉えられているのかどうか,疑問に思うことも少なくありません。その一方で,ヒトを含めたいろいろな生物種を,個体として,あるいは集団として見た時,その多様性や頑健性,柔軟性に驚かされることも未だに多く,「生命を理解するとはどういうことか」という問い自体を見直しながら,その答えを探っているところです。
趣味、休日の過ごし方は?
普段から人に運動の重要性を説いていることもあって,なるべく週に2~3回は体を動かすようにしています。だいたいは走るか泳ぐかで,いずれも時間的には1時間程度ですが,それだけではつまらないので,最近は自転車を購入し,行動半径を広げようと画策しています。飼犬との散歩は,気晴らしにはなりますが,あまり運動とは言えないレベルです。本当はアウトドアにも興味が有り,6年前の夏に富士山に登りましたが,最近は足が遠のいています。
英語には未だに苦労していますが,欧米の映画やTVドラマ,ドキュメンタリーのDVDを,英語の勉強と称して見入っています。なるべくセリフの多いもので,日本語と英語の両方の字幕が揃っているものを選んでいます。
若い頃から書籍をいろいろ購入していて,その置き場に苦労していましたが,10年以上前に今の自宅を建てた際,図書館に置いてあるようなスライド式書棚を導入しました。ただ,今はあんまり整理が行き届いていません。
志望者に向けて,一言お願いします
院生のテーマの項でも述べましたが,社会人として活動していれば,その中から疑問や問題の改善に関するアイデアは必ず出て来るはずです。それを突き詰めることが,学問の種となり,また自分自身の糧となります。
ただ,研究を行うにはある程度決まったスタイルがあります。まず過去の文献を調べて,自分の抱いた疑問がどの程度,取り組まれているのかを知る必要があります。未解明の点があれば,それが研究の核となります。研究活動として行ったことは,記録としてまとめ,発表することも常に考えておく必要が有ります。発表しなければ,せっかく行った研究活動も,他者の眼に触れることがありません。その際,概要だけでも,英文で発表しておくことが望まれます。最後に,人は誰しも時間とエネルギーは有限であり,特に修士課程は2年の内に修了しなければなりません。取り組むべき課題の範囲と優先順位を,常に意識することを身に付けた方が良いと思います。ただ一度身に付けてしまえば,修士を終えた後でも,その後も研究活動を続けることは,それ程困難では無く,また研究以外の社会人としての仕事の取り組みにも,役に立つのではないかと思います。