「石原吉郎論――詩文学の核心」を執筆して
博士後期課程・総合社会情報専攻 3期生・修了 柴崎 聰



 「日本におけるキリスト教詩の系譜」が、最初に立てた研究主題であった。すぐに遭遇した研究の壁は、「キリスト教詩」の定義の茫洋さであり、「キリスト教詩」に「系譜」なるものがあるのかという疑問であった。詩人たちは、「系譜」という流れには身を置かないで、脇目もふらずに個人の芸術性を高めることに専念していて、師弟関係にある詩人などは、皆無に近かったのである。
 指導教授の教示もあって、軌道修正をし、石原吉郎(1915―1977年)一人に絞り込むことにした。石原吉郎には、1972年に初めて池袋の書店で会った。彼は、修練を積んだ修道士のようにも侍のようにも見えた。石原はすでに詩集『サンチョ・パンサの帰郷』によって、H氏賞を受賞し、エッセイ集『望郷と海』において、シベリヤの強制収容所体験を披瀝していた。その禁欲と自制のきいた文章に、私は感嘆し、魅せられた。
 その後、文学を愛好する三人で始めた詩の読書会において、現代詩文庫『石原吉郎詩集』『新選 石原吉郎詩集』を通読した。一人が二篇の詩の発題をし、それをめぐって三人で議論をする。時には激論になった。一人で読んでいると分からなかったことが、三人で読み合うと不思議にも分かってきた。石原の詩は、批評という試練に堪えられる内懐の深さを持っていたのである。それらは難解であるし、時に不明晰性や韜晦性を伴っていたが、それだけ奥行が深く、様々な解釈を可能にしていたのである。
 石原の詩は、詩人や研究者や評者によって、シベリヤ体験から解釈・論評される傾向を持ったが、それだけでは十分ではないのではないか、という私自身の直感に近い疑義こそが論文を書かせる原動力になったと言える。研究するにつれて、キリスト教や聖書が石原に与えた影響が半端ではないことが明らかになってきた。一人の人の作品を研究することは、その人のみならず、その人と有機的に関わってきた人物や事柄をも知悉しなければならないことであろう。研究者は常に謙虚でなければならない、そのことを学んだことが私の研究の最大の成果であった。


 
 
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