それは階戸先生のサイバーゼミの始まりである。参加者は九州から北海道まで様々である。あるときはデトロイトからのゼミ生の参加があり、それに「今オーストラリアからですよ」とほかの先生が続く。僕はといえば散らかし放題の自分の部屋がカメラに映らないようにカメラの位置を調節して発表を続ける。発表が終わったとたん、ゼミ生の質問やら議論そして 階戸先生のコメントが続く。
どうなることやらと始めた博士論文の執筆も、このようなハイテクによる充実したシステムとそれ以上に先生方はじめゼミ生などの肉声の指導、そして励ましに支えられていたような気がする。肉声の指導といえば五十嵐先生の深夜の電話。こちらは先生の電話代大変だろうなーなどと余計な心配をするのであるが、論文の話から最近の金融情勢そして音楽の話へと続くのである。2、3日すると貴重な参考資料と文献が宅配便で送られてくる。論文が行き詰って嫌になっていると、決まって先生のコールを戴いた。
博士後期の1年時は、博論のテーマ選定と必要単位のレポート提出、大学院のシステムの習熟や新規の学会加入などに追われた。3年時は学会発表、予備審査、口頭試問などの準備に手間取った。結局、実際に論文執筆に集中できたのは2年時だった。院生紀要への投稿をタイミングよく続けることで次第に論文のペースが掴めていった。
最後に実用的なアドバイスとしては、新規学会に加入の場合はなるべく早めに。また、論文掲載に至る査読には通常かなりの時間がかかるが、査読者のコメントが大変ありがたかった。論文執筆中は十分なバックアップ、保存をしながら進めること。論文の校正、見直しは何度やっても十分ではない。できたら誰でもいいから読んでもらうことである。通常、本人はもう見直す気力は無いのであるから。
博論提出後はこれでよかったのだろうか、十分だったろうかと何度も考えた。しかし、自分とすれば、ここまでしかできなかったと自分を納得させるしかなかった。ウェブの院生紀要などに発表した論文を読んで戴いた、若い研究者、実務家、大学生の方々から種々質問や意見を戴き、あれはあれでよかったのではと漸く自分を納得させることができた。主査、副査をお勤め戴いた階戸先生、五十嵐先生、近藤先生、佐々木先生をはじめ日大の緒先生方には感謝しきれない学恩を戴いた、あらためて御礼申し上げます。