1月14日…忘れもしない成人の日。14日を1秒でも過ぎたら、卒業ができない。午後11時、東京駅に降り立ち一目散に中央郵便局を目指した。「明日中に着きますよね?」と局員の方に問う。すると局員の男性は、少し待って欲しいと確認のためか冊子をめくった。まさか…明日中に着かないのではあるまいか。鼓動が高まる。「明日の14時に着きます」。ニヤリ。つい口元が緩む。
この瞬間ほど「やったぞ!」と思えたことは、大学院生活の中でなかったのではないかと思う。
私は、学部時代、大学にはほとんど行かず、旅行ばかりしていた学生だった。しかし、3回生のとき偶然パレスチナ自治区を訪れ、自分が勉強している学問とはこういった問題を解決するためにあるに違いないと感じた。帰国後、自分が衝撃を受けた占領の実態やアメリカの軍需産業、日本のメディアについて発表した。しかし最初で最後の渾身のプレゼンテーションは、論理性・説得性・信憑性に欠けるという惨憺たる評価だった。そのときの悔しさを糧に勉強を始め、せっかく勉強するならばと大学院に進学した。
大学院生活1年目は、仕事との両立に苦慮し、2年目は育児との両立に苦心した。最後の追込みでは、8ヶ月の娘を母に預け、母乳がでなくなってもかまわないと一日中パソコンと向かい合った。
そんな私が、修士論文を書き終え感じたことは、自分にとってこの論文は、学部時代に果たせなかった学士論文だということだ。仕事や育児に追われながらも執筆したリポートや論文。それらを通じ諸先生方からご指導を受け、学んだことは大変多かった。自分にとっては、まさに失われた学部時代を取り戻したに等しい感覚だ。リポートを執筆するたび学びへの好奇心は常にかきたてられた。私は、今後も勉強を続け、いつか真の修士論文を仕上げたいと思う。あの郵便局の瞬間は、新たな学びへのスタートだったのだ。
私は、いつもギリギリにならないとエンジンがかけられず多くの人に迷惑をかけ、そして助けられた。修士論文は、できれば入学時から構想をそれなりに立てておかれると良いかと思う。最後に、こんな私をいつも温かく見守ってくださった近藤(大博)先生はじめ先生方には感謝しきれない。ご指導本当にありがとうございました。