ハプニングってあるものですね!

人間科学専攻 中島 正世


 私は、いつもぎりぎりになってから慌ててやり始める傾向があるので、早めにやらなくてはと、1年の11月に研究1の調査を実施して2年の4月に集計し、5月から研究2を実施して9月に結果をまとめました。しかし、10月の中間発表会に欠席してから12月まで手につかず、12月になってあせって問題と考察に着手し始めました。せめて、草稿を年末の休みに入るまでに、担当の先生に提出したかったのですか、問題や考察に時間がかかってしまいました。そのため、年末年始はずーっとパソコンにむかって草稿が提出できたのが元旦でした。本当に伊坂先生申し訳ありませんでした。
 私は、何度も修士論文の完成は無理かなと思って、2年での卒業をあきらめることがありました。そんな時、力になったのが、ゼミの同期の皆様や伊坂先生でした。そこで、私の奮戦記を記念に残します。

<研究1(自記式質問紙法)でのエピソード>
 自記式質問紙は、内容をとりあえず、自分の主旨にあう既存の質問項目が載っている先行文献から3つ選択して、あとは、安心と思っていました。しかし、この“とりあえず”が悲惨な結果に・・・、問題・考察を書く時点の昨年の12月初旬に、私の参考にした研究報告がアンケートの育ての親であることに気づいたのです。とてもあせりました。それから、アンケートの産みの親を探すのが大変でした。そうです、私が参考にしていたのは、育ての親ばかりでした。この時、質問項目の出典を早期に明確にしていた方が、良かったと反省しました。(私ぐらいですかね)
 何件法で実施しようか、調査研究法で「中心化傾向を防止のために偶数が良い」と学び、SPSSの講習会では、「統計的に活用するためには5件法以上が望ましい」、ということは、6件法ですか、私の対象者は、多忙な方々なので6件法を依頼することを躊躇して5件法で実施しました。その結果、ほとんど“1”、“3”、“5”という人も少しいました。もちろん良く考えて1、3、5かもしれませんね。そして、次の研究で6件法のアンケートを実施したところ、6件法でも大丈夫でした。私の考えすぎでしたね。中心化傾向を防ぐためには、6件法でも十分大丈夫でした。
 質問紙の印刷は、紙の節約のために両面印刷をして、実施した結果、最後の裏面を忘れてしまう人が何人かいて、ショックでしたね。つまり、質問紙の印刷で両面に印刷する場合は、最後の裏面を使わない方がいいですね。

<研究2(実験調査法)でのエピソード>
 実験調査では、何とか7月からの夏季休暇に入る前にすべての調査を終了しないと、個々のイベントやそれぞれ夏季休暇をとるために、人員も最小限の人数での業務となるため、調査結果に影響がでる。そのため、5月の初旬に調査依頼をした。私は、個々に紙面で実験協力者を募集することにしていたのですが、調査依頼時に集合説明会を開くこととなった。その時点から、説明会用のポスターを作成して説明会を2施設2回ずつ実施した。その結果、説明会は、5月末日と6月初旬にA施設は、1回目3名、2回目5名、B施設は、1回目2名、2回目0名と合計でも10名でした。これでは、実験調査の統制群・実験A・実験Bの3群を計画して、最低でも50名を期待していたので、40名も不足してしまう。私はとにかくあせりました。まずい研究2が実施できない。
そこで、とにかく個人交渉しかない。しかも、研究2の調査期間が、実験デザイン:ABAデザインを予定しているために、最低でも2週間はかかる。さらに、調査対象者が交替勤務制なので、依頼や回収にも日数がかかる。とにかく次の日から、休み時間やアフター5を利用して、各部署をめぐり、個々人に実験調査依頼をした。2施設11部署をめぐり、まるでセールスマンのようであった。時には、ミーティングの時間と重なり、終わるのを待ってみたり、各部署で知っている人の勤務を聞いて再度訪問したり、相手は仕事中なので、調査の説明には7〜8分かかるために、次回のアポをとったり、何度施設内をうろうろしたことか解りません。 
その結果、55名の協力者が得られた。しかし、中には、匿名希望で名前がなかったり、実験方法がアロマテラピーを枕に挿入する方法と一定のつぼをタップする思考場療法の2つを計画していることを話していたので、「アロマだったら」とか「アロマは柑橘系しかだめなの」など、さまざまで結果的に50名の協力者となった。
 さてさて、これからがまた大変でした。まずグループ分けをして、50名に個別に実験調査依頼をしなければならなかった。調査対象者の勤務帯を確認しながら、2施設11部署をかけめぐり、調査依頼だけで6月19日から開始して1週間はかかりました。これで、一安心、最終調査終了予定は、7月1日となり、またまた、回収に時間がかかりました。6月の一ヶ月間は、仕事よりも研究の方が主な毎日でした。

<中間発表会のエピソード>
 10月の中旬に中間発表会がありました。もちろん、中間発表会で発表する予定でした。しかし、中間発表会の前日に主人が一泊入院しました。この時は、まだ良かったのですが、同日の夕方に中学2年生の息子が「お腹が痛い!」と言い始めました。この時私は、またいつもの腹痛かなと思っていました。しかし、息子の腹痛は、夜の9時になってもおさまらず、腹痛の部位が中央から右下腹部へ移動してしまい。私は、「もしかして、虫垂炎、今から病院に行けば、今から手術してもらえて、明日は発表会に行けるぞ!」と息子を連れて、夜間の外来に受診しました。ところが、診察して検査して診断されて入院が決定したのが、発表会当日の1時で、入院したのが3時、手術が日勤帯の医師がきてから実施することになりました。私と8歳の娘が家に帰ったのは、発表会当日の朝の3時だったでしょうか?この時、中間発表会の発表を断念して、伊坂先生と事務局に中間発表会の欠席のメールを送りました。何と伊坂先生は、こんな時間なのに、すぐに返事をくれました。いつも、気にかけてくださって本当にびっくりしました。
 その後、娘のオペラの出演のために娘中心の生活を続け、もちろん仕事は常勤です。その結果、修士論文は、まったく手つかずとなり2ヶ月が過ぎ、12月のゼミで、面接試問の練習・・・・。私は、自分の修士論文の内容を少し忘れてしまったようで、ちんぷんかんぷんの発表練習となって自己嫌悪に陥ってしまいました。そこで、修士論文は、2週間に一度は目を通すべきだったと反省しました。
 おわりに、自分に、いつ何が起こるかわからないですね。しかし、自分に悔いが残らないように、最後まであきらめないことが大事ですね。最後まで、見守って下さった伊坂先生、本当に有難うございました。


 
       
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