怒涛の二年間

人間科学専攻 岩坂 憂児


今にして思い出すと、眞邉ゼミでは驚かされる事ばかりだった。入学式の日からゼミへの参加。その中で飛び交わされる難解な専門用語。「果たしてこの中で私は二年間で無事に終了する事が出来るのだろうか?」「とんでもないところに来てしまったのではないだろうか?」これが私の最初の本音だった。
その予感はある部分では的中し、ある部分では大きく外れてしまった。
厳しいゼミでのやり取りを離れると同じ仲間同士の和気藹々とした雰囲気がこのゼミの本質なのだと分かるのに時間はかからなかった。

このゼミに参加することは大変であったと同時に大変な楽しみでもあった。忙しい仕事の中、時間を工面し、自分のアイデアをまとめスライドにし、それを発表する。その作業と同時進行で他のレポート課題を提出し、とおおよそこれまでの人生の中でして来なかった勉強をこの二年間でやってしまうような感じさえした。しかし、それはけっして苦痛だけではなく、むしろ学ぶ楽しみを再確認するような作業であった。これまで自分の学んできたものとは質を異にする学問を学ぶ事は、私の小さな灰色の脳細胞をとても刺激するものであった。さらに、普通の人生を送っているだけでは決して出会う事はなかったであろう仲間達との出会いは、私の、ともすれば安楽な方向に流されてしまう怠惰な性格を徐々に修正し、レポートへの原動力ともなっていった。

いよいよ修士論文を書く段階に入って、怒涛のような日は加速していった。データの収集と処理、そこから導き出される考察・・・。正月休みは休みであって休みにならないほど慌しく過ぎ去っていった。この時も仲間とのやりとりで救われた。自分だけが苦しいわけではなく、皆同じなのだと。仲間のありがたさを痛感する時間でもあった。

論文の副本の提出、口頭試問とただただあわただしい時間が過ぎていき、今日に至っている。終盤の忙しさは、筆舌にしがたいものであったとしか良いようがない。
ただ、口頭試問が終わった今、ゆっくり考えると、この忙しかった時間はとても素晴らしい時間だったのだと感じている。
特にこの二年は自分自身においても結婚、妊娠とまさに人生のターニングポイントを迎えた非常に中身の濃い二年であった。
徐々に、生活が以前のような平凡なものになりつつある今、この二年という短い、しかしとても充実した時間がより素晴らしい輝きを放ち始めている。
この二年は私にとって忘れられない期間であったし、価値のある期間であった。最後に、根気よく指導してくださった眞邉先生、この素晴らしい期間を共に過ごしてくれた同級生の皆さん、先輩、後輩の皆さん、そして支えてくれた家族に心より感謝したい。


 
       
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