幸せな時間
文化情報専攻 佐藤 順子
1 はじめに ―ハラをククってきました!―
「ハラをククってきました!」
2005年4月、大学院生となって初めて、指導教授である永岡先生の研究室を訪ねた際に、私が発した言葉だ。―ハラをククる―決死の覚悟をしてこの場に居ます。ということである。
大学院入学くらいで何も大げさな・・・とお思いかも知れない。しかし、巷で「団塊ジュニア」と呼ばれている私の世代は、三浦展氏の言葉を借りて言えば「難民世代」である。同世代の人口の多さとバブル崩壊した景気に威圧されながら、受験や就職など、人生の大切な節目には、常に必要以上の覚悟を余儀なくされてきたのである。豊かな社会に身を置きながらもどこか腹ペコ。世間ではジェンダーがどうのと論議されているが、だいたい「ジェンダー」「フェミニズム」とか、そんなのモテない女の僻みでしょ!男女雇用機会均等法?だから何?それ以前に、私たちには求人が無いんだ!生きてゆくためには、派遣だろうがフリーターだろうが、時には「女らしさ」を売り物にしたってやるしかない。・・・そう思いながら生きてきたのだ。そんな私が大学院での研究対象に「女性論」を選んだ。まさに腹を括るのに相応しい「負の選択」だった。
2 永岡ゼミの「ナガオカマジック」
「おやおや、怖いなぁ。」
意気込んでやってきた私を、永岡先生は柔和な笑顔で出迎えて下さった。大学時代からの、お馴染みの笑顔だ。こちらもつい釣られて笑顔になってしまう。この笑顔に言葉が加わり、学生たちの研究意欲がどんどん引き出されてゆくのである。これぞナガオカマジック!私の体験を踏まえながらいくつか紹介しよう。
@「面白いね!」「いいじゃない!」という魔法
研究の初期段階では、先生と研究についての案を提示や、調査した文献についての報告をしたりする。私の場合は、婦人解放運動の出発点を探るべく、近代の新聞や婦人雑誌を片っ端から目を通した。週に3回は大学の図書館や国会図書館に通い、そこに所蔵していない雑誌は、他大学へ出向いた。毎回収穫があるとは限らないし、スカも多い。気が遠くなるくらい地道な作業だ。それでも何とか得たものを永岡先生に報告すると、まずはその中で良い点を見つけて「面白いね」「いいんじゃない」と学生の努力を笑顔で受け入れて下さる。褒められることにとても弱い私は、挫けそうになる気持ちが起る間もなく、先生のアドバイスを受け取って、意気揚々と、更なる収穫を求めて研究室を飛び出していくのであった。
A「おやおや」という魔法
あれこれと収穫物を広げすぎて、本来の研究へと戻れなくなりそうな時に使用される。修士論文を書く上で、研究の幅を広げることや無駄だと思うことをしてみることも大切でしだ。しかし、逸れてしまっては大変なことになる。私は婦人雑誌を扱っていたが、余りにも広げすぎて気がついたら近代のエロ本や現代の男性向成人雑誌にまで手を伸ばしていた。いつだか、永岡先生の研究室で女の子3人、キャーキャーと「袋とじ」に鋏を入れている姿に「おやおや」と・・・。困ったような笑顔を浮かべている先生を見て、反省ひとしきり。早急に軌道修正を加えたのであった。
B「大丈夫。書ける、書ける!」という呪文
いくら資料を収集しても論文というかたちにしなければ何にもならない。特に2年目の夏以降は、文章にすることに労力を費やしてゆくことが大切である。わかっているけれど、でも書けない。時間だけがただ流れていった。「早く書け」と急かされて当然の状況下で、永岡先生は「大丈夫。書ける、書ける!」と何度も繰り返し唱えて下さった。そう言われると不思議なことに書ける気になってしまうのだ。もう脱帽である。私は2年生の12月になるまで一文字も書くことができずにいた。それでも諦めずに為し遂げられたことに、今更ながらこの上ない驚きを感じている。
3 ハッピーアワー
大学院の最終目的は、修士論文を書き切ることにあるが、それだけに囚われていては勿体ない。せっかく大学院という学び場にいるのだから、存分に楽しもうではないか!私がそう思うようになったのは、2年生になってからだった。大学院1年目、たまたま永岡ゼミ生が私以外にいなかったことや必修科目を履修しなかったこともあり、学生同士の接点がないまま1年間を過ごした。指導教授を独り占め出来るという優越感に浸りながらも、仲間とのコミュニケーションがないことで不安も過ぎっていた。
「このまま大学院生活が終わっちゃうのかなぁ。寂しいなぁ・・・」
そんなことはない!1年目に履修しなかった必修科目のスクーリングでは、沢山の仲間と会うことができたのだ。
3日間という短い時間の中で、文化情報専攻の必修科目である比較文化・文学特講の講義では、キリスト教に触れることで、欧米の文化について学んだ。それは、私たちひとりひとりが、自分の生きるべき生き方を選び取ってゆくことが大切であるということを痛感するものでもあった。そして、講義終了後には、「ハッピーアワー」と名づけられた懇親会があり、そこでは他専攻の学生や先生方とも気軽にお酒を酌み交わせる、楽しいひとときが待っていた。「ハッピーアワー」は瞬く間に過ぎていったが、今振り返ってみると、スクーリングの3日間という全ての時間が私にとっての「ハッピーアワー」だったと思う。
4 おわりに―これから修士論文を書く方、大学院を希望する方へ―
研究は自ら行動し、掴み取ってゆくものだ。だからと言って、ひとりよがりになってしまっては、決して良い方向へは行かない。大学院で学ぶ学生として、仲間や先生方(それは研究指導教授のみならず)との交流を大切にし、信頼関係を気づいてゆくことが大きな原動力となり、宝物となるのではないかと思う。この大学院は、通信制の大学院ということもあって、直接コミュニケーションを取ることはなかなか難しいかも知れないが、その分、スクーリングが凝縮されたコミュニケーションの場となっている。また、メールやサイバーゼミを上手く活用してゆくことで、先生や事務スタッフ、そして仲間との積極的な意思疎通が可能であり、より充実した大学院ライフを過ごすことができる。
そして何よりも、学生からのメッセージを喜んで受け入れて下さる先生方が勢揃いしている。だから躊躇わずにその送信ボタンを押してしまおう!
きっと、今より良くなる。 ―幸せな時間を―