長年の夢だった若い時の夢を実現

文化情報専攻 池島 敦子


1 面接試問―緊張
 1月27日、面接試問をうけるため市ヶ谷の日本大学本部、201号室に待機していた。
予定時刻より遅れて名前を呼ばれ、指示通り9階の部屋に入った瞬間、中央に竹野先生、左に寺崎先生、右手に松岡先生が目にはいった。
 以前にお逢いした先生たちであるにもかかわらず、緊張感が伝わってきた。「よく頑張りましたね」と竹野先生の優しい声にほっとしたものの、両サイドの先生の質問に戸惑ってしまったが、アメリカ文学をもっと勉強して欲しいことだと後で理解できた。
 アメリカ文学も好きだが、大学時代に学んだだけで、フランス文学、ドイツ文学などなど、文学の領域の広さと勉強不足を痛切に感じてしまった。

2 修士論文―愛と罪
 私はローマ・カトリックに改宗したイギリス作家グレアム・グリーンのカトリック的色彩の濃い4作品(『ブライトン・ロック』(Brighton Rock 1938)、『力と栄光』(The Power and the Glory ,1940)、『事件の核心』(The Heart of the Matter,1948 )、『情事の終わり』(The End of the Affair,1951)の根底に流れている愛と罪を描いてみた。これらの作品を読んでカトリシズムが抱えている愛の本質とはどのようなものであるかなど、どの宗派にも共通する困難な問題であると悟った。フォースターが安易に「愛などと言うな」と言われたように愛とは永遠の問題であり、実行することの困難さを痛感した。罪は人間である以上誰でも犯すこと、そのためにキリストがこの世に人間の姿としてあらわれ、譬えを用いて我々に理解させようとして、人間性と神性を備えて2000年前にこの世に生まれたことを確信することが出来た。
 面接試問を終え、力量のふがいなさに後悔が残る。だが文化情報専攻、竹野ゼミに所属できたことはわが人生に新たな一ページが追加されたことになる。夢のような二年間を過ごせたことは幻だったのかとも感じている。年齢の違いを超越して、共に学ぶ姿勢を持った人達が待っていてくれたからこそ、ゼミへの参加が可能であったと実感している。

3 竹野ゼミ―楽しいひと時
 竹野ゼミは午後1時30分から休憩時間15分を挟んで5時、6時まで行われる。そのあと食事をしながら貴重な話を聞くことができる懇親会が待っている。毎回ゼミに参加するたびに新たな修士論文の構想が生まれることは間違いなかった。結果的にいつも満足のいくものとなっていた。8月の軽井沢ゼミは勉学+αがあり、楽しみも最高であった。我ながら年がいもなく夜更かしをしたのは何十年来のことであった。このような経験も大学院ならでは、と少し若返ったような気分にさせられた。
 今でも忘れられない函館ゼミは2006年3月に行われた。異国情緒が漂うイギリス領事館でのゼミは夕方までかかった。3月中旬というのに雪と寒さに震えながらも夕食と懇親会は絶妙な温かさを醸しだしてくれた。
 翌日は車で当別厳律シトー会灯台の聖母トラピスト男子修道院を見学した。修道院の内部は男性のみ、女性は客室で絵画を見ていた。トラピストクッキーと牛乳のサービスがあり、心から温められた。帰りは修道院所属の当別カトリック教会で、竹野先生のオルガン伴奏に合わせてゼミ生の皆さんと歌った聖歌は忘れられない。
 秋のゼミあたりから、真剣に修士論文を書かなくてはと焦りを感じ始めた。1年目は4教科のリポートに苦しめられた。

4 夢の実現―人生は旅
 私は昔、大学進学を諦めて家庭に入り、長年の夢だった若い時の夢を今実現しているのだ。入学時に決心した毎月のゼミに参加する希望は直前に腰を痛めて、スタートから困難さを暗示しているかのようだった。医者の忠告も聞かず、函館から特急スーパー白鳥、新幹線に乗り替え7時間かけて東京に向った。東京函館間は飛行機の方が早く、なぜ?と思われるかもしれませんが、函館-東京間往復早割り切符のほうが2万6千円と安いのだ。入学式に或る先生と出会った。「よくお金がありますね、家内が言ってましたよ」といわれ、内心どきりとした。「お金はありませんよ、お金は作り出すものですよ、」と大声でいいたかった。
 JRの旅は決して楽ではない。長時間、同じ姿勢であり、飽きあきしてくる。その苦痛も列車内でリポート課題の本を読み、一石二鳥であることがわかり、苦痛もプラス思考に考え活用することにした。まさに「人生は旅である」と実感した次第である。今頃勉強してどうなるのかと思われるが、短い人生を無駄にしたくなかった。
 1年次の必修科目のスクーリングで、「勉強に終わりはありませんよ」と上田先生が言われた。そうだ霊魂は永遠に生き続けるのだ。何歳であろうと勉強は無駄にならないのだ。好きなことをやっても苦労、きらいなことをやっても苦労、いいじゃないか私のやっていることは生きることの一部なのだ。月並みな言葉が浮かんでくる。
 だが現実は子宝にめぐまれ、孫が増え続けているおばあさんなのだ。時には、毎日のように孫の世話を頼まれて、リポートの提出と修論の準備が気になり、自分の運命を恨めしく思う時があった。また朝早く起き、朝食の前にパソコンに向かいながら、今までに経験したことがない新鮮な感覚を楽しんでいることに気がつく時もあった。

 ゼミに毎回参加することは「意味ある逃避ですよ」と、竹野先生に言われたときは「真実ですよ」と答えたくなる。現実からの逃避、好きな言葉である。好きなことをしている現在、わがままな人間であったのか、ふとそれが生きている喜びなんだと笑顔になる。
 JRの旅もあと数回で終わりになるのか、一抹の虚しさが襲ってきそうだ。たしか竹野先生は「終生ゼミに参加できますよ」といわれたはず、それが本当なら都合のつく時は特急スーパー白鳥に飛び乗り遠慮なく参加させて頂こうと修士論文提出を終えた今、密かに誓うのである。


 
       
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