日本語の壁を乗り越えて

文化情報専攻 王 春華


 修士論文を書き終わった!!涙も出た。夜も眠れなかった。思いが千々に乱れる。この二年間は私の人生の中の一瞬のことであるが、でも自分にとって長かった。辛かった。でもよかった!
 一番辛かったのはやはり日本語だった。日常の日本語には慣れてきたので、あまり不自由することはなくなったが、大学院に入ってから、慣れない日本文学の専門語を耳にして、何にもわからなかった。「源氏?何のこと?」「修論?何のこと?」「ユニコード?何のこと?」パソコンの使い方も分からず、すべての言葉が生まれて初めて聞くかのようだった。日本語の難しさも感じた。一字の意味を解くために何時間もかかり、いくつかの日本語辞典や中国語辞典も調べた。私の日本語はこんなに下手で、大丈夫かなと気落ちしたこともあった。昼間は授業があるし、夜も市民講座の授業がある。土日も日中関係の交流や翻訳の仕事があり、その上家事もあって、猫の手も借りたいくらい、やればやるほど仕事が終わらない。論文は毎日夜10時以降から書きはじめ、1時か2時までの辛い日々であった。でも励ましてくれ、また一番感謝したいのは指導教授の小田切先生です。先生は私を見捨てずに親切丁寧な指導で、日本語を教えながら、日本文化も教えてくれた。面倒を嫌がらずに、たくさんの資料もいただき、先生には大変お世話になった。先生!本当に 謝謝!謝謝!
 一番良かったことは大学院での勉強であった。日本に来て一番よかったと思った。辛いよりも勉強して得たものがたくさんあった。一つの言葉の由来を解くため、大量の資料を見なければならず、そこに書かれている大量の日本語を理解しないと論文を書くことができない。一字の意味を解くため、必ず日中辞典と中日辞典、そして中国語大辞典を調べる。このような勉強は時間がかかるけれど、日本語と中国語の両方の研究になる。今度の論文は「日中言語文化の対比と比較研究―江戸時代を中心として」というテーマであるが、多くの資料を参考にしなければならないので、少なくても200冊以上の資料を読んだ。日本の江戸時代の文化は中国とどういう関係があるのか、中国の白話小説は日本でどういうふうに受容されていったのか、こうしたことに関心を持った。色々な本を読めば読むほど知的好奇心が増え、常に感動も受け、勉強の楽しさが身に付いた。時々寝る時間も忘れたことがあった。この二年間の大学院での学習生活が、日本に来てから一番大変であったが、でも一番楽しかったと思う。これを出発点にして、日中文化交流の研究を続け、両国の理解と親善のために微力を尽くしていきたい。また、日本での中国文学の研究について中国に伝えることが今後の課題である。
 二年間の間に小田切先生、近藤先生、藤澤先生、竹林先生、そしてゼミの先輩たち、また事務課とヘルプデスクの八代様に大変お世話になりました。多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫びするとともに、心からお礼を申しあげます。また支えてくれた家族に感謝します。
 最後に、小田切先生、謝謝!謝謝!!!


 
       
電子マガジンTOPへ     特集TOPへ