古希を過ぎ 無限なる人生の生き方を求めて

文化情報専攻 江口 了太


 Are thy wings plumed indeed for such far flight? 「汝の翼はかの遠き飛翔にまこと耐えうるや?」…… 私は論文の最後の1行を打ち終えたとき、これで自分の人生にひとつの区切りをつけたのだ、という思いにとらわれ、しばし窓の外、寒空の灰色を背に、黒い枝をすっくと伸ばしている老木のこずえに目をやった。100年以上は間違いない。我が家の没落の一部始終をただ黙って見つめ続けてきた椋(むく)の木である。

   私は研究計画書を提出するときテーマを何にしようか、と思い悩んだ。自分の青春時代はサルトルがもてはやされていた。行動なき文学など唾棄すべきもの、現実の政治と無関係な文学は文学にあらず、「アンガジュマン」こそ知識人の取るべき生き方、という風潮であった。今思えば私も若かった。でもそれなりに真剣であった。20世紀初頭の社会状況の中で思索した作家たちの一人、ジョージ・オーウェルに興味をもった。時は流れ私は古希を過ぎた。通信制大学で知ることになったE.M.フォースターの世界に惹きこまれたのはペンギン版の『ハワーズ・エンド』の表紙に描かれた楡の木が我が家の椋の木を彷彿させたからであった。そしてなによりも巻頭言の人間同士の結び合い “Only connect…” に惹かれたのであった。そこにこめられた思い、願いは何であるか。その思いは一生を通じてどのように形成されていったのだろうか。結局彼の「世界観」を追求するというテーマに取り組むことにした。小野寺教授との再会が大きいモメントにもなった。

 フォースターが育った家庭環境、青春時代、そしてエッセイ、短編、小説へとほぼ全部に目を通さなければならないのだが結局は現実の時間的制約の中で不可能であった。彼のケンブリッジ時代のエッセイについては原文を入手しないままに終わったし、短編の一部については提出期日の1ヶ月前にやっと入手できたものがあり、はらはらしてしまった。綱渡りである。作品を読む方法は人それぞれの工夫があると思う。最初のうちはめぼしい箇所に出会うと、ノートに出典を明記してメモを取り、入力するやり方であったがこれは旅行とかで寸時の時間を利用するときのやり方で、机に向かうときはその場で即、パソコンに入力してしまうやり方が効率的だということも、レポートの本数が増してくると次第にわかってきた。その際に論旨展開に重要な部分と思われる箇所は赤色で、感動的な、情感を刺激された箇所は青色で、という色分けも試みた。実際に論文を組み立て始めると、この色分けは両方ともに論文のなかに入ることになるから(そうならない場合もあるが)同じじゃないか、という人もあろうが、あとで読み返すとき自分の感性がわかるのも面白いものである。もひとつ触れておきたいのは同学の志を持つ人々とのふれあいがエネルギーの持続には絶対必要である。九州に住んでいるので毎月のゼミに出ることはまず無理であった。それでも一年次には6回上京した。しかし2年次には事情が変わって上京したのは論文粗稿ができてからの一度だけである。その意味で遠距離にいても「サイバーゼミ」に参加できたのが一番よかった。2年次には9回も催してもらった。きちんと発表しなくてもいい、近況報告を交換することで方向性が探られたのである。新しい資料が入手できたのもサイバーでの出会いがあったからである。

 昨今は資格ブームとなってきた。学位取得で物質的なプラスを得ようとするものである。それはそれで若い人たちには貪欲に生きて欲しい。私は先に触れたように、キャリアを生かして何か具体的な行動を起こす計画などは最初からなかった。定年後看板を掲げた「英語教室」もビジネスというよりは趣味の世界となった。同世代の四分の一はあの世に渡った。生と死についてどのように受け止めて生きてゆくかは、この世にある者共通の課題である。哲学であれ、宗教であれ、自分なりに答えを出している人もいる。でもその答えが普遍的に他者に通じるとは限らない。自分なりに答えの糸口をつかみたかったのである。結局「生、死」は綾取り紐のように入り組んだ日常の中にまぎれこんでいる。それを解きほぐす「ことば」を捜す2年間であった。その意味で片山教授の「コミュニケーション論」を読み解けたのは望外の収穫であった。幾度も質問を投げかけながら、いつも懇切なご指導と励ましをいただいた先生に感謝する。上田教授の必須科目では伝統芸能の「能」とシェイクスピアの融合という試みに強く心を打たれた。悲劇は生・死のテーマをつきつける。それは夢幻能の世界に結びつく。学会誌に発表の機会を得たのも先生のご指導による。竹野教授の「文学としての聖書」もまったく新しい視点であった。否応なしにファンタジーの世界へ誘うものである。一方で神とは何か、人とは何かを考え続けた。シェイクスピアと聖書にこのような形で接し得たことは、田中菊雄の「岩波英和」に惹かれていたかつての「英学徒」にとっては、まさに冥利につきる出会いであった。

 今、私は地域の行政区長に選ばれている。人口2万の田舎町の郵便局長で定年を迎えた私は、ほとんどの人から顔を覚えられている。今回は、10年ほど前に「公民館活動」のリーダーを頼まれとき、地域の活性化に走り回っていた経験を買われての選出である。ところがこの仕事が滅法忙しい。行政の意思伝達は勿論だが、時代は人間同士の心の結び合いを困難にしてしまっている。良き伝統としての「ゲマインシャフト」は崩壊し共同体としてのコミュニテイの再生・発展は喫緊の課題である。自分のことばで語りかけること、人々に夢をあたえつづけること、それを実践にむすびつけること。今、私はそれを心から楽しんでいる。ヒポクラテスのことばに “Art is long. Life is short.” があるが、私に残された人生はまだ無限にある、という心境である。このような充足感を与えてくれた我が日本大学大学院、そこにそれぞれの情熱を結集されている諸先生がたに心からの敬意と感謝をささげ、さらに出会えた学友諸兄姉との「人間同士の結びあい」ができれば私の修士論文は名実ともに完成するのである。


 
       
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