けれんみのない大学院
国際情報専攻 小沢 健司
建築について考えると、建物でも構造が決まらないと何も始まりません。修士論文も同様で、その基本構造を決めることが一番の悩みの種となります。一度構造が決まれば、すべてがスタート可能になるものの、何が良くて、何を選択すべきか決められないまま、ただ徒に月日が流れていき、その間、気が焦るばかりで期日に追われことになります。そして、最後は突貫工事となり、欠陥建築、即ち粗悪な論文となるのです。
勿論、こうならないよう努力することが、良質な建築を作るのと同じで、論文にも必要であることは言うまでもありません。
また、建材ばかり集めてそれを建てる技術がないと、欠陥建築に陥ることと同じように論文も資料ばかりが山積して、本文が組み立てられないという状況になりがちです。
そして、当の私は突貫工事ならぬ、期限ぎりぎりの論文提出という悪戦苦闘の毎日でした。
しかし、大学院生活は苦しいことばかりではありませんでした。博雅の教授と気が置けない仲間と過ごした全国へのゼミ旅行、緑陰と紅葉のゼミ合宿での語らいなど、思い出は尽きません。
また、サイバーの利点を生かした、どこでも指導が受けられる研究形態が、私の日常を本屋通いとパソコンとの対話という生活習慣に一変してくれました。これは、何か問題が生じたら,何処からとはなく、神の声ならぬ、先輩方のサポートが解決策の助言を与えてくれることを、意味していました。
今思い起こしてみると、このように私が大学院生活を送ることが出来たのは、多くの教授方や先輩、同期の仲間方のお陰であると痛感しております。