「ユーロスターでの往復!!!」
−A round trip as a Premier Train Eurostar to The entrance of The Great Britain and Northern Ireland− 
国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
(科目履修・研究生・博士後期を目指し在学中)

 
はじめに
  今月の電マ23号は期生の方々の金字塔で記念すべき、そして最大の課題の修論完成への道標となる貴重な実体験に基づく、教訓に満ちた玉稿で埋め尽くされるものと確信します。
  先に拙稿の紀行文に対しては予想外の方々から反響があり、その過程で、ご叱正と身に余る励ましやご指導、また「スイスの鉄道と山岳ホテルの一端(20号)」は、海外のスイス国鉄当局顧客部長からの反響をも賜りました。電マの写しと写真に謝意表明の手紙を返信料$10.-と共に同封しスイス国鉄へ送付した。Reto schurchスイス国鉄顧客担当役員は自署を添えて、当人に貴意を伝え写真と手紙は渡したとサインに写真にしたもの共々返信料はそのままで「スイスの思い出を一つ増やされたことでしょう。残暑厳しき折ご自愛を」と丁重な返信がSBB CFF FFSからA-priorityで10月1日に届いた。本号は「Open大学院in名古屋」他で反響がありましたが、誌巾の都合と当方の推敲不足で前号で約束のフランスのLe Mont-St Michelへの旅等を修士論文奮闘記を拝読させていただく折に、一服の清涼剤と思い、やや別の視点から卒業旅行の端緒情報としても、是非ご高覧とご指導をお願いします。

1 旅の概要
  英国には、成田発NY経由で一泊後にシカゴへ、そこで二泊三日SCIP(Society of Competitive Intelligence Professional )国際会議の日本代表(Representative of SCIP Japan)(「SCIP創立20周年記念国際年次総会への旅(21号)」)をこなして、シカゴからフランスへ、パリで四泊五日。その間にパリ北駅〜英ウォータールー駅間の英仏海峡をユーロスターで往復、モンパルナス駅発TGVでレンヌ経由モンサンミッシェルへ往復とパリ市内観光の後、リヨン駅発TGVでスイスのローザンヌ経由でヴィスパからは登山電車に乗継でツェルマット、更にアブト式登山電車でリッヘルベルグの山岳ホテルで一泊、翌日は3,090mのゴルナーグラート展望台から4000m級の山々の連なるスイスアルプスのどっしりとしたモンテ・ローザや鋭角なシルエットのマッターホルンの眺望を楽しんだ後に、氷河特急・国際特急を乗継ぎ、チュリッヒ着、一泊、翌早朝にチュリッヒから仏ドゴール空港乗換で仏に再入国、同空港発で米国にも再入国、NYに一泊、翌日の午後ケネディ空港から成田への13泊14日間の日付変更線を二度通過、太平洋と大西洋を空路で往復した。
  この旅程の概算は陸路が1,924km(青森から東京・大阪・博多を経てその先の鳥栖に匹敵)。空路は、21,967Milesの35,147km(青森〜鳥栖の日本列島縦断の九往復分に相当)、市内の移動は積算外でも、約37,071kmです。従って地球一周は40,046kmですので矢張り相当の長躯でした。
  英国の首都ロンドンは、誰もが知る如く、ビッグベンとウエストミンスター教会の街並みは初訪問の旅人にも歴史的建造物群が将に世界的文化遺産として素晴らしい雰囲気で迫り、世界の五つの海を制した大英帝国の片鱗に接し、是非再訪を期する不思議な力があった。

     英ロンドン・ウォータールー駅到着ホーム               バッキンガム宮殿前騎馬女性警察官
  

      ↓英 バッキンガム宮殿恒例の衛兵交代儀式          ↓ビツグベン・テームズ川に架かるウェストミンスター橋
                                                                   平成17('05).4.11

  

2 大英帝国の玄関ロンドン雑感等
  個人旅行ですから大英帝国の大雑把な把握は以下の如くに事前予備知識を下調べして訪ねた。
  訪問先の国の通称イギリスの正式名称は、グレート・ブリティン及び北アイルランド連合王国(The
United Kingdom of Great Britain & Northern Ireland)です。国旗はユニオンジヤック、国歌は「神よ女王を守りたまえGod save the Queen」,国土は約244,000Ku(ロンドンは国土の0,6%1,610 Ku)人口は約5,900万9,000人(ロンドンは全人口の13%7,740,500人)元首はエリザヘスU世、現在の首相はトニー・ブレア(労働党)で政治体系は立憲君主制の議院内閣制でEU加盟国でありながら、通貨はユローでなく£ある。
  民族構成はイングランド人83%、スコットランド人8%,ウェールズ人5%,マン人の他にアフリカ、インドなどの旧植民地からの移民も多く占めている。宗教色はキリスト教の英国国教会85%,カトリック10%,バブディスト3%,他にイスラム・ヒンドゥー・ユダヤ教等。日本との時差は-9時間(グリニッジ標準時±0)、公用語は英語(ウェールズ語やスコットランド、北アイルランドの一部ではゲール語も使われている)。 文字はローマ字表記です。
(1) ユーロスターEurostarとロンドン・アイLondon eye 
  英仏海峡はパリ北駅〜英ウォータールー駅間のユーロスターで潜った。朝パリ北駅7:16発の英仏ご自慢のTGV9036は、495Kmを直走り、1時間10分程でヒスロー空港と共にロンドンの玄関口になっているウオータロー駅に8:55に滑り込んだ。略 同一距離の東京〜京都の513,6Kmを我が新幹線は途中で、新横浜・名古屋に停車・所要2時間10分程です。運賃は\18,370.で、勿論食事無しのグリーン車料金の運賃です。比較するユーロスターの一等車は\14,200. 朝食・飲み物自由です。これは外国人観光客誘致政策での割引運賃であって、事前購入と円建てに加えてユーロ圏非居住者の条件を満たすことが必要で、直接インターネット申し込みがベストです。エージェントの利用も便利ですが、このインターネットは費用対効果の面で格段にユースィフルです。この制度は各国が相互主義で実施しているものです。去る2月13日朝の出勤時に西武新宿駅で、両国駅を行く方法が解からずに困っていた豪州人の母娘をFollow me pleaseと JR新宿駅西口の11番線ホームへエスコートした時も、彼女達は外国人用割引切符でした。間もなくNPO法人格を取得する「HJ」(Heartfull Japan)はこうした困っている外国人旅行者に街角で遭遇したら、積極的に案内をしましょう。との趣旨での集団です。
  Eurostarは最高時速300Km/hでも新幹線より速く感じなかった。乗り心地とアテンダントのサービスはブレミアムアァーストを選んだ所為か快適でした。帰路の夕食でサーモンを注文したら、事前予約でなかったので、サーモンは隣の客でお仕舞いで、チキンとビーフステーキを二人で美味しく頂いた。その客とは、それがが切っ掛けで談笑を楽しんでの旅でした。パリ到着後に地下鉄へ乗り換え時に良く解からずに困っていた時に、その方と再会し、案内をしていただいた、米国人でパリを基点にスエーデンと英国に商用での旅とのことで、旅の出会いは楽しく、今度は当方がAppreciated! 向こうからはHave you a nice day!!!還って来た。
  B.A.ロンドン・アイは、テムズ南河畔にミレニアム記念行事の一環として建造された135mの巨大観覧車に目型の10m程のカプセル様の客室が付き、内部は自由に動き周れて360度の眺望が効き、眼下には国会議事堂、ウオータロー駅からテムズ河畔を挟んだロンドンの町並みが一望出来て、勿論バッキンガム宮殿や隣接のグリーンパークやハイドパークも見渡せた。 河畔に架かっているロンドン・ブリッジや近代的な超モダン歩行者専用のミレニアム・ブリッジと新旧ロンドンの架け橋などの眺望は、将に30分の空の旅を£11で楽しめます。短時間にロンドンの概要が把握出来て、是非お勧めの優れものです。
  ウオータロー駅では、PPの徽章を付けたパリ警察官が英国入管職員の後ろのボックスに納まって監視検問体制を敷いていた。英国にパリ警察?と不審に思い尋ねるとCorrect!と応えるので、私は1964年にパリ警察ムッシュー・ドグランジェ交通部長が東京オリンピック時の交通事情視察で来日した際に、警察庁の赤城警部と案内し、お礼にパリ警察の警笛を頂いていた。それを渡航の際、御守にしているのを示すと、「どこで入手した?」と厳しく質された。前記事情を話すと直ぐに電話で確認すると、これは貴重な部長職用の特製で自分のより小さいが精巧に制作されていると説明があり、Have fun !と笑顔を贈られた。
  自国への入国者は自国の目で再確認する同じEU圏内でも安全には例外は無いと肝に銘じた。
(2) ウエストミンスター寺院Westminster Abbey
  大英帝国時代から現代も英王室行事の舞台として世界的にお馴染みの教会は、限られた日程の中でも見逃せない場所で、内陣には歴代王や女王、文豪、政治家、科学者等の墓があった。
  荘厳ななかにも大英帝国時代から歴史と国教の要としてのゴジック様式の大建造物で名前の由来は、シィティの西に位置するので「西の大寺院」Westminster Abbeyであることをも知った。
  ウオータロー駅の正面、ビッグベンの裏側であるが、B.A.ロンドン・アイを先に入場してから、ウエストミンスター橋を渡って£6で入場した。教会の特性から当然内部は写真撮影禁止でした。
  その前からバッキンガム宮殿の衛兵交代開始時間に間に合わせるために、ブラック・キャブと呼ばれるロンドンタクシーでニュースコットランドヤード前を通り、バッキンガム宮殿の衛兵交代の儀式へ駆けつけた。ここまではウオータロー駅からテムズ河畔に沿った徒歩圏内でとても便利で、もうロンドン子になったような気分だった。
(3) ハッキンガム宮殿 ロンドン警視庁London MPDは例の帽子でなかった
  ブラック・キャブの内部は意外に広くて大人5人が向き合って腰掛ける独特のスタイルでした。
  ドライバー氏に行き先を伝えるとSpeak English ? Just little could please slowly!と応えると「衛兵交代儀式のベストポイントは正面に早めに陣取ること、観客は移動するが、衛兵は正面に向かって左から来て、入門後交替してからは右へ進む、観客は直前に正面の両門から一定の間隔での整理線が敷かれる。」と有意義な情報を得た。Thank you sir!! Have your nice trip !!!と言われ笑顔で降車したら、家内にはThank you madma!!!と贈られた。お陰でベストビユーポイントを確保できた。
  衛兵の交代は、上番と下番の交代のパフォーマンスで、流石に伝統と歴史に裏打ちされた威風堂々としたものです。その先導は騎馬女性警察官が交通整理と警備を兼ねるところが他所と違う、直近で観たので、隊伍や行進は勿論のこと靴の踵の減り具合から、あの独特の帽子、制服、帯皮、銃器の手入れ具合まで注視出来た。銃は時節柄?連発のライフルでなくセミオートマシンガンだった。過去に世界各所のこの種の衛兵交代儀式をも観てきたので比較すると。
  ワシントンのアーリントン墓地では隊員四人に指揮官一名の儀式。頭髪や制服の手入れの善さと銃器の点検動作や星条旗を州の独立記念日は当該州の星が上になる畳み方が印象的でした。
  ホノルルのキングス・ビレッジの衛兵交代儀式は銃器の交代の際の受渡しと国旗の掲揚、降納の動作のパフォーマンスで全米一の折り紙つきとの写真解説があった。
  台北の忠烈(チヨン)祠(リェツー)の衛兵交代は毎日一時間毎の交代式は米国式の制服に2〜 300mの距離を両側に私服の指導員が矯正指導と交通整理を兼ねて群衆とともに行進する独特のものでした。
  何れも甲乙付け難いが、英国は、矢張り源点を見た感がしました。
(4) 定番観光のハロッズ
 ロンドンのデパートの王様と称される程にフアッションの高級ブランドからオリジナルグッズに至るまで商品の幅広さと店員は威厳ある態度だが、尋ねると丁寧親切で接客態度は参考になった。食品売り場の内装とデスプレィは圧巻でしたし、寝具売場でアルパカを尋ねたら季節外れとのことでしたが、注文は承るといわれた。例のロゴ入りのビニールバッグは£15でした。
  建物のことは素人ですが、天井は高く、そこには凝った装飾が施され、迎賓館の様な佇まいで、建造物博物館で芸術品を眺めて買い物をしているようで、時間の経過も危なく忘れる程でした。

       ↓世界の王や有名人も試食した名物オムレツ        ↓日本の皇族殿下(H&Rラ・メール・プーラール 2階)
                                                                    平成17(’05).4.12

  

3 Le Mont-St Michel 
  ノルマディからブルターニュへかけての海岸線から海へ1kmほど突き出た岩山の島です。
  このサン・マロ湾に突き出た島は、80Mの山に8世紀に修道院が建てられ、11〜12世紀にロマネスク建築様式の僧院が、13世紀にはゴシック様式の建物が建てられて、巡礼の地として栄華を極めた。15世紀には英仏の100年戦争に巻き込まれたが、僧院は堅固な要砦を築いて防御、敗北を免れた。1789年のフランス革命では政治犯の監獄、1874年国定歴史的記念建造物そして前述の1870年には陸と繋ぐ道路が建設されている。
  世界的に有名な巡礼地で世界文化遺産の中世の奇跡の贈物とも言われている。作家のヴィクトル・ユゴーやモーパサン達は僧院を訪ねた印象を「幻想的で驚異的」と讃えている。
  この海に浮かぶ様に建つ僧院は、海の潮の干満と潮流の満ち干が織り成す海岸の砂浜の模様は将に 千遍万化で、島を取り巻く海流は渦潮や河川の激流の様を島の僧院への登り路から眺められ360゜と東西南北に楽しめる。 世紀の奇跡の招来を実感できて満足感から、急峻な坂道もあまり気にならなかった。年間200万人の観光客を世界から引き寄せる集客力の秘密があると思った。
  この潮の干満の激流は僧院を訪れる巡礼者の命をも時折奪っている。そこで1870年に島と陸を結ぶ道路が建設されこの危は減った。しかし、環境への影響と景観阻害の弊害は、大量の砂が島の周辺や周辺の海岸に徐々に堆積して、以前の「海に浮かぶ島」の景観が損なわれつつあって、現在この道路を取り壊して架橋として、陸側に4000台の駐車場を設置して、島へは車両乗入禁止を徹底して環境保護と観光客用にシャトルか徒歩か自転車という計画によって昔のままの姿を保存する計画が進行中との掲示もあった。
  訪れるには一日行程では無理との案内書が多く、パリからは一泊か早朝出発のバスに限ると記されている。しかし 当日朝バリ・モンパルナス駅7:02発のTGVでレンヌ駅9:09着366km(\3,400.TGV往復の一等指定席料金2時間07分)、そこで英語の Nearest exit to bus stop ?で通じた。駅を出て直近右手のバスターミナルから9:30発のバスは、途中でフランスの田舎道をトラクターなどと競走しながら、10:50には島の入口に到着、驚いたのは米国と同じく鉄道踏切は遮断機が無くとも無停車で通過だった。料金は片道7.80E68km(\2,080,往復)。
  パリ現地観光社のパリ〜モンサンミッシェルの一泊バスオプションの費用は島内で偶然遭遇した日本人の団体客からの話しでは、三万数千円とのことだった。私の方法の方がリーズィナブルで、島内の完全観光時間と4時間を確保し、パリからは日帰り可能です。
  見落としてならないのは、ラ・メルヴィユ(驚異)は僧院最大の見学場所、島の中はお土産やレストラン・ホテルなどが江ノ島の様に犇いているが入口左手のラ・メール・プラールの特大のオムレツはオムレツの源点です。

4終章
「人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである」ゲーテ

  と思いつつの旅でした。御傾注に深謝いたします。