紀行文   
 

 「スイスの鉄道と山岳ホテルの一端」

 ―スイス旅行を計画・企画中の方は必見―

 ―There are many useful information about Mountains Hotel & Railroad in Switzerland.―



 

                 国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
                
(科目履修・研究生として博士後期を目指し在学中)

   

1 旅の概要と帰国後の雑感等

 この度の紀行は、去る45日に出国し、同月17日帰国した、四カ国(正確には再入国した国が二カ国ですので、延べ六カ国)空路・陸路6737マイル(都市間の移動距離の概算を積算したもので、都市交通(パリのオルセー美術館からフランス国鉄RERで約100kmのヴェルサイユ宮殿への往復等。)の地下鉄・タクシーや徒歩の距離は除外しました。

 この距離のキロ換算は10,779,2kmで、地球一周が40,077kmですから、27%程度です。改めて伊能忠敬の43,712km(海路や河川・湖水を船で旅をした距離は除外)の日本地図創作の行脚は、壮大な旅人と言われる所以と改めて感服した。 

 従って この度の空路は、NWA2,Cotinental Airline ,Deltaは各1度、そしてAir France2度の計12回の離発着を繰り返し、13(3泊の機内と12食の機内食『ファスト1食、ビジネス6食、yクラス5食』)し、4ホテルは10(同じホテルに2回で、延べ5ホテル)14日間、巡った国々は米国(4)・英国・仏(4)・瑞西(2)4カ国18日間の長躯でした。そのスイス編です。

(1) 旅の鉄則:安全性と快適性が根幹

  『勝利の鉄則1: 試合の前は、ぐっすり眠ること。』

 とスポーツライターの増島みどりさんは、語り、NWAのワールドビジネスクラスを選択の理由に挙げています。私共は勿論この快適さには同意見です。加えて一層空の旅を快適にするのは、今 巷間で話題の安全性です。

 奇しくも帰国便は二階席の最前列席で機長と話す機会があり、「原油高騰と人件費削減の厳しい情勢下なのに、何故 二人の機長による運行か ?」「どうしてもっとダブル・クルーシステムを大々的に宣伝しないのか ?集客効果も ?」とやや意地悪な質問をした。

 (このNWA#17便はNYJFKから成田経由香港行き、操縦室は機長2名、操縦士2名。客室乗務員は21名。客室乗務員は4時間休憩1回。パイロットは離発着時の操縦席は4名のフル体制を執り、それ以外は必ず機長の他に操縦士12名の交代制でした。突発事案発生時以外は実質4時間の連続休憩が可能な模様で、常に英気を養いつつ、飛行時間米国〜成田11時間と成田〜香港3時間の合計14時間を冷静に対処可能な体制を保持しているとの説明でした。)

 『NWAは安全運行による定時発着では米連邦運輸局表彰に輝く実績があり、他社の追随を許さないこのダブル・クルーシステムを社長以下全社員で取組み、安全対策は使命であり、誇りだ。特に宣伝はしない。今日は一緒に飛んでくれて有難う。』と堅い握手を交わした。

 加えて全長201cm,176゜のフラットシートの6段階調整のヘッドレストに客室乗務員の肌理細かいサービスと米海軍航空出身のベテラン機長と機長暦25年の女性機長の文字通り緊密な連携プレーで、安全で快適な乗り心地の善い空の旅を楽しみ、長躯の終わりの着陸は、シルキータッチ・ランディングだった。経費削減と人員削減でもダブル・クルーシステムは崩さない安全への使命感だと言われ、グッスリ安心して眠れた帰国便の空の旅でした。

 お陰様で帰国翌日の()JACCSへの出社は、9:45分の定刻1時間前に出社出来て、長期休暇の謝意表明と留守中の主管事項の確認作業に一日を要した。終業後には日本ビジネスインテリジェンス協会でシカゴで、47日・8日に開催され、参加したSCIP20周年記念国際大会の帰朝報告を東京経済大学の中川十郎教授と共に、成功裏に無事終了することが出来て、心から感謝致しております。

         

ダブル・クリューシステムの二人の機長とBoeing 747 400 2階席最前列で
 
(416日アラスカ上空) 肩章四本線は機長表示  NWA#17 JFKNRT

(416日アラスカ上空)
16/4/2005 NWA#17 JFKNRT
Capt, Sandy Anderson
16/4/2005 NWA#17 JFK
NRT
Capt, John Hallquist

 今回の総ての旅程は前記国際会議を中心に自己企画の個人旅行でした。なお帰国翌日の18日からは、留守の間に配達されずに溜まっていた定期購読新聞448Kg高さ36cmと定期購読誌4誌、手紙38通、Mail131通、加えて写真はPHS280枚、デジカメ160枚、VTRカメラの180分もの四本の整理にGWまで追われたでした。

 どうか 従来に増してのご叱正とご指導に加えて新たなユースィフル情報をお寄せ下さい。

(2) 旅の成否は事前情報の収集・分析・評価・検討に同行者の意向を旅程に反映させた総合力の発揮がラッキーを招来する

   −危機に備えて楽観視が可能なまでの準備に骨身を惜しまないこと−

 準備にあの有名な「Thomas Cookの時刻表」(\2,095,pp544)や「ヨーロッパ鉄道の旅」(\1,700,pp310)他に「地球の歩き方」 シカゴ と他に案内書合計5冊(\9,904pp2,215)に加えて、フランス・スイス・英国の各国大使館観光局においての最近の資料情報収集と初めての欧州旅行では、パリで国際便の乗継ぎをするので、青一のツインタワーにある同エールフランス航空会社を訪ねて、乗換状況の説明を航空券発券時に聞いて、夫々の事前準備を整えた。

 特に欧州は英・仏・瑞西と鉄道での移動と航空機の乗継ぎで、言葉と列車と航空機の日程の齟齬を心配したが、「Thomas Cookの時刻表」とネット上の国際便発着サイトは正確で、何等のトラブルに見舞われることなく、時刻や便名・行き先は車掌よりも詳しい程に、詰めに詰めた日程を家内の意見も取り入れての数度の計画練り直しは、自己責任で完成し、極めてラッキーに途中事故も無く、各国の多くの善意の方々に支えられて無事帰国出来た。何か東京で道に迷っている外国人観光客を「教材」として捉え、平素マメに道案内・情報提供を生活信条としていることの因果応報とも感じられ、今後も慢心せずに次回を期そうと誓った。

 国土交通省の2004年度の主要50旅行業者社からの調査結果は、+25,4%の来日外国人増は格好の教材で、困った時の案内は、国際貢献でもある。皆様方も記憶に新しい「パリ・オペラ座近くのホテル火災の死者は20名余」と「パリ〜モンサンミッシェル邦人観光バス横転事故で、3人の死者」です。

  パリを発った3日後に、パリの「パリ・オペラ座」の近くのホテル火災があり、死者は20名余との報にNYで接した。

 当初 私共は、オペラ観劇をとの計画でオペラ座近くに宿を取る予定でした。オペラの公演日と私共の日程が一致せず、変更を余儀なくされて、シヤンゼリーゼ通りの宿に変更し、「リド」を楽しむことに変更した。パリのリドの公演は、現在の我が国ではあまり見ることの出来ない「レビューの源点」は瞬く間に二時間は過ぎてしまったが、結果は変更して良かったと胸を撫で下ろした。帰国の一週間後には、同じパリ〜モンサンミッシェルへ向かった邦人観光バス横転事故で、3人の死者との記事に接した。亡くなられた方々には、心からご冥福と怪我をされた方々の早い治癒を祈念しております。

 納得出来ない点は、パリ〜モンサンミッシェルの距離は413km(東京〜岐阜羽島グリーン料金\17,490)の行程の冒頭の地点での事故です。

 出発後75km(東京〜小田原)地点での、午後1時50分事故発生 ? 何故 ? 多分パリ現地観光社のパリ〜モンサンミッシェルの一泊バスオプションと思われます。それはモンサンミッシェル島で偶然遭遇した日本人の団体客からの話しでは、三万数千円とのことだった。それはパリから、次の方法を選べばレンヌ366km(\3,400.TGV往復一等指定席料金)までは2時間10分、その駅前からバスは68km(\2,080,往復)1時間10分でモンサンミッシェル島に到着し、島の完全観光時間の4時間は確保してのパリからは日帰り可能です。

 時間的にも実質3時間20分『往復ともに乗換時間は15分あり、所要102分で十分でした。』ユーロパスの割引は一等車でも、日本円購入、二人以上の旅、ユーロ圏を二カ国以上の旅程、キャンセル無し、60歳以上の条件を満たせば、半額近くになる。

 詳細はフランス・スイス4日間乗り放題パスは、\29,100.-/4日=\7.275.(一日当たり往復利用),\3.400.- (TGV往復一等座席指定利用で)、\2.080.(バス往復)合計は\12.750.-です。

 バスは片道7ユーロ(\1,040)で意外に安い交通費(東名大井松田までの同等距離\2,100)。バスの直接現地購入が如何に安いかである。言葉は英語で十分です。

 何故 そっちを選択しなかったのか不思議でならない。情報を知ると知らないでは、検証と確認は、その差は歴然で情報は重要性と有用性が検証に掛かっていることにご注目下さい。

(3) インダーネット・活字情報の溢れる洪水の中にヒューマンな情報の有用性

 パリでは、先年の崩落を期にシヤルルドゴール国際空港は国の威信を賭けての大突貫工事中で、乗継バスの運転手でさえも標識を確認しながらの運行で、乗継客は、血眼になって混雑の中自分の目的の航空会社を探している光景に遭遇したが、私共はエールフランス航空の平野さんというスパーバイザー作成の手書き地図が何よりも役立ち、慌てずにJFK行きを探し当てた。各航空会社は、航空燃料高騰の折から人件費削減に取り組む中にあっても、丁寧な発券と乗り換え説明は簡潔で明快であり、感謝しています。

 

2 スイスの旅 将に一端として
  −スイスの鉄道と山岳ホテルの一端−

(1)  山岳ホテル−Hotel Restrauant Riffelberg

   −山小屋との乖離は月とスッポン以上でした− 

 このホテルは1853年の創業、この周辺では唯一の山岳ホテル、長い歴史を持ちその人気の高さが窺え、四階建の29客室とシャレー風のレストランには、創業1853の文字が自然に溶け込んでおり、テラスや客室からはマッターホルン(4,478m)の眺望が楽しめ、木の材質と木目を生かした落ち着いた雰囲気のインテリアで統一され、私共の部屋は最上階のマッターホルンの眺望が最高の部屋で、当日は山の頂上から麓への稜線の姿を捉えられる年に数回の快晴に幸運にも恵まれた。サウナやジャグジーもあり、贅沢な時間を過ごせ流石は100年以上前に環境整備観光振興法の制定されたお国柄と感心した。とてもアットホームなサービスを享受し、暫しかっての欧州社交界の人となり、「宮殿」での静かな環境と爽やかな空気を満喫した。ツェルマットは世界に名の知れたアルペンリゾートです。

 ツェルマット(1,525m)から、リツフェルベルク(2,582m)、そしてスイス最高地点展望地点のグラナグラード(3,089m)までは登山電車で45分です。

 そこからは、モンテ・ローザ(4,634m)とマッターホルン(4,478m)のスイスアルプスを眺められ、ここに到着する間には、長閑な山村風景から急激に厳しい山岳風景に激変するその車窓からの眺望は、高度差と景色の変化が堪能出来て、旅の見所満載です。終着駅のグラナグラードで展望台からは、4,000m級の山並みが瞬間眼前に現れる。

 ドッシリ構えるモンテ・ローザと鋭角なシルエットのマッターホルンの眺望が楽しめます。その途中のリツフェルベルク(2,582m)駅前は、今回の宿で世界に五軒しか存在しない山岳ホテルHotel Restrauant Riffelbrgです。

 山小屋とは全く次元の異なる空間で、しかも三ツ星ホテルの範疇では、ヨーロッパNo1のRiffelbergホテルは、生涯忘れ得ぬ宿となる。

 最高峰のマッターホルンを正面に見据える有名な宿の我が部屋からはベッドに居ながら、霊峰の正面が眺められ、夕食・朝食付で二人で366CHF(\33,374)の1853年創業と表示された、歴史と伝統の格式高い、由緒正しい宿泊施設で、眺望・食事・施設の総ては、最高の誇り、木の香り高いベッドは最高級羽布団でした。とても2,582mの高地とは思わせない肌理細かい配慮が、世界からの著名人が繰り返し、訪れることに納得が行った。

 羽根布団は、中にニクロム線でも入っているかのように暖かく、そして清潔な軽くて快適でした。お陰様で、我が家を出立して9日目の晩はユックリ休め、朝に目覚めたら家内が窓を開けて、朝日を浴びて微妙に変貌する秀峰マッターホルンにレンズを向けて盛んにシヤッターを切っている姿があった

  「秀峰の朝焼けと麗人」と言う題の写真にしようと密かに思いつつベツドから降りて、揃って朝の陽光と晴れた陽に微妙に冴える秀マッターホルン峰に見入った。

   
 微妙に変貌する秀峰モンブラン「秀峰の朝空けと麗人」 

    客室からマッターホルンの眺望を堪能

 

 

  

    

 

            

   Hotel-Restaurant “ Riffelberg “ 
   Rene Foster  Gastgeber

  

     

 「秀峰の朝空けと麗人」の題だそうです。

 Matterhorn(4,478m)の霊峰の七変化を捉えて、
 撮影は私でした。

                     

      


 マネージャ氏によるとこの地を訪れる日本人は、冬季は1%、夏期は50%、春秋は5%の割合とのことで、前夜は8人のドイツ人、4人のイギリス人に、私共2人の日本人の計14名3組の宿泊客であって14%の日本人と相成った。夕方の17:45分の下り、ツェルマット行きの最終登山列車は、ホテルの前のRiffelberg駅の駅員をも乗せて下り、ホテルは一軒のみで、深閑として、勿論車はガソリン車はツエルマットより上は走行禁止で、空気が美味しく、夜空の星が手に取れるような勿体無い大自然の2,582mの地のスイスの夜は、静寂に包まれて更けていった。

 この2,582mの高地に所在するRiffelbergホテルは、前記の14名とマネージャと数名のホテルスタッフのみで、素晴らしい澄んだ環境を独り占めと言う感覚は何か勿体ない感触に襲われた。

(2) スイス氷河特急そして国際特急でチューリッヒへ

   ツェルマット(以下標高を示す1,604m)からサンモリッツ(1,775m)の約270Kmの標高差1,400m以上を8時間30分で鉄道王国スイスの誇りと世界に冠たる絶景の景勝地を走るのが「氷河特急」です。

※ 注 昭文社マップルマガジン「スイス」の氷河特急標高図によると標高1,604m。

 但し 地元のツェルマット・ツーリズムの案内図や時刻表は、総ての表示は1,620mと表示統一されており、氷河特急駅ツェルマットと登山鉄道ツェルマット駅の高低差は、JR山手線大塚駅と都電荒川線の大塚駅程も違わず、離れてもいない。大塚駅の高低差の1/4程度で、その高低差が16mは不思議だった。何れかが正しいのだろうか。配布の現地マップは貴重な情報源で道や方角を訪ねる際には、これに優るものはなく、現地の方々が慣れ親しんでいるものを道案内の場合等では示された方が、相互に理解が早く間違いが無いことは体験上の教訓です。

 距離の270Kmは、ほぼ九州の熊本駅から豊肥線の大分駅経由で、久大線で福岡の久留米駅までの280Kmと同一です。しかし 両線も阿蘇や由布高原を通るものの高低差は比較にならない。もっともスイスの総面積は、41,284平方キロで、九州程の広さの国土です。

 この九州の両線の特急の単純合計時間は5時間30分、氷河特急は8時間を費やし、平均時 速34Km/hの『世界一遅い特急列車』との別称は、景色は世界一の恰も絵葉書の展示会場を回っている感じであって、私共は始発のツェルマットから終点の手前のクールまでを乗車し、そこからチューリッヒに向かったので、沿線随一の美しい六連石橋のラントバッサー橋の絶景やサンモリッツまでは未経験(89Km)です。従って 67%の七割方の所感と致しました。

 ツェルマットを10時に発車した氷河特急列車は、直ぐに前日も楽しんだブリークまでは、列車はマッター谷沿いを走り、ブリーク(671M)からは、食堂車が連結されたオバーバーヴァルト近くまでは、左手にスイス最大のアレッチ氷河の遠景を眺め、氷河が鉄道線路まで迫って、新たに建設された新フルカトンネル手前からは食堂車を事前予約してあった遅いランチを午後二時過ぎころから楽しみつつ、最高地点のオバーアルプ湖の畔を最大の難所の急勾配を綺麗な花を湖に映す光景と共に楽しみ標高2,033mを列車でクリァーした。

 途中ライン川の源流からの川を何回か跨ぎながらの車窓のノンビリした癒しの寛ぎでした。やっと速度が遅いのが納得出来て、料理と移り往く景色の双方に目が離せなくなり、ライヒナウ(604M)へと列車は進んだ。その先のクールでチユーリッヒへの国際列車に乗り換えるため下車した。氷河列車はそこに私共を置き去りにして、サンモリッツへと向かっていった。

 (終点までの距離は89 Km。従って33% 。私共は全行程の七割方を乗車したことになった。)

 大変に残念なことに氷河特急食堂車は今シーズン限りで、食堂車で食事をしながらの沿線の風致を楽しむのはお仕舞いです。こんな情報に接したので、体験していないと他との比較検討が不可能で机上の空論化する弊害を配排するためにも、私共は選択したのです。

 今後は一等車を予約しておけば、天井はガラス張りですから、ゆったりと天窓からの高い山々や差し込む陽光も満喫出来た。 今回はハイシーズンを避けたこともあって、食堂車は空いていた。

 名物の列車食堂車ボーイのパフォーマンスに接するは機会には恵まれなかった。

 クールでチユーリッヒへの国際列車に乗換えて、116Kmを2時間程でスイスの玄関口チユーリッヒ中央駅に到着し、午後七時近くに、チユーリッヒ湖に注ぐ、リマド川の右岸にある菩提樹の繁るリンデンホフ丘近くのKindli Hotelに荷を解き、右手にチユーリッヒ湖を眺めつつ、有名なラートハウス橋を渡り、石畳道を縫って、レディザレイにフォンデュを楽しみに向かった。

 夕暮れ迫るチユーリッヒ湖からの風は、一日の旅を癒してくれる心地良いもので、週半ばの街中の飲食店街は歴史的なスイス最大のグロスミュンスター大聖堂やジャガー作の有名なステンドグラスを鏤めた女子修道院のブラムミュンスター教会の大きな建物との調和を図っている佇まいで、何処も盛況を呈していた。

 予約無しだが、ホテルで推薦してくれたと伝えると店内を見渡せる善い席を確保してくれたので、明日の早立ちでのフランス経由ニューヨーク行きに備え、ワインにビールとフオンディユとアスパラを99CHF(約\9,000)でヨーロッパ最後の夜を満喫した。

 食事後にホテルへの道を遠回りして散策したが、総ての物販店は午後6時閉店、しかし、照明の綺麗なチユーリッヒの商店街は、文字通りにウインドーシヨッピングと相成り、全く買い物は出来なかった。

 スイスの日常生活は、仕事と個人の休養等はハッキリと区別するメリハリの効いた善い生活習慣と窺がい知った。 

 

                           

   氷河特急一等車天井ガラス張り                 

登山電車 アブト式第三軌条   標高↓
(ツェルマット1,620m〜ゴルナーグラード3,089m) 
「お客さん上り列車とすれ違います。危な
ョ」

 

(3) スイス・ローザンヌ〜ブーリクの間の国際特急列車車内販売員

 その日は、フランスのパリ・リヨン駅からスイスのローザンヌ経由で、ブリーグを経てツエルマットから登山電車でリッフェルベルクまでの旅程でした。(699Km)

  リヨン駅からスイスのローザンヌまでは、フランス国鉄ご自慢のTGVはローザンヌからブリーグまでも引続き運転される#9261は、ローザンヌからは、スイス側の別の乗務員となり、各国の運輸機関は夫々の区間を担当しての運行であった。

  ローザンヌからの国際特急列車車内販売員は、とっても笑顔と対応の素晴らしい女性で、丁度昼時にネッスル本社横を列車は通過したので、コーヒーとサンドイッチを注文したら、

 仕入れは、あのネッスル本社からだから味が善い。」

 とか、とても楽しい会話を楽しんだ。スイスではフランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏そして、ロマシュ語圏と分かれており、フランス風の西、ドイツ気質の北、イタリア風の南と様々な文化的風土が歴史的に形成されており、オ-ストラリアとリヒティンシュタインを含む五カ国に囲まれているところから、想像していた以上にフレンドリーで多分、南のご出身の方とお見受けしたこの御婦人は、当方は尋ねないのに自分からあと10ケ月で定年を迎え、定年後はあなたがたのように旅行を楽しむので、現在も一生懸命に働いていると話しかけてきた。

 てっきり59歳?と質問すると「64歳」とのことで、外交辞令を抜きにして「信じられない」と伝えるとすっかり、ご機嫌で販売の合間に種々のズグ役立つ観光情報を伝授してくれた。

 例えば、家内に釣銭を戻す際には、2CHFを示して「駅に到着したら、これで荷物運搬手押車を借りるといいです。その利用方法はこのコインを鍵穴に投入して借り、終了時は返還場所へ戻して、鍵を掛けて整理線に戻すとご褒美にコインは戻ります。」との親切で、ユゥースィフルでユーモァのある説明でした。

 その方法は、途中乗換駅のブリークやクールそして終着駅のチュリッヒ中央駅では、家内が独りで試して、コインが戻るのがとても気に入って喜々としていた。 車内販売員も家内も母国語でないお互いに英語での意思疎通が出来て、それが実用化したことに、家内は自信と誇りを異国の地スイスで享受した。

 その御婦人の仕事振りは自信と生甲斐を感じさせる堂々とした起居動作であって、当方も元気を貰った。日本観光の予定は ?と尋ねると。

 東洋の綺麗な国日本は是非訪ねたい。物価が高いのと距離が遠いと「Fare East」と極東との表現は、将にスイスからは遙かに遠い国に違いない。

 中高齢者が生き生きと生甲斐と誇りを維持しての社会参加は自分の体力と技能相応に働ける国情は素晴らしい、異文化の香りを直に摂取できた楽しい列車販売員との交流でした。

 なお ブリークやクールの他の登山電車のツエルマット・リッフェルベルグ・グレナグラディの利用した総ての5つの駅では、駅員が私共の重い5つの荷物を乗降時には、必ず積み下ろしを丁寧にしてくれ、鉄道マンの誇りと襟度を保った立派な行動で、勿論チップの習慣は無い地でのことです。

 

             

      国際特急終着駅 チューリッヒ
      中央駅

 

 ブーリク駅(標高671m)はツェルマット
 行登山電車
(後方)への乗換駅。

 ご一行様のお荷物5

 

 

     

   スイス・ローザンヌ〜ブーリクの間の陽気で
   肌理細い情報源の国際特急列車車内販売員

   
4
終章

 登山電車の終点グレナグラディ駅前(3,089m)を勤務場所にして毎日登山電車で通勤の山岳救助犬ティーナ(14oKg六歳)と再会をしたい。本来の任務は観光写真用モデル犬でした。

 首には救助用気付けウイスギーの樽を提げているので尋ねたところ 、現在は空ですとのこと。カメラを向けるとポースの姿勢をレンズに向ける人間のプロモデル顔負けの利口な犬でした。

 
    

氷河特急の内部・外観。車窓からと山岳救助犬