キャリア・カウンセラーのつぶやき
1.イントラネット・カウンセリングの試み       人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 10月に行われた日本産業カウンセリング学会の発表論文集の中に「サイバー・カウンセリング」なる新語を発見した。インターネットのカンセリング・サイトが急増しており、また携帯電話が21世紀の最大のカウンセリング・ツールになるとの予測があるなど、閉鎖空間での直接的面接というカウンセリングの既成概念を超えたニューメデイア・カウンセリングが、一定の社会的影響力を持ち始めているという印象を持つ。しかし、急激なメデイアの発達という現実が先行し、サイバー空間での間接的面接という新たなカウンセリング領域に関する理論的な検討は立ち遅れている、というのが今日の状況であろうか。

 「イントラネット・カウンセリング」は私の造語である。インターネット技術を利用した企業内ネットワークがイントラネットであるから、産業カウンセラーとして、こんな便利でコストが低い道具を利用しない手はない、というのが初めの着想である。先行事例は殆ど聞かないが、これも一つのチャレンジである。というわけで、勤務先の金融系人材派遣会社で本年5月からイントラネットの会社ホームページに「カウンセリングルーム」サイトを開設し、主に派遣社員(約600名)を対象にカウンセリングを始めた。担当カウンセラーは筆者である。

 半年を経過した相談状況のプロフィールは、次のとおり。アクセス件数は平均月60回。相談件数は4件で、地域別には東京の本店ビル・都内支店・都内の関連会社・関西地区の支店と分散している。相談期間は1週間以内・1カ月以内・2カ月以内・継続中(3カ月超)各1件。終結までの対話回数は4回・5回・6回・未終結(9回)各1件であり、受理後の対話手段は主にEメールである。相談の主訴は、次の通り。

相談者

主    訴

Aさん(女性) 「雑用係」呼ばわりされ、辛い思いをした。向上意欲あるのに。
Bさん(〃) 視力低下・頭痛・疲労がひどく、仕事を続けるのが不安。辛さを分かってくれる人が周りにいない。
Cさん(〃) 同性の同僚と何かにつけ衝突して、苦痛。
Dさん(〃) コミュニケーションが上手く取れず、独りぼっち。周辺に耳になってくれる人が欲しい。

 このうち、内部資源と連携して対応したケースは2件(聴覚障害とVDT障害)あったが、他のカウンセラーや心療内科へリファーしたケースはなかった。また、職場へのケースワークを実行したケースが1件ある。

 ところで、今回、イントラネット・カウンセリングが成立した基本的な要件として、4点を挙げておく。先ず、ファシリテイである。1人1台に近いPC配備およびそれが操作できる環境が確保されていること。次に、HPに専用サイトを作成するが、技術的にも相談内容の秘密保持が保証される必要がある。サーバーのデータをダウンロードできる権限は会社が認めたカウンセラーに限定されること。更に、経営上層部から「社内カウンセラー」としての位置付けとイントラネット・カウンセリング方式に関する承認を得ること。最後は、管理職を含む社員に対する広報・情宣活動である。

 敢えてここまでの経験から所感を述べれば、イントラネット・カウンセリングの試みは、互いに時間が拘束されないこと、遠隔地の社員も相談できること、話すよりも書く方が本音を出しやすい社員もいることなど、利点が多いと思われる。反面、直接面接がないカウンセリング関係がどのように成立しているのかが見えにくいこと、互いにどこまで熱く語ってもデジタル記号は所詮クールであること、クライエントについての情報量が不足しがちなこと、終結の確認がとり難いこと、といった問題点もあるように思われる。(了)



キャリア・カウンセラーのつぶやき
2.ビジネス・キャリア制度の新たな展望           人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


1.2年ぶりの再開

  先月下旬、筆者は2年ぶりに再開された高度教育訓練コース推進研究委員会に出席した。略称「高度研」と呼ばれるこの委員会は、平成5年から厚生労働省の職業能力開発施策として施行したビジネス・キャリア制度について、@ホワイトカラーの高度な教育訓練システムのあり方・仕組み、Aホワイトカラーの職務分野ごとに必要な知識・能力の内容、B高度な教育訓練システムの整備、について検討することが役割である。現在、委員は12名で、大学教授6名、企業の実務家2名、民間教育機関の実務家3名、文部省1名で構成されている。制度の運営は、厚生労働省から業務委託を受けた中央職業能力開発協会が行い、この委員会を主催する。言うまでもなく、委員会には厚生労働省職業能力開発局の役職者が同席する。
  2年間も中断した主な理由は、私の見たところ、同省と協会(委員会)との間で、ビジネス・キャリアへの「上級」レベルの導入など、制度設計の方針の食い違いが表面化したことである。再開の背景と理由は後述する。
 
2.そもそもビジネス・キャリアとは
  ビジネス・キャリア制度は、平成5年労働省告示第108号「職業に必要な専門的知識の習得に資する教育訓練の認定に関する規程」に基づいて、平成5年4月に創設された。私なりにビジネス・キャリア制度の目的、効果、普及状況について論評すると、次の通りである。
 
(1) 3つの目的
  @ホワイトカラーの職務遂行に必要な専門的知識(知っていること)および能力(出来ること)を体系化すること
  ――我が国にはそれまでホワイトカラーの職能要件の具体的内容を職務分野別に体系的に整理した前例はなかった。これを「修了認定基準」という形で、人事・労務・能力開発、経理・財務、営業・マーケテイング、生産管理、法務・総務、広報・広告、物流管理、情報・事務管理、経営企画、国際業務の10分野・2レベル(初級、中級)別に明らかにした。日本企業の人事と教育における、このことの意義は今後ますます大きくなるであろう。
  A職能要件の体系に整合する教育訓練コースを広く開発・供給すること
  ――仕事が多忙で学習時間の確保が困難であり、また職歴が多様なホワイトカラーの実情を考慮して、学習ユニットとレベルを細かく設定し、各人のニーズに応じて、体系的あるいは段階的に学習できる仕組みとした。ここは、制度見直しの論点の一つである。
  B「修了認定試験」を実施してホワイトカラーの職務能力に公的な証明を付与すること
  ――お上が個人に対して、学習ユニットとレベルに応じた「修了認定証明書」を発行し、修了認定歴を公的に「登録」する。ここには、ホワイトカラー個人のキャリア形成意識を高め、労働市場の流動化を促進する狙いが込められている。今回制度見直しにあたって、ここが最大の論点となっている。
 
(2) 企業と個人にとっての4つの効果
  @企業も個人も、業種・業態・企業規模の違いを超えた汎用的な専門的知識・職務能力を体系的に把握できるようになったことは、具体的目標を持ったキャリア開発プラニングや社員編成システムにおける職務・職能記述の明確化に有益である。
  A企業は、社員の対外的エンプロイヤビリテイの内容とレベルを客観的に評価できることから、社内外での要員配置や異動の運営等に活用することができる。
  B個人にとっては、お上から与えられる対外的エンプロイヤビリテイの証明を、社内異動だけでなく、転職や出向・転籍時に有利に活用できる。
  C業種・個別企業に固有の知識・スキルに限定されがちな企業内教育研修において、この制度の活用により社員の知識・スキルに世間的な広がりと深みを持やせることができる。
 
(3)普及の現状
  @平成12年度で、産能大、社会生産性本部など94教育機関が1、692の認定講座を開設し、延べ7.1万人が受講した。ホワイトカラー1,400万人への普及率は0.5%であり、未だ決して高いとは言えない。
  A修了認定試験には、平成12年度で2.2万人が受験、うち1万人が合格した。実施場所は、41都道府県の職業能力開発協会であり、全国のどこででも受験可能な状態と言える。
  B企業からの一括受験は、松下電器、全日空、三洋電機など222社で実施された。採用企業数の増加が普及率向上の決め手であることは言うまでもない。
 
3.ビジネス・キャリアをめぐる状況の変化
  高度研再開の背景と理由に関して、最近3つの注目すべき流れが出てきた。要点をレビューする。
 
(1)厚生労働省は、昨年5月に「職業能力開発基本計画」を策定し、「近年の技術革新の進展、産業構造の変化、労働者の就業意識の多様化等に伴う労働移動の増加、職業能力のミスマッチの拡大等に的確に対応」するための職業能力開発を、平成13年度から平成17年度までの5年間に計画的に推進すると表明した。
  この中で、ホワイトカラーについて、生涯職業能力開発促進センター(アビリテイーガーデン)が開発した新しい訓練コースの普及、ビジネス・キャリア制度がホワイトカラー職業能力の評価指標として一層機能すること、変化に対応できる実践的な思考・行動特性等についての職業能力開発手法の開発、の3点を進めるとした。
(2) 厚生労働省は、昨年8月に「一人一人のキャリア形成を支援し、能力を発揮できる社会の実現−労働者のキャリア形成への支援とIT化に対応した能力開発施策の推進」を発表した。この中で「急激な技術革新の進展や、産業構造の変化等に伴う企業内の働き方の変化、労働移動の増大等に適切に対応するためには、労働者一人一人のキャリア形成(職業経歴を通した能力形成)に対する支援を通じて、労働者のエンプロイアビリティ(就業能力)の向上に資する職業能力開発を推進することが重要である」と説いた。
(3)中央職業能力開発審議会(会長小池和男教授)は、昨年12月に労働大臣に対して「今後の職業能力開発施策の在り方について」という建議を行った。建議は、今後の施策の方向として、労働者の自発性の重視、能力ミスマッチの解消、キャリア形成の支援の3点を挙げ、また制度改正点として、キャリア形成支援、職業能力評価システムの整備、給付金等の見直しの3点を指摘した。この中で、ホワイトカラーについては、「その特性を踏まえた職業能力評価システムを整備してゆくことが重要である」として、「ビジネス・キャリア制度の在り方の見直し」を求めている。
  こうした3つの流れは、言うまでもなく、現下の小泉構造改革におけるセーフテイネット構築という大状況の中で、一層明確に位置づけられることになったと言える。
 
4.枠組みを変えたい
  今回の高度研で、当局からビジネス・キャリア制度の枠組みを変えたいので、@レベルの明確化と名称の改正、A試験の位置づけ/名称/受験資格等の変更、B部門別試験の導入という3つの議題の審議が要請された。今夏中に結論を得て、平成14年度から(試験の一部は13年度後半から)施行したいとしている。各項目の要点は次の通りである。
  @「上級」新設を断念し、「初級」・「中級」の2レベルで完結させること。
  Aビジネス・キャリアを単なる学習支援システムから、ホワイトカラー流動化に資する職業能力評価システムへ拡充すること。
  B試験実施を、163学習ユニット別でなく、23部門別として簡素化すること。
 
5.所感
  筆者は、発足準備段階であった平成5年からビジネス・キャリア制度に関わっているが、本制度が、ジェネラリストの育成、業界・企業固有の知識・スキルに極端に傾斜した企業内教育研修、会社都合のキャリア育成管理、といった日本企業特有の人事慣行に大きな変革をもたらす可能性があると期待してきた。言い換えれば、ビジネス・キャリア制度の理念は、マネジメントを含めて専門性の高い職能を育成すること、社外でも通用する汎用的エンプロイヤビリテイの涵養を支援すること、個人の自立的なキャリア形成を支援すること、であると考えている。筆者は、そのためにもビジネス・キャリア認定評価が労働マーケットで高い流通性を持つことの重要性を当初から発言してきた。その意味で、今回の当局からの俄かな制度改定の動きは、相応に評価できるものと考える。




キャリア・カウンセラーのつぶやき
3.厚生労働省のキャリア・コンサルタント大量養成政策がスタート

人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


1.政策の背景と意味

 ここに今、大変奇妙な逆説が生まれつつあるようだ。企業はその組織を構成する従業員とどのように向き合うべきか、即ち、企業における組織と個人の関わり方についての基本的な考え方において、日本の企業(特に伝統的な大企業)と役所(厚生労働省)との間に逆転現象が生じつつある、とうのが私の認識である。結論を言えば、この点ではいまや役所の方が革新的で、先験的であるといえる。
 企業の方は、例えば内橋克人が鋭く抉ったように「これまでの日本型企業社会は、企業の中で、個人はほとんど人格を持たず企業に献身する社会で、個人は自らを没し、我を忘れて奉仕することを求められた。こうした歪んだ「企業一元支配社会」を克服できぬまま、時代の流れに中で労働市場に流動化が進んでいるのが現在のサラリーマン社会だ。今ほど、働く人間が尊厳を奪われている時代はない。」(1)個人と組織との関わり方について先進的な考え方と取り組みを実践している企業もあるが、我国ではそれらはまだまだ極めて少ない。「企業一元支配社会」の本質を変革する力とはなりえていないと言える。
 他方、役所の方は、「職業生活が長期化する(2)一方、絶えざる技術革新の進展への対応(3)や労働移動が頻繁になる(4)など、労働者の職業生活が大きな変化に見舞われる中、個人主導によりキャリア形成を進めることが重要となってきています。このような背景の中、労働者一人一人のキャリア形成やその主体性を尊重した相談を行うコンサルタントの必要性が重視されています。」(5)に見ることができるように、軸足は「個人の支援」に置かれているといえる。(もう一つの足は、「キャリア形成促進助成金」制度により企業に置かれてはいるが、それは軸足ではないと考えられる。何故なら「助成金」の最終的受益者はあくまで企業を通じてキャリア形成の主体となるべき従業員個人だからである。)
 実は、労働者個人のキャリア形成に関する厚生労働省の政策決定への動きは、たかだか2000年「今後の職業能力開発のありかた研究会」報告(厚労省職業能力開発局)からのものであり、1年後には関連法令(雇用対策法、職業能力開発促進法)の改正が行われた。このように短期間での成案を急いだ背景には、前注(2)(3)(4)があると思われる。
 他方、私見によれば、企業側は現在でも基本的には経営目標達成のために都合が良い範囲で従業員個人のキャリア(その内実は、所属企業固有な知識・スキルの習得に留まる場合が多い)開発とキャリア管理を行っており、従業員の基本的な人権としての「キャリア権」の尊重、相互に対等であるべき「キャリア契約」の締結と維持、キャリアは組織に「埋め込まれて」いても「キャリアの主体」は個人であること、個人のキャリア形成に対する支援は重要な経営責任の一つであること、キャリアは役職などの「外的キャリア」よりも「仕事に関わって生きていく意味の追求を中核とする内的キャリア」が経営的にもより重要なこと、といったキャリアを巡る経営パラダイムの転換は遅々として進んでいないように思われる。私が敢えて官と民との間に官が民に先行し、民をリードするという奇妙な逆説が生まれつつあると述べた所以である。

2.政策の枠組み

(1)目標と目的
 政策の目標は、今年度から開始して5年間で5万人のキャリア・コンサルタントを養成し、企業に配置することである。この養成と配置により、各企業において従業員個人のキャリア形成支援の体制と各種施策が整備推進されることが当面の政策目的となる。
(2)政策内容
 キャリア・コンサルタント養成政策には3つの事業分野がある。一つは、公的セクター(雇用・能力開発機構)による養成講座の運営と資格試験の実施。二つは、主務大臣の認定に基づく民間セクター(6)による養成講座の運営と資格試験の実施。三つは、企業に対する助成金の支給事業。
 養成目標の分担から見れば、公的セクターが5千名(1年500名)に対して、民間セクターは4万5千人(1年4500人)と全体の90%を担当する。そのためにも、民間が実施する資格試験に対して、役所が定める資格試験スペックに基づく審査と認定か行われ、民間機関は認定に基づく独自資格を合格者に付与することができるようにした。これも規制緩和である「お墨付き」制度の廃止・縮小の一環と言えよう。
 スケジュールとしては、公的セクターが早くも本年11月から養成講座をスタートさせたが、民間機関は本年度に認定申請を行い、おそらく早くても来年度下期から講座開講となるものと思われる。
 資格試験の中身であるが、厚生労働省が有識者の意見を集めて、@キャリア・コンサルタントの能力基準(試験の内容)、並びにAキャリア・コンサルタント資格試験の実施基準(試験のあり方)の、2つのスペックを作成し、ホームページ等で公開している。これにより、乱立気味のキャリア・コンサルテイングあるいはキャリア・カウンセリング関係の民間資格を整理しようという政策意図もあることは言うまでもない。

3.11月9日(土)アビリテイーガーデン見学記

 この日は、公的セクターとして雇用・能力開発機構が11月2日に先行的にスタートさせた「平成14年度キャリア・コンサルタント養成講座」の第2回開講日であった。筆者は、機会を与えられて、終日受講生と伴に講義を「見学」することができた。
 この講座の全体像としては、期間が3月15日までの5ヶ月間、講座構成コースが5コース(7)、開講日数が延18日(全て土曜日)、講義時間数が合計120時間、受講形態が講義と実習が半々、講義はアビリテイーガーデン(生涯職業能力開発促進センター、東京)からの衛星生放送が各都道府県の会場に配信、会場は雇用・能力開発機構が展開する各都道府県の職業能力開発大学校ないし職業能力開発促進センター、といった運営である。
 この日の講師は桐村晋次先生で、受講者はアビリテイーガーデン会場が28名、全国で386名(8)であった。受講者の約70%は、本政策が優先的対象者と位置づけている企業の人事・労務・能力開発・キャリア相談等担当者であり、残りが社労士、人事・経営系コンサルタント、各種公的機関の就職相談担当者、心理系カウンセラーなど、民間企業に所属しない人たちである。当然予想されたことだが、受講者の年齢層は50歳代が約40%、40歳台が約30%と高い。であればこそ、中高年を中心とする受講生が皆6時間にわたる長時間の衛星通信学習にきわめて熱心に取組んでいた姿は印象的であった。私には、それはおそらく、受講者が、単にこれからの企業社会におけるキャリア・コンサルタントの役割の重さを深く認識しているだけではなく、キャリア・コンサルタント活動を自らの生き方そのものとして把握しているからであろうと思われた。第1回資格試験は来年5月に実施が予定されているが、受講者全員の合格を祈りたいと思う。
 しかし、政策意図の実現という観点から言えば、課題はむしろ資格取得後にあるのであって、旧態依然たる歪んだ本質を抱え込んだままの日本的企業経営風土の中で、大量に養成された彼らキャリア・コンサルタントが果たしてどこまで実効ある個人支援を行いえるのか、が問われることになるであろう。 
 この日の講義に限って敢えて講義内容にコメントするならば、講義はテーマの幅広く適切な論点を取り上げた内容であったことは高く評価できるが、他方、前に述べたキャリアに関する経営パラダイムの変革の視点から見ると、経営におけるキャリア・マネジメントの変革に向けた方向性は曖昧なままであり、はっきり提示されることはなかったと言えるであろう。これは、今回の画期的なキャリア・コンサルタント養成政策の一つの限界なのかもしれないという思いが、私の脳裏をよぎったのである。                                  

[注]
(1)毎日新聞02年11月14日朝刊19面「サラリーマンと呼ばないで」
(2)筆者には、「年金支給年齢を引き上げるから」と読める。
(3)筆者には、「中高年社員はITスキルのレベルが低いから」と読める。
(4)筆者には、「中高年を中心にますます失業者が増加するから」と読める。
(5)雇用・能力開発機構作成「キャリア・コンサルタント養成講座のご案内」から。
(6)現在認定申請すると予想されている民間機関は、日本産業カウンセラー協会、リクルート、日本マンパワー、日本能率協会マネジメントセンター(人材開発協会)、社会経済生産性本部などである。
(7)講座構成コースは以下の通り。

構成コース

講 師

1.キャリア形成支援の社会的意義

桐村 晋次 古河物流椛樺k役 

2.これからの人事・労務管理の変化対応コース

梶原 豊 高千穂商科大学教授

3.キャリア形成支援の基礎的知識・スキルコース

木村 周 拓殖大学教授、
日本産業カウンセラー協会、他

4.キャリア形成支援の実践的スキルコース

木村 周 拓殖大学教授、
日本キャリアカウンセリング研究会他

5.キャリア形成支援の効果的実施コース

桐村 晋次 古河物流椛樺k役

(8)この数字は概ね計画値に近いと判断できる。



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4.トランジション              人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


序 
  時は過ぎゆき、いつしか季節はめぐりくる。私はこの春、「大いなる春というもの来るべし」(高野素十)を幾度か口ずさんだ。ここには、時の移ろいをただ受け容れるだけではなく、我が春を迎え入れようとする高野の心映えが感じられ、私の気持ちに触れたからだ。私は、今年3月末に、昭和42年入社以来勤めた損保会社を退職した。私の季節も確実にめぐりきて、これまでの「展望の季節」から「回顧の季節」へと変ったと言える。私にとって大きなトランジションであるに違いない。けれど私は、敢えてここで「大いなる春というもの」に心寄せたいと思うのだ。そして5月、私はシニアSOHO「メタキャリア・ラボ」を自宅の狭い書斎に立ちあげた。

儀式と手続き 
 トランジションのためには世の中がさだめる一連の儀式と手続きに耐えなければならない。それらは、私にとって不可避のワークであり、どれほど煩わしくとも所与の手順と作法に従って一つ一つを着実にこなさなければ、トランジションは完結しない。まず、年金の申請と裁定の手続き。年金についての複雑で膨大な資料と書類。居住地を管轄する杉並社会保険事務所に妻 を伴って行き、勤務先を管轄する神田社会保険事務所にも行く。
 次ぎに、退職の儀式と手続き。挨拶回りと数回の送別会、挨拶状の作成と送付、勤務先への健康保険証・社章バッチなどの返却。なお、私は思うところがあってハローワークには行っていない。
 ところで、私のシニアSOHOは、青色申告を前提とする個人事業である。事前に商工会議所に相談し、個人事業のための申請と届出を荻窪税務署と杉並都税事務所に提出。これから不慣れな帳簿付けが始まる。
 最後に、一番大切と思われることは、妻との間の儀式と手続きを手抜かりなく、きっちりと行うことであろう。どれほど横着で照れ性の私のような男でも、妻への感謝を現に言葉にし、新しい暮らし方への提案をおこなわなければいけない。すこしお金がかかってでも、それを実際に行うに相応しい場を設営しなければならない。
 一通りの儀式と手続きが終わった時、私は何か一つの安らぎを覚え、世の中がすこし違って見えたのは事実である。 

思い
 いま私は、私のキャリアにおける最大のトランジションを迎え、これを越えようとしている。A.W.グルドナー(1957)はキャリア志向の基本的な分類基準として「ローカル」と「コスモポリタン」を仮説したが、いままさに私は自由人たるコスモポリタンになろうとしており、同時に回顧の時を迎えたのである。人の生き方に係わる二大カテゴリーが転換するのであるから、最大の、といっても決して大袈裟ではないだろう。

含意 
 定年退職がもつキャリア・プロセス上の含意を考えてみる。一口に、40歳までのキャリアは「向日性植物」のようなものと言えるのに対して、続く60歳までの中高年キャリアは「まだ展望が望める季節の非向日性植物」と言えるのではないだろうか。とすれば、定年によってジョブから解放された60歳過ぎのキャリアとは、「回顧の季節に自由に咲き乱れるコスミックな花々」(これはノバーリスの「青い花」か)と言っても良いのではないだろうか。平野光俊((1994)が分析したように、若年/壮年までは、自分・仕事・組織のコンティンジェントな関係がキャリアを規定する。60歳までの中高年キャリアは、それらに加えて長い経験と老いという変数が加わるコンティンジェントな関係により規定される。60歳過ぎの定年退職後のキャリアが前二者と決定的に相違することは、配偶者との関係の再構築と死という変数が係わるというだけでなく、過去キャリアそのものが変数化される、ということにある。変数が多く複雑だからこそ、老年からのキャリアが本当に面白くなるのだと言えないだろうか。(了)



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5.ポール・ゴーギャンまたはキャリア        人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


  1848年パリに生まれたポール・ゴーギャンは、25歳から10年間ほど株式仲買人とし成功を収めたあと、30歳半ばを過ぎてから画業に専念する。そして、パナマ、マルテイニーク島、アルルといった「熱い南の方」への遍歴を経て、ゴーギャンは1891年にタヒチのパペーテに到着する。43歳であった。ゴーギャンにとって、タヒチ行きは「熱い南の方での魂の再生」という意味の世界を実現するための旅であったと言われている。
 キャリアの内的な側面を「仕事に関わって生きて行くことの意味を追求する世界」と定義するならば、ゴーギャンの旅は「キャリア行動」そのものであり、タヒチは何よりもまず彼の「魂の再生」という「キャリアゴール」が据えられるべき場所であったと言える。ゴーギャンは、19世紀後半のヨーロッパ文明から脱出して、南太平洋の原始を目指すことを最終的に決意したとき、「この観念の世界(前述の魂の再生という意味の世界:筆者注)の追求の中以外にはもはや自分の芸術(仕事:筆者注)の居場所がないことをはっきりと覚る」(宮川淳)のである。この時の覚醒こそ、ゴーギャンにとって自分の「内的キャリアへの気づき」であり、「気づき」は一瞬であるとともに永遠のものになったと言える。

 ゴーギャンは、1897年に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受ける。彼は大きな衝撃を受け、自殺を念慮し、その実行に失敗する。49歳のときである。この年、彼は、『われわれはどこから来るのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか』(141×389cm、油彩、ボストン美術館蔵)という遺言的大作を一気に描き上げる。題名は、キャリアをめぐる最も基本的な問いそのものである。因みに、キャリアカウンセリングとは”Who am I ?, Where am I going?, How can I get there?”という3つの問いに答えることである(JCC)と言われている。
 ゴーギャンはこの絵画において、キャンバス上に青とエメラルドグリーンの後景と誕生から死に至る人間の身体群を、すなわち目に見える外的な現実世界を描くとともに、目に見えない内的な非現実の世界を描いている。ここには、宮川によれば、ゴーギャンの絵画における「二重写しの構造」が見て取れる。このことは、キャリアにおける「目に見える外的キャリア」と「目に見えない内的キャリア」との重層性と見事に見合っている。

 ところで、絵の左上隅にこの長い題名が文字で書き込まれている。ゴーギャンはしばしば画面上に文字を描いているが、彼は文字に、絵を見る人を、目に見える画面から目に見えない意味の世界へ導いていく入り口としての役割を与えているのではないかと思われる。何故なら、文字は、内的に感じられているが未だに言葉になりきれない「暗黙裡の意味や知の閃き」を概念化し、明確化する(E.ジェンドリン,1961)ものであるからである。実は、ここに内的キャリアが創始される原点がある。
 さらに、キャリヤにおける「統合」のテーマは、人それぞれに異なり一様ではないが、「統合とは二つの対照する概念がより上位の意味によって解釈されること」であるとすれば、ゴーギャンはこの大作において、造形的な世界と意味の世界の「統合」を目指した中で、原始と文明、誕生と死、幸福と苦悩、愛と孤独などといった二つの対照するものの「統合」を描き出したと言えるであろう。私は、キャリアにおいて、外的なものと内的なものがより上位の意味によって「統合」された状態を「メタキャリア」と呼んでいる。

 ゴーギャンは、この「統合」から6年後の1903年に心臓発作で死去した。享年54歳であった。「魂の再生」という「キャリアゴール」に彼は到達しえたのか?という問いを残して。

(注)本稿は『新潮美術文庫』30「ゴーギャン」1969を参照して作成した。(完)



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6.“青い花”またはキャリア・ゴール         人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


  詩人ノヴァーリスが1799年秋から翌年にかけて書き接いだ小説“青い花”は、肺結核による29歳前にしての彼の死により遂に未完に終わる。多くの詩歌や劇中劇に彩られた「壮大な万華鏡を成すこの小説は、……時代をこえて大きな説得力をもち、未来に託す秘められた信念が、それぞれの問題を意識する読者を鼓舞してやまないであろう」(青山隆夫)と言われる。私もまた、夭折した詩人の言葉に惹かれて、今の私の問題である「キャリア」を意識して幾つかの思いを巡らすことになる。ここでは、「キャリア・ゴール」について。

  “青い花”は、微熱をいつも帯びているような二十歳の青年ハインリヒが見た朝の夢の中に現れる。「いや応なしに惹き付けられたのは、泉のほとりに生えた一本の丈が高い、淡い青色の花だったが、そのすらりと伸び輝く葉が青年 の体にふれた。……青年は青い花に目を奪われ、しばらくいとおしげにじっと立っていたが、ついに花に顔を近づけようとした。……・花は青年に向って首をかしげた。その花弁が青いゆったりとしたえりを広げると、なかにほっそりとした顔がほのかにゆらいで見えた。……青年の心地よい驚きはいやがうえにも高まっていった。」実は青年の父親もまた同じ色の花をかつて夢に見たと言う。しかし、ハインリヒの“青い花”には、“青い花” 執筆直前に最愛の婚約者ゾフィーが亡くなるというノヴァーリスの痛烈な個人的体験が反映されている。父親が見たのとは異なり、「ほのかにゆらいで見えたほっそりとした顔」はおそらくゾフィーであるように思われる。

 いまや青年ハインリヒにとって、“青い花”は忘れがたいものになる。
 しかしながら、“青い花”は、青年にとって決して手にいれることができないものであり、それ故に生涯を通じて“未知なもの、無限なるものとして憧れてやまないもの”と定められる。青年は、父の奨めもあり、その時代の若者に義務づけられた定めに従って見知らぬ土地への長い遍歴の旅に出る。旅は、若者が「一人前の大人になる」ためであり、同時に、深い山の奥にではなく青年の心の中に咲いているであろうあの“青い花”を見つけるためにである。人は、どうしようもなく、その必然を生きてゆくほかないが、この青年もまたこのように定められた遍歴の旅を生きる。

 いま、若者が世に出てゆくということは、ハインリヒと同じように、これから一生続く仕事という見知らぬ土地への旅に出ることであろう。この旅程こそ、過去から現在を経て未来へ続く若者の「キャリア」をなす。若者は「一人前の大人になり、仕事に関わって生きてゆくことの自分にとっての意味」を探し求めてゆく。これが、「キャリア」の出発に当って今の若者を突き動かす動因になる。この動因が、これから一生続く仕事という見知らぬ土地を遍歴する「旅のテーマ」となり、「旅のテーマ」が「キャリア・エンジン」となる。

 ところで、若者にとって「一人前の大人になる」とはどういうことか。私は、「大人の世界の中で私は私としてある」という自己存在の確信をもつことであると考える。ハインリヒもまた、遍歴の中で「自己に目覚めて」行く。また、若者にとって「生涯にわたって仕事に関わって生きてゆくことの自分にとっての意味の追求」とは、「仕事の自分にとっての意味の最終的な姿、即ち、最終的な納得状態と満足感への到達」であると考える。前者は、キャリア初期の課題であり、その後も繰り返し取組まれるべきキャリア課題であるが、後者は、人の最終的に目指すべき姿としての「キャリア・ゴール」であると考える。私はここで、人の「キャリア・ゴール」とは、結局、ハインリヒが“青い花”を実際にはどの山の奥に行っても手に入れることはできない(とノヴァーリスが示唆する)ように、生涯を通じて“未知なもの、無限なるものとして憧れてやまない青い花”そのものなのだ、ということに気づくのである。世に軽々に「キャリア・ゴールの達成」などと語ることなかれ。“青い花”は手に入らないからこそ探し求めるのであり、その探求の旅程自体が「キャリア」そのものに他ならないと思うの である。(了)

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