キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
1.不思議の国のアリスまたは哀しいキャリア       人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 ルイス・キャロルが語るアリスのお話は、アリスがお姉さんの膝のうえで見た夢のなかのファンタジーです。ですから、お話が終わる頃には、夢が覚め、ファンタジーは融けてアッと言うまに現実に反転します。不思議の国のアリスは、不思議の国にいることによって、ここでお話するもう一人の少女のメタファーとなりえていますけれども、こちらのお話はけっして覚めて融けてしまうお話ではありません。こちらとは、現代の日本です。
 それにしても、金子國義が描くウサギは、短めのフロックコートにベスト、立ち襟のカラー、手に扇子、小脇に傘、といういでたち。アリスは“めずらしさにかられて”ウサギの後をついていったとしても、何の不思議もありません。こちらの少女だって、時々見かける大人たちの世界に興味津々、つい誰かの後をついていきたくなったりします。ウサギ紳士が、幸せで平和な日々の裏側にひそむ、少女の知らない別な世界へ少女を引き摺りこむお使いであることも知らないで!アリスがウサギの穴に入り込んだとき、こちらの少女も未知の大人の世の中に飛び込みます。
 アリスはウサギ穴から落ちます。“ぐん、ぐん、ぐうん、落ちること、落ちること”なんという失墜感でしょうか。底なし。たぶん、こちらの少女にとっても、少女から大人になるときは底なしの失墜感を味わうのでしょう。
 で、アリスは、きれいなお庭が覗ける広間に辿りつきました。早くきれいなお庭に行きたい。でも、そこへ行くには、“かわいらしい小びん”に入った“wonder”を飲まなければなりません。小びんには“ワタシヲオノミ”というラベルがついています。アリスは“あっというまに飲み干してしまい”体が縮んでいきます。かと思うと、今度は“ワタシヲオタベ”と書いてあるガラス箱のなかのケーキを食べて、体がのびてしまいます。“なによ、泣いたってどうにもなりませんよ、きっと泣き止みなさいって!”とアリスは自分にぴしゃり言いきかせたのです。こちらの少女も、綺麗に見える大人の世界に落ちていくとき、たくさん美味しいものを食べ、幾度か変身し、走っていきます。ときに、自分のことをしかり、泣きながら。
 しかも、アリスはたった独りです。そうです、ここから、アリスの独りきりでけな気な旅が始まります。そのとき、アリスは、“いったいぜんたい、あたしは誰なのかってことよ” と叫びます。こちらの少女だって、最初の問いを自らにかけます。私は誰なの?、と。
 すると、アリスは再び叫びます“あたしってのは、あたしなんだから、すると、あーあ、ややこしいたらありゃしない!” そうです、自同律の不快という感情です。
 こちらの少女は、いまから、大人のオトコの世界のなかで、仕事とかかわりながら、少女から娘に、娘から妻に、妻から母に、母から嫁に、という恐ろしくもそこ以外には行き場のない独りぼっちの道行をはじめるところなんです。しかも、道行のはじめのところに、このややこしい自同律の不快感があるというわけです。
 “チェシャ州のおネコさま、あのう、わたくし、ここからどの道を行けばいいか、教えていただきたいんですけど”アリスは自分では何処に行ったらよいのか分らず、ネコさまに訊きます。実は、悲惨なことに、こちらの少女もまた、この世のなかで自分の行き先を自分で決めることができません。それどころか、肝心の少女自身が自分の行き先を自分で決めてはいけない、あるいは決められない、と思い込んでいる節があるらしいのです。なんということでしょう!
 ネコさまの答え“そりゃ、あんたがどこに行きたいか、によるわな”そうなんです、“どの道を行けばいいか”は、“どこに行きたいか”が決めるのです。けれども、アリスまたはこちらの少女は、“どこに行きたいか”が分りません。どうしてかっていうと、やはり“あたしってのは、あたしなんだから”としか言えなかったからです。
 “どこだっていいですけど……どこかへ行きつけさえすればね”と言い放ったアリスとは、この辺りでこちらの少女はお別れしなければなりません。
 サヨウナラ、アリス! 私は、独りで哀しいけれど、自分らしさを発揮できそうな道を自分で決めて、大人のオトコの世界のなかを一歩一歩、歩いていきます。        

(注)使用テキストは、矢川澄子訳『不思議な国のアリス』、新潮文庫、H6年2月



キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
2.キャリアにおける中高年問題という問題を考える  人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 我国の企業組織における中高年社員のキャリア開発という問題を考えるとき、筆者にはそれは、決して一過性の対応だけではなく、時代を超え、各世代やどの雇用形態にも共通するという意味で普遍的な取り組み姿勢が重要である、との思いがあります。
 さらに言えば、この問題の普遍性に対する思いは、《組織における個人のキャリアとは何か》、《組織と個人の新たな関係をどのように築くか》、《キャリア開発の経営的責任とは何か》、《組織において個人は如何にして真に自立した主体となることができるのか》、といった経営・人事パラダイムの根幹に関わる問題の追究が重要ではないか、との思いに到ります。それだけに、中高年キャリアの問題は、複雑で根底的な対応が求められるわけです。
 ところが今、一般的には、“中高年キャリアの問題”について上記のような捉え方をする場合は少ないように見受けられます。一つの理由は、“中高年キャリアの問題”に対する問題意識が、雇用レベルの臨床的な対応に終始しているからではないでしょうか。
 そこで筆者は、“中高年キャリアの問題”の捉え方について、改めて考えてみる必要を痛感し、問題の捉え方の枠組みを以下に素描してみることといたします。

 先ず、いわゆるバブル経済崩壊後の一過性の枠組みがあります。この捉え方で議論の対象とする世代は、安保世代から団塊世代までに特定されます。概ね現在55歳から65歳の年代です。この世代は、年功序列と終身雇用という雇用慣行の下で、結局、人件費の高額化、業務の低生産性、ポスト不足といった経営上の困難を招来しました。この困難への経営的な対応策は、当然にも短期的で臨床的な処置にならざるを得ず、我々は急激な雇用状況の悪化と社会的病理現象の発症を見ることになります。いわゆるリストラおよび企業倒産に伴う解雇者・離転職者の急増を齎し、その結果、最も顕著な現象としては中高年者の失業率の悪化および自殺者の増加を来すことになります。こうした問題の枠組みは、“中高年キャリアの問題”の表層部分ですが、企業経営者に最も説得力があるがゆえに、企業社会に一般的な捉え方となっていると言えましょう。なお、国の政策サイドは、必ずしもこの枠組みに留まってはいないことを指摘しておきます。
  次に、上記の枠組みの下層に、戦後日本の復興期的特性としての会社人間モデル(田尾雅夫)と企業内部における家父長的秩序(河合隼雄)という問題の捉え方が仮説されると考えます。ここでは、@社員は組織に過剰に同調し、過剰に貢献します。しかし、社員は自らはそのことに気が付かず、異議の申し立てもしません。A社員は、組織への過剰なのめり込みのために、自らの健常な自我概念を維持できなくなっています。Bこのような特性をもつ会社人間化は、組織に帰属することの本質と組織的な社会化によって、社員の誰もがごく自然なこととして受け容れています。Cさらに、戦後の企業組織には、戦前における家父長的秩序が代置されており、個人の自立的成長よりも家父長である企業の権威と一家の和が尊重されます。Dその結果、働くことの意味は専ら組織から与えられているのに、恰も自らの意志によって働くことの意味を獲得したかのように錯覚することになります。筆者は、この会社人間モデルと家父長的企業内秩序こそが、戦後経済の成功神話を支えた心理的基盤であったと考えます。別な言い方をすれば、ここでは社員を“生き方と働き方における無意識の苦悩者”として捉えるのであり、中高年キャリア問題の第ニ層になります。
 三つ目に、同じ企業社会を支える心理的基盤の問題をさらに掘り下げれば、戦後日本という枠組みを超えて、資本主義経済のもとでの近現代人の心理的基盤の問題に突き当たると仮説することができます。さしあたり、E.H.フロムが指摘した資本制企業経済下での人間の“社会的性格“がそれに当ると考えられます。フロムによれば、資本制下の社会的性格は、「権威主義的性格」と「自動人形(あるいは機械的画一性)」の二つによって定義されます。それぞれの特性の中身を見ると、前者では、「より穏やかな依存」、「内的および匿名の権威への服従」、「(組織の権威との)共棲的複合体の形成」が、後者では、「自己の喪失」、「危険な(自立への)幻想」、「偽の行為による(本当の気持ちの)抑圧と代置」、と説明されています。筆者は、この捉え方が中高年キャリア問題の第三層をなすものであると考えます。
 四つ目に、中高年キャリア問題を、日本人の「自我の不確実性」(南 博)との関連において捉える方法があると考えます。民族的パースペクテイブで捉える視点です。ここは指摘だけにとどめますが、これが問題の第四層を形成しています。
 最後に、発達論的な枠組みを提議いたします。ここには、ご承知の通り、多くの優れた先行研究があり、中高年キャリア問題に対する豊かな視座を与えてくれます。例えば、D.レビンソンのライフサイクル論では、中年期における発達課題として、若さと老い、破壊と創造、男らしさと女らしさ、愛着と分離、という4つの両極性の統合を論じています。E.H.エリクソンの個体発達分化の図式では、世代性と自己陶酔(中年期)および統合性と絶望(老年期)という発達課題と危機を指摘しました。D.E.スーパーはキャリアステージ論において、中高年の課題はキャリア維持にあり、自己実現あるいは欲求阻止の段階に到るとしました。E.H.シャインのキャリア・サイクル・モデルでは、組織内における後期キャリアの課題を、メンター役割と影響力低下の受容、新たな満足源の発見と配偶者との関係の再構築、キャリア全体の評価としました。岡本祐子の中年期のアイデンテイテイ再体制化モデルでは、危機の体験・自分の再吟味と再方向付けへの模索・軌道修正と転換・生き方への積極的関与によるアイデンテイテイの再確立、という発達的テーマが論じられています。これらは、いわば近代人とし ての心理的発達モデルとの関連で中高年キャリア問題を追究する枠組みを提供してくれるものであり、問題の第五層をなしていると考えます。

  中高年キャリアの問題は、このように幾層もの縦に深い重層性を持ち、それゆえに時代や世代を超えた、経営・人事パラダイムの根幹に関わる普遍性を特性とするテーマであると仮説することができます。筆者は、この問題の第一層から第五層までを縦に貫くべき対応策として、“中高年社員の内的キャリアの自立的な創造と開発”という課題を、単に個人任せにせず、国も企業も社会も積極的に関わり、支援するというパラダイムを確立すべきではないかと考えます。そうした対応によって、中高年者の最大の特性である内的キャリアの累積した厚みを、無形の人的資源として多面的に活用することができるのではないか、と提言いたします。(了)




キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
3.体験からキャリアへ -暗黙の意味を通じて-    人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 日々刻々に人が仕事をする、ということを考えてみたい。仕事をするという日常的な営みは、けっしてノッペラボーではありません。別な言葉でいえば、人は日々刻々に仕事を体験しつつあり、その体験する過程(E.ジェンドリン)には、様々な起伏と質の異なる体験の局面あるいは場面がある、と言えます。今ここで、例えば、日々仕事を体験する過程の代表的な局面である、職場における上司・部下の相互関係を取り上げて、ここでの人の体験とはどのようなものなのかを解きほぐす作業をしてみましょう。
 まず、部下は、上司との相互関係において、例えば次のような、自分なりのさまざまな“感じ、思い、イメージ、あるいは閃き”が自分の内部に生み出され、流れていることに気づくのではないでしょうか。

>課長は、一体、私(部下)をどのように育てようとしているのだろうか。
>課長はそのために、どのように私を指導し、どのような学習をさせようとしているのだろうか。
>課長は、私が自分の役割を果たすにあたってどの程度の自由を許してくれるのであろうか。
>この課題では、課長は私にかなり大きな裁量の自由を与えてくれているようだ。
>新任のいまは、専ら課長からの指示や命令だけを聞け、ということなのだろうか。
>私は、いまの課長の姿を見て、何をそこに学ぶことができるであろうか。
>自分の将来モデルとして、課長をどの程度参考にして良いのだろうか。
>私も将来あのような上司になってみたいと思う。
>課長は、私のキャリアをどのように考えているのだろうか。
>課長は、私のキャリアの開発についていつも強い関心を持っていてくれるらしい。
>私がキャリアを開発することに対して、課長は果たして具体的にどこまで支援してくれのだろうか。

 このように、上司・部下の相互関係という日常的な仕事の体験過程の局面において、部下はいろいろな要素についてさまざまな“感じ、思い、イメージ、閃き”を生み出し、それらの存在に気づきます。 ここでは、“気づき”とは“生み出す”ことです。(なお、上司の方から見た場合にも、勿論同じように“感じ、思い、イメージ、閃き”が生み出されます。)気づかれた“感じ、思い、イメージ、閃き”には、上記の例に見て取れるように、必ず何らかの喜怒哀楽などの情動(エモーション)が伴っています。

 重要なことは、同時にそこには、上司の私(部下)に対する「私への育成・指導・学習のあり方」、「私の役割自由に対する上司の許容度」、「上司の私にとっての将来モデルとしての可能性」、「私のキャリア開発に対する上司の支援行動」といった要素(平野光俊他)についての、“誇らしさ、期待感、喜び、感謝の念、尊敬の念、私淑する心、あるいは疑惑、批判的な感情、侮蔑感”などといった、私にとっての「暗黙の意味」が含まれているということです。“暗黙の(意味)”とは、さしあたり、“気づかれているけれども、未だ言葉にならない”ということであり、“言葉によって表現され、顕在化した”状態と対照される言い方です。また、“(暗黙の)意味”とは、“自分にとっての意味、価値、あるいは信念”を総称するものです。中井久夫さんが言う「メタ私」に近いものかも知れません。
 “感じ、思い、イメージ、閃き”には、このように「暗黙の意味」と情動が一体となって含まれている、と言ってもよいでしょう(この点が、同じ“感じ、思い、イメージ、閃き”から生み出され、知識・スキル・ノウハウなどに顕在化していく「暗黙知」(野中郁次郎)と違うところです。)
 さらに、これらの「暗黙の意味」が、私(部下)が「上司・部下の相互関係から自分にとっての意味、価値、あるいは信念」を創り出していく源泉(リソース)である、ということを銘記したいと思います。

 さて、仕事をすることの自分にとっての「外的な現実」は、役割・役職・業績・年収など、社会的評価の枠組みにおける位置であるとすれば、仕事のなかで自分が気づいた“感じ、思い、イメージ、閃き”に含まれる“意味、価値、あるいは信念”は、仕事をすることの自分にとっての「内的な現実」にほかなりません。仕事をすることの自分にとってのこれら二つの現実は、自分のキャリアを形成している内外二つの側面です。
 とりわけ、「人は、実に豊かで多様な意味、価値あるいは信念を感じ、思い、イメージし、閃きながら、日々刻々に仕事しているのだ」、という仕事の体験過程のもつ「内的な現実」こそ、「仕事に関わって生きていく自分にとっての意味を追求、獲得していく過程としての自分らしい内的キャリア」を創始、開発していく実存的な根底であるわけです。
 同時に、仕事の体験過程のもつ「内的な現実」には、内的キャリアの源泉(リソース)である「暗黙の意味」を自ら生み出すことを通じて、個人が自立しうる根拠もが潜んでいることに注目しなければなりません。

 なお、上司・部下関係以外、例えば、担当する仕事自体、仕事の役割、ワーク・モチベーション、仕事に関する能力特性、会社と個人の関係のあり方、自分のキャリア志向性の基本的な在りよう(ステイタス)、自分のキャリア志向性の内容(コンテンツ)、などと言った仕事の体験過程のその他の局面についても、上記と同じように、暗黙の意味を通じた体験からキャリアへの解きほぐし作業が可能であると思われます。(了)



キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
4.記憶からキャリアへ                   人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典



1.“ベトナムという国には、分け入れば分け入るほど、イメージが喚起され胸踊り昂ぶるものがありました。この国にとっては、ありふれた風景の断片でも、そのすべてに、ここで生きた、いま生きている人々の体臭が染み込んでいることを感じます。ベトナムの風土、環境、生活には、私自身が欲する物を凝視し、内面を掘り下げる必然性が存在していました。この国の風景は、いつのまにか自分の風景となり、熱帯の濃密な空気が漂う光景は、型染め表現に自然に溶け込んでいきました。行く先々で、待ち受けていた鮮やかな邂逅は、現在でも生き生きと胸の中で息づいています。”
  これは、型染画家鳥羽美花の「型染とベトナム風景」と題する作品展画集(2004.1、非売品)にある「回想」文です。「キャリア(特に中高年のキャリア)にとって(長年の)仕事の記憶とは何か」を考え続けている私にとって、一文は記憶への思いを強く喚起されました。その思いは、次のようなものです。
 積み重ねてきた過去の仕事の記憶には、奥深く分け入れば分け入るほど、感じや思いやイメージなどが喚起され、今も胸踊り心昂ぶるものがあります。ありふれた仕事の風景の過ぎ去った一つ一つの断片であっても、そのすべてに私がそこで生き、そしていま生き続けている私が染み込んでいます。このような仕事の記憶には、私が欲する暗黙裡のものを凝視し、内面を掘り下げる必然性が内在しています。さまざまな出来事の濃密な空気が漂う過去の仕事体験やその風景は、いつしか自分の記憶となり、時の絶対的な流れのうちに、自分の内的キャリアへと溶融しでいきました。私が行く先々で出会った鮮やかな邂逅は、現在でも目の前にあるかのように生き生きと胸のうちで息づいています。鳥羽さんが10年間余り分け入ったベトナムは、私が今もそこに生きる仕事の記憶であり、彼女が今もそこに生きるベトナムの風土と生活は、私にとって仕事の情景と体験にほかなりません。

2.“記憶は過去のものではない。それは、……むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。・・じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。記憶という土の中に種子を播いて、季節の中で手をかけてそだてることができなければ、言葉はなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだっていくものが、人生と呼ばれるものなのだと思う。……(私が)思いをはせるのは、一人のわたしの時間と場所が、どのような記憶によって明るくされ、活かされてきたかということだ。”
 これは、詩人長田弘の詩文集「記憶のつくり方」(1998、晶文社)の後書きです。さりげない日常の体験、光景や出来事は、仄暗い記憶のなかに堆積されています。しかし、長田によれば、記憶は常に現在化されて在り、また、記憶の庭をよく耕して言葉を生み育てることで初めて人生を創りあげていくと言う。私には、詩人を通じて、記憶を耕すことで言葉を生み出すことの、キャリアにとっての決定的な意味あいと、耕し言葉を生み出す作業の厳しさやつらさに耐えなければならないことを、示唆されたような思いがいたします。

3.“きれぎれの断片化した「記憶」が不意によみがえる時のなまなましい新鮮さを、言語化する際の格闘に、どう小説家として耐えるかという、体力と気力を持続させるための、自主トレーニング”が、『噂の娘』の続編を書きはじめるための準備です。“そもそも、視覚的なものでも触覚的なものでも大半は言語化されたうえで残されているに違いない「記憶」が、錯覚であるにせよ全身的な官能を揺さぶる出来事として、再び、紙の上に生きはじめる瞬間の到来を準備するためのトレーニング法など、実はないのです。”“小説は読者(作者もその一人なのです)によって生成される世界として存在します。”
  金井美恵子(朝日新聞2004年10月12日「自作再訪」)が語る「きれぎれの記憶が不意によみがえるときの新鮮さ」とは、ユージン・ジェンドリンが体験過程を促進する様式の一つとした「過去の体験の直接性と現前性」にほかなりません。その特性は「過去の体験が現在としての知覚され、新鮮な細部の豊かさを示す」ことにあります。また、ここで金井の言う「小説」を、同じく言葉によって生成される世界としての「キャリア」と読み替えてみたらどうであろうか。日々刻々の仕事の体験過程のなかの新鮮で多様な「感じ、思い、イメージ、閃き」などに気づき、そこに含まれる「暗黙の意味、価値、信念、その他の認知」に気づき、さらに、未だ言葉にならないそれらの気づきを自分の言葉に変えていくことは、「小説」における言語化の格闘に似ているように思えます。私たちのキャリアは、そのような格闘により生成される内的世界が本質的なものだと言えましょう。但し、ここで、気づきの言語化と言った場合、「自分の言葉(パロール)への変換」と「その時代に、組織において体系化された言語(ラング)への変換」は区別されなければならないことに留意したいと思います。言うまでもなく、自分にとっての「暗黙の意味、価値、信念、その他の認知」を表現できる言葉は、「自分の言葉(パロール)」であるほかありません。私には、言語学者エウジェニオ・コセリウが説いたという「現実の言語は絶え間なく変わっている。いな、変わるのではなく、話す人間が、体系としてのことばを修復し、目的に合わせて創造しているのだ。」(注1)にその訳があるように思えます。また、金井にとって、実は言語化の格闘に備えるトレーニング法などないのだとしたら、私たちにとって、気づきの言語化というキャリア・コンピテンシーの習得などは決して容易ではないことが示唆されます。
 さらに、金井がもうひとつ示唆するところは、私は自分のキャリアの作者であると同時に読者でもあるということです。言い換えれば、私は私のキャリア開発の主体であるとともに、自らのキャリア開発を観察し、修正し、評価することができる客体でもあると言えます。

(注1)朝日新聞2004年9月17日(夕)田中克彦「私の心に生きる言語学者B」

4.“ふたたび私はそのかおりのなかにいた。……それは、ニセアカシヤの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨上がりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。……私を押し包んでいたのは、この、かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯であった。アカシヤは現在であった。桜は過去であり、金銀花はいまだ到来していないものである。それぞれに喚起的価値があり、それぞれは相互浸透している。”“遠い過去の個人的記憶をたどる行為は、……徴候と索引とがほとんどひとつのごとくにないまぜとなって、……「メタ世界」にかぎりなく近づいているもの(注2)への接近のカギとなっているところに成立する行為である。”
“(未来に向かう)予感と徴候、(過去からくる)余韻と索引の関係について、……両者は現実には、ないまぜになり、あざなえる縄のようになって現われる。予感は徴候の出現に伴うこともあるが、先駆することの方が多く、予感とは……「徴候を把握しようとする構えが生まれる時の共通感覚」、……「明確な徴候以前のかすかな徴候―プレ徴候というべきものーを感受していること」である。……予感はまさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。(次に)余韻とは、経験が分節性を失いつつ、ある全体性を以って留まっていることである。……余韻は確かに存在したものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った激しさを惜しむいくばくかの思いとである。……索引は過去の何かを引き出す手がかりである。……花の匂いが、紅茶が口腔にひろがる感覚が、埋もれていたひとつの世界を開く。……索引は、一つの世界を開く鍵であり、……過去の集成への入口である。“

“予感と徴候とに生きる時、ひとは、現在よりも少し前に生きている。……余韻と索引に生きる時、ひとは、現在よりも少し遅れて生きている。……(予感と徴候、余韻と索引は)まったく別個のものではない。「予感」が「余韻」に変容することは、経験的事実である。……登山の前後を比較すればよい。「索引」が歴史家にとっては「徴候」である。”

“生きるということは常に現在と過去の緊張関係にあり、さらに未来の先取りによって「現在は過去を担い、未来をはらむ」(ライプニッツ)という構造を持っとぃる。” “私は、早くから、生きるということは、予感と徴候から余韻に流れ去り索引に収まる、ある流れに身を浸すことだと考えてきた。”


(注2)ここでの“「メタ世界」にかぎりなく近づいているもの”とは、中井の言葉を借りれば、現前世界を超える“メタコスモスな「その人かぎりの世界」”であると考えられます。

 これらは、クリニカル・サイコロジスト中井久夫の『徴候・記憶・外傷』(2004.4、みすず書房)からの引用です。「仕事と関わりながら生きていく自分にとっての意味を追求し獲得していく過程」としての「キャリア」を考えている私は、ここから挑発され、次のような思いをめぐらせることができそうです。

 人は、過去と未来と現前を“息づまるように交錯”させながら、自分史連続体として生きていきます。その生きざまは、過去からの余韻と索引が豊かで、未来に向かう予感と徴候に満ちているならば、実り豊かなものになるでしょう。そのためには、手がかりとしての索引と徴候を感じ、思い、イメージし、閃くこと、言い換えれば、生き生きとして豊かな気づきが日々生み出さなければなりません。次に、若者のキャリアは、より多く豊かな予感と徴候に生き、他方、中高年者のキャリアは、より多く豊かな余韻と索引に生きることができるのかもしれません。しかし、現実の個人は両者のあいだを往ったり来たりしながらキャリアを育んで行くように思えます。

  また、キャリアは、節目ならびに普通に日々における外的キャリアと内的キャリアとの、現在を中心軸とするカイロス的(同心円的)な統合と、過去記憶から未来展望に向かうクロノス的(通時的)な統合との、二重構造を内包していることが分かります。さらに、私は、引用した最終の文章をキャリアの視点から敢えて逆読みする誘惑に駆られます。「私のキャリアとは、余韻と索引から予感に流れ去り徴候に収まる、ある流れに身を浸すことだと考えている。」と。いずれにせよ、中井のこの本は、キャリアを考えるうえで、目も眩むような、余りにも刺激的な示唆に富む言葉に満ちています。 (未完)



キャリア・カウンセラーのつぶやき  第二部
5.仕事の体験の風化またはキャリアにおける無名性について

     人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 私は、昨年の拙稿「体験からキャリアへー暗黙の意味を通じてー」(電子マガジン17号)において、上司と部下の相互関係といった日常的な仕事の体験過程のある局面を例にとって、次のように述べました。日常的な仕事の体験過程のある局面を“解きほぐす”ことによって、人はその過程局面がもつ多面的な局面内容(コンテンツ)に関するさまざまな“感じ、思い、イメージ、閃き”(以下「フェルト・デイタム」(注1)と総称)が生み出され、実感として流れていることに“気づき”ます。“第一の気づき”です。
  次に、気づかれた「フェルト・デイタム」には、何かの喜怒哀楽・怨憎会苦などの情動(エモーション)と伴に、例えば“誇らしさ、期待感、自負心、感謝、尊敬、私淑する心、あるいは疑惑、批判的な感情、侮蔑感”などといった“自分にとっての意味、価値、信念、その他の認知”(以下「暗黙の意味」と総称)が含まれていることに人は“気づき”ます。この“気づき”は“第二の気づき”です。“気づき”とは共にまさに創造的な発見と言えます。“暗黙の”とは、さしあたり、“気づかれているけれども、未だ自分の言葉で語られていない”ということです。
 さらに、普段に仕事することをこのように“解きほぐす”ことを進めていけば、人は誰でも自分なりの「暗黙の意味」に気づき、次にそれを言葉で言えば何であるかを明らかにすることができるようになる、と一般化しました。そして、言語化された「自分にとっての意味」こそが、「仕事に関わって生きていく自分にとっての意味を追求・獲得する過程」としての「内的キャリア」を創生・開発していく、という仮説を提示しました。

 しかし実は、この仮説には、容易ならぬ「落し穴」があることにすぐ気がつきます。日本の伝統的な企業組織において我々が長年経験してきた職場の風土や構造等の実態を顧みるならば、先ず、日々の仕事の体験のプロセスのなかで、「フェルト・デイタム」への気づきがそれほど容易には生みだされるとはとても思われません。従ってまた、「フェルト・デイタム」に含まれる「暗黙の意味」への気づきもそれほど容易には生みだされるとは思われないのです。さらに言えば、「暗黙の意味」を言葉で語ることは、もっと困難なことに思えます。特に、「暗黙の意味」が、組織の中で公式に流通する言葉で明確化されるのではなく、「私の言葉(パロール)」によって多分に曖昧さを含んだまま探索的に語られることは、現場の日常の中に置かれた個人にとってはきわめて困難な営為であると思われます。従って、仕事の体験から「暗黙の意味」を経てキャリアの創生・開発へ至る仮説の成立を阻むこれらの「落し穴」は、現実の仕事の体験のプロセスのなかで我々がいとも簡単に陥りやすい、恰も氷河のクレバスに似た亀裂だという捉え方が必要でしょう。個人は、日々刻々に流れる仕事という氷河に潜む幾筋かのクレバスを越えなければならないのです。個人にはそれだけの心構えと方略が、同時に、組織にもそのような課題を背負う個人を支援するだけの経営ビジョンと戦略が求められます。本稿では、個人や組織がとるべき方略や戦略などを考察する前に、一見楽観的とも思えるこの仮説の成立を阻む恐れがある、仕事の体験過程上に走るクレバス(亀裂)について臨床的に検討しておくこととします。

 第一の亀裂は、「フェルト・デイタムへの気づき」は容易には生みだされない、というクレバスです。「フェルト・デイタム」そのものは、仕事体験のなかで何かを“感じ、思い、イメージし、閃いた”ものですから、知覚した情報です。この情報を捉えた「わたし」は、「即自」(注2)としてあるがままの「わたし」です。ここには、「気づく」ことの主体としての「わたし」はおりませんから、当然にも如何なる「気づき」も起こりえません。「フェルト・デイタムへの気づき」が生み出されるためには、「即自」としての「わたし」を映し視る眼が必要であり、その眼をもった「わたし」の存在が必要になります。言い換えれば、「対自」としての「わたし」が「気づく」ことの主体です。「即自」としての無媒介的で直接的な「わたし」から「対自」としてのより自覚的な「わたし」への変容には、「即自」として剥き出しの「わたし」を映し視る眼の獲得という媒介が必要な条件となりますが、眼の獲得という媒介は、現実の仕事体験の現場において決して容易なこととは言えません。もし、「即自」として剥き出しの「わたし」を映し視る眼の獲得に成功しなければ、「即自」としての「わたし」が豊かに感じている「フェルト・デイタム」は「わたし」に気づかれることもなく、過去という時間の深い闇の中へ風化していくことになるのではないでしょうか。日々刻々の仕事体験が過去の闇へ風化してゆくという悲しい慣性は、人が抱え込まざるを得ないものですが、それはここから始まるのではないでしょうか。人が自分を映し視る眼の獲得という媒介を得ることは、日常の慣性に耐えて「フェルト・デイタム」に意識を集め、探照する、より高い自覚的な営為によって初めて可能となると思われます。個人にとって「気づき」が創造性の原点であり、自己変容の第一歩であるということは、日常における「フェルト・デイタム」風化への慣性に耐え抜かれたこととして了解しうるのです。

 第二の亀裂は、“感じ、思い、イメージ、閃き”に含まれる「暗黙の意味」への「気づき」もまた容易には生みだされないことです。仮に「わたし」が「対自」への変容を遂げ、何らかの「フェルト・デイタム」の流れに気づくことができたとしても、そこと「暗黙の意味」への“第二の気づき”との間には深く危険なクレバスが横たわっています。何故なら、「フェルト・デイタム」は、先ず喜怒哀楽・怨憎会苦などの情動として感じられるからです。仕事を体験する過程において第二の亀裂を超えようとするための何の営為もなしえないならば、人は最初に感じられた情動の消失とともに、折角の内面の動きそのものも消失させてしまうことになるでしょう。これもまた仕事の内的現実であり、仕事の日常的な慣性をなすものです。内面の動きそのものが情動とともに消えてゆくという日常的な慣性に耐えながら、暗黙裡の世界で“感じられた何かは一体何であるのか”を探し求める心の動きが求められます。「対自」としての「わたし」によるこのような心の動きによって、初めて「わたし」は「フェルト・デイタム」に豊かに含まれるもうひとつのプロセスである「暗黙の意味」への「気づき」に到達することができます。
 従って、“第二の気づき”までの道のりもまた「創造的な発見」の旅だと言えるでしょう。その旅は、個々には切れ切れでバラバラな仕事の体験が風化と無意味性に耐えて、「意味」を獲得することによる「わたし」という全体性と個別性に向かう運動としての旅である、と理解することができるでありましょう。ここで、仕事の体験が「暗黙の意味」に気づかないことによって齎される無意味性が、「内的キャリア」の無名性を運命づけています。「わたし」という全体性と個別性に向かう運動としての旅は、無名性という運命をも背負わされた「内的キャリア」の最初の姿であると言ってよいでしょう。

 第三の亀裂は、気づかれた「暗黙の意味」を言葉にすることのほとんど絶望的なまでの困難さです。人が風化と無名性に耐えて「感じられたものやこと」の記憶を絵や言葉にする戦いの困難さ、過酷さ、重い負担などについては、すでに、画家・詩人・小説家・臨床心理学者などによりさまざまに語られている様子を見ました(電子マガジン第18号「記憶からキャリアへ」)。また、「暗黙の意味」を語ることが「意味を生成する」ことと同じ意味であるならば、意味を生成するために使われる言葉は、「自分の言葉」(パロール)なのか、世間で流通している客観的な言葉(ラング)なのか、あるいはそれ以外(例えば、特定のコミュニテイ―で使われる言葉)なのか、についても賑やかな議論があるようです。日常における切れ切れでバラバラな仕事体験の風化と、何の意味も与えられないという文脈での無名性も、最終的には、「暗黙の意味」の言語化がなされず、従って体験が何らの「意味」も創生しえなかったことによって確定されることになります。「わたし」という全体性と個別性に向かう旅としての「内的キャリア」が内包する本質的な無名性の根拠を、第三の亀裂に指摘することはさほど困難ではないと思われます。なお、「内的キャリア」の無名性は、「外的キャリア」がもつ本質的な有名性とアンビバレントな、キャリア開発上の葛藤を生みがちな関係にあることに留意したいと思います。
 ここまでの「わたし」は、まだ自分だけしか存在しない世界を前提としています。言うまでもなく、人間は生れ落ちたときから本源的に社会的な存在であり、現実の「わたし」は、常に他者の存在を自らの存在のアプリオリとして生きております。

 第四の亀裂は、「フェルト・デイタム」と「暗黙の意味」への豊かな「気づき」、ならびに「暗黙の意味」の多様な言語化が、仕事の現場での日常的な他者との関わりの中で、さらにその関わりが作り出す組織というコミュニテイ―の風土と構造の中で、なされなければならないことの実際的な困難さです。個人が、仕事の体験に走る深い亀裂を越え、豊かな「気づき」と「意味」を生み出すことができるためには、“生き生きとした普通の日々を仕事の現場に創り出す”ことが、個人と組織にとって最も重要なテーマになると考えます。私は、「生き生きとした普通の日々を仕事の現場に創り出す」マネジメントの革新こそが、個人と組織が共生に向かう関係を創造するための中心的な課題であると考えています。このようなマネジメントを、私は「気づきのマネジメント」と呼びたいと思います。「気づきのマネジメント」の中では、個人には、体験の亀裂を超えて生き生きとした普通の日々を創り出すだけの覚悟と工夫と方略に基づく意識と行動の変革が求められます。同時に、組織のコミュニテイ―には、仕事体験の亀裂を越えて生き生きとした普通の日々を創り出すことで、積極的にキャリアを創生・開発しようとする個人に対する多面的な支援施策と、その前提になるビジョンおよび戦略の転換ならびに組織風土・組織構造の変革という重たい課題が課せられることになると考えます。このテーマについては、稿を改めることにいたします。  (了)

  (注1)felt datumはE.ジェンドリン,“Experiencing”1961参照
  (注2)即自、対自,対他は、城塚登「ヘーゲル」,1997参照        



キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
6.個人と組織の共有ゾーンを仮説する        人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


 従業員と会社の関係を本質的な矛盾・対立関係としてだけで捉えるのではなく、本質的な矛盾・対立関係という側面を承認しながらも、寧ろ、矛盾・対立関係を超えて「個人と組織の共生」の関係を追求するという課題が叫ばれ始めてからすでに久しい。労働者側やキャリア開発支援の専門家側からだけでなく、先見的な経営者側からも、今後の経営課題として「個人と組織の共生」への志向が語られるようになった情況を見る限り、この考え方が労使間で共有可能であるように見えます。しかしながら、わが国の企業社会の実態に少しでも踏み込んでみれば、単に中小・零細企業だけでなく、中堅・大企業においてすらも「個人と組織の共生」の追求はいまだ単なるスローガンか一つのビジョンに留まっていると言わざるを得ません。今日、組織に帰属する個人は、未来における共生を願いながらも、依然として組織に対して隷属的、依存的であり、過剰適応を止めてはいないことは、うつ病発症や中高年自殺の急増を持ち出すまでもなく、明らかでしょう。加えて、そうした個人は、そうした自らの姿に薄々気づいていながらも悲劇的な仕事体験を言語化できずに風化させてしまっていて、抵抗や怒りの感情を表明することもできないでいる現実が存続しています。私は、現代のこのような個人の本質を、敢えて「無口な苦悩者」と呼びたいと思います。では、このような企業社会の現実のなかで、どのようにしたら「個人と組織の共生」という未来志向的な理念を実現することができるのでしょうか。本稿では、このことについてキャリア・カウンセラーの立場から少しく考え、実現への道筋をざっと素描してみたいと思います。
 結論から言えば、個人と組織とは、「キャリアの創始・開発」を起点とした経営ドメイン上の実体として「個人と組織が共有するゾーン」あるいは「個人と組織の境界を超えるバウンダリーレス・ゾーン」を設定、構築することによって、「個人と組織の共生」を実現することができるのではないか、という仮説を提示したいと考えます。
 「共生」のビジョンを支える経営実体としての「個人と組織の共有ゾーン」あるいは「個人と組織のバウンダリーレス・ゾーン」とは何でしょうか?筆者は、次の4つの経営ドメインを現実に設定可能なものとして指摘したいと考えます。何れも、今後の企業経営に革新を迫る未来志向的なアプローチです。一つは、「個人と組織とによる暗黙の意味と暗黙知というタシットなリソースの共有」、二つは、「個人と組織とによる新たな労働契約関係の共有」、三つは、「個人と組織とによる目標方略の共有」、四つは、「個人と組織との間における要求と報酬のレシプロカルなネゴシエーション・システムの共有」です。

 個々の「共有ゾーン」について少しく補足します。先ず、「タシットなリソース」は、個人から見れば、個人が仕事の体験過程の中から創始・蓄積する暗黙の意味・価値・信念・その他の認知と暗黙知、すなわち内的キャリアです。組織から見れば、個人が保有する暗黙の意味・価値・信念・その他の認知と暗黙知の集合体としての集合的無形資産です。
 次に、「新たな労働契約関係」は、個人から見れば、仕事をすることと、仕事の体験過程や仕事の長年の経験を通じてキャリアを創始・開発すること、の権利および義務を明示する契約への積極的なコミットメントです。組織から見れば、仕事をすることに関する双務的な就業実務契約と、個人のキャリア創始・開発に関する本質的な関係契約とによって構成される新たな労働契約へのコミットメントです。(注1)
 三つ目の「目標方略」は、MBOの目的に関わることですが、個人から見れば、単に組織目標を如何に個人目標として内在化できるかに留まらず、組織に対してキャリア・ゴールに繋がる個人目標の組織化を要求していく指向です。他方、組織から見れば、キャリア・ゴールに繋がる個人目標の裁量権や組織化を如何に容認できるかに留意しつつ、組織目標の個人内在化と目標連鎖への指向を意味します。
 四つ目の「要求と報酬のレシプロカルなネゴシエーション・システム」は、個人と組織の双方の視点から見て、(1)個人の組織に対する役割・職務の要求と、組織の個人に対する期待役割・業績(成果)の要求、(2)個人の組織に対する業績(成果)の報酬と、組織の個人に対する処遇の報酬、というレシプロカルな均衡状態への指向であり、それを可能にする相互尊重的で相互選択的な話合いです。話合いは、当にキャリア・ネゴシエーションと呼ぶことができます。(注2)

  何れの「共有ゾーン」の設定・構築にも、大きな困難が伴うことは言うまでもないことでしょう。何故なら、どれもが経営・人事パラダイムの転換と企業人の意識・行動の変革なしには到底実現できないと考えられるからです。しかし、ここでご留意してほしいことは、4つの「共有ゾーン」の何れもが共通して「キャリア」に関わるものであり、「キャリアの創始・開発」が「共有ゾーン」を実体として設定・構築するための起点となっている、ということです。さらに言えば、「共有ゾーン」の設定・構築のトリガー(引き鉄)は、組織が仕事の現場に生き生きとした普通の日々を創りだすことによって、個人が高い納得感に充ちたキャリアを自立的に創始・開発しつつあることを実感しながら日々の仕事をすることができる、ということであろうと考えます。そのためには、個人が仕事の体験過程から産み出すフェルト・センス(感じ・思い・閃き・イメージなど)(注3)を、お互いに大切にし交換し合う組織風土づくりが、求められると考えます。     (了)

(注1)P.ヘリオット&C.ペンバートン“Contracting Career”,1996を参照
(注2)キャリア・ネゴシエーションについては同上論文を参照
(注3)E.ジェンドリン著,村瀬孝雄訳『体験過程と心理療法』、1981,ナツメ社を参照



キャリア・カウンセラーのつぶやき 第二部
7.エレニの旅またはキャリアの滴り         人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


アレクシス「昨夜、夢で君と二人で河の始まりを探した。老人が案内してくれた。のぼるにつて
     河は細い流れに分かれた。雪をいただく山頂のあたりで、老人が青々としたひそや
     かな草原をさし示した。茂る草の葉から水がしたたって、柔らかな地に注いでいて、
     ここが河の始まりと老人が言った。君が手を伸ばして葉に触れ、水滴がしたたった。
     地に降る涙のように」
終章   床に膝をついたエレニ。這うようにヨルゴスの死体にじり寄っていく。バルコニー
     の先には満々と水をたたえた水面が広がる。


 2005年4月に日本公開されたテオ・アンゲロプロス監督の「エレニの旅」のラスト・シークエンスである。アレクシスはエレニの夫。ギリシャから単身アメリカに渡り、米兵として沖縄の慶良間諸島で戦死する。ヨルゴスは二人の息子。ギリシャの内戦で戦死した。ロシヤ革命が起こり、オデッサを脱出するギリシャ人難民の一人エレニの旅は、“君が手を伸ばして葉に触れ、水滴が涙のように滴り、柔らかな地に注いで始まる河の流れ”のように始まる。愛する子の骸が横たわり、その向こうに大きな水面がスクリーンいっぱいに広がる終章の光景は、エレニの旅の現在風景に他ならない。アンゲロプロスは、エレニの旅のクロノス的世界の現在をそのように見せながら、同時に、既にその時は死んでいた最愛の夫の慶良間からの手紙の声を同じシークエンスに重ねる手法によって、彼女の旅のカイロス的世界をも暗示する。

 河の始まりには、微かな指先がある。そっと触れる精妙な動きがある。葉がある。滴る雫がある。柔らかな地がある。そして、流れが生まれる。何という湿潤な空気と、精妙な動きと、何の囚われも感じられない、純粋さに満ちた時空間であろうか!エレニは、水の流れの感触が溢れた旅をそのような時空間から始め、苦節に満ちた旅を生きる。私は、人が数十年もの間仕事に関わりながら生きていく時空間をキャリアという言葉で表現することができる、と既に述べてきたが、働く人が生きるキャリアは、エレニの生きた旅のように、その人の生きていくことそのもののメタファーでなる、と言える。

 日々刻々に仕事をする人の内側を凝視してみると、そこに‘湿潤な空気と精妙な動きと囚われのない純粋さに満ちた時空間’が広がっているではないか。その時空間で、仕事をしているときの意識の触手が微かなに動く。その動きは、歓びに溢れているようにも、苦しげなようにも見えるかもしれない。何かを探り、焦点を当てようとして意識の手が触れるのは、仕事を体験しつつある意識の襞。すると、意識の襞から感情の雫が滴る。雫は、感じ、思い、閃き、イメージしたものたち(フェルト・センス)だ。フェルト・センスは、仕事をする人が‘湿潤な空気と精妙な動きと自由な純粋さに満ちた時空間’を自身の内側に確保しえたときにのみ生まれ出る。滴る雫はやがて柔らかな意識の底に落ち、一つの流れになる。流れとは暗黙の意味と知の世界。フェルト・センスには、暗黙裡に意味と知が含まれていることに気づくこと、さらには、暗黙の意味と知を言語化する前に風化させないこと。これらが、仕事をする人の内的意識の営みにおいて、日常的な重たい命題になるであろう。

 もし、仕事する日常において自ら怠惰、放縦、思考停止、感情制止などに流され、あるいは他者から疎外、無視、抑圧、暴力などが働くならば、働く人の意識内部のあの純粋な時空間は凍結し、意識の触手は動かず、フェルト・センスの雫は滴らず、暗黙の世界への気づきはついに生まれないであろう。こうした事態を、私は、仕事体験の風化、仕事体験を言語化することができないことによるキャリアの無名性と指摘したことがある。

 では、仕事の日常における内的意識の営みを、働く人自らはどのようにファシリテートすることができるのであろうか。
 仕事をすることの体験の過程は、「常に今この瞬間に生起」する「直接的なレファラント」であるから、人は意図してその過程に問い合わせ、マージナルな何ものかを探り、ついにはそれが何ものかを言葉に置き換えることができる(E..Gendlin1961)。私は、ジェンドリンの主張に依拠して、仕事の現象的な場において感じられた有機的な体験過程の内容を直接問い合わせる意図的な営みを、「仕事をすることの解きほぐし」と命名している。具体的にそれは、例えば、仕事の現場で人があの純粋で囚われのない時空間を確保し、そこで自らの意識の触手を次のように動かして自らの意識の襞に触れようと努める営みである。

1.私は現在どんな仕事に取組んでいる?(do)
2.私はその仕事をしていると、何かはっきりしないモヤモヤしたものを感じている。(feel)
3.私は今感じている‘何かはっきりしないモヤモヤしたもの’が何なのかに意識を当ててみる。(focus)
4.すると次第に、‘何かヤモヤしたもの’が、その仕事をどう思っているのか、どう感じているのかについての私の感じ方としてはっきりしてくる。例えば、今の仕事が“好きか・嫌いか、やりたいか・やりたくないか、ワクワクするか・バカバカしいか、楽しいか・辛いか、もう耐えられないか・まだ耐えられるか、自分らしくやれそうか・自分らしさは生かせそうにないか“などを感じる。(felt senseへの気づき)
5.私は、私が今感じていることが、自分にどのようなことを教えてくれているのか、どのような意味を語っているのか、あるいは、私が今感じていることの中にどのような意味や価値などが含まれているのか、に意識を向ける。(shift sense)
6.すると私は、私が感じていることの中に、いまだ言葉にはならないけれども、私が今の仕事をしていることについての、自分にとっての様々な意味、価値、信念、その他の受止め方や、あるいは、仕事するための知識、スキル、ノウハウ、コツ、勘所などが含まれていることに気づく。具体的にそれらは、「仕事の重要性、仕事の自律性、仕事の完結性、仕事に求められるスキル多様性、仕事自体からのフィードバック」(平野光俊、1994)についての意味や価値などである。(tacitな意味と知への気づき)
7.暗黙の意味と知には、”では、私は仕事でどうありたいか、どういう仕事をしたいのか”、そして、”では私は具体的にどうしたいのか”といった未来志向的な問いと答えも含まれる場合もあるかもしれない。(Vision)
8.私は、今感じている暗黙の意味と暗黙知を自分の言葉でどのように言うか、を考える。(パロール化)
9.私は、私が感じていて自分の言葉で言えた意味と知を、今度は時代や世間や組織固有に流通する言語に置き換える努力を行う。(言語化)
10.私は、この言語化が出来たことによって、新しい意味と知を生み出すことができた。(意味と知の創始・開発)
  仕事に関わって生きていく日常的な体験過程の内容は、一般化することが可能であるが、同時に属人的であるから、限りなく多様な体験内容でありうる。上記は、その一例である一般的な職務特性認知を体験内容とする意識の営みである。

  ところで、意識の触手が触れて滴った雫は、暗黙の世界の無名性を克服して、言語化された意味と知を創始するが、「人が仕事に関わって生きていく自分にとっての意味を追求・蓄積する過程」を内的キャリアと定義する筆者の立場からすれば、‘湿潤な空気と、精妙な動きと、何の囚われも感じられない、純粋さに満ちた時空間’という場こそが、働く人の内的キャリアの源流の地である、ということになる。そして、その時空間で、意識の触手からこぼれるフェルト・センスの雫は、内的キャリアの滴りであると言える。

  キャリアは、かくして河の流れのようであるかもしれない。河の流れが蛇行、分岐、合流、堰止め、落下、海への消失などするのに似て、キャリアもまたその流れの途上で偶発的または計画的なトランジション(転機)に遭遇することは避けて通れない。だからといって、キャリアにとって死活に関わる重要な課題は、トランジションやデザインの課題ではありえないであろう。それらよりも寧ろ、働く人の内的キャリアの源流の地である、あの‘湿潤で、精妙な、何の囚われもない、純粋な時空間’を組織と経営がどのように確保し、支えることができるかということが、重要な課題になると考えるべきではないだろうか。私は、意識の雫の流れから始まる内的キャリアの創始のメカニズムを内包しない経営・人事の考え方やキャリア論のあり方には、何がしかの不全感を感じざるを得ない。  (了)



キャリア・カウンセラーのつぶやき  第二部
8.踊りませんか? 夢の中へ             人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


探しものは何ですか?/見つけにくいものですか?/まだまだ探す気ですか?/それより僕と踊りませんか?/探すのをやめたとき/見つかることもよくある話で/踊りましょう夢の中へ夢の中へ/行ってみたいと思いませんか?(井上陽水「夢の中へ」から)

  ニート・フリーターと呼ばれる若者たちが陥っているらしい「困難な状況」を、「刹那に生きる」、「つながりを失う」、「立ちすくむ」、「自信を失う」、「機会を待つ」という5つのキーワードにパターン化した研究がある(労働政策研究・研修機構「労働政策研究報告書No.4」、2004年)。5人の若者たちはそれぞれ、朝ちゃんと起きられる自分、他人と楽しげに話ししている自分、かっこ良く疾走している自分、ゆったりとして信じられる自分、意外な幸運、を探しているように見えます。この5人に共通して言えますが、君たちは、きっと何かしら「探しもの」があって、まだまだ探す気だ、ということらしい。
  正直に白状すると、中高年ドップリの私にも、依然として「探しもの」がまだまだあります。その点では君たちと同じです。ただし、もし私が君たちと違うところがあるとすれば、「探しもの」が一体何なのかを言葉で語ることが出来るかどうかということと、何処に探しに行こうとしているのか、ということにおいてでしょう。
  君たちの「探しもの」が一体何なのかを、自分の言葉で人に語ることが難しい人が多いようですね。じゃ、君たちの「探しもの」が一体何なのかを、もう一度じっくり考えてみないか? そして、それを君たちの言葉でどのように言うことができるのか、もう一度考えてみないか?おそらく、そこから出発し直さない限り、あの「困難な状況」から抜け出すことは出来ないのではないでしょうか。「探しもの」って、ひょっとして君たちがいま漠然と感じたり、思ったり、閃いたり、イメージしたりしている自分の中の「夢」の裡にしかないと思っていませんか? そうだとしたら、ちょっと視点を変えてみてはどうだろうか。つまり、「探しもの」はひょっとして自分の外の「夢」の裡にあるのではないか、という具合に。
  私の場合を言えば、今にして思えば、「探しもの」は、‘日々刻々と仕事に関わって生きてゆく’ という「夢」の裡にある、と思います。つまり、汗と涙にまみれた日々刻々の仕事の体験という外の「夢」です。そこで喜び・怒り・哀しみ・愉しみなどの感情をせいいっぱい表出しながら‘踊り’続けると、私の「探しもの」が、実は「日々刻々と仕事に関わって生きてゆくことの私にとっての意味や価値の世界」にほかならないことに気づきました。私は、多様で豊かな意味や価値に溢れた新たな「夢」ワールドに、私の「探しもの」があると確信しています。
  君たちも、腰掛け気分でなく、お試しでなく、こわごわでもなく、仕事にぶつかって日々刻々に体験しながら、そこから生まれる君たちの感じ・思い・閃めき・イメージに意識を集中させ、それを自分の言葉に置き換えてみないか。仕事といっても、有償から無償まで、職業から諸活動、家事、育児、介護、諸運動、仕事を探すという仕事まで、多様な実践的行動を指していて、非常に幅広い。どんな仕事でもよいのです。その仕事に‘踊ってみませんか’。自分の中の「夢」の裡だけに「探しもの」を探すのはひとまずやめて、仕事の体験という新たな「夢」の中に「探しもの」を探ってみては如何でしょうか。
  私は、多様で豊かな意味や価値に溢れた新たな「夢」ワールドを「内的キャリア」と呼んでいます。それは、過去から現在を経て未来に続いていて、しかも自分だけでなく、家族や自分にとって大切な人たちとも関わる空間にまで広がっています。
  では、私は何処に「探しもの」を探しに行くのでしょうか。其処は、‘日々刻々と仕事に関わって生きている’現場にある「湿潤な空気と、精妙な動きと、何の囚われも感じられない、純粋さに満ちた時空間」(拙稿参照)という私のこころが営む場です。その時空間が、「探しもの」を探す心の営みの源泉地なのです。「探しもの」は決して、私自身の極私的に育んできた「夢」の中にも、単なる懐かしい過去の回顧にもないだろうと思います。君たちにも仕事に身体で‘踊る’なかで、こころの「湿潤、精妙、自由で純粋な時空間」を営み、育み、そこに新たな「探しもの」を見つけて欲しいと願うばかりです。
  ところで、君たちの親世代である日本の中高年が立派に仕事を‘踊る’なかから自分の「探しもの」を探し出しているのかといえば、実は必ずしもそうではない、という次のような実証的事実があります(2001.1笹沼修士論文) 。
「現在の日本の中高年ホワイトカラーにはキャリア志向性が不明確か無い者が多い」という仮説を、因子分析により検討したところ、2つの事実が発見されています。一つは、日本の中高年ホワイトカラーの少なくとも過半数に関しては、キャリア志向性(「探しもの」)の明確性を示す因子が見出されなかったという事実です。二つは、逆に見出されたものは、キャリア志向性についての「模索型の不明確さ」・「逃避的な漂流」・「組織への依存」という、3つのネガテイブなキャリア志向性様式(内的な在り方)(3因子の累積寄与率は58%)であったという事実です。日本の中高年だってこんな具合なのですから、君たちが焦って「探しもの」をする必要はないのではないか、と思います。あえて言えば、中高年も若者も、ほとんど同質な内的キャリアの未成熟という困難極まりない課題を抱えているのです。これを聞いて、少し安心しましたか?
  さて、‘探す’のをやめてみたらどうかということについて、もう少し考えて見たいと思います。J.クルンボルツ・スタンフォード大学教授は、若者がキャリアの意思決定をしない、或いはできないこと、即ち、キャリア優柔不断(Career indecision)を大いに歓迎すると言いました。優柔不断は、オープンマインド(openminded)という別な言い方に換えるべきだと主張しています。そして、若者に対して、キャリアの意思決定をせず自由であるために、計画された偶発性(planned happenstance)を現実のものにする具体的な行動を、日常心がけることを奨励します。そのような行動は‘好奇心・継続性・楽観論・リスクテイク・柔軟さ’に溢れたものであって欲しい、と述べています(2005.6来日講演’Luck Is No Accident’より) 。
  この考え方からすれば、ニート・フリーターと呼ばれる君たちが、何もキャリア上の意思決定をしないで、あるいはできないで、ひたすら探しものをしている状態そのものは、決して世間や親たちから一方的に批判されるべきことではないと言えるかもしれません。しかし、探しに行く場は、君たちが極私的に育んできた内側にある「夢」の中にではなく、現実世界での汗と涙に塗れた日々の行動であってほしい、ということに留意してもらいたいと思います。
  決して反語としてではなく、もう一度君たちに呼び掛けたい。そもそも探しものは何ですか? いったん探すのをやめて、踊りませんか? 踊る夢の中へ行ってみたいと思いませんか?                     



キャリア・カウンセラーのつぶやき  第二部
9.メタキャリア(meta-career)へのアプローチ    人間科学専攻2期生・修了 笹沼正典


1.記号的世界のメタキャリア
(1)キャリアについて、私は、私が仕事に関わって生きてゆく時空間において、本質的過程としての内的キャリアが軸となり、現象的過程としての外的キャリアとの葛藤と調整を繰り返しながら、私という全体性と個別性に向かって主体的に統合していく過程である、と定義しています。ここで、キャリアの内的側面を、個人が仕事に関わって生きていくことの自分にとっての暗黙の意味と暗黙知を主体的に創始・蓄積し、言語化していく本質的過程と捉え、この側面を「内的キャリア」と呼びます。他方、キャリアの外的側面を、社会的準拠枠で捉えた個人の仕事に関わる側面(職業・職種・役割・地位・業績・評価・経済的位置・発揮能力・組織内で共有化された形式知、等)を追求・獲得してゆく現象的過程と捉え、この側面を「外的キャリア」と呼びます。

(2)この定義に従えば、現象的な外的キャリアの背後にあって普段は人の目に見えないが、日常的な仕事の体験過程で暗黙裡に創始され意味と知が言語化され、人間関係の中で明確化される内的キャリアが、外的キャリアに媒介されてより高い具体性と論理性の次元に統合される内的キャリアの発達形態こそが、キャリア本質的なあり方である、と考えることができます。
 もし、metaを“above,beyond,behind”(OXFORD ADVANCED LEARNER’S DICTIONARY)と考えるならば、このように統合されたキャリアを、メタキャリアと命名することができるでしょう。
 ここで留意したいことは、ここは未だ、仕事の現実世界である外的キャリアは言うまでもなく、暗黙の意味と暗黙知の言語化という厳しい戦いを経てきた内的キャリアもまた記号的世界であること、したがって、外的キャリアに媒介されて統合された内的キャリアの発達形態としてのメタキャリアもまた、私の仕事における記号的な日常世界として把握されることです。記号的なメタキャリアは、限りなく定性情報化が可能であり、個人と組織にとってキャリア開発情報として活かすことができるであろうと思われます。

(3)記号的なメタキャリアの事例として、ノーベル賞受賞者の田中耕一さんの場合を推察してみましょう。ノーベル賞を受賞する前の田中さんの内的キャリアは、自分の専門的研究に自由に没頭することができ、研究成果をあげて、研究成果を組織内外(含む海外)に発表することに最大の価値を置き、それを中核にしていたと思われます。他方、彼の外的キャリアについては、例えば役職は主任研究員であり、係長以上の管理職位への昇進試験は一切拒否していたと報じられています。
  受賞後に田中さんの内的キャリアは、単に自由裁量下での自分の専門的研究への専念とその成果の発表ばかりでなく、自分の研究方法と若手研究者のための自由な研究環境作りに対する関係者の理解の獲得などへ、重視すべき価値の領域を広げていきました。他方、外的キャリアについては、文化勲章をはじめてとする社会的賞賛と高い社会的ポジションの獲得、社内的には役員待遇への昇進と記念研究所長への就任など、実に劇的な変化を経験しました。田中さんにおいて、内的キャリアの変容がノーベル賞受賞後の外的キャリアの激変に媒介されて起こり、その内的キャリアがより高次の具体性と論理性を獲得していった経過が見て取れます。即ち、内的キャリアが軸となって外的キャリアと統合することで成熟化した内的キャリアが、記号的な世界における田中さんのメタキャリアである、と言えましょう。

2.「メタ私」としてのメタキャリア
(1)仕事の実感(フェルト・センス)からの逆襲
 私の場合、仕事をしていると、「私」という全体は、私が知っている私を超える存在である、という実感に時々襲われることがあります。さらに言えば、実は誰も「私」の全体は分らないのだという実感から、私が逆襲を受けることがあります。別な言い方をすれば、「あるがままの私の全体」は私が語ることができる自分からはみ出してしまっている、あるいは、「私」は私が知っている以上の存在なのだ、と感じながら日々刻々に仕事をしています。嘗ても、そうでした。
 個人は、日頃、このはみ出した自分を感じ、抱えながら、日々の仕事をしているのではないでしょうか。同時に、「あるがままの私の全体」は、上司や人事部が知っている私からも大きくはみ出してしまっていることを実感しています。組織は、個人についての「知っていることと知らないこととの差異にある深い闇」を宿命的に抱えています。大切なことは、組織がこの闇の深さを自覚しているかどうかです。このことへの無自覚や錯覚が、しばしば個人に対する鈍感さ、傲慢、不当な対応などを招いていないでしょうか。個人を組織の中で支えつづけている信念の一つは、「私」が感じるこうした実感と実感から生まれる暗黙の世界なのだと思います。

(2)「メタ私」の出現
 さて、中井久夫(2004)は、「私が現前させていない多くが私でありうるというふしぎをふまえ、「メタ私」「メタ世界(メタコスモス)」という概念を導入して、私の精神科医としての営みの中で遭遇したものに適切な位置を与えようと試みた。」と言いました。「私の精神科医としての営み」を、一般に「私が仕事に関わって生きてゆくこと」と置き換えることができるでしょう。私には、記号化(あるいは言語化)された内的キャリアを超える世界が存在する、という思い(フェルト・センス)が感じられます。その世界が、「私のメタコスモス」、短縮して「メタ私」です。(なお、中井は、「超越的」という言葉を使うことをためらって、「メタ」と言っていることにも留意しなければなりません。)
  「私を押し包んでいたの(香り)は、この、かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯でもあった。アカシアは現在であった。桜は過去であり、金銀花はいまだ到来していないものである。それぞれに喚起的価値があり、それぞれは相互浸透している」と言うとき、中井は記号化された内的キャリアを超える世界を示しています。『私は私の「メタ私」を充分に知ることはできない。知ろうとするこころみの多くは幸いにも挫折する。』(中井、前掲書)なお、この世界を記号(あるいは言語)によって定性情報化し、キャリア開発に活かしていくことは、殆ど不可能に近いことは言うまでもないでしょう。

(3)「メタ私」を成すもの
 「メタ私」を創りあげる「予感と徴候、余韻と索引は、現実には、ないまぜになり、あざなえる縄のようになって現れる。」「徴候とは、必ず何かについての徴候である。それが何かは言うことができなくても、何の徴候でもない徴候というものはありえない。これに対して予感というものは、何かをはっきり徴候することはありえない。それ(徴候)はまだ存在していない。しかし、それはまさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。」「私が言う索引は必ずしもことばではないが、過去の何かを引き出す手がかりである。これに対して余韻はたしかに存在したものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。」(中井、前掲書)

 『「予感」と「余韻」は、ともに共通感覚であり、ともに身体に近く、雰囲気的なものである。これに対して「徴候」と「索引」はより対象的であり、吟味するべき分節性とデテイルをもっている』。しかし、「徴候」と「索引」は、必ずしも言語化を前提としていない、と中井は言う。とすれば、私は、「予感」と「余韻」は、フェルト・センスの世界に属し、「徴候」と「索引」は暗黙の意味・暗黙知の世界に属すると考えます。「徴候」と「索引」を含む暗黙の意味・暗黙知のうち、言語化に成功したものが「意味と知」を形成し、内的キャリアを創始・開発する、と考えることができます。

3.新しいメタキャリアを提示する
  「生きるということは、予感と徴候から余韻に流れ去り索引に収まる、ある流れに身を浸すことだ」という中井久夫の言葉ほど見事なメタキャリアの定義はないのではないか、と思う。
 例えば、P.ゴーギャンが「我々はどこから来たのか、我々は何ものなのか、我々はどこに行くのか」と題された最後の大作(1897)を描くことは、「幻想・向こう側・野性・東洋・indian」という予感と徴候に満ちた世界と、「現実・こちら側・文明・西洋・sensitivity」という余韻と索引に満ちた世界、というゴーギャンにおける2つの「メタ私」を統合または再構成する営みであった、と言うことができます。(宮川淳1974)遠い本国に残した愛娘の急死を知らされ、衝撃を受けたゴーギャンが、ゴーギャンという全体性と個別性の回復に向かって再構築していくこの営みこそ、ゴーギャンのメタキャリアであると考えることができます。この営みは、記号も言語も超えています。

 メタキャリアは、仕事の体験過程が生み出す情動(エモーション)を引きずり、予感と余韻に満ちた実感(フェルト・センス)と、実感から気づかれる索引と徴候に満ちた暗黙の意味・暗黙知によって創られるメタコスモス、即ち、仕事に関わって生きていく「メタ私」と新たに呼ぶことができましょう。私は、新たに名づけられたメタキャリアこそ、まさに「私」という全体性と個別性に向かって主体的に統合していく生き生きとしたダイナミズムなのだ、と確信しています。    (了)

[引用文献]
 中井久夫2004「徴候・記憶・外傷」みすず書房
 宮川 淳1974「ゴーギャン 新潮美術文庫30」新潮社


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