リカレント教育の体現
文化情報専攻 2022年度入学 2024年度修了 内田 幸
「すでにご依頼はあったと思いますが、GSSC電子マガジンへの寄稿をお願い申し上げます。」と、「修士論文執筆奮闘記」の依頼を田中堅一郎先生からメールを頂戴しました。修士論文を書くにあたって、仕事との両立などで時間の確保にあえいでいたことは事実です。この奮闘記が修論の出来はともかくとして、書き上げることができたことの一例として、これから修論を書き上げる方の参考になるなら、意義あることとお引き受けすることにしました。
私のモットーは、「一生勉強、一生支援」です。高校3年生の大学進学の際、家庭の事情で大学進学をあきらめようかと悩みましたが、親がかりでなく生活費や学費を奨学金とアルバイトで賄っていこうと決意して、進学する道を選びました。学部卒業時にもっと学びたいという思いがありましたが、経済面で限界を感じ、社会に出ることにしました。
就職先は、高校生年限の生徒がドロップアウトをして大学入学資格検定試験(現在の高卒認定試験)合格と大学受験のために学ぶ予備校でした。高卒資格を取得して大学等へ進学する生徒に関わる仕事はとても充実しており、あっという間に30年近くが経過していました。私自身が勉強できなくても、ドロップアウトの状況から脱する「支援」ができる仕事に従事でき、満足をしていました。この間、勤務先は、業態変更、拡大をしていき、私自身の業務も通信制高校の自学自習コース、保育士専攻コースの担当兼務へと変化していきました。フルタイムの勤務をしながら、業務に必要と思われる保育士資格や日本語教師(420時間日本語教師養成講座)を取得できたので、仕事との両立の面では、まだまだ勉学をすることができるのではないかと思っていました。
日本語教育に興味関心を持った理由は、勤務する通信制高校に日本語指導が必要な中学3年生男子生徒が入学相談に来たことがきっかけでした。日本に来て2年以上経っているのに全く日本語が理解できない生徒を、高校生として受け入れることができないと判断し、入学をお断りしました。当時の同僚から、「国語の教員であるあなたが、なぜ日本語が話せないからと入学許可しないというのですか?」と、疑問を持たれました。国語と日本語は違うから、わたしは日本語がわからない生徒を受け入れることができないと答えたのですが、その時は感覚的なもので無理と言っているだけで、何の根拠もないままに返答したことに自分なりの答えを出したいと思い続けていました。まずは、420時間日本語教師養成講座で学び、修了をしましたが、国語と日本語の違いや日本語指導が必要な生徒の環境や受入れについて、しっくり行く答えは得られませんでした。2つの資格の取得を通してリカレント教育を実践していましたし、次のステップでこの答えを導き出したいと日本語教育が学べる大学院を探すことにしました。
勤務地が都内なので最初に出身大学の大学院を検討しましたが、通学型の大学院では仕事との両立が時間的に困難だとわかり、いくつかの通信制大学院の資料を取り寄せ、オープン大学院などの説明会に参加しました。2022年度入試のためのGSSCオープン大学院に参加し、専攻ごとの説明の中で、在校生からゼミの深い学びや仕事との両立をされているリアルな大学院生活を聞き、「ここだ!」という気持ちになりました。出張を伴う業務を担当しているので、2年間で修士を終えることに不安がありましたが、長期履修制度があることもGSSCを選ぶ大きな理由となりました。出願期限まであまり日がなかったので、2022年度入試の出願時に提出する研究計画書などを慌てて準備をしました。
私は大学を卒業して就職した会社に現在も勤務し続けています。2022年4月大学院入学をし、2025年3月修士を無事終了して、あと1か月で60歳の定年を迎えます。振り返れば、定年までに修士を終わらせる計画は、体力的にも精神的にもギリギリの選択でした。出張を伴う業務のため、ゼミや同期のゼミ仲間との勉強会や読書会などは、出張先のホテルから参加したり、レポート作成や修論の先行研究の参考文献や書籍や移動中の新幹線、特急列車などの中で読んだりしていました。1日24時間は誰にも共通に与えられていますが、その時間の使い方は人ぞれぞれです。3年間の大学院生活は、仕事、家事などのプライベート時間、これに学業の時間と3つのバランスをいかに取るかの思案と実行の連続でした。出張先は、片道7時間半の関西か、片道3時間の北関東が主です。関西方面の出張は、京都または新大阪の乗り換えを含めて4路線を乗り継いで行きます。PCが使える区間ではレポート作成や論文の打ち込み、PCが使えない区間はひたすら読書と、場所と時間を使い分けながら、期限に間に合うようにと追いかけられる毎日でした。たまに疲れて寝てしまったあとの罪悪感さえ、引きずる時間がもったいないと、挽回するために計画をリライトしてとにかく前に進むしかないという日々でした。出張業務の主なものは、1日平均6コマ程度の授業と生徒と同宿の引率指導業務で、最低2泊3日から最長9泊10日の出張期間になります。大学院入学してから徐々に出張回数が増加し、3年目の修論を作成し始めた9月以降、この出張業務がピークになり、1か月のうち自宅にいたのはたった5日間という月もある中で修論の執筆作業をしていました。
指導教官の保坂敏子先生は、2025年3月にご退官になることから、2022年の入学時のゼミ生を最後にされていました。2022年度は博士課程を含めて50名近くのゼミ生がいました。2023年3月、2024年3月に諸先輩と2年履修の同期生が修了していく姿は晴れ晴れとしていて、かつ達成感を傍でも感じました。1年後自分もこの仲間入りができるのかと心底心配になったのを昨日のことのように思い出します。最後のゼミ生は私ともう一人の2人きりになるため、ゼミも修士課程の2人で行う回と、別に博士課程の先輩方との合同ゼミにも参加することになりました。二人きりのゼミで、互いの修論を進められるのか一抹の不安もありましたが、博士課程の皆さんには、合同ゼミで深いコメントをいただくことができ、自分の研究に足りない箇所の大きな気づきにつながりました。大変感謝しています。
市ヶ谷の研究室が自宅の沿線にあることもあり、保坂先生の研究室にも伺って直接ご指導をいただくことができたことは、大変ありがたいことでした。また、自分の研究方法を学ぶ学会が市ヶ谷で開催されるので参加する予定ですと保坂先生にお伝えすると、「私も参加します」とおっしゃって、対面の学会に初めてご一緒いただきました。他の大学院を修了した知人に、この話をすると、「えっ、あなたの研究方法を知るために、指導教官の教授が一緒に行ってくれるの?」とびっくりしていました。これだけ熱心にご指導いただく先生に巡り合えたことも、社会人でも学ぶ機会を与えてもらったことも、自分自身が教員として、生徒・学生に同じ想いを持っていきなさいと、保坂先生から教えていただいたことと受け止めています。
保坂先生からいただくレポートや修論のコメントは、すぐに答えが出ない、どこをきっかけに軌道修正すればよいか考えさせられるものでした。1年目、保坂先生から「国語の先生なのに…この文章の書き方でいいですか」「内田さんは発表など、お話しとしてはとても面白いけど…」と言われたことから、主観的に表現することから脱却する戦いが始まりました。このやり取りは1年生で履修した科目のコメント、修正の往復が12回という数字で残っています。こんな出来の悪い50代の学生が最後のゼミ生になり、保坂先生のお手を煩わせてしまったと恐縮しています。保坂先生のコメントは、夜中2時を過ぎて送られてくることもあり、1時半に就寝して6時に起床の睡眠時間4時間半を日常のサイクルにしていた私にとって、保坂先生はいつ寝ていらっしゃるのだろうと不思議でなりませんでした。出勤時朝メールで先生からのメッセージがあったら、お昼休みにコメントの内容を確認して、仕事が終わって10時以降に加筆修正をし始めるというスケジューリングをするようになりました。
最後のゼミの同期生となったIさんは、ハードなお仕事を抱えて大学院生と社会人の2足のわらじを履いていて、共感することも多いかけがえのない存在でした。Iさんは香港在住で、学生である間に会えた日は数えるほどしかありませんでしたが、LINEやメール、電話でどれだけお互いを励ましあったか数えきれません。体調が思わしくない時も、仕事が立て込んで続けることが難しいと思われるときも、「あきらめたらだめだ、二人きりのゼミ生なのでどちらかがドロップアウトをしたら、お互いに終わってしまう」と思い合っていました。提出物の体裁や内容のチェックや業者への依頼の締切日などを確認し合うのも、二人きりで進めていきました。今更ですが、一人きりだったら見落としや間に合わなかったなどという事態もあったのではとひやりとします。修論の口頭試問の指摘を修正して提出する締切の最後の最後まで、「いついつまでだよね」と互いに確認していました。修了証書授与式の日、Iさんが宿泊するホテルに出向き、朝食バイキングを一緒に食べて、武道館に向かいました。卒業式の武道館の隣り合う席で、互いに支え合ったと感慨深いものがこみ上げてきました。
修論はゼミ生同士のピアが欠かせないものです。しかし、ゼミ生が二人きりとなった私たちは、修了生の方に直接お願いをすることになりました。2年前ゼミ長をされていたNさんと、同じ分析方法で修論を書かれたGさんに依頼をしたところ、快く引き受けてくださいました。また、Gさんにはご自身が使われた参考図書も譲っていただきました。お二人には修論を前半と後半に分けて、それぞれ2回ずつコメントをいただきました。同じ分析方法で書かれたGさんは、研究方法の部分の書き方を重点的にご指摘いただきました。Nさんには、全体を通して、誤字脱字や文のねじれなどの細部から、構成等の説明の至らない部分をご指摘いただきました。また、前年のゼミ長だったSさんから、「参考文献の表記の確認は得意だからやりましょうか」と、お声を掛けていただき、ピアをお願いしました。これら諸先輩の支えによって、修論を書き上げることができました。感謝してもしきれません。
50歳を過ぎて、仕事をしながら保育士国家試験を独学で合格し、日本語教師(420時間養成講座)受講修了しました。担当業務の保育士を目指すコースの学生さんは、子育てや仕事と並行して、保育士になるための勉学をしていましたから、私自身がフルタイム仕事をしながら保育士試験合格したことは、時間の使い方や大人になってから勉学を続けることの意義を身を持って語ることができました。引き続き大学院で学びを続けていたことで、「できない理由を考えるより、どうしたらやり切れるかを考えて行動しましょう」という私の言葉は説得力を持って学生に伝わっていたようです。しかし、大学院に入る前はリカレント教育を体現したと言い切るには、まだ自分の中で不完全燃焼でした。目の前にいる日本語指導を必要とする生徒の存在に対して、日本語教師養成講座受講修了では、勉強不足だと感じていたからです。自らのモットーである「一生勉強、一生支援」を実践していくために、大学院での学びたいと飛び込んだ大学院生活は、自分の未熟さや限界もみましたが、それ以上に周囲の支えのもとに、学びの環境の中で修論を書き上げるという一つの形を得たことは、これからの「一生支援」を加速させる糧になりました。
大学院に入学する時は、定年までに修士を修了することを一つのゴールにしていましたが、あと1か月で定年を迎える今、まだまだ学び、支援を続けられる自分でありたいとあらためて感じています。