博士論文執筆航海日誌
博士後期課程 総合社会情報専攻 2020年度入学 2024年度修了 赤木浩文
博士の学位を取得して、指導教授の保坂敏子先生やゼミの仲間と祝った日から半年以上が過ぎました。私が博士後期課程に進学したときは、すでに大学で30年以上日本語教育に携わり、定年退職まであと3年というときでした。博士課程へ進学を考えたのは、退職後の再就職に博士の学位取得が必要だと考えたからです。在職中も、日本語教育実践に加えて、実践研究という形で研究活動を続けていました。とはいっても、修士を修了してから、すでに20年近く過ぎており、果たして自分に本格的な研究活動と博士論文執筆ができるのかという不安もありました。また私は、博士課程に通学しながら博士論文を書くことは難しい立場にありました。そんな中、日本大学に通信教育による博士課程があり、しかも日本語教育に関する専攻があることを知りました。まずは、進学相談にと、大学の門を叩いたのが、博士論文を書くという挑戦の始まりでした。
当時働きながら博士論文が書けるだろうかという大きな不安がありましたが、相談の面接で、島田先生が、私の立場や目的に共感しつつ、先生のご経験などを交えて、ご助言くださったことで自分も頑張れるのではないかと思いました。先生は、日本語教育の専門家である保坂先生の指導を勧めてくださいました。保坂教授は、面接で、私のぼんやりとした研究テーマを、より明確に具体化し、実現可能な道筋を明らかにしてくださいました。私は博士課程への進学を決意しました。それは、博士課程という海に思い切って航海に出るような気持ちでした。何よりも保坂先生も島田先生も、まだ博士課程の学生ではない私に非常に親身になってくださったことが、博士論文を書こうという気持ちを後押ししてくれました。その後博士課程の入学試験に無事合格、こうして退職3年前のぎりぎりのタイミングで博士論文執筆への船出となりました。
私は「日本語学習者に対する日本語の音声教育」を研究テーマにしており、修士論文は、音響分析によって、日本語学習者(西語母語話者)の日本語のリズムの規則性を探求するというものでした。しかし、常々学習者一人一人に焦点を当て、学習者の問題点や習得過程、効果的な指導法などを分析し、一般化できる規則を抽出し、教育に応用することを研究したいと思っていました。その考えを保坂先生にお伝えすると、教育分野における質的研究の研究方法を教えていただき、まさに私がやりたいことはこれだと思いました。私は、日本語教育における音声教育を研究するにあたって、関心を持っていたことが二つありました。一つは、語学の学習や習得における「気づき」の効果や重要性の考察、もう一つは、教室学習における学習は習得に結びつくという仮説の証明です。前者は、第二言語習得研究の分野で、Long(1981)、Swain(1985)、Schmidt(1990)らが、仮説をたて、気づきの重要性を論じていました。私自身も授業を通じて、気づきの重要性を、身をもって体験していました。このことを理論的な裏付けを持って、様々な角度から証明し、日本語の音声教育に効果的な指導法の一つとして提案したいと考えていました。後者に関しては、Krashen(1985)の、学習は習得に移行しないという「ノンインタフェース仮説」に対する反論を、データを用いて行いたいと考えていました。博士論文では、5つの授業と各授業の学習者を対象に、意識的、学習的側面に関するアンケート、インタビュー、授業観察という質的分析と発音の改善度の点数という音声的側面の量的分析で証明を試みました。そして、仕事を終えて、帰宅すると研究と執筆を行う生活が始まりました。
希望と意欲を持って始めた博論の執筆でしたが、思いもよらぬ困難が待っていました。まず、Covid-19の感染拡大によって、研究対象となる日本語の授業が中止になりました。これは、続けて行っていたクラスと2年後に再開したクラスを対象にすることで、なんとか乗り切りました。
在学2年目に16年ともに過ごした愛猫が他界しました。自分があのように精神的なダメージを受けるとは思いませんでした。あまりの悲しみに、保坂先生と島田先生には辛い心の内をメールしてしまいました。そして、予備試験を1か月後に控えた3年目の5月に、横断歩道を走り渡ろうとして脹脛の筋断裂を起こしてしまいました。脹脛に鉄の球をぶつけられたような痛みでしたが、その日重要な用事があり、痛みを我慢し用事を済ませてから帰宅しました。翌日病院で、即座に幹部を冷やすなどの処理をすべきだったと知りました。この処置が原因で治癒が遅れてしまい、リハビリを入れると問題なく歩くのに数か月かかってしまいました。
そのため予備試験会場には松葉杖で赴き、座って発表しました。さらに悪いことに、発表の際、PCが不具合を起こしたのに加え、PCにマイクを落とし、電源が落ちてしまい、予備試験が中断し、次の発表時間がずれるという前代未聞の事件を起こしてしまいました。最終的には保坂先生のPCをお借りして発表を行いました。後のゼミでの発表報告の際には、そのトラブルしか覚えておらず、ゼミのメンバーには有用な情報を提供できませんでした。
さらに、その年の秋、1か月ほど体調不良の末、救急で診察を受けたところ、入院が必要なことがわかりました。その上、入院中の検査で網膜に問題があることが判明し、転院して目の手術を行うことになりました。幸いにもその病院の先生の判断でレーザーによる施術ですみました。投薬と注射によって自宅治療が可能になりましたが、それは翌年の5月まで続きました。このような状況で、論文執筆も中断、ゼミも欠席し、3年目の論文提出を諦めました。職場においても、20年の日本語教育の中で初めて授業に穴をあけてしまい、今考えても悔しく思います。
4年目に、最大にして最悪の事件が起こりました。それは突然のパソコンの故障とUSBメモリの破損です。2章分の元データのほとんどが消失してしまいました。PCの復旧、データ復元、他の媒体に残っているかもしれないデータ探索等、できることは全て行いましたが、いい結果は得られませんでした。該当部分の2章はすでに書き終えていたのですが、元データがないと、実験結果を証明することができないと判断し、論文の構成を変え、新たな実践研究を加えて、書き直すことになりました。バックアップの重要性を痛いほど思い知った辛い経験になりました。この時、保坂先生と、副査の島田先生、古賀先生は大変な迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳なく思っております。
しかし、この書き変えによって、博士論文の流れにより一貫性を持たせることができ、研究課題と証明したいことがより明確になり、論文全体として、最初のものより、読みやすくなりました。それからは、使える時間を全て使って執筆に集中し、何とか最後まで書き上げたのですが、個人的にもっと吟味してから提出したいと保坂先生にお伝えし、この年の提出も見送ることにしました。
博士論文執筆は(これは何についても言えますが)、この先何が起こるかわからないので、今できることは今やる、データの管理はこまめに行う(複数の媒体に整理して保存)することが重要だと思います。とにかく、毎日PCを開けて書く、インスピレーションがわかないときは、すでに書いた部分の校正、ページの作成、参考文献、図録の作成を行う、書式を整えるなどのやれる作業を行うことなどが、今論文執筆中の方に勧められることです。体調や突発的なトラブルは、自分ではコントロールができませんが、落ち着いて対処することで必ず何か解決方法があると思います。
このような度重なる荒波と嵐で、「博士論文執筆」の船は座礁し、難破し、沈みそうになりましたが、保坂先生の指導や心温まる励ましや、島田先生、古賀先生のご助言を受けて、なんとか沈まず、諦めず続けることができました。退職の年には間に合いませんでしたが、博士論文を書き上げることができました。最終の港に錨を降ろすことができました。先生方の励ましがなかったら、書き上げることはできなかったと思います。本当に感謝しています。
このように5年目にして博論提出にこぎづけました。博士論文を執筆する前の研究は、常に一人の孤独なものでした。研究の方法や論文の書き方も我流でした。博士課程に進学することで、保坂先生やゼミの仲間と知り合うことができ、日本語や日本語教育に対する知識や経験が広がりました。ともに励まし、助言をし合う仲間がいたことは、大変心強かったです。また、修士論文執筆時に感じた研究の面白さを蘇らせてくれました。例えば、データの分析中に、ある法則性を発見して鼻息が荒くなったことを思い出しました。それは計算間違いで、大発見の興奮は瞬時に終わったのですが。
私にとって、重要なことは、保坂先生が丁寧に細かく指導してくださったおかげで、博士論文の執筆を通して、研究者としての姿勢、研究論文の書き方が学べたことです。研究者としてステップアップできたと考えています。また、博士課程では、保坂先生が、教育者として、学生に対してきめ細かく対応し、親身になって支えられている姿勢を、身をもって経験させていただきました。私自身、学生の立場に立った授業を心がけてきましたが、保坂先生の教育に対する情熱や姿勢、学生に対する誠実な態度は、今の私の教育指針になっています。これは、博士論文を書き上げたことと同様に、私が博士課程で得た最も大きなことだと思います。
私の博士論文執筆の最初の目的は、再就職のためでしたが、執筆中に退職してしまいました。が、論文を書いているうちに、自分が日本語教育という分野でやってきたことを総括するという目的に変化しました。博士論文で、自分が行ってきた教育実践を一つの研究成果として発表することができたことは、自分の日本語教師のキャリアの集大成として大きな意味があります。私が抱いていた2つの問題意識に関しても、博士論文執筆を通じて、自分なりの解答のヒントを得ることができました。
研究方法として用いた質的研究は、論文では記号や番号で表されている学習者のデータの向こうに、学習者がいることを意識させてくれました。学生一人一人の顔や、授業の様子が思い浮かび、人間を相手にしている研究であることを再認識しました。博士論文を書き上げられたのは、学生たちのおかげだということを、より強く感じることができました。
私は実践研究をアクションリサーチという手法を用いて行いました。アクションリサーチは実践を通じて、確認できた問題点に注目し、それを解決する方法を考え、「よりよい授業」を行うための研究です。教育現場で、日々自分の授業の改善に努力していている教師にとって、最適な研究手法ではないかと思います。現場の日本語教師が、自分の授業を振り返り、分析し、その結果を、日本語教育分野に共有することで、日本語教育のさらなる発展に貢献できるのではないでしょうか。
これまでの人生の中でも博士課程の5年間は、自分にとって劇的で意義深い5年でした。研究、教育、仕事に対する考え方に大きな影響を受けました。かけがえない出会いがありました。荒波を乗り換えて、目的の港に着岸できたことで、新たな船出の準備ができた気がします。これまでは問題が起こったら、慌てたり、焦ったりしていたことも、「なんとかなる」、「なんとかできる」と思えるようになりました。そう考えるといろんなことに余裕ができた気がします。現在は、新しい日本語教育の現場で、将来の芸術家を対象に日本語教育を行っています。新しいことばかりで忙しく老体に鞭を打つ毎日ですが、ユニークで気のいい、そして意欲に溢れた学生たちに囲まれて楽しく授業を行っています。これからも、博士課程で得た知識や経験を教育及び研究に活かして、日々の授業をひとつひとつ丁寧に行うことで、日本語教育に貢献できたら嬉しいと思っています。