竹野一雄先生の思い出

文化情報専攻 15期生・修了  桐ヶ窪牧子 

〈はじめに〉
 竹野先生のC.S.ルイス研究をはじめとする,キリスト教文学,イギリス文学,児童文学研究者としての業績については,この電子マガジンをお読みになる皆様の多くはよくご存じですし,たくさんの学生に慕われたそのお人柄も,実際に竹野先生との交流を通して知っておられる方が少なくないと思われます。竹野先生ご自身の著書,また竹野先生からご指導いただいた修了生の皆様のGSSC電子紀要や学会誌に掲載された論文や著書,その幅広いテーマと内容から,竹野先生のすぐれた見識と深い知識を窺い知るには十分ですし,それぞれの分野でご活躍されている皆様の背後には,竹野先生からのご指導,励ましがあったと思います。
 ちょうど一年前,竹野先生は,私がGSSCの前期課程を修了した後,しばらく研究の方向性について迷っていたのを心配され,勉強を続けられるようにと,今年度GSSCの研究生に出願することをアドバイスしてくださいました。その時点では先生がこんなに早くご逝去なさるとは,全く予想もできませんでした。竹野ゼミの最後に連なる私からは,つたない文章ですが,学生生活を通しての竹野先生の思い出を書かせていただくことをお許しください。

〈竹野先生との出会いと学生生活〉
 竹野先生に私が初めてお会いしたのは,今から7年前,まだ日大通信教育部が三崎町にあった頃の,GSSCの入学説明会でした。私は通信教育部で英語の教員免許を取得したのですが,卒業年度は東日本大震災の年にあたり,私は教員として被災地域の中学校に勤めていました。震災の影響で十分なリサーチの時間もとれず,また東京に来て論文指導をいただくことも難しくなり,卒業論文は研究の基礎的な部分に終わってしまい,内容的には中途半端な形で提出することになりました。卒業後もこの研究のことは気にかかっていたのですが,一人で継続するのは難しいだろうと考えていました。そのような中,夏にGSSCの入学説明会があることを知り,教員としての英語力もまだまだ不十分であることを痛感していた頃でしたので,さらには研究を継続する機会もあるかもしれないと考えて,私は説明会に参加することにしました。
 久しぶりに水道橋の駅から通信教育部の校舎を訪れ,説明会場に着くと,このときの文化情報コースのご担当が竹野一雄先生でした。私の研究分野がイギリス文学ということで,大変興味を持ってくださり,研究について竹野先生とお話することができました。また,私の最初の大学時代の専攻が音楽であることも話題になり,竹野先生は,教会で礼拝オルガニストを務めておられることを教えてくださいました。私も長年教会でオルガン奏楽を担当していたので,何という偶然の一致だろうと考えました。竹野先生はぜひGSSCを受験するよう勧めてくださり,私は,翌年4月から前期課程の学生として竹野ゼミに所属することとなりました。
 なんとか仕事の合間を縫って参加したGSSCの入学式。地方の大学出身の私は日大の大きな建物の雰囲気に圧倒されながら,説明を聞きつつ,サイバーシステムをうまく使えるか,学習内容についていけるかどうか不安でした。その後,竹野先生は,後期課程に入学された山村さん,高橋さんと一緒に,入学祝いとおっしゃって私たちに昼食をごちそうしてくださいました。昼食をとりながら,先輩方からGSSCのシステムや学習内容についていろいろと教えていただく機会を得て,とりあえず学習のめどがつき,安心しました。こうして先輩方に会わせてくださった竹野先生のご配慮をとてもありがたく思いました。
 しかし実際にGSSCでの勉強を始めてみると,仕事との両立は思ったよりも大変でした。通信教育部の時は,年4回の試験を受ければ良かったので,自分のペースで単位を取得していきましたが,大学院では,科目によってレポート提出の期日が異なるものがあり,私は自分の仕事にかまけていて,締切に間に合わなくなりそうなことが何度もありました。そのたびに,竹野先生に相談し,科目担当の先生に事情を話していただいたり,学習のアドバイスをいただいたりしてきました。その一方,GSSCの学習の過程では竹野先生の優しい面ばかりではなく,厳しいご指導もありました。竹野先生の科目で中途半端な内容のレポートを送ると,私の理解が不十分な部分にはたくさんのコメントをいただき,鋭いご指摘をいただきました。それからは私も反省して,提示された参考文献はすべてネットで買い込み,その中の重要な部分をレポートに入れるようにしました。この経験は他の科目にも生かされ,2年後の修了時には思いがけなくすべての科目で良い評価をいただくことができました。竹野先生のご指導のおかげだとつくづく思います。前期課程を修了してからも,私は竹野先生のサイバーゼミや合宿ゼミに参加させていただき,投稿論文もご指導いただく幸いを得ました。

〈竹野ゼミの様子〉
 GSSCの入学式の後の食事会について先ほど触れましたが,竹野先生,ゼミの皆さんとお会いしたときにはよくお食事をしたことも楽しかった思い出です。竹野先生ご自身はそれほど召し上がらないのですが,皆のためにたくさんのメニューを注文し,話に耳を傾けていらっしゃいました。また一人一人に親しく声をかけ,その研究内容だけでなく,日常の現況についても尋ねられ,仕事や家族のことなども心配してくださいました。私が論文指導を受けるために上京した折には,「遠くから来たから」とお茶や食事をご馳走していただくこともありました。先生はゼミのメンバーそれぞれに,いつもさりげなくそのような心遣いをされ,お話される内容には,懐の深さ,心の広さがにじみ出ていました。ですから,GSSC在学時,竹野ゼミに所属していたという方だけではなく,竹野先生の科目を履修したり,論文の副査でご指導いただいたりという修了生の方たちが,修了後も竹野先生を頼り,研究について相談し,ゼミにも参加されることがありました。それぞれの地元のお菓子を持ち寄り,近況報告をし合うことも楽しみの一つでした。先生の学識の広さ,またそのお人柄と同様に,ゼミ生の皆さんも竹野先生と同じように,温かい人柄で,真摯に研究に向き合う雰囲気がありました。
 私が初めて参加した夏の神戸ゼミでは,先生のご専門であるC.S.ルイスやグレアム・グリーン等の英文学だけでなく,日本文学や歴史,社会学に至るまで,あまりにも幅広い内容の参加者の発表が続いたので,本当に驚きました。ゼミに参加されている皆さんも先生もそれぞれ質問や意見を述べ,最後に竹野先生から「専門外だけど」と前置きされながら,的確なご指導があり,皆さんが日本各地からゼミに集まる理由がよくわかりました。先輩方は「自分は本当に竹野先生にお世話になった」とよく話しておられましたが,誰もがそう感じていたのだと思います。先生のゼミではいつもさまざまな研究をしている方たちが集まり,毎回新しい分野に目を開かれる場となりました。毎年の夏季ゼミでは,ゼミの後,皆さんと観光に行ったことも良い思い出です。
 定例の月1回の面接ゼミは主に日曜日の午後で,地方に住んでいる私が参加できるのは年に数回でしたが,ゼミの前に,先生の所属されている豊島岡教会で何度か礼拝を守らせていただいたことがあり,先生が実際に奏楽されているお姿を拝見することができました。豊島岡教会では足踏式のリードオルガンで,電動のオルガンと異なり,音に不必要な強弱がでないよう,また足が疲れても音が途切れないように足踏みを続けながら弾かねばならない,大変演奏が難しい楽器ですが,先生は器用に楽器をあやつり,讃美歌の一つ一つの和音も,音楽の流れも正確に演奏されていました。そこにも先生の誠実なお人柄が表れていたと思います。生前,病気になられてから,思うように指が動かなくなったことを大変残念だとお話されていました。

〈ご体調を崩されてから〉
 先生のご病状は一進一退でした。ちょうど6年前,同期の宮本さんと私がGSSCに入学したあたりから,少しずつご体調を崩されることがありましたが,その後は「良い薬が見つかった」とおっしゃって,快活なご様子で,スクーリングの講義やゼミの指導をされていました。夏季ゼミでは暑い中,長い距離をものともせず歩かれるご様子をちょっと心配しながらも,私たちはみなまだまだ竹野先生からご指導を受けることができると思っていたのです。
 昨年7月,竹野先生から「重要事項連絡」と題したメールがあり,ゼミの休止について書かれていました。それでも,「いつものゼミ部屋は使用できるようにするつもりですので,ゼミ生同士で議論してください」と,ゼミ生のことを考えた一言が書き添えられていました。この時は,みな「少し休養をとられればまたご体調も回復されるだろう」と思っていたはずです。しかし,先生のご容体の悪化は想像以上に早いものでした。先輩の高橋さんより竹野先生が入院されたことをゼミのメーリングリストでお教えいただき,8月に病室にお見舞いに行った時が,私が先生のお姿を見た最後となりました。9月23日,先生の息子さんから先生がご逝去されたというお電話をいただき,あわてて同級生の宮本さんに連絡を取りました。すぐに東京に行きたいと思いながらも,その日は勤務校で主催する会議があり,私はご葬儀に参加することはかないませんでした。私と同じように参加できない方のことも考え,ゼミ生有志でお花をお送りすることにしましたが,ゼミのメーリングリストでお知らせをし,私がまだお会いしたことがない方も含めて,たった三日の間に20名の修了生からご賛同いただきました。出席された宮本さんからメールでご葬儀当日の様子を教えていただきましたが,葬儀の行われた教会は人と花で一杯だったそうです。あまりにも早いご逝去に,誰もが大きなショックを受け,心の支えを失ったという思いがありました。

〈終わりに〉
 竹野先生が亡くなられてから,現在私がGSSCでご指導いただいている秋草俊一郎先生が電子マガジンのご担当でしたので,竹野ゼミに在籍していた私にこの追悼文のお話がありました。ゼミに歴代の先輩がたくさんいらっしゃる中,年数の浅い私が竹野先生の追悼文を書くということは,大変恐縮に思われます。それでも,こうして今,研究を続けていることに竹野先生に感謝しながら,この文章を書かせていただきました。
 竹野先生について,この紙面に書ききれない思い出がまだまだたくさんあります。いつも私のつたない研究を応援していただき,思いがけず貴重な蔵書をいただいたこと,面接ゼミやサイバーゼミでご助言いただいたことなどが鮮明に頭に浮かびます。先生のアメリカでの研究についてのお話,映画や俳優のお話も強く印象に残るものでした。そして今もふと「次はいつかな」と,パソコンで竹野ゼミの予定を確認しようとして,先生がもういらっしゃらないことに改めて気づく自分がいます。と同時に,竹野先生がいらっしゃらない今こそ,先生に与えていただいた研究の機会を大切にしていきたいと改めて思わされます。また,先生を中心として知り合うことができた竹野ゼミの皆様との絆を今後も大切にしていきたいと願っています。皆様の研究のご発展とご健康をお祈りして,結びといたします。

【追記】竹野ゼミ有志のメンバーで,竹野先生の追悼文集を発刊する予定です。入手希望のかたには,非売品で残部僅少ですが,送料実費でお分けできるとのことです。連絡はメールアドレス takenokazuo_kinen@yahoo.co.jpまで。




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