感謝
川原 有加 

 竹野一雄先生との出会いは、私の大学院生活、いや人生を大きく変えることになったことは間違いありません。竹野先生との時間を振り返ることで、竹野先生に改めて感謝したいと思います。
 私が竹野先生に初めてお会いしたのは、修士課程の入学選考の面接試験でした。私は主としてイギリス文学を研究するつもりでした。願書には希望の指導教授のお名前を書かなければいけませんでしたが、自分の研究内容から竹野先生を希望することにしました。試験当日、面接の会場に行き、面接官の先生方の前で名前を言って座ると、竹野先生が「竹野です」とおっしゃいました。それを聞いて私としてはさらに緊張感が増しました。面接のときにお会いしたときの竹野先生の印象は、入学案内のパンフレットの写真どおりで、声も写真のお姿から想像できる優しい感じがしました。面接ではやはり緊張してどのようなやりとりをしたかあまり覚えていませんが、はっきり覚えているのは、最初に「ここまでどのようにして来たの?」と聞かれたことでした。このような質問があるとは思っていなかったので、一瞬、戸惑いましたが、もちろんすぐ答えることができました。しかし、私の自宅は関西地方ですので、竹野先生を初め面接官の先生方の反応をみると、関西と東京までの距離の長さを感じました。質問としてはもちろん難しくない質問から始まったので、その後の応答は割と落ち着いてすることができました。実は最初の質問は、今後、面接ゼミにも参加できるかどうかという確認だったことが分かりました。肝心の研究計画書については、「これから考えていきましょう。」と言われました。
 一週間後、無事に合格通知が届きましたが、実は入学するかどうか迷っていました。それは、できれば通学制の大学院に進学することを希望していたからです。しかし、竹野先生にお会いしたことで、竹野先生に魅力を感じることができたことが決め手となり、最終的にこの大学院に入学することを決意しました。
 開講式では講義内容の説明が終了後、ゼミごとに集められました。そこで初めて同じゼミの同期生や先輩に会いました。同期生の話を聞いていると、私は研究の面でも同期生より遅れをとっていることを感じ、本当にやっていけるのかどうかとかなり不安になりました。話し合いが終わると、その時ちょうど市ヶ谷の桜が満開だったので、竹野先生のご提案でみんなで桜並木を歩きました。不安を抱えたスタートでしたが、そのときの桜のような竹野先生の穏やかさが、少しばかり心を和らげてくれました。
 竹野ゼミの面接ゼミは、主に市ヶ谷で月一回ペースで行っていました。最初、私は遠くに住んでいるので、面接ゼミにも年に数回出席できればいいかと思っておりました。しかし、開講式のとき私は遅れをとっていることを感じたことと、同期生に聞いてみると四月下旬に行われる面接ゼミには参加するとのことでしたので、私も参加することにしました。ゼミでは同期生だけでなく、開講式のときにお会いした先輩以外の先輩にも初めて出会う機会となりました。皆さんの研究内容を聞くと実に様々でびっくりしました。今回は最初ということもあり、先輩方の研究発表を聴講するだけでしたが、すでに研究発表をしている同期生もいました。そして、竹野先生からは、「ゼミに参加するときはできるだけ何か発表するように」と言われ、ますます焦ることになりました。ゼミに参加して、皆さんのいろいろな研究発表を聞くことができてよかったのですが、研究内容が実に様々ですので、ついていけなかったこともあったのが正直なところでした。しかし、とても刺激になり、勉強になることが多く、また新たな活力が湧くところがあったので、通信制なのですが、面接ゼミが開かれているので、ゼミにはできる限り参加しようと思いました。
 修士一年の前期は、初めてのレポートに追われて、自分の研究は十分進まないままでした。さらに、竹野先生の担当科目だった「英米児童文学特講」のレポートの初稿を提出しましたが、散々な出来だったので、竹野先生にはかなり不安を抱かせてしまうことになり、スクーリングのときにレポートについて話し合うこととなりました。九月初旬、竹野先生が仕事(初めて開かれることになった神戸でのオープン大学院の打ち合わせだったようです)で大阪に来られることになり、お会いする時間をとってもらえることになりました。私ももう一度研究計画を整理しましたが、そのまま進んでいける自信がありませんでした。そのあたりのことは、竹野先生も察知してくださっていたのでしょう。竹野先生から研究対象の変更が提案されました。そして、一ヶ月の間(次月のゼミまで)に新しい研究対象に関して、興味を持ったことや疑問に思うこと、問題点などを抜粋するという課題が出されました。新しい研究対象は、竹野先生の専門分野であり、「英米児童文学特講」の課題作品でした。レポートが落ち着くと作品を改めて丁寧に読み直し、課題に取り組みました。一ヶ月後、興味を持ったこと、疑問に思うこと、問題点などを竹野先生に自由に話しました。今から考えると、「こんなことよく言ったな」というような内容もありましたが、竹野先生は真剣に最後まで聞いてくださりました。その中の一つのシンボリズムに関して、さらに具体的にご指導を頂きました。それは、私のこの先の研究への道しるべを示してくださることになりました。そして、自分の研究対象を専門とする先生の下で本格的に研究をしてみたいと思いが強くなりました。こうして私は研究対象をガラッと変更することを決断しました。私にとっては新しい研究として一からのスタートですし、すでに入学してから半年が経っていたので、竹野先生からは多大な助言をいただきました。竹野先生には、「毎日少しずつでいいし、何でもいいから思ったことを書き留めておいたらいいよ」とアドバイスをいただきました。私の場合、一ヶ月単位(だいたいゼミがあるタイミング)である程度のところまで文章をまとめ、先生に添削していただいておりました。先生は即座に添削してくださりました(といっても修正箇所だらけですが)。添削されたのを修正しつつ、新しい草稿を書いて送り、またそれを添削していただくという繰り返しでした。気がつくと論文用の文章が結構たまっていました。このような感じで、論文を書き進めながら、さらなる方向性を決めていくことになりましたが、竹野先生はまず私の考えや方法を尊重してくださり、それをうまく活かしていけるよう適切なご指導をいただきました。おかげで修士論文は無事、思っていたよりも多くの分量を書き終えることができました。
 ゼミは月一回の市ヶ谷での面接ゼミだけでなく、一ヶ月から二ヶ月に一回のサイバーゼミや、八月と三月には関東圏外のゼミ生の住んでいる近くでゼミを開催することを目的とした地方ゼミでは、いつもと違った環境でのゼミで、このときには竹野先生にも発表をしていただきました。ゼミが終わると、みんなで観光に出かけたりなど楽しいゼミ旅行を過ごすことができました。またゼミには、竹野先生のお人柄を象徴するかのように、現役のゼミ生だけでなく、他のゼミの人々、修了生、見学者など実にいろいろな方々が参加しており、竹野先生は来るものは拒まず、参加される方は誰でも大歓迎されていました。ゼミ生もいろいろな方面から多くの刺激を受けることができ、自分の研究に活かすことができました。
 あっという間に二年間が過ぎ、私はもっと研究を深めるため博士課程への進学を希望していました。しかし、博士課程での研究内容が決め切れず、修士課程修了後は、研究生や科目履修生として在籍していました。その間も竹野先生は、博士課程での研究に関してこれまで以上に厳しくご指導してくださりました。研究することの大変さを痛感しながら、研究していくことへの覚悟を身につけていくことができました。ようやく博士課程に入学することができたのですが、合格発表の日に研究に関する課題がたくさん出ました。私は文学と色彩の研究をすることになりました。私もですが、竹野先生もこれまで本格的な色彩の研究はされていなかったので、資料集めや情報収集にアドバイスを頂きました。これまで以上に研究対象を拡大したのと、色彩のデータの収集・まとめの作業などがあり、論文完成まで予想以上に大変で時間がかかり、提出ギリギリまで添削をして頂くことになりました。なんとか無事修了することができたのは本当に竹野先生のおかげです。
 修了しても、竹野先生はいつでも快く相談にのってくださり、アドバイスをくださりました。竹野先生は、恩師として、研究者の大先輩として本当に頼りがいがあり、尊敬できる大きな存在でした。お忙しいときにも、体調が優れないときでも、私たちのことを一番に考えてくださり、無理をなさってくださっていたときもあったように思います。通信制の大学院ですので、仕事や家庭と学業と両立されている人も多いこともあり、竹野先生はよく「みんないろいろと大変だし、仕事もしながらがんばっているから」とおっしゃっていました。竹野先生には言葉で言い表せないほどの感謝でいっぱいです。これから先、もっともっと共通の時間を過ごすことができるかと思っていました。本当に残念ですが、一番悔しいのは、やはり竹野先生だと思います。竹野先生は、定年退職されたら長い間研究されてきた『ナルニア国年代記物語』の全訳をはじめ、研究者としていろいろとされたいことがあったようです。私たちが竹野先生の教えを思い出し、竹野先生の意志を大切にしながらこれからも研究活動を続けていくことが、竹野先生への感謝を示す一つであり、恩返しになると思います。そして、竹野先生はいつも見守ってくださっていることでしょう。





≪ 大学院HPへ | TOPへ ≫