指導力不足を克服するために

人間科学専攻 畠山 幸喜

 看護教員になって10年が経ち何も成長していない自分、一向に行き届いた指導ができていない自分を何とかしたいという気持ちで入学を決めました。大学院で学べばきっと何かが判るという期待感を抱いていました。入学当時及びこの2年間は、東京へ行く事は難しく、サイバーゼミでの発表が殆どでした。“指導力不足”がキーワードで何度も何度も発表しました。それでも、こうすると宜しいというような答えは一向に出ず、さらに泥沼に入りあたりは、闇の中にいるような感覚でした。それでも、何とかしたいという思いで、心理学のテキストを読み、レポートをまとめ、課題を一つ一つこなしていく作業が続きました。課題を一つ一つ淡々とこなしていければ宜しいのですが、私の能力不足なのかもしれませんが、メル友(先生に対しメル友とは失礼かもしれませんが、すぐにご教示及びご指導下さいますのでそのような表現になりました。)のように数十回ご指導を頂くことが多々ありました。今となってみれば、きめ細かいご指導を頂いたことを感謝しています。そのような中で、眞邉先生をはじめゼミ生、修了生の方のアドバイス、ご指導により、何とか論文を書くことができるまで到達しました。
 最初の下書きは、感情や情けで心を揺さぶる文章で、なんて、私は、かわいそうな人なんだろうというような悲劇的な文体でした。論文は、人の心を揺さぶる文章でまずは、100ページ書こうが目標でした。どっぷり文学部(文学少女?)であった私は、眞邉先生を始め、ゼミ生、修了生のマンツーマンのご指導により、科学論文の書き方を学ぶことができました。今度は、「畠山さん、科学論文と言うのは、・・・。」がキーワードとなりました。そうか、科学というのは、思いや考え、自分の認知している事をうまく感情的に表現することよりも、今ある、事象を相手が判るように書くことが大切であることを学びました。
 大学院で学んだことは、悲劇的な私=指導力不足教員であると思うのは、単なる私の認知面であり、指導力不足ならどう行動しなければならないのか、どういった能力を伸ばしていけば宜しいのかというように、自分の思いや考えだけでなく、分析的にみて行くこと、科学的な見方を学びました。
 眞邉ゼミ生2年生全員がそろって修了できるのも、皆で励まし合い、支え合い、慰め合ってここまで辿りつくことができたのだと思いました。あの時に、辞めようと思った時に、「一緒に卒業しよう」と言ってくれたゼミ生2年生に感謝です。
 3月11日の日、あの日試験があって、これなかった学生の分まで、この時間は看護師に成るための学生の分の勉強という思いで勉強した。こうやって、学生があっての看護教員であり、目標に向って取り組んでいく生き方そのものが指導力不足克服に結びつくのではないかと思いました。
 修士論文執筆にあたり、全国の看護学校の教員の皆様に感謝申し上げます。



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