最後の課題

人間科学専攻 宇津野 裕子

 3年前の10月、オープン大学院で、眞邉先生と初めて、お会いしました。「ああ、大丈夫ですよ。どうぞ、どうぞ!」眞邉先生のお言葉で受験。自分の仕事について、一体何をしているのだろうか、5年間考えており、年齢的にも、家庭の状況も今が最後で最高のチャンスかもしれないと思い立ち、とにかく行ってみようとオープン大学院へ出かけたのでした。それから2年間過ぎました。実は私は日大心理学科卒、でも、ン〜十年前、SDは手書きの計算でしたし、仕事はいつの間にか音楽関係に。今は、SDをPCで計算し、ppt.で発表、眞邉先生に、もぐりの心理学科卒と言われても、「ごもっとも」と、返す言葉もありません。1年生のハッピータイムで先生に「寝る時間を削らないと」と言われて、「なるほど〜・・・課題が終わらないわけだ!」しかし履修したどの科目も仕事に対する知見を深められ、役に立ちました。また、履修科目の指導教授とのマナバを通じた添削は、まるで目の前でご指導をいただいているように意見交換が出来てとても勉強になり、刺激的で、楽しいものでした。6月には、名古屋ゼミで、ウナギに舌鼓を打ち、身のほど知らずにも9月には、先生と、松本先輩と、村井先輩にくっついて、クレタ島の行動分析学会を*見学*に行きました。「ふ〜ん!1年の教科書で習った言葉だわ」。飛行機で、空港で、ホテルで、色々先輩に教えていただき、行動分析が何もわからない門前の小僧にも、とても勉強になりました。
 スレッドに100回以上、あ〜でもない、こ―でもないと、迷実験計画を載せました。実験計画と共に、課題の統計も大変でした。同期でメールを飛ばし合い、先生や先輩に我慢強くご指導をいただきました。土屋先輩には深夜にメールで統計について質問をすると、新婚にもかかわらず、メールが返ってきます。今から思えば大変申しわけない事をしました。私は住まいが市ヶ谷の日大会館から1時間でしたので、面接ゼミはほとんど出席し、第1回目のサイバーゼミも、へPCを持参、ホテルから出席して研究計画を練りました。「宇津野さん、まずアンケートが必要でしょう」「そうですね先生!」11月からアンケート調査を開始しました。回答が100名を超える寸前の3月11日に東関東大震災が起こり,それまでの普通の日常があっという間に崩れるのを見ました。データを毎回はUSBに保存していなかったので、震度6の揺れの中、PCだけを抱えて逃げました。その後2年生の5月から、従属変数がはっきり決まらないまま実証実験を開始。先生は実験結果に一喜一憂する私に「結果は自分の子供と同じです」「そうか、ありのままを受け入れよう」と思いました。7月は箱根で合宿ゼミを計画、深夜まで宿で、ワインを片手に語り合いました。文献研究を何とかやっつけ、実験終了は11月28日でした。「ええ〜今から修論執筆できるかな!」。データ処理に時間がかかりそれからの睡眠時間は、2〜4時間ほどに。実際に修論の序を書き出したのは、12月末からになり、1月13日の修論提出期限日まで、短期間でも何とか仕上げられたのは、ppt.での発表を積み重ねていた成果だったのでしょう。口頭試問後、アンケートの統計処理を入れ、手直しをして本提出の2月13日まで、怒涛のような日々が過ぎて行きました。提出を終わった翌日の2月14日、家の中をうろうろし、何をすればよいのかわからず、この日が来たのだとしみじみ思いました。皆さんにご協力をいただき、出来る限りの努力をして、今自分で出来る限りの修論を仕上げましたが、まだまだ、データの分析も内容も全て終わったとは言えず、研究はスタートに立った所かもしれません。私は、一つ一つ積み重ねて崩れないものを作る方法と、深く考えることを教えいただきました。手取り足とり、小さな子供に教えるように、時には自分で考えなさいと、しかし細部まで丁寧にご指導をいただいた眞邉先生には本当に心から感謝しております。修士を取るという、平凡な私にとって、とてつもなく大きな目標をクリアー出来たのは、ひとえに先生のおかげです。
 修士論文奮戦記の課題がメールで眞邉先生から届いているのを、さっき見つけました。早速PCを開きました。2年間を今振り返り「あ〜、楽しかったなあ」とPCを閉じようとしています。同期の皆、先輩、先生、会いたいなあ、一緒にお酒を飲んでたわいもないことを話したいなあ、研究について熱い議論を交わしたいなあ。この修論奮戦記が最後の課題です。そして、これからも続きのページを、書き続けていきたいと思います。だから、これからも宜しくお願い致します。ありがとうございました。



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