厄年に魔が差した?!
人間科学専攻 足立 吉久
友人の厄(やく)による災いを笑うことはあっても、念のために御祓いをすることがあっても、あくまで他人事であって、自分の厄については、あまり気にしていなかった。
しかし、勤務先で思いもよらない人事異動となり、長年過ごしてきた技術部門から人事部門という畑違いの部署に配属が変わり、周囲をも驚かせた。
さらに、新しい勤務先に変わったとたん、本人の意思とは逆に、「大学院に行かないか?」、「大学院に行け!」などと、入学願書の締め切り直前まで、周囲から気が変になりそうなほど、囁かれていました。
本人の思いとは全く異なる方向へ物事がどんどん進んでいく恐ろしさを感じた瞬間であった。そして、意外な運命のいたずらが延々と2年間も続くと思わなかった。
その後、大学院のことも(恥ずかしながら)あまり理解しないまま、受験日が遅かった本院を選び、とりあえず受験して不合格になれば、「みんな納得してくれるだろう」、「仕方なかったよね」と特別な勉強もせず、言い訳ばかりを考えていた。入学試験当日も、切望して入学を志すスーツ姿の真剣な他の受験生からすると、普段着の私は迷惑な存在であったに違いない。
しかし、思いもよらず、大学院から合格通知が届き、なぜ???の顔をしている私に、勤務先では、「これも男のロマンだから頑張れ!」などと、わけのわからないことを言われ、半ば業務命令のように入学しました(“してしまった”というのが正直なところか?)。
入学後も様々な不可解な出来事が続き、いつ辞めようか?などと、弱気なことを常に考えつつ、面白い科目履修と苦しい修士論文の間で、そのギャップに悩まされていた。
修士論文は難敵であった。論文のテーマが180度転換せざるを得なかったことも、全ての原因は「厄」だったような気がする。これはこれで仕方があるまい!
私にとって論文を書く作業は、非常に孤独な作業であった。特に異分野、少数分野からであればなおさらである。アドバイスも自分が期待するものが得られないことが多く、空回りする日も多かった。時には、滴水(しずく)が石を穿つような静けさと緊張感で感性が研ぎ澄まされる中、時間だけが過ぎていくような厳しい日も続いた。そして、終わりが見えない、後戻りも、失敗も許されない厳しい状況の中で、忍耐力と精神の強さを試される日々が論文提出日まで続いた。
修士論文を提出できた今だからいえるのかもしれないが、2年前と明らかに違う自分がいることに気付く。もちろん、厄年に疲れた果てた自分ではない(笑)。
先日、工学分野の大学教授から心理学について一方的に理解のないコメントをもらった。とくに反論はしなかった。遡ること1年程前には、心理学分野の大学教授から逆のコメントがあったからだ。以前の自分であれば、感情的になっていたかもしれない。
両方を知った今だからできることは、手に入れた数々の知識と実務経験を、どのような方法で、微力ながら自分の周囲に役立てていけるのかを考えるべきとの結論に至れるようになった。
修了前となった今でも、この2年間は、魔が差したと信じているが、(周囲は迷惑しているでしょうが・・・)実は幸せな2年間だったのかもしれない。
過ぎ去った日々は流れるが如く早かったが、修了が終わりではないことに改めて気付いた。これからまた以前の日常に戻っていくことになるが、どんな形で日常の出来事を見ることができるのだろうか。これからが楽しみである。