二つの大きな気づき
文化情報専攻 鶴田 宏美
私の住む香港でも、50年に一度といわれる程の寒い冬を迎えた2012年の夜、帰宅すると日本大学大学院事務局から「修士論文正本の到着を確認致しました。」というメールが届いていた。現地の郵便局員に日本には何時ごろ届くのかと尋ねた日と同じ提出期限前の週末であった。私は暫く放心状態になっていたのか、お腹を空かせた家族が呼びに来るまで、ぼうっとコンピューターを眺めていたらしい。我に返って、夕食の支度にとりかかりながら、もうレポートや論文に追われることが無くなったのかとほっとするのと同時に、何とも言えない不思議な気持ちに包まれていた。その晩は、意味もなく大学院のホームページを始めから終わりまで細かくチェックし夜が更けていくのを待っていた。
今、この博士前期課程の2年間を改めて思い返すと心から本当に楽しかったという一言に尽きると思う。もちろん、読んでも読んでも理解できない難解な課題図書と格闘したり、仕事、家事・子育て、レポートとに追われ、もうだめかと何度か諦めそうになったりしたこともあった。また、無理が祟って体調不良になっているところに主人が入院したり、どこをどう乗り切ったのか覚えていないくらい大変であったことは確かである。しかし、私にはこうした大変さとは逆に、先生方から届くレポートのコレクションメールが何より楽しみで嬉しいものであった。ホームページからレポート提出欄をクリックし「コレクションの書き込みがあります。」という赤字をコンピューターの画面から見つけた時の緊張感、先生からのレポート改定依頼の内容に打ちのめされ、自分の不甲斐無さに落ち込んだこと、幾度かのメールでのやり取りの末「最終稿として提出してください。」という文字に飛び上がって喜んだこと、それら全てがこの2年間の私を充実させてくれたものであった。更に、もしこの学び舎で学習する機会を持たなかったら、先生方にはもちろん、一生手にすることが無かったであろう書籍にも出逢うことはなかったし、私の知らなかった世界観、概念を通して、新たに私の研究する日本語や日本語教育、また香港という地域や文化を眺めることもなかったであろう。先生や講義、書籍との出逢いは、私を興奮させ目を見開かせてくれた貴重な契機となった。一方で、この学び舎での機会は、余りに近くにい過ぎたために見えていなかった私を取り巻く人たちの存在や厚意に目を向けさせてくれることにもなった。つまり、私はこの2年間を通じて二つの大きな気づきを得ることができたのである。その気づきについて、具体的に後顧してみたいと思う。
まず、その一つ目は、私の学生であり被験者であり隣人でもある香港人や香港に対しての気づきである。私は私なりにこれまでも、意識して学習者の立場から日本語をどう教授していくかということを課題にし、常に問題意識を持っていたつもりでいた。しかし、実際は日本人である自分を中心に、相手を自分の見える範囲からでしか判断していなかったのである。要するに、香港人を知っているつもりになっていたが、本当はほとんど知らなかったということだ。10年以上も在住していながら、彼らが日本文化の何をどう受け取り、何をモチベーションにして、日本語学習に取り組むようになったのか、その背景や経緯、学習者である彼らはどのような努力をして日本語学習に臨んでいるのかなど、本質的な意味でわかっていなかったのである。このことは、修士論文における私の研究にも大きく影響し、彼らの日本語を学ぶための努力を具体的に統計として表し、努力の痕跡を分析するのに非常に役に立った。更に、日本語を第二言語として捉えようとした場合、客観性を持って日本語を捉えるということ、香港人がどのように日本文化、日本語を捉えているかを広い視野からアプローチすることの大切さを知ることとなった。そして、何より日本文化や日本語を好み、親しみを持ってくれる香港の隣人に対して改めて感謝と敬愛の気持ちを持つようになった。私のこのような気づきは、2年間に履修した科目の全てが一つ一つの要素となって、成長させてくれたことによるものである。
次に、二つ目の気づきは、私を取り巻く人たちについての気づきである。それは、家族の存在であり彼らの献身的な支えが私にいつもあったということである。私の場合、海外在住ということで大学院からの郵便物は全て実家に送付される。小さなものから大きなものまでその全てを居住先である香港にまで送り届けてくれた両親の存在、それまで、家事に手を貸すことが殆どなかった主人や娘たちも一変してサポートしてくれた。2年の間、レポートや論文に追われ、足が痛くなるくらい浮腫むほど長時間机に向かうことが多々あった。娘たちは声を掛けてはいけないと、部屋の外に励ましの手紙を何枚も書き置いて支えてくれていた。普段なら学校であった事を帰宅するなり機関銃のように話し続ける彼女たちからすれば、学校であった出来事を母親である私に話せなかったのは辛かったに違いない。今にして思えば彼女たちは彼女たちなりに全力で思い遣ってくれていたのだ。こうした家族からの心からの支えによって2年間をやり通すことができたのである。つまり、私の宝となった2年間の課程を完遂できたのは家族のおかげであり、逆にいえば大学院でのこの2年間という機会が、私にとって家族がどれだけ大きなものであったかを気付かせてくれることになったのである。
私がこの価値ある2年間を充実感と喜びの中で送ることができたのは、先生方をはじめ、学生生活を滞りなく送れるように努力してくださった大学職員の方々、耐え難い孤独を救ってくれた同期の友人、そして献身的に支えてくれた家族の存在なくしてはあり得なかった。今この全ての機会、全ての出逢い、全ての人々に深く深く感謝する気持ちでいっぱいである。今後、このような意義深い2年間で得られたことに応え、恩返しできるよう努力していきたい。