かけがえのない財産となった2年間

国際情報専攻 先浦 宏紀

 私が大学院で学ぼうと思ったきっかけは2つありました。1つは、自身が地域シンクタンクの研究員として日々地域活性化に向けた業務を行っている中で、地域経済とグローバル経済との結び付きが以前にも増して強まってきていると肌で感じ、これからの地域経済はどうなっていくのだろうか、という自身の内面での問題意識がありました。もう1つは、自身が地域における各種審議会などの公的委員に就任する機会が増え、公の場で専門的な知見を披露しなければならないという、いわば外圧によるものでした。この2つの理由から、大学院でより専門性を身につけたいと思うようになり、色々調べていくと、日本大学に通信制の大学院があり、しかも国際情報専攻というまさに自分が望んでいた課程があることを知りました。そして、これであれば仕事と両立できるかもしれないと思い受験し、運よく合格して、事前に調べていた国際経済政策ご担当の井尻直彦先生のゼミに所属することになりました。
 入学後のオリエンテーションでは、年間5科目の履修はハードになるので良く考えて履修するようにとの説明があり、私は1年次に4科目、2年次に2科目を履修するとともに修士論文を執筆する選択をしました。結果的には、仕事との兼ね合いで最大限許容できる範囲での選択となりました。レポート作成にあたっては、平日は30分でもテキストや参考文献などを読み進め、土日に集中的にレポート作成に取り組み、課題順にでき上がり次第提出していくスタイルを取っていましたが、先生方の懇切丁寧でありつつも厳しいご指導に対応すると、提出はいつも締め切り間際となっていました。しかし、このような先生方のご指導が本大学院の最大の特長であり、逆に言えば、その特長の恩恵に最大限あずかれたと思っています。また、忘れることができないのが、スクーリングと学友とのメールでの情報交換です。スクーリングでは、普段お会いできない先生方の授業が受けられるとともに、授業後の懇親会ではフレンドリーに接していただき、また、多様な経歴の学友の皆さんとも懇親が深められました。一方、レポート作成が煮詰まった時は学友とメールで励ましあったこともスクーリングと同様、モチベーションアップに大いにつながりました。
 さて、修士論文の執筆ですが、まず、2年次になる直前の2月末に、ゼミで論文骨子の発表会がありました。その発表会で自分なりに考えていた骨子をベースに井尻先生からアドバイスをいただき、これにより論文の骨組みが決まりました。6月に修士論文の題目を提出するまでは、論文に肉付けするための材料集めで必要な文献を読んだり先行研究事例を調べたりしていました。そして、実際、本格的に執筆作業に入ったのが7月下旬からでした。修士論文では、実証分析をする必要があり、まず分析ツールを作成することから始めました。これが思いのほか時間がかかり、2か月も要してしまいました。そして、同時並行で、11月中旬までの約4か月間はひたすらデータ収集と仮説設定、データ加工・分析、検証を行っていました。トライ&エラーの繰り返しで、なかなか思うような分析結果が得られず、仮説の立て方に問題がないか先行研究事例を何度も読み返したりしていました。また、この期間仕事が多忙であったこともあり、精神的にも肉体的にも一番きつかった時期でした。ようやく、実証分析が終わったのが11月も下旬の頃でした。その後、実証分析結果をもとに、図表作成と本文執筆に取り掛かりました。その際役立ったのが、今まで履修して作成してきたレポートでした。約1か月半、土日はもとより平日の深夜も論文執筆に時間をあてて、何とか年内にいったん完成することができました。その後、井尻先生からの指摘事項やアドバイスに対応しつつ、推敲を重ね期限までに無事提出することができました。
 この2年間を振り返ると、仕事がこれまで以上に多忙であったこともあり、学業との両立は大変ではありましたが、充実した大学院生活を送れたと思っています。そして、何よりも、本大学院で学んで得たことは仕事では得られない、また自分の人生の中でもかけがえのない貴重な財産になったものと確信しております。2年間にわたりご指導いただきました井尻先生を始め、多くの先生方や関係者の皆さま、ゼミの仲間、同じ時期に学んだ学友の皆さまには、この場を借りて心からお礼申し上げるとともに、大学院で学んでいることを応援してくれた家族には改めて感謝いたします。



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