綱渡りのリポート・草稿提出からつかんだ学びの真髄
国際情報専攻 狐墳 英毅
「あるテーマ(仮説・課題)についての、自分の主張を何らかの調査・研究に基づいて、合理的な方法・科学的な知見で根拠づける一定以上の長さの文の集まり」が論文です。
2010年本大学院に入学した私は、本年3月古希を迎えます。小売ビジネスのキャリアを活かし独立起業後11年、現役の経営コンサルタントとして頑張っています。昨年7月には朋友と「生涯学習・生涯教育」を目指す一般財団法人を設立し夢を叶えることができました。
私の志望動機は、事業承継の視点から企業盛衰の真因を探り知見に基づいた検証を行うことです。大学院生活は、1年上期のリポート提出から挫折の連続でした。最初の失敗は、アカウンティング論のメール誤操作です。添付資料のみ送信しましたが、担当の建宮先生には、その資料からリポートの構成を指導戴き、驚きと共に大変な感動を覚えたものです。
次は、大いなる勘違いです。同時期、国際情報論特講とグローバル経営論の課題1を提出、合格判定を戴きホットするのも束の間のことでした。「ところで、課題2は提出したの」締切日当日の階戸先生からの電話は、身体中の血を逆噴射させました。手元の資料をまとめ2科目ぎりぎりセーフ、階戸・近藤両先生に大変なご心配をおかけしてしまいました。
第三は、修論草稿の反省です。本文にこだわり脚注は最後の最後に挿入しました。しかし、大変な労力を要し本文作成と同時並行で挿入していればと悔やんでも後の祭りです。諸先輩の助言や西山ゼミ長にサポートして戴き、何とか完成させることができました。
しかし、私にとっては怪我の功名で、1月12日の草稿提出から論文審査を経、2月10日正本提出の1ヶ月間は、2年間の集大成に止まらず大変貴重な教訓を得ることになりました。それは、論文の完成だけではなく、常々階戸先生や小林先生、池上先生が言われていた「内容よりもカタチ」の意味を、私なりに深く理解できるようになっていたからです。
つまり、議論の表現である論文は、読む相手、聞く相手としての他者がいて、その相手からの応答の後に、再び論は起こされ発展していくものです。そのため、相手からの意見が返ってくるように、議論の表現には技術と作法が求められます。自分以外の他者との間の理解と表現に必要な技術の洗練、聞き手と読み手が同等の他者(立場)になるための技術と作法、それが脚注であり参考文献であると認識することができました。
「仏作って魂入れず」論文における本文が「仏」とすれば、脚注や引用・参考文献は「魂」です。「内容よりもカタチ」「礼儀と作法」の意義を学べたことはこの上ない喜びでした。
さて、学びの真髄は「自学自習」にあります。自ら選んだ道ですから絶対にあきらめない、仕事を口実にしない覚悟が大切です。通信制のメリットは、いつでもどこでも学びの場が作れることです。私は常時5~6冊の教材を携帯し、通勤電車を移動図書館・シンクルーム・寝室として活用しました。私の失敗譚が、皆様の学びの一助になれば幸いです。「道は近きにあり」「念ずれば花開く」次代を担う皆様の満願成就を心から祈念いたします。
今日までご指導戴きました大学院研究科の諸先生及び事務局の皆様並びに階戸・池上ゼミの諸先輩・ゼミ長はじめ同期生・後輩の皆様、妻の内助の功に心から感謝申し上げます。