成果は後からついてくる
国際情報専攻 大庭 美樹
修士論文の提出を終え、ようやく肩の荷が降りたようなほっとした感覚と同時に、苦しくもあり、また楽しくもあった学生生活との別れに寂しさも感じている。修士論文の作成について、今後学生となる方々に向けて参考となるような事を書ければ良いのだが、常にスケジュールに終われ、また2年次になって論文テーマの変更をする等とても計画的とは言えない学生生活を送ってきた自分が偉そうに伝えられる事は何もない為、ここでは階戸ゼミでの経験を通じて得た財産とも言えるものについて記述したいと思う。もともと何かを学ぶ事が好きな気質ではあったが、日本大学で過ごしたこの2年間は、これまでの自分の人生において最も勉強に打ち込んだ期間だったのではないか。2005年に渡米し、米国企業でTax Specialistとして働く自分が、この国で成功していく為の具体的なキャリアプランを立てなければならないと考えていた時期に階戸先生と出会ったのは、ほぼ運命的な出来事であったと思っている。遠方からの入学になる事や時差、スクーリング参加などの懸念、そして、それを乗り越えるだけのやる気は持っている事などを正直に伝えた時、階戸先生はそれを暖かく受け入れてくださり、そして応援してくださった。今は、『この先生の下で勉強しよう』と決めた自分の判断に間違いがなかったと胸を張って言える。
階戸ゼミで学んだ事は、学業だけではなかった。社会人向けのプログラムである以上、各学生それぞれのスケジュールや私事情などが複雑に入り組んでくるのは避けられない現実である。全てのゼミ生の都合がつくよう活動を調整するのが困難な事もある。それを上手く取りまとめながらゼミ活動を進めていくゼミ長、そして、それを見守る階戸先生からは、団体を取りまとめる技術と姿勢というものを学ばせて頂いた。そこには柔軟性、忍耐力と気遣いが常に存在していたと感じている。私事になるが、自分は在学中、リポートと並行して米国公認会計士の試験も受ける事にしていた。仕事をしながら大学院と会計士試験など無謀だと周囲から言われながらも、幸いにして在学中に全科目合格を果たす事が出来たのは、時には試験を優先した為にリポート提出が期限ギリギリになってしまった事があるのを知りながらも辛抱強く見守ってくれ、そして全科目合格した時には誰よりも喜んでくださった階戸先生の懐の深さと暖かい人柄があったからこそ成せた業である。
先にも述べたように、私は2年次になって論文テーマに大きな変更があった。税務関連であるという大きな範囲での畑は変わっていないものの、1年次に取った講義で学んだ知識や業務上の変化などが影響して、自分の興味の方向性が変わってきてしまったのである。しかし、それはキャリア上でも本当にやりたい分野がはっきりしてきたという事であり、この時点で1年間の勉学が形になって現れてきていた証拠でもあったと言える。階戸先生にその旨を相談したところ、論文テーマ変更についても快く受け容れてくださった。ここから私の論文は再出発を始めたのだが、自分が本当に興味を持ったテーマだったからこそ、短い研究期間でも熱を持って取り組む事が出来た。論文執筆中は右も左も見る余裕などなく、ただがむしゃらに書いていたが、知らず知らずのうちにその内容は自分の血となり骨となっていたのだと思う。業務上で交わす会話の幅も広がったようで、最近になって上司と話をしている時に『新しい仕事に挑戦してみないか』というオファーを受けた。この新しい仕事とは勿論、自分の論文と沿う分野のもので、自分の夢が現実に一歩、近づいたのである。これも苦しみ、かつ楽しみながら過ごした2年間があったこその成果だと思っている。
そして、階戸ゼミで出会った学友も勿論、日本大学に入った事で得られたかけがえのない財産の一つだ。彼等の、それぞれの分野で忙しく活躍しながらも勉学に勤しむ姿は、一旦社会に出てから自分の意思で学校に戻るという事が、ここまでの原動力を与えてくれるものかと思うほどであった。そして、全てのゼミ生が持つ人柄の良さと互いを高めあう意識からは、高い向上心を持つ人の人間性というものを肌で感じ取る事が出来た。仕事のスケジュールとリポートや論文のプレッシャーに押し潰されそうになった時などに声をかけ合い、励まし合いながら共に乗り越えたこの経験を、彼等と将来懐かしく語り合える事が、今から楽しみである。
大人になってから、再び学校へ戻るというのは勇気のいる行動である。そこには多くの制約や辛さも伴う。しかし、全力でぶつかり、乗り越えれば必ず成果はついて来るのである。この2年間を支えてくださった階戸先生をはじめとする各先生方、学友達、そして日本大学事務部の皆様、本当にお世話になりました。皆様がいたからこそ、これだけ充実した学生生活が過ごせたのだと思います。ここに深く感謝の意を表したいと思います。