研究、この実践的営みに嬉々として取り組むこと

国際情報専攻 芦澤 唯志

 私が修士論文の執筆を終えるまでには、3つの転換があった。この転換、変遷がまさに私にとっての修士論文奮戦の歴史である。修士論文が完成するまでにはいくつかの転換を経ることが通例であると考える。反面教師も兼ねて拙文が後続の方々の役に立てば幸甚である。

1.MBAからの転換(一般的には社会人が博士前期課程に入学するという転換)
 およそ5年前、私は親族関係にない知人から赤字続きの中小企業の事業承継の依頼を受けた。事業内容が教育・学習支援業であったため、「地域の子どもたちの拠り所をなくしてはならない」という思いから、私はこれを引き受けてサービス品質の改善・向上に取り組みとともに赤字体質からの脱却に取り組むこととなった。特に財務会計が苦手であった私は、「せめて経営の基礎だけは身に着けよう」と考えて外国の大学院のMBAコースに入学した。入学前に15冊程度の財務会計の専門書を読み漁り臨んだMBAの学習だったが、詳細な市場データなどの要因に確率の計算を付与して行うハーバード流の戦略的意思決定(ハーバード大学に留学したわけではないので、念のため)はおよそ中小企業の意思決定には不向きであった。
 「日本の組織文化を背景とした実践的な経営学を学ぶ場はないか?」このような思いから社会人大学院を探してたどり着いた結果が、日仏のファミリービジネスを比較研究なさっている階戸教授のゼミであった。教授の人懐っこい笑顔も受験の意思決定の大きな要因の一つであった(ハーバード流とは違う主観的な意思決定方法であるが)。かくして私は階戸ゼミのメンバーとなったわけである。
 社会人にとって、仕事と学業の両立を行うためには乗り越えなければならない複数の壁がある。医療専門職である私の妻も公立の医療系大学院で学んでいるが、通学と(毎週与えられる日常業務とはかけ離れた)アカデミックな課題が大きな壁となって立ちはだかっている。私の経営する会社で勤務しているため時間調整を行いやすい妻ですら、このようである。社会人が通学の大学院で学ぶことは本当に大変なことだ。
 これに対して私は、社会情報研究科が多彩な講座を擁していること、また必須科目が多くなく自身の業務に直結する講座を選択することができたお陰で、レポート提出も非常に興味深く、快適に行うことができた。
 入学にあたって階戸教授やゼミの博士後期課程の先輩から頂いた助言は「社会人としての課題に直結しやすい講座を履修すること」「レポート課題に取り組む際には、その先にある修士論文を見据えること」であった。このアドバイスは非常に有益であったため、他のゼミの後続の方々にもお伝えしておきたい。

2.研究テーマの転換
 専ら経営上の課題解決を目的として入学した私にとって、複数の経営課題いずれもが修士論文執筆を通じて研究したい内容であった。入学前、アジア市場を睨んで複数回中国等の視察を行っていた私は、入学試験時の研究計画では「民俗経済学的視点から考察するアジア市場における経営戦略」をテーマとして考えていた。修士1年のときに京セラ名誉会長稲盛和夫氏一行と北京に同行したときにも、中国人経営者を捉まえて拙い中国語のアンケート用紙でリサーチを行った。
 しかし(入学時に想定していた程度を超えた)急成長する自社にとって社内の人材育成が喫緊の課題となるに至り、研究したいテーマもアジア市場戦略から人材マネジメントに移行していった。「入学選考時に提出した研究計画の変更を行うことなど許されるのだろうか」という懸念を抱きつつ、修士1年を終えるゼミの際に階戸教授に恐る恐るこれを尋ねてみたところ、教授は「社会人なのだから、自身にとって一番の課題を研究するのがよい」と研究テーマの変更を快諾してくださった。先述したアンケートも含めた数多くのアジア市場に関する資料収集やアジア経済に関するレポートを作成していた私にとって、修士2年に進級する際の研究テーマの変更は“より良質な修士論文を作成する”という観点からは後退であったかもしれない。しかし、“社会人として有している課題について研究を通じて解決を図る”という社会人大学院の本来の目的からすれば、また修士論文の執筆を終えた現在“研究内容が自社の重要な知的リソースになっている”ことを踏まえれば、研究テーマの変更は奏功したと言えるだろう。

3.カオスからの転換
 まもなく修士2年に進級という時期に、日本全土を震撼させる大惨事が起きた。東日本大震災である。地域の経済団体の役員を務める私は行政と連携しての安全の確保や対策に奔走した。また2011年8月には東京商工会議所評議員として本部から派遣されて被災地視察などを行った。また同年秋には自著の出版予定があり(実際の発売は2012年2月)、多忙を理由にゼミにまったく参加しない不良修士2年生となってしまった。同時に資料収集も含めて修士論文に全く着手せず、「修士2年の年末年始で論文を書き上げます」と階戸教授に宣言するという愚まで犯してしまっていた。その背景には多忙さのみならず、レポートでの好評価、これまで数冊の市販の自著を世に送り出したきた、という傲慢さもあったことだろう。
 心配してくださった階戸教授は「一度ゼミに出席して中間発表を行うように」と促してくださった。そこで自社の経営課題を自らの知見や収集した資料と繋げてにわかに作成した50枚程度の文章を論文の草稿と称して、ゼミでの(かなり時期の遅い)中間発表に臨んだ。結果、階戸教授とゼミに参加なさっていた池上教授から頂いた講評は「カオス」。個々の問題意識や知見は評価すべき点もあるが、研究を一貫する視点や論理がない、まさに、さもありなん、である。
 そこから初めて本格的な研究、執筆作業への取り組みが始まった。大学院の論文は、市販書を書くよりも数段大変なことである、ということを悟ることもできた。社会情報研究科の論文検索システムを活用し、論理的なバックボーンに据えた経営組織論の大家C.Iバーナードの主著のキーワードで論文検索を行い、ヒットした論文すべてに目を通し、これまで培ってきた社会学、心理学、法律学などの知見を採り入れ発展的な論理の構築を試み・・・、目的意識を持った大学院生ならば入学当初から当然に時間を掛けて行う営みに、私は短期決戦で取り組んでいった。
 階戸ゼミでの修士論文の草稿提出期限は概ねクリスマス、約80枚の論文を期限ギリギリで書き上げて階戸教授に送付、大晦日の昼、階戸教授からご連絡を頂き、晴れて大学院への正規の提出に到達することができた。

 修士論文執筆過程を振り返ってみて感じることは、“自らが社会人として抱える切実な課題を解決するためのメソッドとして研究は非常に有益だ”ということである。それまで経営学にしても経済学にしても、起きた事象を分析するに過ぎない後付けの論理だと高を括っていた私だったが、“過去の研究成果に学び、自ら考え、これを課題解決に当てはめることによって、適切なソリューションが得られる”ことを実感できた。研究は机上の論理ではなく、実践的な営みであることを知ることができた。

 後続の方々には総合社会情報研究科の講座の多様性、教授陣の顔ぶれの素晴らしさ、また通信制大学院のメリットを最大限に活用して、研究を通じて“自らにとっての適切なソリューション”を獲得し、これを世に送り出して頂きたいと切に願う。私自身もひとまず科目履修生として研究科にとどまり続け、また階戸教授が常任理事をなさっている学会での活動を行い、新たな実践的課題解決に向けて研究活動を継続したいと考えている。



総合社会情報研究科ホームページへ 特集TOPへ 電子マガジンTOPへ