≪六花の窓から見た中国≫第5回
     − 分かりにくい中国、分かりやすい日中 −

                                      国際情報専攻 4期生・修了 諏訪 一幸
 

   


 六者協議開催、GDP9.9%増(対04年比)。このようなニュースを耳にすると、私たちは、アジアの安定勢力となり、無限の発展可能性に対する期待すら与えてくれる中国に驚嘆します。その一方で、広がるばかりの貧富の格差、10年間で7倍にも増えたという暴動数、松花江汚染事故に見られる環境破壊の深刻化と住民無視の対応、繰り返される言論弾圧。こうした側面に目をやると、強権国家の恐ろしさがクローズアップされ、時として、近い将来の共産党政権崩壊といった「勇ましい」見通しが説得力を持ち始めます。どのような中国像を示せば、このように両極化する評価を融合させることができるのでしょうか。
 昨年10月、中国共産党は第16期中央委員会第5回全体会議を開催し、今年から始まる第11次5ヵ年計画案を採択しました。それは、2010年の一人当たりのGDPを2000年の二倍にし、GDPに対するエネルギー消費割合を05年比で20%削減するという意欲的なものです。党機関紙『人民日報』は、今年の元旦社説で、「今年は胡錦涛総書記の下で初めて策定される5ヵ年計画の初年にあたる」とした上で、政権の二大キャッチフレーズである「科学的発展観」に基づいて、「調和的社会」実現に努力するよう呼びかけました。科学的発展観にせよ、調和的社会にせよ、これらはいずれも社会的弱者を救済するという姿勢を示したものです。また、冒頭にあげたような深刻な問題に対する内外からの批判の声を意識したものでもあります。もちろん、方針と現実は別物なので、政策が実施に移され、しかも期待された効果をあげるかは、別途検証されねばなりません。現指導部は国家運営の困難さを十分認識していると私は考えていますが、弱者救済措置が直ちに効果を現すともとも思えません。指導部には、経済的発展を引き続き追求していく一方、その過程で表面化或いは深刻化する矛盾を、一つ一つ臨機応変に(時として、場当たり的に)処理していく以外、選択肢はないのだと思います。そして、それは当面、ある程度の成功を収めるでしょう。これが、私の「統一された」中国イメージです。

 中国の現状に対する両極化理解とは対照的に、小泉政権下での日中関係が停滞・悪化している点については、残念ながら、日中両国の国民レベルでほぼ見解が一致しています。以下、昨年の主だった出来事を回顧したいと思います。
 観光のため前年末から訪日していた李登輝・台湾元総統が1月2日に離日しましたが、その直後のことです。予定されていた日中与党交流協議会代表団の訪中を、中国側は「準備不足」を理由に延期するよう日本側に求めてきました。わが国報道機関は「李氏訪日への対抗措置」と報じましたが、今振り返ってみると、これは、緊張ムードが覆った昨年一年間の日中政治関係を象徴するかのようなスタートでした。
 2月、ワシントンで開催された日米両国関係閣僚による安全保障協議委員会が「対話を通じた台湾問題の平和的解決」を求めたことに、中国政府は強く反発しました。曰く、「米日軍事同盟は冷戦期に形成された二国間のもので、その範囲を超えるべきでない」、「両国の声明は中国の国家主権と領土保全及び国家安全につながる台湾問題を含んでおり、中国政府と人民は断固反対する」。日米安保に対する中国の評価は、その時々の国内事情や外交政策によって、賛成と反対の間を大きく揺れ動いてきましたが、強い反対の意思表示とも言える「軍事同盟」という表現は少なくとも最近では用いられたことがありません。台湾問題という特殊性はありますが、日本(及び米国)の動向に神経質になっていたことが伺えます。
 政府間のこうしたギクシャクムードが反映されたのでしょうか。3月末になると、中国の一般大衆の間に反日的機運が盛り上がり始めました。インターネットでの呼びかけに応じて、一部の地域で日本製品不買運動が起こり、日本の常任理事国入りに反対する署名運動が広がったのです。そして、ご存知の通り、「反日」デモと日本料理店や在外公館などに対する破壊活動が突如として湧き上がり、2週間後には何もなかったかの如く収束しました。この問題については前々回の「六花」で分析したので詳述は避けますが、破壊活動を許したのは、明らかに中国政府の判断ミスによるものです。ある程度の警察力を動員すれば、デモ隊は自然解散し、予想される被害も政府の責任を問われるほどにはなるまいと読んでいたのだと思います。しかし、事態の発展はそのような読みを大きく上回る、深刻なものでした。暴徒化した理由が何であれ、在外公館への破壊活動を許したことは明らかに国家としての失態なので、本来ならば直ちに、しかも明確に謝罪すべきものですが、中国はそうしませんでした。それは、日本に対して軽々には謝罪できないような政治的状況を共産党自らが作り上げてしまったからです。愛国主義を掲げる暴徒を力で押さえ込むことは不可能である。彼らを街に出さないのが唯一の対応策。当局は恐らくこう判断し、そして、実行に移し、一応の成功を収めました。中国側の対応は極めて不誠実でしたが、現在の共産党政権にできることが限られているのも事実なのです(因みに、私は先日、北京にあるわが国大使館を所用で訪れましたが、以前に比べてはるかに頑丈そうになっていた正門に、事件の傷跡を感じました)。
  デモ収束から1週間後の4月23日、結果的には昨年唯一の開催となった日中首脳会談がインドネシアのバンドンで行われましたが、両国関係を好転させるには至りませんでした。そして、5月23日、愛知万博にあわせて訪日中の呉儀副総理が、当日予定されていた小泉首相との会談を「ドタキャン」して帰国するというショッキングな事件が起こりました。外交儀礼上常軌を逸したとしか言いようのない事態に対し、中国からは明確な説明と謝罪はなかったようです。しかし、私は、中国側の意図については、中国のある有力週刊誌で紹介された、次のような見方が――たとえ、我々の常識に照らすと如何に不可解であろうとも――正鵠を得ていると思います。「最近の中国外交の特徴の一つは、原則問題で譲歩しないこと、戦うが破滅に至らないことである。呉儀副総理のキャンセルも然り。歴史問題に関する誤った考え方を日本側が改めない限り、現在の行き詰まり状況を打開するのは困難であることが再度表明された」。
 関係の更なる悪化を食い止めようという、自制の効いた時期もありました。8月15日に発表された「戦後60周年談話」の中で、小泉首相は、「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を改めて表明するとともに、中韓両国をはじめとするアジア諸国と「手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指す」ことの重要性を訴えました。一方、胡錦涛国家主席も、9月3日の「抗日・世界反ファシズム戦争勝利60周年」記念式典で行ったスピーチにおいて、「世代にわたる友好」に期待する旨表明しました。また、同30日、胡主席は極秘訪中した奥田碩・日本経団連会長と会談しましたが、これは、政治的波風はたっても経済交流は続けていくとの姿勢を示したものでしょう。小泉首相に対する何らかのメッセージが託されたかも知れません。
 しかし、秋の例大祭初日にあたる10月17日、小泉首相が今年も靖国神社を参拝して以降、日中関係は再び悪化し始めます。現下の日中政治交流としては最も重要な年中行事とも言える日中議員連盟訪中団の受け入れを中国側が拒否しました。小泉首相の靖国参拝に中国が反発して首脳の相互訪問が行われなくなった中、数少ない定期首脳会談実施の場と位置づけられてきたASEAN+3首脳会議と初の東アジアサミットが12月にクアラルンプールで開催されましたが、「現在の雰囲気と条件」を理由に、中国側は会談を拒否しました。外相会談すら開催されなかったのです。
 中国の外相は毎年年末、『人民日報』記者のインタビューを受け、一年間の外交活動の総括的コメントを述べるのが恒例となっています。今年のインタビュー記事は12月20日に掲載されましたが、中国が現在最も重要視している「周辺国外交」及び「大国外交」のいずれにおいても、前年同様(!)、日本への言及がありませんでした。多国間外交を扱った部分で、「ASEANと中日韓」との表現でかろうじて言及があっただけです。国際社会でますます存在感を強める中国の外交において、対日外交は実質的に無視された状態になっているのです。
 
 日中の政治関係は、年が改まっても改善するめどがたっていません。
 昨年末にわが国マスコミが取り上げた「在上海総領事館電信官自殺事件」をめぐる応酬が年始早々からありました。このような事件が、恐らく内部暴露の形で公になったのは、日中両国政府にとって不幸なことでした(「失態」を明らかにしたくない日本。自殺という結果を招いたことはともかくとして、雑誌等で報じられているような行為を行うのは主権国家としてはむしろ当然なので、日本側から非難される理由など毛頭ないと考える中国)。さらに、麻生外相の発言が波紋を呼んでいます。「天皇陛下の参拝が一番」という靖国関連発言(1月28日)は、微妙な問題を語るには余りに舌足らずでした。また、「台湾は、(日本統治時代に)ものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで、今極めて教育水準が高い国である」との発言(2月4日)は、独立派の台湾人が言うのならまだしも、日本外交のトップが口にすべきものではありません。「小泉首相にはもう期待しない。在任中に好転する可能性は非常に小さい」とする唐家?国務委員(前外交部長)発言(2月8日)は、このような流れの中で出てきたものです。同国務委員は、「在任中」と遠慮気味に語っていますが、現状では「在任後」の展望も開かれていません。こうした趨勢に対する失望感や焦燥感によるのでしょう、「政冷経熱」から「政冷経涼」へと、日中関係がさらに悪化することを危惧する声も出始めました。
 ギクシャクする関係に対する懸念が第三国から表明されるに至っては、日中関係は危険水域に入ったと言わざるを得ません。1月24日、ゼーリック米国務副長官は、「米国内には、小泉首相の靖国神社参拝による中韓両国との関係悪化でアジアでの日本の影響力が低下すれば、米国の国益が損なわれるのではないかとの懸念が広まりつつある」と述べました。「日米関係が良好なら日中関係も良好」と公言する小泉首相は、どのような思いでこの発言を聞いたのでしょうか。

 全方位外交を展開する中国ですが、相対的に柔軟性に欠く対象があります。それが台湾と日本です。中国はあくまでも内政問題と位置づけていますが、台湾問題は明らかに国際問題化しています。対台湾政策と対日政策の好転をいずれも次期政権に期待しているという点で、両課題に対する中国の基本的スタンスは共通していますが、具体的対応には違いが見られます。台湾の陳水扁総統は、今年元旦と旧正月の談話で独立姿勢を鮮明にしましたが、中国側の対応は自制的でした。それは、「台湾に物申す」ことのできる米国の存在と絶対的に優位な経済力という二大要素に支えられた自信に裏付けられているからです。対日政策が硬直的なのは、対台湾政策に見られるような好材料がないからかも知れません。

 今後の日中関係のあり方を考える時、昨年3月、「日本の対中円借款供与は2008年度をもって終了する」との方針が示されたことは重要です。中国側もこれに同意しているようです。過去20数年にわたって、日本の対中外交のテコ或いはカードとして重要な役割を果たしてきたODAがなくなるという情勢を受け、日本政府は一体如何なる方針で対中外交を展開し、関係を改善していこうとしているのでしょうか。昨年末に発表された内閣府アンケート調査結果によると、中国に対して「親しみを感じる」が32.5%、逆に、「親しみを感じない」が63.4%と、調査を始めた1978年以降、いずれも最低或いは最高を記録したそうです。この事実から、世論に対中外交好転の「後押し」を期待するのは困難なことが分かります。また、靖国神社参拝に対する世論が二分している状況に鑑みると、ドラスティックな進展を望むのも非現実的と言わざるを得ません。私は、日本が自らの自己像を正しくとらえることなしに、これからの対中、対アジア外交を展開していくことは不可能だと思います。「問題ない」と称して中央突破が図れるほど、中国(及び韓国)の靖国認識に柔軟性は見られない。この状況をどう打開するのか。さらに、他を圧倒する経済力に支えられた時代は既に過去のものとなり、今は地域の一主要国である。中国とインドの台頭は、唯一の超大国米国にとっても脅威と映るほどである。日米同盟に頼りつつも、米国の傘に収まることに甘んじず、アジアの一員として、地域の問題に主体的かつ積極的に関与し、貢献していく。そして、それによって国益を満たす。このような息の長い外交戦略構築が求められているのだと思います。
 
 私は現在、大学教員として日々学生と接しています。彼らの中には、「反日」デモに「ムカつく」学生がいます。その一方で、「簡体字(中国式漢字)を見るだけでワクワクする」学生もいます。中国のある新聞社が行ったアンケート調査によると、中国のアニメ愛好者の78%が日本の作品を最も好むそうです。このように、自分の足元に目を落とすと、日中の将来、実は、そう捨てたものではないのかも知れないと感じることがあります。「理由はよく分からない。でも何だか関心がある」。これで良いのではないか。政治情勢に左右されない純粋な気持ちをまっさらな紙に染み込ませる。地味で、根気のいる作業ですが、これが今の私に求められていることなのではないか。今年初の「六花」執筆にあたり、そのように感じています。