《六花の窓から見た中国》 第3回
  
             
 −
中国の「反日」デモ

 

                    国際情報専攻 4期生 ・修了 諏訪 一幸

 

   

  前回の「窓」執筆時、今回は1989年の「6・4天安門事件」を多少意識しつつ、現下の中国の政治社会状況を考察しようと考えていました。しかし、その後、日中関係をめぐる大きな事件が発生しました。4月に中国の主要都市で発生した「反日」デモ事件(そして、5月23日の「会談キャンセル事件」)がそれです。そこで、今回は予定を変更して、デモ発生の背景を探るとともに、国交正常化以降最悪の政治関係にある日中関係を好転させるための方策について考えてみたいと思います。

 

 本題に入る前に、一点説明したいことがあります。今回のデモに関し、私自身の認識に基づいて反日という言葉を用いる場合、私はカッコ付きの反日(つまり、「反日」)で表記することにしています。

 それは、今回のデモを見た時、現象的には明らかに反日ではあるものの、反日感情だけでその背景を理解するのは困難だと考えているからです。この点はマスコミなどでもしばしば指摘されているところですが、デモの発生と拡大には、貧富の格差拡大や官僚の汚職への強い反感、民族企業の打算(日貨排斥で自社製品の売り上げ拡大を狙う)といった国内的要因も作用していると思われます。「ガス抜きとしての反日」という側面が確かにあったのだと考えています。

 

 9日と16日のデモでそれぞれ暴徒の攻撃(投石)対象となった北京の大使館と上海の総領事館のひどい被害状況を写した映像に、そのいずれでもかつて勤務した経験のある私は、強い衝撃を受けました。また、暴徒の投石行為を阻止しようとしない当局の対応に、憤りを覚えました。そして考えました。どうしてこのような不幸な事件が起こったのだろうかと。

 

 「反日」デモは、何時でも起こりうるという意味では必然的であり、タイミングの点では偶発的なものでした。

 私が必然的だと言うのは、2001年8月に、小泉首相が就任後(現職としては1985年の中曽根首相以来)初めて靖国神社を参拝して以降、日中間の不協和音が高まりつつあったからです。これに加え、領土問題(東シナ海でのガス田開発、尖閣諸島、沖ノ鳥島)や台湾問題への「干渉」(今年2月、日中安全保障協議委員会は中国に対し、「対話を通じた台湾問題の平和的解決」を要求)など、日中間の懸案事項は、増えることはあっても減ることはないのが実態でした。さらに、「抗日戦争勝利60周年」にあたる今年は、これを記念する行事が数多く計画され、また、そのうちのいくつかは既に始まっていたという特殊な背景もあります。

 この時期にデモを誘発した要因としては3点指摘できます。第一に、3月1日にノ・ムヒョン韓国大統領がこれまでの方針を改め、対日批判を開始したことです。これ以降、中国国内(とりわけ、都市部の高学歴者層)に、反日を共通項とする奇妙な中韓連帯意識と「反日の激しさで韓国に負けるな」という競争意識が生まれました。次に、「安保理拡大なら日本の常任理事国入りは確実」としたアナン国連事務総長発言(3月21日)があります。この発言をきっかけに、「侵略の歴史を謝罪しない」日本の常任理事国入りに反対する民間の署名活動が大々的に展開されました。そして、歴史教科書問題がダメを押しました。4月5日、文部科学省は平成18年以降使用対象となる中学校歴史教科書の検定結果を発表しましたが、その中にいわゆる「つくる会教科書」がありました。中国が「右翼教科書」の烙印を押す同教科書が検定に合格したことで、その「協賛」企業を対象とした日本製品の不買・不売運動が始まったのです。

 

 「中国では反日教育が行われ」、「当局がデモをあおり、操っている」とわが国の多くのメディアが報じ、実際、そのような認識が幅広く受け入れられているようです。中国メディアの報道振りや中国当局の対応には、そうとられても仕方がない事例が確かにあります。例えば、3月25日付けの週刊紙『国際先駆導報』は「アサヒビールなどが『つくる会』を支持」とする記事を掲載しましたが、これは明らかに「誤報」の範疇に属するものでした。また、新華ネットは3月下旬から、日本の国連安保理常任理事国入りに反対するための署名活動を開始しました。前者は国営新華社通信の傘下にあるメディアであり、後者は新華社そのものとも言えます。従って、その後の事態の推移と併せて判断すれば、中国当局「主導」論が一定の市場を獲得するのも無理はありません。しかし、私の基本的立場は、反日教育論にも当局主導論にも与しないというものです。

 まず「反日教育」についてですが、中国の歴史教育に深刻な欠陥があることは否定できません。それは第一に、本質的には古典的なマルクス主義の発展段階論、つまり社会主義社会(将来的には共産主義社会)を最も発展した歴史段階にあると位置づける、単一の直線的歴史観に起因するものです。従って、社会主義中国建国の立役者である中国共産党の正当性・正統性を強調しようとしたとき、その前史である「日本軍国主義による侵略の歴史」を徹底的に非難するのは、ほとんど避けることのできない必然的な流れなのだと私は認識しています。次に、バランスを欠いた愛国主義教育の弊害が指摘できます。昨年12月、視聴者の批判を浴びて、ナイキのCMが中止に追い込まれるという事件が中国で発生しました。「竜や仙人といった中国の象徴を打ち負かすような内容のCMは、中国に対する侮辱である」というのがその理由だったそうです。行き過ぎた愛国主義教育の結果だと言わざるを得ません。

 つまり、中国の歴史教育に見られる問題点は、「反日教育」ではなく(そのような教育はそもそも存在しません)、近代以降を対象とした愛国主義教育が余りに反日的内容に偏っていることなのであり、それが今回の「反日」デモを引き起こした重大要因の一つであるというのが私の判断です。

 「当局はデモをあおり、操ってい」たのでしょうか。日本との良好な関係の構築は、やがては米国に匹敵する国際的影響力を持つ大国になろうという中国の国家戦略に間違いなく合致するものですが、問題はこの「良好な関係」の意味するところです。これは、決して「子々孫々の友好関係」などという麗しいものでなく、「何らかのプレッシャーをかければ取りたいものを取ることができ、しかも、それにも関わらず一定レベルの交流を保てるような関係」とでも言うべき、現実主義的発想に基づくものです。従って、侵略戦争の体験と記憶を持ち続ける世代に加え、90年代以降強化された愛国主義教育によって純粋培養された若い世代に見られる、複雑な対日感情を意のままにコントロールすることで、靖国参拝をはじめとする現在の政治案件を決着させようと中国当局が考えたとしても、それは十分ありうることなのです。先に紹介した新華社の対応振りなどを見ると、中国指導部は、一連の事態を少なくとも当初は「容認」していたと判断することができます。

 私は「デモは非官製で、自然発生的。当局は当初これを容認・利用しようとしていた」と判断していますが、それは、4月中旬になると、とりわけ16日の上海「反日」デモ以降、当局の対応が容認から封じ込めへと大きな、しかもかなり唐突な転換を遂げたからです。転換過程は以下のようなものでした。9日の北京「反日」デモ発生を受けて行われた阿南惟茂大使の抗議に対し、喬宗淮外交部副部長は「お見舞いと遺憾の意」を表明しましたが、「遺憾の意」とは謝罪表明に他なりません。その2日後、小泉首相が行った「デモ発生と靖国参拝は無関係」という発言は、「デモ発生の直接的原因は靖国にあり」と考える中国にとって、「聞き捨てならない」ものだったにも関わらず、中国メディアはあえてこれを報じませんでした。そして、上海デモ当日の朝、中国共産党の公式宣伝サイトである人民ネットは「我々はどのようにして愛国的情熱を表すべきか」と題する論評を掲載しましたが、そこでは、「違法な過激行為は問題の解決に役立たない」と、理性さを求める呼びかけがなされました。さらに、日中首脳会談開催(結局23日に実施)を控えた19日、「許可を得ていないデモなどの活動には参加してならず、社会の安定に影響を与えるようなことを行ってはならない」との強い呼びかけを行って以降、中国当局は過激な行動は力で封じ込めるという姿勢を鮮明にしました。デモを呼びかける反日サイトは閉鎖され(これはこれで、言論の自由という別の意味で大いに問題はあるのですが)、一部の暴徒は逮捕されました。実際、今日(5月26日)に至るまで、街頭での大規模抗議行動の発生は報じられていません。

 

 当局によるデモ封じ込めを受け、次のように主張する論調があります。「封じ込めによって当局の力が証明された。従って、一連のデモは当局がコントロールしていた」。このような主張は、中国共産党の統治能力を余りに過大評価した結果もたらされたもので、現実の中国の姿を正確に反映しているとは言えません。前段とも関連しますが、以下、「当局とデモの関係」に着目し、一部推測を交え、事態の推移を追ってみます。3月から4月9日までは「容認期」。徐々に顕在化してきた民間での「反日」機運を当局は容認していたが、それは、ある程度の抗議行動は対日外交遂行上プラスに働き、国内不満の「ガス抜き」ができるという意味で、当局にとっては許容範囲内だった。4月9日から19日までは「転換期」。9日に発生した大使館投石事件は当局にとって不測の事態だった。これを放置しておくと、日中関係は悪化の一途をたどり、国際社会からは「ウイーン条約を遵守しない違法国家」とのそしりを受けかねない。そこで、遺憾の意が表明され、デモを良しとしない公式論調が徐々に現れ始めた。しかし、遺憾の意が表明されたという事実が中国国内では一切報じられなかったことが象徴するように、抗議活動に積極的な人々から見ると、当局は依然としてデモを容認・支持していると理解できるような国内状況にあった。16日のデモ当日、警備関係者には投石阻止の指示が出ていたかもしれないが、「愛国無罪」の声の前には成すすべがなかった。そして、19日以降の「封じ込め期」を迎える。デモ隊が一度形成されると、これを力で抑えることは不可能であり、それでも押さえ込もうとすると、今度は批判の矛先が自分自身に向かうことになると当局は判断。そこで、民衆を街頭に出さないためのあらゆる措置が講じられ、成功した。

 4月19日以降の措置は、当局にとって威信をかけたものであり、大きな賭けだったと私は認識しています。それに成功した今、最高指導部以下中国の関係者は皆一様に胸をなでおろしているというのが実際のところなのではないのでしょうか。

 

 上海「反日」デモを契機に中国当局が過激な行動の封じ込めに動き出して以降、両国関係に深刻な影響を及ぼしうる街頭活動は、幸いにも発生していません。その意味で、日中両国にとって最悪の時期はどうにか脱したのではないかと思われたその矢先、来日中の呉儀副首相が小泉首相との会談を実施直前にキャンセルして突如帰国するというショッキングな事件が発生しました。これは「靖国神社参拝に関する日本指導者(小泉首相)の発言に対する強い不満」の表明であるというのが、中国側の説明です。日中政治関係改善の糸口は依然として見つかりません。

 

 このような状況ですが、いえ、このような状況だからこそ、日中関係を好転させるためには何をしたらよいのか、最後に考えてみたいと思います。

 デモは鎮静化したものの、「反日」の火種は依然として残っています。「抗日戦争勝利60周年」記念行事が今年後半に中国全土で行われる予定なので、それが「21世紀の反日行動」に発展しないよう、中国当局が指導力を発揮することを期待しています。また、今回の一連の事件によって日本国民の間に生じた中国に対する強い不信感を深刻かつ、真摯に受け止め、それを払拭するための努力を惜しまないよう、中国側に期待したいと思います。「中国側の対応に『納得できない』と答えた人は9割以上」との世論調査結果(ある邦字紙が5月中旬に実施)は、今回の事件が如何に異常なものであったかの証明です。中国政府には再度明確に謝罪表明し、かつ、前面・全面に出る形で、すべての経済的損失を弁償して欲しいと思います。デモに続く会談キャンセル事件によって、対中国民感情は一層悪化したでしょう。現在の深刻な事態は、たとえ「ごく少数」の暴徒の行為であろうと、その背景に歴史認識問題(とりわけ、靖国参拝問題)が存在しようと、常軌を逸した過激な行動を中国当局が放置したこと(そして、会談キャンセル・帰国という、かなり身勝手な行為)によってもたらされたものです。私が、短期的には中国側により多くの努力を求めているのは、こうした理由からです。

 中期的には、個々の国民レベルでの意識改革を進めることが必要です。「日中双方にとって、相手はアジア最大のパートナーであり、対立で得るところなし」との信念を持つことが求められています。また、先入観を排して正確な相手像を構築することも必要なのだと思います。我々日本人は、「独裁国家中国との相互理解や共存は結局のところ不可能だ」と考えがちです。表現の自由が保障されず、共産党の一党体制を徹底的に維持しようとする中国には、私自身、確かに違和感を覚えます。しかし、改革開放期に入ってはや四半世紀、共産党自身が大きく変化してきていることも事実です。IT革命の洗礼を受け、様々な価値観が流入する中、指導部はますます外の眼を意識するようになり、巨大国家を如何に統治し、如何なる方向へ導いていくか、苦悩しています。一方、中国の人々に対しては、「日本全体が右傾化している」とのステレオタイプ的認識を放棄して欲しいと思います。流動化が激しいとはいえ、中国共産党の統治能力の高さと政策全般に見られる一貫性の強さは、わが国主要政党の脆弱さとは次元を異にするものです。人間の判断はどうしても自分の置かれた状況を規準としやすいものなので、日本の個々の政治家(首相さえも例外ではありません)の発言をもって、中国の人々は、共産党指導者の発言同様、「それは日本政府を代表している」と認識しがちです。このようなことを言うのは内心忸怩たるものがありますが、日本の政治は一枚岩ではないのです。

 各々の歴史教育や歴史認識を見直すことが日中双方に課された長期的課題だと考えています。中国には、侵略の過去に止まらず、戦後の歩みを踏まえ、「将来にわたってパートナーたりえる日本」像をイメージできるような教育を行うことを期待しています。一方、我々には、「かつて加害者であった」との認識を忘れることなく、国際交流を進めていく姿勢を忘れないことが大切だと感じています。「我々は既に何度も謝罪してきた。戦後60年経ってもまだ謝罪し続けるのか」との声も強いことは承知していますが、一部の政治家(国会議員)によって繰り返される心無い言動によって、謝罪の声がかき消されてきたことを認識する必要があります。私は先日、改めて靖国神社に行ってきました。そして、戦争によって命を落とした「他国の人々」に対する悔悟の念を欠如した歴史観を確認し、少なくとも政治家はここを参拝すべきでないとの思いを新たにしました。小泉首相は4月22日、インドネシアのバンドンで行った演説の中で、「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明しましたが、再度靖国に参拝するようなことがあれば、おわびも反省も無に帰してしまうでしょう。

 私が以上で指摘した中期的課題と長期的課題は、その順序が逆なのではないかとお考えになる方がいらっしゃるかも知れません。人間の認識を国民レベルで変えるのが容易でないことは十分認識しています。しかし、日中両国の政治社会制度が余りに硬直している現状に鑑みると、やはりそのような順序でものごとを進めていくしかないのではないか、というのが私の結論です。従って、日中関係が根本的に改善され、そして発展する道のりは(勿論、私個人としてはそのための努力を惜しまないつもりですが)、長く、険しい、というのが、私のもう一つの見通しでもあるのです。

                        (2005年5月26日)