論文奮戦記
『文藝春秋』と岩波『世界』の論調から戦後日本の経済成長を考察して
−「日本的な個の確立」への一考察−
情報専攻 西牟田邦彦 著者紹介: 福岡市で情報機器メーカーに勤務しています。入社後に中近東へ出張し、湾岸戦争の後遺症が冷めぬクウェート、相次ぐ戦禍で頽廃したレバノンを目の当たりにしました。その後、パキスタン等にも渡航し、人間の群集とバイタリティに触れた感が強烈な印象として残っています。これらの経験が相俟って、本稿の論旨である戦後日本への考察を深めることに繋がっていると自負しています |
この度、国際情報論特講Tのリポート課題から、「戦後日本の経済成長と社会構造の変遷−『日本的な個の確立』への一考察」と題した論文を寄稿するに至った。リポート、及び本稿の作業は『世界』・『文藝春秋』の主要論文(左下の表を参照)に目を通すことから開始したが、両誌の論調を比較すると、改めてその議論、主張の多様さに驚くのである。
戦後の日本は、米国の介入によって経済的活路を見出し、今日の繁栄をもたらした。だがその変遷は、幾多の波乱に富むものとして、時に深刻な不況やパニックに陥り、脆弱な社会構造の様相をも露呈してきた。では、何が欠け、また何が脆弱なのか。米国の機械的、要素的な資本主義は本当に有効なのか。この点では『世界』及び『文藝春秋』も多様な角
だが、「Mass」が急速に浸透する社会構造は、その代替として、思想的な側面や文化的背景についても、いつしか「脱色」せざるをえない現実に直面する問題も否定しがたいとさえ思われ、またこのことが、日本やアジアの言論界に、ある種の危機的観測をもたらしている状況も頷けるのである。情報化の進展に伴う社会構造の受容は、米国主導に拍車をかけ、更に経済分野においても数理化による計量的解析の高度化が促進されている。プロ集団の米国による技術+理論の拡大化に、日本はどう対処してくのか。今後、改めて盛んな議論が待望されよう。
本稿はまず、第二次世界大戦の狂乱期における日本と米国の世論形成における背景から、大衆の理解・及び現実への「自覚」の相違点を踏まえ、そこから戦後日本の経済成長の概観に触れつつ、社会構造の変遷過程、並びに大衆、個人の意識変化から「日本的な個の確立」への考察を行うものである。自分が扱う課題としては誠に力量不足の感が否めず、拙作だが、皆様のご意見を賜れば幸いである。
戦後日本の経済成長と社会構造の変遷 −「日本的な個の確立」への一考察−
続く
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