「陶酔境のほうへ」

人間科学専攻 2期生・修了 山根 尚子


1 台北思いっきり気まま旅 ・・・・・・・・・・・・  4号(2001.6.1発行)掲載
2 韓国歴史の旅グルメ篇 ・・・・・・・・・・・・ 10号(2002.12.1発行)掲載
3 憧れのヴェトナム ・・・・・・・・・・・・ 12号(2003.6.1発行)掲載
4 マカオ飯の旅 ・・・・・・・・・・・・ 13号(2003.9.1発行)掲載
5 イタリアプーリア州とローマ ・・・・・・・・・・・・ 14号(2003.12.1発行)掲載
6 パリ・ミラノ ・・・・・・・・・・・・ 15号(2004.3.1発行)掲載
7 九州よかよか ・・・・・・・・・・・・ 16号(2004.6.1発行)掲載
8 琉球弧の島々へ 〜石垣島、宮古島〜 ・・・・・・・・・・・・ 17号(2004.9.1発行)掲載
9 タイ料理・カービング手習いの旅 ・・・・・・・・・・・・ 23号(2006.3.1発行)掲載






 その一 「台北思いっきり気まま旅」

 酔いも醒めた頃飛行機は中正国際空港へ到着。通路にかかっている看板は銀行、携帯の広告ばかりである。台北市街への移動には地元のバスを探す。宿泊予定のホテルを経由するバスを探そうとするのだが、どのバス会社も「このバスで大丈夫だ。」といった類の返事をする。とりあえず自社バスに乗せてしまおう。台北駅で降りて、その後はまたどうにかしてくれよ、とお考えのようだ。台北では英語はほとんど通じない。まだ日本語のほうが通じる。そして何よりも書かれた文字こそが役に立つ。アジア圏の中で英語が通じないということに関し、台湾と日本はいい勝負のようである。
 さて、どうにか目的のバスに乗ってホテルを目指す。車内を見渡すと中国系の人ばかり。目の前では、血色の悪いこわ面のオッサン6人ほどがトランプをしている。もちろんお金を賭けている。およそ海外旅行の帰りのように見えないから空港内で働いていてその帰りなのだろうか、台湾人の素の生活を少し覗いたような気がする。
 ホテルに荷物を置き、いよいよ台北探検である。MRTに乗車する。二駅70円ほどの乗車賃。磁気式リサイクルの券を自動改札に通す。下車後、公園(地下は駐車場)、中正(蒋介石)紀念堂を通り抜ける。

 目的の茶芸館(コーヒーショップのお茶版)を地図を頼りに探す。見つけた店の窓からは小さな公園が見え、お年寄りたちが何やら談笑している。何を話題にしているのだろう。子供のこと?孫のこと?台湾の青年達は兵役を逃れて留学するのが慣わしだとか、それで街では比較的若い男の子たちが少ないと聞いた。そんな孫の話でもしているのだろうか。想像を膨らませ、のんびりお茶とお菓子をいただく。飲杯(湯のみ)は日本酒の徳利ほどの小ささでお代わりの連続。おままごとをやっているようでもある。お茶は日本の緑茶の味もある。いいお茶は何回入れても風味が消えない。お菓子は和菓子に近いほどさっぱりしている。今風に甘さは抑えられている。あんこ、もち米が主な材料である。棗、ココナッツが使われているのはやはり中華菓子なんだろう。

 次は小龍包で有名なお店だ。夕方の開店と程なくして入ったためか行列することもない。一階入り口で10人ほどの弟子達がせっせせっせと小龍包を作っている中を通り抜け、階上にあがる。そのお店は日本の高島屋にも進出しているお店である。お店の人たちはどこでどう判断するのかきっちり日本人には日本語のメニューをもってくる。小龍包、えび餃子、青菜炒め、スープ、・・・どれもおいしい。薄味なのにしっかり味がついている。
遠くに高いビルが見える。あれが台北のランドマーク、摩天展望台だ。それに向かうことにする。空港に降り立った時からはっきりしないことがあった。まさにもやもやとしたことが。今日は曇りなのか。晴れているようでもあるのに青空が見えない。街中を歩いてみると車、バイクの交通量はかなりである。バイクの人たちはマスクをつけている。スモッグが立ち込めているのだ。どんよりとした天空の中、日は沈み、展望台に着いた時あたりは暗くなり、学校、仕事帰りの人々で雑踏は膨れ上がっている。45階をあっという間にエレベーターが昇っていく。45階から見下ろす台北の幾筋もの道路はそのままオレンジのライトで浮かび上がっていた。

 今夜の夕食は・・屋台で。士林夜市は台北駅からMRTで五つ目の駅のそば。夜市をどう説明すればよいのだろう。お祭りの夜店が毎日明け方までやっているとでも言うようなところ。ところが食べ物専門屋台群が見つからずぐるぐる回る。暗い中を歩いているとぽっかり突然それが現れた。活気のある屋台がひしめいている。鉄板焼きでは肉、魚貝類、野菜を中華調味料で味付けしている。テーブルが斜めになっており使い捨ての紙の皿は平面でたれはひたすら低いところへ向かって流れていく。生ぬるい台湾ビールを飲んで台湾に来ている、と実感。 

 二日目の朝は豆乳で始まった。現地の人々は揚げパンを入れたり、辛いたれやら醤油をいれながら食べている。散歩をしながら再度昨日の中正紀念堂を通り過ぎる。やっている、太極拳。胡弓を弾いている人もいる。そこを抜けると台湾のブライダルドレスのお店が何件も軒を連ねる。台湾の結婚予定の女性はみんなここに買いにくるのだろう。
 次は故宮博物院である。昨夜の士林夜市の次の駅で降り、バスに乗る。世界四大博物館の一つである。明や清の時代の財宝がなぜ台湾にあるのか、それは台湾の歴史そのものであり、日本も関与している。北京故宮から戦渦をくぐりぬけ西へ、体制に翻弄され海を越え台湾に渡った財宝の数々を今この地で一堂に会す。さて、あまりにも有名な翡翠の白菜の彫り物は手のひらサイズの小さなもの。実物の白菜の大きさをイメージしていたものだからそのかわいさにニイハオ。葉先の翠が実に濃い。
 新北投温泉に向かう。日本軍が掘り当てた温泉があるという。硫黄の匂いは外では感じられないものの湯温は高く、硫黄もきつい。台湾式温泉入浴法は温泉につかり、上がって体をさまし、またつかり・・・の繰り返しらしい。
 台北中心地に戻って夕飯。海老のマヨネーズ炒め、椎茸と筍炒め(酢豚の一部のよう)、黄韮と豚肉炒め、高菜と湯葉炒め、冬瓜とハマグリのスープ・・・、白いご飯と台湾ビール。台湾温泉でもってそれまでの真夏のプールで泳いできた後のようなほてり、疲労、空腹感が静められていったのは言うまでもない。

今回の旅行では茶器の店にも行きたかった。台湾に行くからには本場の様々な茶器セットを見たかった。あるホテルの地下にある店はすぐそことばかり立ち寄ってみる。出してくれたお茶の茶器に一目惚れする。白磁できらきらしている。飲杯を傾けると目の中いっぱいにそのきらきらした模様が飛び込んでくる。唯一台湾旅行での買い物となった。

 最終日。ホテルで朝食。別の茶芸館へ行ってみる。ここではひっきりなしに日本人観光客がやってくる。日本のポップスがかかっており興ざめである。
 昼は胆仔麺(香菜、肉そぼろ入り麺)を求めて移動する。中華とタイ・ベトナムの味が混ざり合ったような、摩訶不思議なスープは癖となりそう。隣の卓では中年男女三人全員が二杯目を平らげている。恐るべし!台湾パワー。さあ、そろそろ帰りの飛行機の時間が気になりだして、私の食べ物、お茶三昧の旅も終わりである。


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その二 「韓国歴史の旅グルメ篇」

―韓国料理はおいしくってヘルシー

 釜山のチャガルチ市場には通路の両脇に幅2、3mの露天商が続く。魚介類のみ。たこ、いか、すずき、えい、その他もろもろ。たちうおはその長さからして通路にはみ出ている。調理するすべのない旅行者はただ眺めるしかない。
 市場から陸よりには繁華街が延びている。そしてその歩道には屋台群。ムール貝、おでん、のり巻き、ジョン(韓国風お好み焼き)、お焼き、正体不明のものを釜山っ子たちが食べている。新宿や渋谷では考えられない風景。ちょっとお腹がすいたらペロリという習慣なのかも。道は食べるところ?と化しますます人々で膨れあがっている。
 チャガルチ市場内のレストランで食事。お刺身目当てに釜山ガイドのチョさんに案内されたところは店の中央に大きないけすがあって魚が泳いでいる。韓国入国して初めての食事に期待も高まる。ビール、続いて韓国焼酎で乾杯。韓国人にとって焼酎は国民的なお酒。甲類が主で、癖がなく、韓国料理に合う。
 料理のメインは大皿いっぱいの平目の刺身。日本では平目は高級魚だが、ここでは庶民魚。サンチュ、エゴマの葉(ひと回り大きめの大葉)に、薬味(青唐辛子1本そのまま・にんにく1片)、コチジャン塗って刺身をのせ巻いて食べる。かさごのから揚げ、キムチ、ツブ貝のようなもの、わかめを炒めたもの、ゆで筍…。韓国の食卓は副菜(ミッパンチャン)の数が豊富。あれこれ食べる楽しみ。ごはん、スープでしめる。スープは豆腐入り辛い魚スープ。日本人の味噌汁のようにスープは韓国人にとってなくてはならないもの。ご飯を入れながら食べると心身温まる。いわゆるネコメシ。韓国ではお行儀の悪いことではないらしい。チョさんは33才の独身男性。韓国人と初めて食事を共にし、質問攻めにしながらも会話が楽しく、食欲も杯も進む。

*2日目(9月21日)
 朝食は各自。釜山駅まで散歩がてらロッテリアで朝食をとる人、宿泊ホテルの朝食をとる人それぞれ。私の朝食はホテルのブッフェ。洋食、日本食、韓国食が並んでいて目移りする。
 海雲台ビーチを散歩し、今日のランチのカルビ店へ。海のそばの丘に建つその店からは遠く対馬も眺められる。いよいよ本場カルビをがっつく。海雲台はいまや韓国有数のおいしい牛肉の産地。センカルビ(味付けなし)、ヤンニョムカルビ(味付)それそれが骨の長さ10センチを芯にして肉が巻かれて運ばれ、ロースターの上に観音開きにして焼かれる。これを店員がはさみでチョキチョキ切って出来上がり。ビーチで暑い日差しを受けたみんなは喉が渇いていたようでビールと焼酎で乾杯。そして大きな窓からのすばらしい景色。キムチ、水キムチ、唐辛子ベースのドレッシングで和えたサラダ、チャプチェ(春雨料理)と副菜が並ぶ。至福の時。韓国のお茶は恐ろしく甘い。ニッキ茶だったり棗茶だったりするのだが糖分たっぷりのジュースのよう。
 夕食は高級感あふれる慶州の現代ホテル内レストランへ。ここでの狙いは法酒という地酒と、韓国松茸。塩をごま油に溶かしたたれで焼き松茸を食べる。素焼きされた松茸は旨みが中に閉じこめられ、ごま油とよく合う。海鮮鍋、カボチャ粥、プルコギ(すき焼風焼肉)、キムチ、韓菓子。カボチャ粥というのは韓国では日常食らしい。風邪を引いた時にというよりいつでも食されるものだとか。お酒を飲む前にちょっと食べておく、というのがいいらしい。見た目、カボチャスープ。しかし粥と名がつくからに、ご飯をミキサーにかけたものが入っている。それがスープにどろっとした粘性をもたらす。

*3日目(9月22日)
 朝食各自。旅館傍の定食屋にかけこむ。偶然居合わせたバスの運転手のアジョシにテンジャンチゲ(味噌チゲ)定食を勧められる。運ばれてくると並ぶ並ぶ副菜のお皿。卵豆腐、各種キムチ。スープのだしは牛肉、牛骨だろう。おいしい。
 昼食は韓定食。副菜多い韓国料理だが、更にいろんな料理が並ぶ。各種ナムル、キムチ、プルコギ、蟹、チヂミ、チャプチェ、鮑粥。昨夜からはまっている法酒で乾杯。百歳酒というのは朝鮮人参入りお酒。

*4日目(9月23日)
 朝食はホテル前のコンビニでパンとコーヒー。おにぎりも売っているのだがハングル文字は解読不可のため具がわからず。若い店員に聞いてもわからない。
 昼食。扶余の評判の食堂で、昼食の定番、冷麺、ビビン冷麺、ビビンバ、カルクックス(うどん)、各種キムチ。日本人は麺好き。すっかり日本でも定着した冷麺だけど、あのスープは水キムチの汁だとか。漬け物は発酵食品で乳酸菌が豊富。その汁には旨味、栄養たっぷり。水代わりに食中その水キムチの汁を韓国人は飲むそうだ。そしてビビンとは混ぜるという意味。ビビン冷麺、ビビンバはコチジャンを適宜入れてよく混ぜるのだ。辛いものにはお酒が合う。
 韓国料理といえば唐辛子。実はこの唐辛子、豊臣秀吉の時代に日本から渡っていったものだとか。輸出された先でこれほど定着してしまうとは驚き。韓国人の口に合ったとしか言いようがない。韓国と日本の気温差?いや北海道の唐辛子料理は未だ聞いたことがない。
 夕食。ソウルに到着してソウルのガイド、チョンさんの案内で韓国式居酒屋へ。鶏肉じゃがいも煮(甘辛い)、蛸イカ甘辛だれそうめん(まるでスパゲッティナポリタンのようだが現在流行中)、ジョン、卵スープ。

 明日には旅の最終日。韓国料理も名残惜しい。韓国料理とイタリア料理は似ている。にんにく、唐辛子が必須。韓国のごま油にイタリアのオリーブ油。赤色のソース。韓国はコチジャン、イタリアはトマトソース。どちらも食べ物の色が豊富で、おいしくってヘルシー。
 それもそのはず、韓国の食の基本は陰陽五行にあるとか。五味五色。甘、辛、酸、苦、塩辛いの五味と青、赤、黄、白、黒の五色の食物をバランスよく摂取することで健康を保つという、古代中国の陰陽五行説に基づいた思想があるのだ。

*5日目(9月24日)
 朝食各自。屋台のホットサンドイッチとスターバックスのコーヒー。
 昼食各自。早発組は既に空港に向かっている。新村のスーパー、デパートを駆けずり回りながら、デパ地下で日本のお好み焼きをテイクアウト。にんじん、ピーマンが入っている。お寿司についてくるガリが添えられている。これがこの旅行の食事の食べ納め?いやいや現地仕入れのキムチ+アサリの塩辛(チョッカル)、韓国のり、コチジャンは帰ってからも楽しめる。
 5日間充実の食事であった。韓国料理は焼肉だけにあらず。何度でも食べに行きたい韓国だ。ちなみに韓国の物価は安い。特に食事が安い。このグルメ篇を読んだあなた、韓国に行きたくなりましたか?


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その三 「憧れのヴェトナム」

 ずっと行きたかったヴェトナムのホーチミンに料理手習いのため行ってきました。その時感じたことを書いてみました。

1. 治安は悪い?

 成田からホーチミンに向かう飛行機で隣に座ったヴェトナム語ペラペラのLoiさん。1978年にアメリカに移住して、2週間の休暇をとり初めての里帰りだとか。時計、貴金属、お金には気をつけるようにと助言され、やはり危ないの、と不安いっぱいでヴェトナムに入国しました。パスポートをホテルに預け、お金はその日に使う分だけをポケットにそのまま入れて出かける毎日でした。いつ危険が降りかかるかしれないと常に気を張っていましたが、災難に遭うこともなく無事帰国しました。帰国直後、ヴェトナムで20年間技術指導してきたというヴェトナム通の人の話を聞きましたが、いまやヴェトナムはアジアの中でいちばん安全との評。その話を先に聞いていればよかったのか、どうか。とはいえ、旅行は、注意しても注意し過ぎるということはありません。

2. 料理研修

 一般的にタイにしてもヴェトナムにしても、肥沃な土地柄、人々は豊かな食生活を送っています。そして、その二つを比べた時、ヴェトナム料理はタイ料理ほどインパクトがないという思い込みをしていましたが、本場のヴェトナム料理に接して、この意見は見事に裏切られることになりました。隣国中国からの影響もあるでしょうし、もともとのヴェトナム人が相当なグルメだったのかもしれません。
 まず、ヴェトナム料理の特徴は、何より豊かな食材にあります。肉、野菜、果物、香辛料が朝早くから市場に並びます。市場の隅には生きたままの鶏が籠に入っています。牛・豚はそれぞれ塊状になって売られています。魚、海老、蟹も新鮮です。そして何よりも野菜類は贅沢の域です。その日の朝に摘んできたばかりの多種の野菜、香菜がみずみずしいままに積まれています。
 次に、素材の味を引き出すのに長けていることでしょうか。だしは肉、魚からとります。だし用につかった肉、魚はもちろん料理の具材に使います。だし取りの間、料理に応じて玉葱、パイナップル、生の香辛料の塊等を入れて、具材を柔らかくしたり、臭みをとったりと計算高い調理法が取られます。だしはスープに、煮込んだ具材は別の一品物の材料に使われます。
 また、味の特徴ですが、ヴェトナム料理と言えば、ニョクマムです。タイのナンプラ―、日本のしょっつる、いわゆる魚醤です。魚醤だけにそれだけでこくがあります。ニョクマムのたれの作り方は以下の通りです。ニョクマム大さじ1杯、水大さじ1杯、砂糖大さじ1〜2杯、レモン汁1杯、にんにくと赤唐辛子のみじん切りを混ぜます。これは少量の作り方ですのでこれの×2、×4で作ってみて下さい。このたれは生春巻きにつけたり、フォー(ヴェトナムうどん)にかけたり、ヴェトナム料理のありとあらゆるものに合います。
 このレシピから想像できるように、甘くて酸っぱいというのがヴェトナム料理の特徴です。またヴェトナムでは味の素の消費量が多いのですが、今では日本であまり使われなくなった味の素を、ほとんどの料理に使います。この完璧でないところが愛すべきヴェトナム料理なのかもしれません。料理学校の先生はいつも照れ笑いしながら味の素を入れていました。

3. ホーチミン見どころ

 ホーチミンの歴史的建造物に統一会堂(旧大統領官邸)があります。数年前に公開された映画「天と地と」(トミー・リー・ジョーンズ主演)での、サイゴン陥落の場面、アメリカ兵が続々とヘリコプターで脱出するシーンが蘇ってきました。そこで実際にロケをしていたのかもしれません。建物内に入り、中央部から外を眺めると、まっすぐに延びる道路がたくさん群衆で埋め尽くされていたような錯覚さえ覚えました。
 ところでヴェトナムの道路状況についてですが、バイク、自転車、車の走行は途切れません。その中を右折、左折し、横断の人が歩いて通り抜けます。慣れてくるとだんだんコツがつかめてきます。急に走ったり立ち止まったり突飛な行動さえ取らなければ、ゆっくり歩いて抜けられるものなのです。
 さて、観光客相手にヴェトナム名物シクロという乗り物があります。自転車の後ろに椅子のついた荷台がついています。一部で危険という案内もありますが、安全です。ぜひお試しあれ。

4. エステ三昧

 今回の旅は6日間午前中料理教室に通うものでしたので、ホーチミン市外へ遠出することができませんでした。そのため挑戦?したのがエステ、マッサージです。日本での疲れを癒すべく、日々エステに通いました。
 ほとんどその種の店は外国資本で経営されています。日本のS化粧品会社が経営するエステサロンは見るからに瀟洒な1階建ての建物なのですが、フロントを通りエレベーターで地下6階まで潜ってのエステ体験でした。ヴェトナムでは地下を掘削するのが安価なのでしょう。有事の際にはシェルターに早替わりするのもしれません。そんなことを考えながら優雅な数時間は癖になるほどの至福の時でした。

5. ショッピング

 日本円の強みでもって信じられないほど物価は安いです。手刺繍バッグ、オーダーメイドの洋服は観光客向けに多少高めになっていますが、それでも安いのです。市場、スーパーで売られている食器、食材は現地プライスでかなりの割安感です。現地の初任給は高卒で月80ドル、エリート社員が150ドルという相場からみれば買物天国も頷けます。

最後に

 ホーチミン滞在中、イラク攻撃、SARSのニュースが飛び込んできました。SARSについては最初の感染者がハノイに滞在していたこともあり、まさに他人事ではありませんでした。ヴェトナムは観光地であるだけに何かあれば直接被害を受けます。被害がどれだけ大きいかと心配ですが、同時に不屈の強さで跳ね返すパワーを感じます。ヴェトナム、カムオン!(ありがとう。)






その四 「マカオ飯の旅」

  2003年春先のSARSが終息し、7月末香港を経由し出張でマカオに行きました。その時の現地のレストラン巡りした様子を中心に書いてみます。
 歴史的に言えば香港がイギリスから中国に返還されるのに遅れること2年、マカオは1999年にポルトガルから中国に返還され、すでに中国に同化している印象でした。実を言えば市内を散策する暇もなく、バスの車窓、わずかな散歩、フェリー乗り場でポルトガルの香りを感じることはありませんでした。さて、マカオは地理的に中国の珠海市と陸つながりになっています。小さなマカオにカジノが約10軒というのは多いのですが、どうしてでしょう。観光都市であるというだけではないようです。中国人は賭け事が好きらしいということと関係があるのかもしれません。あくまでも憶測ですが(滞在中同室の芳《フローレンス》さんは二晩続けて行っていました)。
 さて、ポルトガル料理とはタラやイワシなどの魚介と米を多用し、焼いたり炒めたりする素朴なものが多く、凝ったソースが用いられることはない。それを源流にして、ポルトガルの貿易商人たちの船がアジア各地を経由して、インドの香辛料、マレーシアのココナッツ、中国のエビ、カニ、チキンが加えられた…。さらにはアフリカ、ブラジルなどのポルトガルの植民地の料理法、調味料までも。そして調理するのがアジア人、後に中国系の人々も加わってできたのがマカオ料理であるとのことです。これほどまでにいろんな国の具材、味付けが混在するものもないでしょう。当時の、遠く故郷を離れたポルトガル人たちはどんな思いでマカオ料理を食べていたのでしょう。興味が湧きます。以下はマカオ滞在中の夕飯の内容です。

1.地元で人気のレストランにて
タラのすり身とマッシュポテトのコロッケはポルトガル料理の定番の前菜。形は楕円形でかわいい。
鴨肉の煮込みはブラウンソース。土鍋ごとオーブンで焼いたものがテーブルへ。ライス付き。
スペアリブ
カレースープは、ジャガイモ入り。ライス付き。日本のカレーライスに非常によく似ている。
カレー麺は、焼きそば麺をカレーで和えたもの。
野菜炒めはキャベツを中心とした野菜炒め。

2. ハイアットリージェンシー内ポルトガルレストランにて(写真参照)
タラのすり身とマッシュポテトのコロッケ。
シーフードサラダ。
エビのスープは複雑な味。オニオンスープにエビのダシも加わって、香菜も入っている。
ラムの煮込み、ブラウンソース。
カニのクリームスープ煮
チキンの煮込みは土鍋で。クリームソースで煮込んである。
チキンライス、日本のチキンライスと全く同じ。アジアでチキンライスと言えば、白いご飯の上に焼いたチキンがどんとのっているのが常だが、日本のケチャップ味チキンライスと同じ。
デザートは洋風デザート。なぜか沖縄のサーターアンダギーのような揚げドーナッツもあり。
サングリア、甘い赤ワインにりんご、オレンジなどの角切りフルーツが浮かんでいる。

3.マカオタワー(高さ338mは世界で10番目)の展望レストランにて

 360度マカオの夜景を見渡せるようテーブルがゆっくりと回る。角度によっては、すぐ真下はもう中国本土。料理は和洋中の料理が多種並んでいる。ポルトガル、マカオ料理はない。ビュッフェ形式のレストランではこれまでの人生でbPのおいしさ。同席の榮(カルビン)氏は中国人きってのグルメらしく、ベストチョイスされたもののみを持ってくる。お眼鏡に叶ったものだけが彼の皿に載る。それを参考に私も選択。お奨めはデザート。洋風、アジアン風どちらもグー。タピオカゼリー、牛乳プリン、胡麻アイス、胡麻ゼリー、…。

刺身は鮪、甘エビ、タコ、サーモンがあり。その場で塊をスライスしてもらう。
海苔巻きは海苔入らずの白胡麻、黒胡麻まぶし巻きが主流。
しゃぶしゃぶ
ローストビーフ、ポークはスライスしてお好みのソースで。
北京ダック
パスタは調理人が、客の選んだ具とパスタ(堅めにあらかじめ茹でてある。)をざるに入れて軽く一茹でし、かたやフライパンでソースをあたためパスタ・具を加え完成。できたてのおいしさ。
デザートは圧巻(写真参照)。
 マカオ飯とは、家庭的な味なのかもしれません。日本の料理と似ているものもありました。キャベツ、ジャガイモを多用して庶民的です。それにしても泊まったホテルのエッグタルトは最高美味でした。パイ生地がバターたっぷりさくさくで、中のカスタードクリームがかなり濃厚。ある台湾人男性は一人でお皿に10個も取り分けて満面の笑顔で食べていました。おいしいものを食べている人たちの嬉しそうな顔を見ていると、親しい人たちでもないのに微笑んでしまいます。私まで幸せのおこぼれを預かったような気分です。食べることには、その本来の目的以上に不思議なパワーが秘められています。






その五 「イタリアプーリア州とローマ」

 日本人の人気の旅行先イタリアに行きました。今回は藤沢のイタリア料理店の企画ものでした。偶然この旅行を知り、むむむ、何かおもしろそう・・・。というのは7日間の旅のうち、前半イタリア南部プーリア州ファッザードという町のマッセリア(農場民宿)に泊まって料理研修、後半ローマに移動して観光・ショッピングを楽しむというものだったからです。シェフ曰く、プーリア州は魚料理がおいしく、北部よりも興味を惹いた、とのこと。私も魚料理のほうが断然好きです。

夏だったら入れたプールです。 農場民宿のエントランスです。

<<前半部>>バーリ空港からファッザード――お食べ地獄へ――
 イタリアではアグリツーリズモといって、農場民宿に泊まるのがブームになっています。民宿といっても雰囲気のある石造りの家に泊まっておいしい食事、おもてなしを受けます。今回はその民宿でイタリアのマンマ直伝のお料理を習いました。
到着の翌日別の農場民宿にランチを食べに行きました。オーナーに手入れの行き届いた農園、お屋敷を案内していただきました。それから食事タイムです。13皿運ばれるとのことに期待と同時に恐怖…。もちろん13皿どれもこれも抜群においしいのですが、我慢比べのように食べ続け”お食べ地獄”と笑い飛ばすしかありませんでした。1時半に始まったランチ、4時を回って終了しました。
レストランの入り口はこんなかわいい飾り付け。  女王様のトマト。食料庫に半年保存していても大丈夫。
サボイキャベツフランとアップルオリーブ  かぼちゃとズッキーニ入り大麦リゾット  干し鱈とポテトのマッシュとフェンネル焼  野菜の自家製パスタ
ポテト添えラム  フレッシュフルーツサラダ  オレンジとチョコが出会った時  きのこのマカロニ

 帰り道アルベロッベロという世界遺産にも登録されたトンガリ屋根の住居を見て回りました。おもちゃのような外観です。
 翌日はモノポリという海に面した町の青空市場を見学、その後アドリア海の崖に造られているレストランでランチです。

食事前に、海水で侵食した後隆起した洞穴で軽くシャンペンとおつまみをいただきました。  ブルスケッタ  タコのトマトパスタオレキエッテ  鯛です。
隣の鯛を1人分のプレートに。  ムール貝のリゾット  フルーツシロップ漬け

 夕食はやっとお待ちかねの調理実習です。プーリア州独特のパスタ料理オレキエッテ(耳たぶという意味)とパンツァロッティ、茄子とパルミジャーノの重ね焼きに挑戦です。オレキエッテはセモリナ粉と水をこねて粘土細工をするように細い紐を作り2cmほどに切り、ナイフをへらの如く操り貝殻のような形にします。それをブロッコリーと茹でて、フライパンでプチトマトを崩しながら炒めた中に先ほど茹でたものを加えます。パンツァロッティはパン生地の中にモッツァレラとトマトソースを餃子のようにしてくるみ、揚げたものです。もちろん中のモッツァレラはとろとろに溶けていてオイシイ。とにかくマンマの作った料理は信じられないほどのおいしさでした…。
 翌日も朝食後、調理です。キッターラという四角い枠に針金が数十本平行に釘打ちされている上にパスタの素を置いてのしてその針金を通ったものがキッターラという麺になります。麺を茹でたら、かなり煮込んだトマトソースで和えます。もう一つ、ムール貝のリゾットを作ります。こちらはズッキーニ、玉ねぎ、トマト、ジャガイモなどの野菜をたっぷり入れます。プーリアはおいしい野菜の産地で、野菜好きの私にはうれしいばかりです。3品目はフォッカッチャというピザの生地で作ったパンです。モッツレラチーズ工場を見学に行った時にもフォッカッチャを作っていてイタリアでは定番中の定番です。もちもちっとしているのはドゥにマッシュポテトを入れているからです。イタリアのマンマの家庭料理ってなんておいしいのでしょう。この民宿の厨房で仕事人のコックが全く同じものを作るとなぜか数段味が落ちているのです。

ムール貝と野菜のリゾット ギッターラでパスタを作ります。 イタリアのパン”フォッカッチャ”
<<後半部>>ローマへ――観光――
 ローマそのものが遺跡です。有名なスペイン広場(『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べた階段のところ)、トレヴィの泉(後ろ向きにコインを投げると、またローマに戻れる、2度投げると好きな人といっしょになれる、3度投げると離婚できるのだとか。)コロッセオ。町を散策しているといきなり古代の建物が現れてびっくりすることもしばしばでした。パンテオン(大き過ぎてカメラに入りきらないほど)、ファルネーゼ宮(現在フランス大使館に使用されている)…。
 ヴァチカン美術館は雨の中朝8時過ぎに入り口に並び開館をしばし待ちました。システィーナ礼拝堂のミケランジェロ『最後の審判』と天井、壁に繰り広げられるキリストの物語。天地創造、大洪水。見ごたえありました。美術館の隣にはサンピエトロ寺院が位置します。10月19日に故マザー・テレサの列福ミサがあり30万人もの人が集まったとのことで、ローマの人口は一時期膨れ上がっていたようです。この日(22日)もミサが行われているらしく寺院前の大画面には中の様子が映し出されていました。そのため一般観光客は中に入ることは叶いませんでした。

ヴァチカン博物館内からサンピエトロ寺院が見えました。 スペイン広場。ローマの休日でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べていました。早朝7時半のため無人なのでパシャリ。
 イタリアは歴史があって文化があって、成熟しています。だから大人が似合う。そして日本人に優しいのもうれしいところです。誰にでも優しいの?毎日が幸せだったら誰にでも優しくなるのかもしれません。そう、イタリア人って「妬む」という負の感情 をもともと持ち合わせてない人々のような気がします。






その六 「パリ・ミラノ」

 2004年新春のパリ・ミラノに行ってきました。
 1月2日午前11時10分成田発、同日午後4時パリ着。元旦にパリには雪が降ったとのこと。飛行機着陸直前に見たニュースでは、シャルルドゴール空港で積もった雪を掻き出す除雪車の様子が映し出されていました。空港ビルから屋外に出るとどんよりとした空が広がっていました。
 投宿のホテルはヴァンドーム広場近くのパークハイアットです。その近くにはホテルリッツがあります。あのダイアナ妃が亡くなる直前泊まっていたところ。ホテル近くを散歩し、予約をしていた16区のレストランへ。英語メニューはないのですが、不明なものは店員が一つ一つ丁寧に説明してくれました。長時間移動後だったため軽いものをいただきました。味のバランス、ソースのおいしさ、芸術的な盛り付けあるいはキュートな飾り付け、伝統を守りつつ新しいことも取り入れており、落ち着いた雰囲気の中料理を味わいました。

アートな野菜サラダです。 カニ肉のアボガドソース添え リゾットです。
帆立バター焼き スフレです。 ボリューム満点のチョコです。

 実は今回の旅はショッピングという目的がありました。翌日、シャンゼリゼ通り、モンテーニュ通りを駆け回りました。ブランドショップを数軒回って気付いたこと。日本人女性、欧米人女性を見かけたのですが、決定的な違いの一つは、あちらの女性達は必ずと言っていいほど男性連れなのです。「これ、どうかしら?」「いいんじゃない。それにしたら?」的な会話をし、男性(夫・彼氏)が支払いをしているのです。もう一つの違いは、若い欧米人女性をほとんどブランドショップで見かけなかったということでしょうか。若ければそんな服を着るまでもなく、若さにあった服を身にまとう術があると心得ているのでしょう。

シャンゼリゼ通りのヴィトンは改装中ですが、外観がヴィトンのカバンです。 ギャルリーラファイエット(デパート)の外壁がルミナリエになっています。

 さて、そんな合い間に、サンルイ島のレストランでランチを取りました。石井好子のエッセイを読んで、一度はパリで食べたかったオニオングラタンスープをオーダーしました。また、デリの店「ジェラール・ミュロ」で惣菜とケーキチェックをしました。いつの日か暖かい日に、ここで食材を手に入れ、近くのリュクサンブール公園で食べる構想が早くも浮かんできました。

シャンゼリゼ通りにあるラデュレのモンブランケーキです。もちろん型にメレンゲを焼いたものが入ってます。  サンルイ島のレストランのオニオングラタンスープです。 同じくタルトタタン。りんごがたっぷり入っています。

 後ろ髪引かれつつ、1月4日ミラノへ移動日しました。今世界で最も安全なエールフランス機で1時間40分ほどの、アルプス越えのフライトです。多少南下するもののミラノも寒く、陰鬱な空模様でした。日曜日のためほとんどの店が閉まっているにもかかわらず、ホテル近くのドゥオモ、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア近辺は人が溢れていました。皆さんただぶらぶらしているような感じでした。

パークハイアットホテルの朝食です。シリアルが豊富です。 朝食バッフェコーナー。とてもスタイリッシュです。 レストラン内の花です。

 翌朝そのドゥオモを見学。館内にはステンドグラスの窓、絵、彫刻がありました。外に出て、エレベーターで屋上に上がるとミラノ市内を一望できます。夜ならば素晴らしい夜景を眺めることができたでしょう。ただ足元がよく見えないとスリルがありそうです。その後、プラダ、ヴィトン、グッチ、ドルチェ&ガッバーナ等のショップを巡りました。今は年に2回のうちの1回の、バーゲンの時期です(パリでもちょうどこの日あたりからセールが始まりました)。ミラノのショップの特徴ですが、必ずドアのところに、きちっと黒いスーツを着こんた体格のいい男性がガードマンよろしく立っておりドアの開け閉めをしてくれます。ちょっと恐いです。
 1月6日はエピファニア(東方三博士が生まれたばかりのキリストを訪ね、祝った日)という祝日のため、またまたお店は閉店。そのため、電車でスイスのフォックスタウンへ向かいました。ミラノセントラル駅から鉄道で45分、キラッソ駅で下車しそこから7キロのところに、アウトレットのフォックスタウンがあります。キラッソ駅はスイス、その手前のコモ駅はイタリアですが、全く国境越えという感じはありません。丸一日パスポートの出番はありませんでした。そのファックスタウンには、ファッション、食器、スポーツ用品のブランドショップが入っています。日本のファッション雑誌にも紹介されており、日本人常駐のインフォメーションセンターもあります。プライス表示はスイスフラン。0.7を掛けるとユーロ価格になるとのことです、たぶん。再び鉄道でミラノに戻りました。
 その夜はミラノ通の人の案内でリストランテペッピーノへ。とても洗練された、素材を活かしたお料理の数々でございました。ルッコラエビサラダは、日本で味わうルッコラとは別物の胡麻の香りが漂い、ちょうどよい蒸し加減のエビのそれだけに唸りました。もちろんそれから続く数々のお料理にも。そしてエントランスホールにはたくさんの絵画がこれでもか、というほど飾られていました。

ラビオリです。 ボンゴレビアンコです。 からすみのスバゲッティです。
アカザエビのグリルです。 ドルチェのワゴンサービスです。 ワゴンの反対側も撮影しました。
鯛の紙包み焼きです。 エントランスのいくつかの部屋にはこれでもかっていうくらい絵が飾られていました。

 そして無事に旅も終わり、カード会社への返済が残りました。






その七 「九州よかよか」

 九州は好きですか。食べ物がおいしく、見どころもたくさん,温泉もたくさんです。そんな魅力的な、春爛漫の中九州巡りの旅に行ってきました。

 九州の7つの県にはすべて空港があります。よりどりみどりの中、羽田から佐賀空港に降り立ちました。

 1日目はそこから古湯温泉へ。佐賀の温泉といえば嬉野、武雄が有名ですが、唐津への向かう道すがらの古湯へ。佐賀ならでは陶器の温泉風呂があったり、お風呂場に陶器が飾られています。それから玄海灘を目指し唐津へ。唐津の海はエメラルド色、ぼてっとした高島という島が見えました。以前は炭鉱があったそうです。それにしても九州は想像より広かった・・・。唐津に行ったのに呼子に寄れず、平戸にも寄れずに長崎市内へと向かいました。

 長崎市内に入ると路面電車と車が行き交い、異国情緒漂う、雰囲気のある町でした。オランダ坂の石畳を歩き、市内を一望できる稲佐山にロープウェイで登り100万ドルの夜景を鑑賞しました。夕食は卓袱(しっぽく)料理。卓袱(ちゃぶ)台なんて当て字の言葉もあります。円卓の上にたくさんの和中華の料理が並びました。本来は6,7人で卓を囲む賑やかな食事の形態のようです。豚の角煮、お刺身、野菜のクリーム煮なんて取り合わせは日本全国どこを探してもないでしょう。

卓袱料理の数々です。最初にお吸い物が出ます。途中、中華のスープも出ます。
 2日目は長崎市内観光です。大浦天主堂をのぞくと多くのキリシタンがこの地に住んでいたことを知らされます。すぐそばの高台にはグラバー庭園をはじめとして外国人居留地の洋館が建ち並んでいます。海側に降りて、帆船祭り、出島ワーフを見ました。かなりの人出です。路面電車に乗って、孔子廟へと。ここでは北京の故宮の宝物が定期的に貸し出され、それらを見ることができます。平和公園から大浦天主堂を探し訪ねていくといきなり高台の斜面にその正面からの姿を見ることができます。キリスト教の威厳を感じます。ちゃんぽんを食べて雲仙へと移動しました。

グラバー庭園でドラマの撮影をやっていました。

浦上天主堂

大浦天主堂

トロッコ電車から普賢岳を望みます。
 3日目は島原城を散歩し、普賢岳を眺めるトロッコ電車に乗りました。往復1時間の乗車ですが、数年前住民の命を奪った山は平成新山と命名され、そこから流れた土石流の姿があります。今ではそこに新築の家々、畑が広がっています。市内で具雑煮(小さな丸もちときのこ、ワカメ、たけのこ、ごぼう、海の幸などの入ったお澄まし風雑煮です。)を食べました。あの天草四郎が籠城した時に持ち込んだ材料でできたのが具雑煮の由来です。島原外港に向かいフェリーに乗って熊本上陸です。高速船なので30分で熊本入り。乗客は半分以上が韓国人、中国人。九州の観光地はいまや彼らで成り立っているようです。熊本市内の道路はバイパス並みの2車線、3車線。でも渋滞ばかり。阿蘇のそばを抜け、黒川温泉へと。黒川温泉、今とってもホットな温泉です。熊本の名物を言えば馬刺しのようで、珍しいたてがみの肉も並びました。食事もよかったのですが、温泉もさすが。洞窟温泉、川そばの温泉。24時間入れるので酔いを覚まし深夜に入った時は貸切状態。川のせせらぎを聞きながら、月とたくさんの星を見ながらのなごみのひとときでした。

具雑煮

写真上中央が馬

 4日目は湯布院散策、若者で溢れ返っていました。由布岳を180度のパノラマで見ながらの入浴は露天風呂の醍醐味です。それから別府温泉の鉄輪(かんなわ)温泉へ。別府は昔からの温泉町、ここかしこと湯気が立ち上がっていました。ここの温泉は中に神社がありました。大分の名物は鶏です。または城下かれい。食べるチャンスはありませんでした。りゅうきゅうという名の刺身の醤油漬けの料理を見かけました。りゅうきゅうはあの琉球から命名されたのでしょうが、九州ではりゅうきゅう、一般的のようです。そして、大分空港から帰宅の途につきました。






その八 「琉球弧の島々へ」

 琉球弧とは九州、台湾間の海域に浮かぶ弓なりの島々のこと…。その北部は薩南諸島、南部は琉球諸島。琉球諸島の北部分には沖縄諸島が位置し、南部分(宮古列島以南)には総称して先島諸島と呼ばれる島々が点在している。ダイビング目的で訪れるこれらの島々だが、、地元の料理が楽しみ。今回は先島諸島の中でいちばんの都会、石垣島と、さとうきび畑広がる宮古島のご案内を。

石垣島へ


 石垣空港はこじんまりと、島の中心地の南側からほど近い。北部には森が広がっていている。波のない海をカヤックで進み川の河口から上流に向かって進んでいくとマングローブが生い茂っている。泥のような川に住む生物、それらを狙って飛ぶ鳥、生態系が連鎖している。島の西側の川平湾にはマンタが回遊し、人気のダイビングスポットである。11月初旬、1回のダイブで16匹ものマンタを見ることができた。

 先島諸島には民話が豊富にあるようだ。時の琉球王朝が「島分け」「村分け」「道切り」して石垣島の住人を黒島に強制移住させた。引き裂かれた恋人たちの話もあるようだ。「道切りで黒島から石垣島に移住させられ、黒島の方向を向いたまま石になってしまった女性マーペーがあの岩。」という話を聞いた。

 石垣牛が有名である。鮮度もいいのでホルモン好きにはたまらない。

 もちろん沖縄料理もおいしい。同じ沖縄県とはいえはるか沖縄本島と離れているのにもかかわらず、ゴーヤチャンプルー、ラフテー、沖縄そば(三枚肉)、ソーキそば(骨付き)と同じものがあるのは不思議である。はずれにあたったことはない。どこの店のものもおいしい。

 滞在中に石垣島の祭りに居合わせた。大きな公園に櫓が組まれ、周りを素人団体が屋台を出している。島そばはソース焼きそばではなく、中華風。点心も売られており、酒の肴にはちょうどいい。屋台のメニューはすぐ近くの台湾の影響を受けているのだろう。

 石垣島でのおみやげ、黒糖、自然海塩、シークワーサージュース(シークワーサーはスダチのような柑橘系で、泡盛と合う。)、泡盛。それに、黒米入りかまぼこ(黒紫米のおにぎりを魚のすり身でくるんで揚げてある。)を購入。テレビや新聞で紹介されたこともあるとのこと。魚と主食のごはんをいっしょに食べられて、アイデア商品である。

石垣島祭りの屋台
石垣島祭りの屋台
離島桟橋上に上がる花火
離島桟橋上に上がる花火
 
  イカ墨そば
イカ墨そば
マーミヤー蒲鉾店の黒紫米のおにぎりかまぼこ
マーミヤー蒲鉾店の黒紫米のおにぎりかまぼこ

石垣島へ


 石垣島のイメージをしていたのだが、宮古島はずっと鄙びていている。石垣島に先島諸島の人口の80%が住むのだから、この島の人口は僅かということか。2003年9月の猛烈な台風は近代的な建物を壊していったらしい。そのせいか変に観光地化されている印象も受けなかった。

 宮古島は隆起サンゴ礁の島である。宮古島、伊良部島付近には海中に洞窟がたくさんあり地形を楽しむダイビングが可能である。ダイビング地の名称も楽しい。ガォー、天使の隠れ家、アントニオガウディ、L字アーチ、クロスホールなど。

   三角形をした宮古島南東の方角に位置する東平安名崎(ひがしへんなざき)の先端に進むと海がパノラマ状態に広がる。東が東シナ海、西が太平洋であり、東シナ海は優しく、太平洋は荒々しい恐い印象だ。宮古島の北には池間島があり、1425mの池間大橋で結ばれている。エメラルドグリーンの美しい海の上を走ることができる。伊良部島の西側には下地島。そこでは日本の航空会社のパイロットの練習基地があり、タッチアンドゴーが見られる。

 宮古島でも沖縄料理を堪能。宮古そば、ゴーヤチャンプルー、ラフテー、刺身の舟盛り。港そばのオープンエアのしゃれたバーベキューもナンプラー、唐辛子の味付けでしゃれていた。都会からこの島が好きになって移住してきた人のお店だろう。若いカナダ人が手伝っていた。

ゴーヤチャンプルー
ゴーヤチャンプルー
ラフテーサラダ添え
ラフテーサラダ添え
舟盛り刺身。初めて食べる貝がいくつかありました。
舟盛り刺身。初めて食べる貝がいくつかありました。
バーベキューのお店にてチキングリル
バーベキューのお店にてチキングリル
サイコロビーフステーキ
サイコロビーフステーキ
宮古島の雲
宮古島の雲
東平安名崎から、姿のない本土を望む
東平安名崎から、姿のない本土を望む

沖縄そば。
沖縄そば。
すむばりそば
宮古島最北端の食事処「すむばり」のすむばりそば。海鮮風沖縄そば。
タコ丼
タコ丼は、タコのカツ丼版。タコが柔らかい。
沖縄そば
沖縄そば

 いつかは長期滞在したい島々、ゆっくりと沖縄島時間を味わうために。






その九 「タイ料理・カービング手習いの旅 」

 寒い時だからこそ暑い国に行きたくなるというわけで、鳥インフルエンザもなんのその、エスニック料理の本場、タイに行ってきました。はじめてタイ料理を味わってから20年近くたった今でも、魚臭いしょうゆのナンプラーの旨み、プリッキーヌの辛さに飽きることはありません。ですから、タイ料理は私の料理紀行の原点に違いありません。
 さて、タイ料理というと一般的にどんな印象を受けるでしょうか。辛い、屋台料理、でしょうか。実は、タイは食材の宝庫と言えるところです。食材では肉はもちろん、野菜は新鮮、高級な海老・蟹も豊富です。また、調理方法では、中国からの華僑をはじめとした人の流れも多く中華料理、あるいはインドにも近くカレー料理がタイ風にアレンジされるので、おいしくならないわけがありません。そして物価も安く、まさに異国からの旅行者はその恩恵を預かることになります。

 今回は、まず12月に2週間タイ料理を、年が明けて1月1週間カービングを習いに行くというスケジュールでした。
 タイ料理では米の粉でできた麺料理、宮廷料理、肉・魚料理、サラダ、カレー、デザートなど約50種類を習いました。
 その特徴ですが、スープのだしは鶏まるごと1匹分、豚骨からとるのは当たり前です。インスタントですます日本人からすると贅沢なばかりです。また、食材はその日の朝、市場で仕入れたもので、冷凍ものはなしでした。
 また、料理には揚げ物が多く、炒め物でもかなりの量の油を使います。揚げるように炒めるという表現が的確なほどです。たっぷり油を使ったお料理はおいしいものです。タイは暑いのでしっかりカロリーを取るという自然に生まれた暑さ対策かもしれません。余談ですが、そんなタイ人の体型とは……。街中を歩く若い女性はぴっちりとしたジーンズを履き、お尻の形もなかなかです。この地でもダイエットは関心事のようです。
 さらに、デザートがおいしいということを伝えなければ。個人的好みから言えばココナッツミルクを使ったデザートの数々でしょう。それ自体に甘みを加えて寒天で固めたり、餅粉と合わせてバイトイという葉でくるんで蒸したり、もち米・黒米・かぼちゃ・バナナを甘く炊いたり、そして更に甘ったるいマンゴーを添えると完璧です。そんなココナッツミルクですが、カレーやトムヤムクンにも加えることもしばしば。万能選手です。

 ところで、帰国してすぐフルーツカービングを習いにバンコクを再度訪ねました。日本でスイカやメロンを彫って飾ることは、食べ物を粗末にするようで考えられません。第一、野菜、果物は高価ですし。もちろんタイ人にも食べ物を粗末にする習慣はありません。しかし、彫った野菜、果物は食卓を華やかにします。花と違って花粉がこぼれるという心配もないですし、お皿の上に食材と同じものがのっていてそれが花や葉の形をしていたら料理の盛り付けが華やかになりますし、独自のタイ風の飾り付けになります。 日本の懐石料理にきれいな盛り付けがあるように、タイ料理でも然り。まさにタイ人がどれだけ料理の盛り付けに気を配るかというところから生まれたものなのでしょう。そしてカービングは器用な日本人にもじわじわと人気が出てきているようです。それともマイブームでしょうか。

 最後に、料理以外のタイ人観察コメントを。タイはずっと上手に独立を通してきました。国民は仏教徒がほとんど、現在の王様を敬い、親日的です。そんな彼らはプライドの高さを自他共に認めます。ですから所有の車に見栄をはります。空港を降りて街中を走れば、車の立派なことに驚くことでしょう。また、タイ人特有の気質、「マイペンライ」は何が起こっても「大丈夫」、「どうってことないさ」です。すてきなことばです。