「東武練馬まるとし物語 第三部」

国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

 その一 「点を線に」

 3年前、電子ブックという形で、それまで連載され7話が1つになった。その続きも第二部として書き終わり、1年の月日が過ぎた。
 爽やかな季節、2006年の春。
 その電子ブックのヒット数が凄いと聞いた。
 研究科の後輩の方々以外でも、ネット上のことなので、この話に関連する何かしらの言葉が検索され、読んでくれる人がいるのかもしれない。
 これについては、あまり実感はない。店のお客様から、ごくたまに、ご存知なことをおっしゃっていただけることがある。
 細かいことはさておき、お声がかかり、再び書き出すことにした。

 僕は、東武東上線の東武練馬駅南口近くにある「とんかつまるとし」の三代目の店主である。店は今年で35年続いている。
 始めたことがある。
 それは、「練馬商人会」を昨年12月に立ち上げたことだ。
 きっかけは、その2ヵ月前、練馬区のタウン誌「アサヒタウンボイス11月号No.20」のコーナー「ねりま生活応援団」で、地元きたまち商店街が紹介され、「まるとし」もそこで記事になった。
 この取材をした記者に頼まれ、以降、僕の友人がいる商店街・商店会・商栄会が次々と紹介された。
 これまで商店主として日々活動する中で、商店街という枠を越えて、気が合う商店主同士の交流や、実践的な話し合いができる場を切望していた。
 それによって自店の活性化、ひいては地域商業の活性化に繋がっていくのではという想いがあった。

 昨今、「新連携」支援ということで国をあげて中小企業連携を進めている。
 「連携」とは、各企業がお互いの強みを提供しあい、連合体で効果的に事業を進めていくことを意味する。特に経営資源が不足がちである中小企業にとって、連携は成長するための重要な用件になるそうだ。
 個店の多くは大型店の台頭などにより、多くの顧客が流出するという深刻な状況に置かれている。
 それを打破するためには、自店だけで対策を練るよりも、むしろ外部の要素を効果的に取り入れることで、これまでにはない強みづくりを行うことも1つの活性化策となる。つまり、個店の連携対策が求められているのである。
若手商人研究会  このような背景に、昨年7月から12月にかけて、東京都商店街振興事業で、「連携」による個店活性化を考えるというテーマの「若手商人研究会」に僕は参加した。

 すべては偶然、いや必然だったのかもしれない。
 こうした研究会によって、自店の連携づくりについて、いろんな角度で学べると、先のタウン誌の記者に話したことで、表紙を飾る話になった。
 テーマは、漠然と考えていた。同世代で、素直で飾らずに話せる、店に対しては人一倍努力している、地域が少し離れている個店同士を連携するということで「練馬商人会」というネーミングにした。

 それからというもの、好調な店の合間をみて、練馬区主催のセミナー等で知り合った大泉や石神井などの元気な店主に声をかけた。
  昨年末。正月早々に発行「アサヒタウンボイス2月号 No.23」の表紙にふさわしい場所ということで、「まるとし」の地元、北町にある浅間神社境内、下練馬の富士塚での撮影となった。
 最終的に集まった店主は9人。他にも声をかけた店もあったけれど、頭数を揃えるより、年末の忙しいこの時期に集まれた店だけでやっていくことになった。
 表紙の写真と共に、掲載された記事は以下。会に対する僕の気持ちが集約されている。

  『安全で安心して暮らせる街に欠かせないのが、地域コミュニケーション。
   ご近所同士のあいさつや交流の場として、再び商店街が見直されています。
   このような中、きたまち商店街の若山太郎さんは若手商店主を中心に、
   「練馬商人会」を発足させるといいます。
  「区内の他地域(ニュー北町商店街・大泉学園町商店会・石神井公園商店街)
   の商店主との交流を通して、それぞれの個店の活性化を目指すことで、
   商店街のみなさんと地域に暮らすみなさんが笑顔で元気になるきっかけ
   づくりをしたい」とやる気満々です。』

 具体的な活動はまだこれからである。ただ、今回集まった仲間それぞれが忙しく、定期的な会合はもうけることはしない。
 お互いの店を、買い物や食事に行った時に、話すことが会合代わりのような状態だ。商店街活動のイベントへのアイディアや経営についての実践的な生きた知恵など、これから長く付き合うことで、建前でなく本音の話ができる関係が築ければと思う。

 2月16日、「若手商人研究発表会」に参加した。この「練馬商人会」について事例発表したことで、東京都中小企業振興公社理事長賞を受賞することができた。この発表会には昨年に続き、2度目の参加であった。

 地域貢献の一環として、練馬の二大祭りの一つである「第19回照姫まつり」への一般協賛を「練馬商人会」がした。
  特に若い人は練馬に長く住んでいても、意外に地元ことを詳しくは知らないものだ。それは、日本のどこの場所でも同じではないか。
 今までこの物語でも、きたまち阿波踊りや、練馬のお祭りについては、なるべく詳しく書くようにしてきた。
 自分で知りえたことは、点でなく線のように、多くの方にその内容を伝えたいとの思いからだ。
 この「照姫まつり」については、前回の最後の話で詳しく書いた。お忘れの方は、振り返ってもらえればと思う(第20号参照)。

  4月23日「照姫まつり」。昨年は重臣役、今年は輿警護武者役での参加。輿警護武者とは、行列の時に、照姫・泰経公・奥方が乗る輿について警護する役である。

 早朝から石神井公園内の野外ステージに集合、立ち位置確認などのリハーサルを繰り返す。昨年と同じスケジュールで、公園近くの小学校で着替えもし、ここでも最終的な演技の確認をする。
 残念なことに、この日は公園内のステージでの演技を終えた時点で、雨のため、予定されていた照姫行列は中止になってしまった。
 時間の都合で、この演技の後から、妻や子供たちが応援に駆けつけてくれる予定だったので、その姿を見せられなかった。

 よかったこともあった。それは、「練馬商人会」の仲間であり、石神井公園商店街の「赤井茶店」の赤井さんに会場で話せたこと。
 赤井さんは、いつもは商店街内で餅つきなどのイベントに参加されていた。この日も、公園内東側ひろばの一角に商店街が出店したため、午前中から来場者に風船を配り、また千社札(照姫まつり限定シール)の機械に並ぶ方々をサポートするスタッフとして活躍していた。

 話は前後するが、その2週間前。
 4月9日、氷川台4丁目にある氷川神社の春の大祭に合わせた「神輿渡御行列」が行われた。練馬区無形民俗文化財である「神輿渡御の御供道中歌」と「鶴の舞」が披露された。
 それは、3年に一度の古式ゆかしい行事である。行列に参加する氏子の減少により、「まるとし」のある北町2丁目からも4人呼ばれ、僕や「練馬商人会」の仲間でありニュー北町商店街の「居酒屋むさし乃」の大野さん、地元の区議の方も一緒に参加した。
神輿渡御行列 氷川神社は、500年以上の昔から、鎮守として地域の人たちに親しまれてきた。社伝によると、本社創建は長禄元年(1457年)渋川義鏡が戦の途中、下練馬で石神井川を渡ろうとした際に、川辺に湧き出る泉を発見、兵を休めて須佐之男尊(すさのおのみこと)を祭り武運長久を祈ったことに始まるという。この泉を「お浜井戸」といい氷川神社はもともとそこにあったそうだ。

 行列出発時刻の一時間ほど前に、タクシーで氷川神社に到着。出店も多く神社の境内も飾りつけられ、華やかだった。
 早速、烏帽子に白装束の姿へと正装する。いただいた役割表の紙によると、行列では10番目の矛で前の方あった。とても重い。 神輿
 午後2時、神幸旗を先頭に、ご神体を乗せた神輿が「お里帰り」と称して、氷川神社を出発、神社発祥の地「お浜井戸」までの約800メートルを80人ほどの紋付はかま、白装束で正装した氏子が行列する。氏子たちは大太鼓の響きに乗って、「神輿渡御の御供道中歌」を歌う。
 神事を一目見ようと集まった地域の人たちでにぎわいを見せる。

 そして石神井の川べりに近い「お浜井戸」に到着して式典が始った。鶴の舞に先立ち、獅子舞が奉納される。続いて、小さく切った紙を編み上げた鶴の冠をつけ、紋付の羽織を広げて羽ばたくさまを表した鶴の舞が演じられた。この舞は子孫繁栄を表し、五穀豊穣を祈るもの。舞が終わると再び行列は神社へと戻って行く。かっては農村地帯だった練馬の面影を今に残す素朴なお祭りであった。

 当日の模様は、ケーブルテレビで放送された。あまりに人が多くて、その舞はよく見えなかったのだけれど、後日映像としてしっかりと目に焼け付けた。
 そこには、僕や大野さんの姿もしっかりと撮影されていたので、ささやかではあるが、「練馬商人会」のテレビデビューとなったようだ。

 以下、次号。


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 その二 「輝かしい夏」

 今年の夏も忙しい毎日だった。

 「まるとし」がある練馬区北町は、3つの商店街が旧川越街道沿いに長く続いている。
 この街は、懐かしい味、驚きの値段、とびっきりの笑顔、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさで、時間がたつのを忘れてしまいそうになる。
 近隣の方々は、商店街より、近くのスーパーの便利さに目がいっているかのようにみえる。駅前の人の流れが、今も逆に向いているからである。
 でも、僕は、ここ数年、実際に買い物や、妻と2人でいろいろな店を食べ歩いたりすることで、専門店が軒を並べている商店街の魅力を素直に感じている。
 僕が店に行けば、顔見知りであり、店の方は、心からの笑顔で迎えてくれるし、その数日後には、逆に直接食事にみえられたり、出前を頼まれるなど、気持ちのキャッチボールが生まれる。とにかく、街には温かさがある。

 そんな中、5月、お話があり、隣の商店街の理事に就任、今年から2つの商店街の理事を兼任することになった。
  隣の商店街というと、ニュー北町商店街のことで、理事長は、練馬商人会の仲間・伊勢屋岡本製菓支店の岡本さん、今回改選で2期目を受けるにあたって、北町の3つの商店街にコミュニケーションをと、きたまち商店街から僕が、そして、北一商店街から岡本さんのお兄さんが理事に呼ばれた。
  このことは、僕が練馬商人会を作った目的の一つでもあった。立場的に、岡本さんがそれを今回実践しようと動いてくれた。今まで商店街同士が交流できなかったことを、今後少しずつ、新しい関係作りができればと実現したものだ。僕もそれに協力できれば、と思っている。

 北町では、7月最後の土曜日(29日)に恒例の「きたまち阿波踊り」が実施された。今年で14回目となり、当日は7万人の方々が来られる地域最大のイベントである。
 毎年のことなのだけれど、きたまち商店街ではこのイベントの準備に、通りに飾ってある提灯の数に合わせて、店ごとに理事が手分けして、阿波踊りのうちわを配る。配る数は2000枚ほどで、当日配る500枚も別にある。うちわを作った数はその倍の5000枚で、残りの半分は、ニュー北町商店街でも同様に配られる。
 そのうちわの表には、去年、長女の写真が中心に大きく載り、今年のうちわの裏には、三女が写っていた。
 僕は去年からこの阿波踊りの会計を担当している。

 当日は、地元のじゃじゃ馬連に参加する娘に、スタッフとして付き添った。4年前から、このイベントには関わっていることになる。
 「きたまち阿波踊り」について、今まで何度か詳しく書いた。お忘れの方は、振り返ってもらえればと思う(第9号・第13号・第17号参照)。

 今年は天候にも恵まれ、事故もなく、連の進行も時間通りスムーズにいった。
第14回きたまち阿波踊り  阿波踊りの翌日、常連のお客様が、本部席近くで、すべての連の踊りの模様を撮影し、編集したDVDを2枚いただいた。
 運営に関わるスタッフは、実際の踊りを観ることはできない。お陰で、初めて、「きたまち阿波踊り」を観客のように、楽しむことができた。
 「まだ編集したDVDは自分では観ていないけれど」とおっしゃって真っ先に僕に持ってきて下さった。とてもうれしかった。
 また、翌月、次女にも大きなご褒美が待っていた。それは、阿波踊りの普及と発展を目的とした情報誌、「あわだま」2006年8月号掲載「第2回あわだま☆キッズ写真コンテスト」で、次女がキュートスマイル賞を受賞したことだ。
 「あわだま」は、阿波踊り期間限定で発行され、発行部数は50,000部ほど、阿波踊りの本場徳島をはじめ、全国の阿波踊り大会で無料配布されているものである。

 次に、昨年の「きたまち打ち水大作戦」について振り返ってみる。
  真夏の気温を下げ、ヒートアイランド対策から地球温暖化対策にもつながる打ち水は、誰でも手軽に実行できる環境活動として年々注目度を増している。
 昨年、商店街全体を盛り上げようと、友人から打ち水のことを聞いたことで僕が企画し、きたまち商店街の理事会で提案、承認され、「きたまち打ち水大作戦」が実現した。
 毎年「きたまち阿波踊り」が終わった後、静かになってしまうこの商店街に、何かしらもう一つ、お金のかからないようなイベントをしたいと考えていた。
 意見が通った要因は、費用や各店の負担がほとんどかからないのに、対外的に商店街のアピールができ、商店間や地域の方々とのコミュニケーションが期待できるという点が大きかったと思う。
 また、理事になってから、毎月の理事会参加はもちろん、各種のイベントに欠かさずその準備から運営に関わり、一つ一つ小さな仕事をこなした実績が認められたからかもしれない。
 初めてのことで、先の見えない中、予算もなく、実行委員会もなく、実質1人で始めた大作戦。商店街の一店一店に声をかけ、近くの寺に頼んでひしゃくを集め、ポスターに手書きで開催日時を記入して、開催までこぎつけた。

 「第1回きたまち打ち水大作戦」は、水つながりということで、8月17日の水曜日から24日の水曜日の8日間、1日朝と夕方2回、各店舗の前で一斉に打ち水。初日こそ参加人数は少なかったものの、ニュー北町商店街の方々も協力してくれ、日を追うごとに参加店数は増えて行った。
 最終日には、小池百合子環境大臣もゲストで飛び入り参加され、僕も発案者として呼ばれ、小池環境大臣と並んで打ち水をした。
 選挙前ということで、多くのマスコミの方が来られていた。この時の模様は、イベントが終わった数時間後に、テレビ番組(日本テレビ『ザ・ワイド』)で報道されていた。
 とにかく、この打ち水を各店にやってもらうための声かけに日々追われ、商店街では、1人で動き回っていたので、この期間だけで1足サンダルがだめになった。
  急遽買いに行った打ち水音頭のCDを午後に商店街放送で流すようになって、この曲がかかると、店の方が打ち水をしようという雰囲気になり、少しずつ浸透していった。
 通行人に「お陰で涼しくなったよ」と声をかけられることもあった。

 そして、今年の「きたまち打ち水大作戦」について。
 理事になったこともあり、ニュー北町商店街の理事会で、あらためて正式に企画書を提出、承認され、去年は一部の店だけだったのが、今年から正式に「きたまち打ち水大作戦」にきたまち商店街と並んで、ニュー北町商店街全体も参加することになった。
 今年練馬区では、「環境都市練馬区宣言」が8月1日に施行され、関連イベントとして、当日の午後1時に区役所正面玄関で打ち水を実施、その日の夜には、記念式典が練馬区文化センターで行われた。
 「第2回きたまち打ち水大作戦」は、その翌日の2日(水)から9日(水)までの8日間に実施され、好評を得た昨年の取り組みに続き、今年はより旬なイベントとなった。
 この期間、きたまち商店街のコミュニティーセンターの掲示板に、去年撮影した打ち水の写真を使って「ミニきたまち打ち水写真展」を実施した。といって、写真につける短いコメントは手書きで作るささやかなもの。来街者というより、打ち水をしてもらう方のモチベーションを少しでも上げようと考えからだ。
 今年は2日目、8月3日に、昨年に続いて小池環境大臣が参加。浴衣を着た3人の僕の子供たちと並んで、商店街の多くの方々と一緒に打ち水を行った。
 地域の子育て中の親子が気軽に集まり、情報交換や交流を深め、お互い支えあう、「NPO北町大家族・かるがも親子の家」の子供たちも、一緒に打ち水をしてくれた。
第2回きたまち打ち水大作戦  後日、「まるとし」の店外に飾ってある、小池環境大臣と子供たちの写真を見て、「ぜひこの写真を記念に欲しい」と店の前で掃除していた妻に声をかけるお母さんがいた。もちろん、喜んで、その写真を焼増し、差し上げた。

 打ち水は一斉に行うことで、より高い効果を得られるもの。今年の「きたまち打ち水大作戦」の特徴としては、商店街に加えて、地元の信用金庫、出張所、消防署も参加してくれたこと。
 小池環境大臣が、イベントの時にガンタイプの放射温度計で道路の表面温度をその場で測った。打ち水をしたことで、60℃から5℃も下がったという。
 もともと、商店街には隣近所が協力して何かをなしとげるという底力がある。そこに、根気強く声をかけまわったことや、打ち水が買い物客や住民同士の会話のきっかけとなったことが取り組みをじわりじわりと広げていったのだと思う。
 打ち水は、ヒートアイランド現象対策としてだけではなく、地域が一体となって取り組み、コミュニティの活性化を目指している。来年以降も気を抜かず、このイベントを大事に継続して実施していきたい。

 商店街のイベント以外でも、7月7日(金)〜8月7日(月) の「七夕ちがや馬祭り」へ「まるとし」は参加した。
 この祭りは大学生が企画したもので、練馬区の一部の協力店や施設で、その大学生自身が、「ちがや馬飾り」をその店内や店外に飾りつけ、区民の方に知ってもらおうと実施されたもの。

 6月、何でもチャレンジしてみるという僕の噂を聞きつけた、実行委員長の嘉藤さんから、企画概要書をもらい、「まるとし」でも「ちがや馬」にちなんだ商品の開発を依頼された。
 練馬区内の農家で、旧暦の七夕に「ちがや馬」を飾り、五穀豊穣と無病息災を願う習わしを伝えたい、というその意志に今回賛同した。

 「ちがや馬」について、少し説明をしたい。(「七夕ちがや祭りホームページ」より)
ちがや馬  『「ちがや馬」とは、文字通り「ちがや」というイネ科の『「ちがや馬」とは、文字通り「ちがや」というイネ科の植物を使った馬。歴史に登場する東京・埼玉付近のエリア、武蔵国の農家に伝わる伝統的な風習であったとされ、都市化・商業化の進んだ昨今では農家も減ってしまい、材料となる「ちがや」を見かけることが難しくなってきている。農家は旧暦を用いて農作物を栽培していたため、七夕の行事も旧暦の七夕(現在の8月7日前後)に行っていた。その際に「ちがや馬」を飾り、五穀豊穣と無病息災を祈っていた。「ちがや馬」は雄と雌の2頭で1対となっている。頭の部分が下を向いている方が雌で、上を向いている方が雄。  』

 試行錯誤の末、「まるとし」がこの期間限定で販売する商品は、「ちがやコロッケ定食」850円(別盛で、かごの上に野菜サラダ付)。「ちがや」の穂をクリームコロッケとポテトコロッケ、葉をみず菜、茎を春雨で表現したもの。
 本来であれば、「ちがや馬」の形の商品ならわかりやすかったかもしれない。「ちがや馬」のもとの「ちがや」そのものも知られていないので、このような商品もあってもいいのではないかと実現させた。
 「まるとし」以外、練馬商人会の仲間の洋菓子店「ナカタヤ」も参加された。

 最後に、5月31日、「まるとし」は、練馬区食品衛生協会より食品衛生優良施設と表彰された。長年、真面目に店を続けて営業してきたことが認められたのだと思う。

 以下、次号。


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 その三 「多くの支え」

 夏の終わり、2年振りに、家族旅行に出かけた。場所は沖縄の名護。

 長女は今年小学6年生、来年中学校に入学すると、クラブ活動などで忙しく、家族と一緒に旅行にも行きづらくなるだろうし、綺麗な海を子供たちに見せてあげたいと思ったからだ。
 それにしても、子供たちの成長には驚かされる。2年前には、長女の身長が妻を抜いた。学校の休みには、クッキーやチーズケーキ、カップケーキなどのお菓子作りをしている。読書好きなので、「赤毛のアン」など話の中で、お菓子作りのシーンが出てくると、同じものを作って食べてみたいと思うらしい。
 5年生ではクラスの代表委員を務め、学芸会の最後の挨拶や6年生を送る会での校歌の伴奏をした。
 また、サークルのバレエだが、3歳から10年続け、2年に1度の発表会では、トーシューズを履いて、大きな役を任され踊った。

 次女は、8月の「高円寺阿波おどり」や10月の「練馬まつり」で、じゃじゃ馬連の子供踊りの先頭となった。今年で50回目の高円寺で、連は東吾妻町友好賞を受賞した。
 次女も今年、クラスの代表委員になった。運動会では、応援団員となって、リレー選手への声援をリードしていた。
 3人とも親孝行な子供たちだけれど、七夕の短冊に、次女は、「パパを受け継いで、店で働きたい」と毎回書いてくれている。阿波踊りの練習の後に、店の手伝いをしたがる。料理を運んだ次女が、お客さんからご褒美におこずかいをいただくこともあった。

 三女は、明るい性格で、家ではよく鼻歌を歌っている。今年の誕生日に買ってあげた一輪車に乗ろうと、庭でたった一人、何度も練習を繰り返す姿は健気だ。その練習によって、一輪車はもちろん、一人黙々と練習して、鉄棒の逆上がりもマスターした努力家だ。
 家の前に住む理容室のご夫婦から、「まあ本当にがんばりやさんだね」と声をかけられ、成果を披露している。
 9月、学校で行われた、「はたらく消防の写生会」において、三女が書いた消防車の絵が入選した。2年前には次女も同じ賞に選ばれていて、それぞれの机には、その賞状が飾ってある。
 僕の朝食には、次女が作ってくれた目玉焼きや、三女のフレンチトーストなど、それぞれ自慢の一品が出ることもあり、うれしいものだ。3人ともよく妻の料理のお手伝いをしてくれている。



     

まるとし こうこうとした月が、広い海辺のちょうど真ん中辺りに出ていた。
 その光がおだやかな波に映り、光の道となって月まで続く。まるで映画の中で見るような景色だった。
  周りにはたくさんの星が瞬いていて、夜空と波音に、「沖縄に来たんだね」と話した。
 オリオンビールで乾杯して、バーベキューもお腹いっぱい食べた。
 夜も更けてくると、大人の握りこぶしほどのヤドカリが現れて、びっくりした。
 あくる日、離島である水納島(みんなじま)へ行った。本部(もとぶ)半島の西の沖合約7Kmに浮かぶ小島で、高速船で15分ほど。本島周辺よりも透明度が高く、砂浜が透けて見える、浜辺で泳いだ。
 砂と同じ色をした魚群が7匹ほどで泳いでいるのに気づいて、子供たちから歓声が上がった。
 生きて泳いでいる魚、それも15cmぐらいの長さの魚と一緒に泳げて、ものすごく喜んでいた。
 サンゴのあるところへシュノーケルを付けて連れて行くと、青や黄色の水族館で見るような魚の群れを見つけて、夢中になってのぞいていた。
 絵本や図鑑に出てくるような大きな魚に会うと、怖がって、バタバタ戻ってきた。
 日焼け止めをぬっても、特に背中が焼けてしまった。

     


 生き物続きの話で。夏休みが始まる頃、小学校ではPTA主催の「葉かげのつどい」というのがある。
 そこでは金魚、ドジョウ、メダカ、ウナギが大きなビニールプールに放されて、それを子供たちが手ですくって捕まえる。
 ドジョウは、もう5年目の夏を迎えていて長生きだ。金魚は長いもので4年ぐらい。
 今年つかまえてきたメダカは2匹生き残った。ちょうどそれがオスとメスのつがいだった。そしてこの秋、卵をたくさん産んで、それが銀色の糸のような雑魚にかえった。
 初めは気づかずに親メダカと一緒だったのだが、水替えの時にみていた子供が、「あれ、何か泳いでいる?」と雑魚に気がつき、よく見ると、水槽のあちこちに卵がついているのを発見。急いで卵のついた水草と小さな雑魚を別の容器に入れ替えた。


   
 国営沖縄記念公園・海洋博公園内にある沖縄美ら海水族館にも訪れた。世界一大きなアクリルパネル越しには、ジンベエサメやオニイトマキエイがゆったりと泳いでいた。
  水槽の各コーナーで、図鑑の一ページのような解説のパンフが置かれていた。それを次女と三女は必死に集め、全部を集めると表裏合わせて32ページのミニ図鑑になった。
  水族館すぐ近くのオキちゃん劇場、青い海をバックにイルカたちがダイナミックなジャンプやかわいいダンスを披露し、子供たちはとても楽しんだ。
  その後、ヤシノミジュースを飲んだ。真っ黒に日焼けしたおじさんがナタでバンバンとヤシノミの上下を切り、ストローをさした。色は透明で味はほんのり甘くて、微かに渋みを感じる。童話に出てくるヤシノミジュースを実際に飲むことができて、子どもたちは満足そうだった。
  ここには先頃テレビのニュースで見た人工尾ひれをつけたイルカもいて、元気になったということだった。
まるとし  近隣のエメラルドビーチのきれいな海辺も印象的だった。美しく手入れの行き届いた広々とした園内を、1日乗り放題で1人200円の電気自動車に乗り、駐車場近くまで送ってもらった。
  琉宮城蝶々園でもらったクワガタ虫は、まだ元気にしている。食欲旺盛でエサのゼリーを一晩でほとんど食べてしまう勢いだ。
  夜中に帰ってくると、玄関の隅で、ガサゴソ音がする。近づいてみると、そのクワガタがゼリーの入れ物に頭を突っ込んでいる。
  空港から沖縄での移動はすべてレンタカーを使った。何より、この2年間で子供たち以上に成長したのは、妻の運転技術であり、お陰で快適な旅を楽しむことができた。
     



 旅から戻ってすぐ、9月3日に、氷川神社秋季大祭での、 大、中、小の神輿のほか太鼓山車を連ねての渡御を行われた。
 この神輿巡行は、2年に1度のもので、今年は天気に恵まれ何よりだった。前回に続いて2度目、今回僕は、次女と三女とで参加することになった。
まるとし この日のため、子供たちにお祭り用の半被などを一通り用意し、お祭り気分も高まった。僕は太鼓山車を押しながら、太鼓を叩きつつ、小さい神輿をかつぐ子供たちに付き添った。
 運行のコースについては2年前に詳しく書いた。お忘れの方は、振り返ってもらえればと思う(第18号参照)。ゆっくりと2つの商店街を神輿は運行し、神社の境内に戻ると、子供たちには、ご褒美のお菓子と飲み物が渡された。
 僕にとって2年前との大きな違いは、やはり地元のお祭りでもあり、「練馬商人会」の仲間の参加も多いことや、もちろん、商店街の理事仲間も増え、より身近なお祭りになったことだ。人との繋がりは、少しずつ着実に広がっている。




 10月3日、店近くの小学2年生の社会科見学(町探検)は児童に評判がよかったということで、去年に続き、「まるとし」では今年も喜んで受け入れた。
 この社会科見学とは、自分たちの住んでいる「北町」の様子を調べ、町を見直し、新しい発見をする学習の場である。

 当日は、朝10時30分から1時間ほどに、1グループ4〜5人の6組が、安全管理の保護者と共に店を探検しに来る。
 児童から、2、3質問をされ、それに答えて簡単な説明をする。
 今年の質問で1番多かったのは、「とんかつは美味しいですか?」(とっても美味しいです)。
 他にも、「店のメニューは何種類ぐらいありますか?」(70種類ほど)。
 「お客さんは、1日何人ぐらい来ますか?」(平均80人ほど)。
 「1番売れる料理はなんですか?」(ロースのとんかつ)など。
 2年生なので、内容も簡潔に、身近でやさしい説明を心掛けた。グループによっては、たった1人が代表であったり、全員が順番に質問をしたりと、個性あふれる元気な児童が多かった。

 後日、担任の先生から、児童の感想が届けられた。「とてもおいししそうで食べたくなりました。かぞくで食べに行きたいと思います。」「つかっているあぶらのかくしあじをおしえてくれてありがとうございました。」「なまの肉を見せてくれてありがとうございます。」「わたしはソースが3つあることがびっくりしました。」「とんかつはこむぎこで肉をつつむのをはじめて知りました。」「メニューがいっぱいあってすごかったです。」「またおみせにいきたいです。がんばってください。」
 将来のお客様であり、どの児童にも熱心に対応した。実際、その言葉通り、何人かは、お父さんやお母さんを連れて、満面の笑みで、食事に来てくれた。



 10月5日発行された、東京都商店街振興組合連合会が毎月発行する「商店街ニュース」という新聞の取材を9月に受け、記事掲載された。
 都内商店街・商連を中心に、全国の都道府県振連、行政、商工団体を対象に「商店街の情報共有化」目的で作っている新聞だそうだ。
 2月の「若手商人研究発表会」での僕の事例発表を会場で記者の方が聞いていてくれて、商店街はもちろん「店」に「お客さま」にしっかり向き合っているとの印象を持ってくれた上での取材依頼だった。
 この「商店街ニュース」は一般には配布されないものなので、記者の河合さんのご好意で、今回この連載に引用させていただけることになった。
 内容は以下。都振連月刊紙「商店街ニュース」第986号より。

     
 
店からつなぐ街と人   きたまち(振)理事 若山太郎(わかやまたろう)氏

 東武練馬駅南口近く、二商店街の境に位置する「とんかつ まるとし」店頭には、「わくわくポイント(きたまち商店街)、かるがもポイント(ニュー北町商店街)をダブルで提供します」。今春より、ニュー北町商店街理事も兼務して、「きたまち商店街の打ち水イベントを今年は二商店街合同で実施できた」と笑顔の若山さんだ。
 大手カード会社のサラリーマンから一転、婦人の実家である店に入って十五年。店主となった五年前より徐々にメニューの多様化・高付加価値化を図り、タラバガニや青森産健康豚など本格こだわり素材を次々に導入。同時に段階的に、仕入先の選別や箸袋の見直しなどのコスト削減策も実施。低迷していた売上げ・利益をともに上昇基調へと転換させ、「七十種類にまで倍増したメニューの仕込みに毎日夜中までかかりっきり」との嬉しい悲鳴だ。
 こうした着実な“実践”を支えるカナメのひとつが、地道に続けてきた“理論”のバックグラウンド。多忙な業務の合間を縫って、通信制コースで慶応義塾大学経済学部および日本大学大学院総合社会情報研究科を修了。イトーヨーカ堂やダイエー、セブンイレブンや米ウォルマートなどをテーマとしてきた研究肌の一面も併せ持つ。区主催の商人塾や都の若手商人研究会にも継続的に参加しており、こうして培った大学関係者や商店主との人的ネットワークが貴重な財産となっている。

 「地元商店主同士が交流してそれぞれの店を活性化させることは、ひいては商店街や地域コミュニティの活性化につながるはず」。昨年末には、そんな思いを共有する区内商店街若手に呼びかけて「練馬商人会」も発足させた。”理論”、”実践”の両建てで活動の幅を広げ続ける、若きリーダー発の商店街活性化策にぜひ注目したい。
 店内には地元祭り風景からマラソン記録証、歌手のグッズ・コーナーまで。
「店情報はお客さんが発信してくれる」
 
     

 今まで僕が試行錯誤をしながら、辿ってきたことを限られたスペースの中、コンパクトにまとめてくれた記事だ。
 お客様はもちろん、妻や子供たち、親父さんやパートのお姉さん、僕の友人、仕入先の方々から、研究科の先生方やОBの方々、区や都の気さくな職員の方や先生方、お世話になっている商店街のすべての皆さんや「練馬商人会」の仲間など、数え切れない多くの支えによって、僕の今がある。だからこそ、明日も頑張れる。

 以下、次号。


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 その四 「思いがけない別れ」

 朝、突然の電話で、父の死を知った。布団の中で眠りながら亡くなったそうだ。前の晩に好きだったお酒をいつも以上にたくさん飲んでいたらしい。
 それから、2つ上の兄と葬儀にかかる雑多なことを相談しながら決めていった。目に見えないお金も色々かかるものだと知った。
 遺体が斎場に運ばれてから、妻と子供たちを連れて行った。眠っているようにおだやかな顔だった。
 「こんな安らかな顔で死ねるなんて、たいしたものだ。」と妻や子供たちに話した。
 子供たちも「パパじーじ、眠っているみたいだね。」と亡くなったのが信じられないよう。

 父との想い出といえば、僕が小学生の頃、庭には常に、犬・うさぎ・モルモット・アヒル・ニワトリ・カメ・カブトムシやクワガタなどの生き物が、身近にいる環境を作ってくれた。
 中学生以降を振り返れば、中卒で一生懸命働き続けた父が、仕事が終わった後にお酒を飲んで、愚痴を言ったり、時に泣いたりしていたのがすごく嫌だった記憶しかなかった。
 結婚して子供も出来たある日、相変わらずの、そんな父に「うん、わかるよ。」と言ってあげられた時から、父の顔が穏やかになったのをおぼえている。
 僕がこだわって、働きながら通信制の慶応大学や日本大学大学院を卒業や修了をしたのは、その父の学歴コンプレックスや苦労へのリベンジという意味合いもあった。僕の学位記を手にした時、自分が出来なかったことを息子が果たしてくれたと、うれしそうだった。
 10年前から、年金暮らしになった父の口癖は、「3人の子供を育てる妻に対して、常に気を使え」。若い頃、困っている人を見ると、それ程多くない自分の給料を後先を考えず、全部あげてしまうのには困ったものだった。でも、自分のことより子供のことを何より優先した71年の生き様に、誰より感謝と尊敬をしている。
<  欠点も多かったけど、それが反面教師となり、長所はそのまま受け継いだ。「お金よりも大事なものがある、子供に対する惜しみない愛情や人へのやさしさ」。だからこそ、僕も目先の自分のことより、地域のことや、店では何よりお客様に喜んでいただけたらと素直に思えるのだ。

 クリスマスが間近のある日、親父さん(義父)が次女と三女を連れて、近くの百貨店へ買い物に出かけた。
 その時、三女が、「パパじーじがお姉ちゃんの後で一緒にいるみたいだ。」と言った。その話を聞いた周りの大人たちはずいぶん不思議に思えて色々三女に訊ねたが、何だか分からないようだった。
 そういえば、元気に歩ける時には、父も子供たちをおもちゃ屋や小物屋などに連れて行き、「好きなものを選びなさい。」と言って買ってくれたものだ。その時は、長女が嫁に行くまでは元気でいられるようお酒にも本人なりに気をつけようとしていた。


 父が亡くなる2日前の11月17日、テレビ朝日の「徹子の部屋」のすぐ後の「東京サイト」という番組に僕が取り上げられた。
 テーマは「若きリーダーの挑戦」。林家きく姫さんにインタビューをされる形で、店の紹介から、打ち水大作戦などの商店街活動、練馬商人会での連携などについて、コンパクトに分かりやすくまとめていただいた。

     
 

『「とんかつまるとし」を営む3代目の若山太郎さん。6年前、近所に進出してきた大型店に危機感を抱いた若山さんは、中小企業公社の若手育成事業に参加。店舗経営や、商品ディスプレイを学びました。そして取り組んだのが「メニューの見直し」。これまでの倍70種類まで増やしました。さらに、女性や年配のお客様を取り込むために、地元練馬大根を使ったさっぱりメニューも用意しました。また、若山さんは、地元商店街をもりあげようと、昨年から「打ち水大作戦」も実行。商店街の人々も一緒に水をまくことによって、一体感が強まったといいます。そして、今年、若手商店主が集い、情報交換を行う「練馬商人会」も発足しました。』(テレビ朝日ホームページ「東京サイト」番組紹介より)

 
     

 番組が放映されて、一ヶ月以上経った頃のこと。昼時の忙しさも一息ついた2時過ぎに、1人のお年を召した女性がいらした。他にお客様もいらっしゃらず、お茶をお出しする妻に、「何にしようかしら?うーん。そうねぇ。」と話しかけた。
 「お宅、この前、ほらぁ、徹子の部屋の後にやる番組に出てらしたでしょ。」と手招いた。「はい。」と妻がにっこりすると、「私ね、テレビをみて、食べてみたいなぁと思うと、行ってみるのよ。甥っこにも『おばさん若いね。その歳であっちこっち、よく出掛けてみるなぁ。』って言われますのよ。」と、ほほほと笑った。
 「私、いくつに見えます?もう78なのよ。」背筋はしゃっきり、70代後半とは思われない、生き生きつやつやしたお顔は、表情も明るい。色々興味をもたれて歩かれるのが若さの秘訣かなと思った。どこでも歩いて行かれるのだそうだ。
 「1人暮らしだから、1人分を買うのにちょうどいい魚屋さんがあればいいのだけど。」とおっしゃって、「サバの味噌煮が特に好きだけれど、自分で煮たのが好きなの。スーパーで切り身を買うと1人分以上だし、いくら好きでも量も食べられないし、途中で食べ飽きちゃうのよ。一切れだけ売ってもらえたら、うれしいのだけど。」それで、商店街の魚屋のことを話した。昔ながらの豆腐屋や洋服やのことなど、色々な街の店に話が移った。
 時々このお客様は、1人でいらしては、ゆっくり食事をされていかれる。そして、商店街のあちこちの店をのぞいて行かれるそうだ。



 昨年から理事になった隣のニュー北町商店街では、年1回、11月下旬から1ヶ月間、街路灯にイルミネーションが飾られる。
 一般からの応募作品と各店舗独自の作品で、商店街通りを飾る。訪れたお客様の投票によって優秀作品が選出される。一昨年初めて出品した、まるとし作品(流れ星をイメージ)は、子供たちの努力が報われ、優秀賞をいただいた。優秀作品に地域通貨「ガウマネー」が贈られるだけではなく、その作品の投票者にも抽選で「ガウマネー」が当たる特典がある。
 ニュー北町商店街のイルミネーションコンクールは、商店街全体をイルミネーションで飾り付けをし、商店街を通られる多くのお客様にひと時のやすらぎを提供したいという想いから始められた。1月25日から12月25日まで開催される。一般参加のイルミネーションや各個店においてイルミネーションの飾りつけがある。
 イルミネーションの打ち合わせは、打ち水に続いて僕が担当となった。ただ、なかなか店を抜けられないこともあり、まるとしで食事をしながらの打ち合わせにしてくれた。
イルミネーション1  練馬商人会の仲間である、伊勢屋支店の岡本理事長のために、少しでも力になればと思い、街路灯につけるイルミネーションの作品は子供たちに頼み、2枚の作品を出品した。

 練馬区が、8月1日に独立60周年を迎えることで、60周年記念事業の一環として、練馬区全体も『イルミネーションコンテスト2006』を開催していた。そこで、ニュー北町商店街は、大東文化大学の生徒さんの協力も得て、竹にLEDライトを装飾したものを、商店街の電柱に取り付け、より一層華やかなものになった。
 ただ、一番大事な飾りつけ直前の理事会は、僕の父の通夜と重なった。

イルミネーション2  12月19日、練馬区役所本庁舎アトリウムにおいて「練馬区イルミネーションコンテスト2006」の表彰式が行われた。「企業・団体の部」において、ニュー北町商店街は見事、特別賞を受賞した。表彰式に出席した商店街の理事の方々が、その後すぐに店に食事にいらっしゃった。そして、とてもうれしそうに賞状をみせてくれた。
 続いて12月23日、ニュー北町商店街のイルミネーションの表彰式。投票が多かった、子供たちの作品(家の屋根に犬が2匹)が最優秀作品賞を受賞。昨年に続き、2年連続での受賞となった。時間をかけて一生懸命作った、妻や子供たちの努力は報われた。

 そして、新年を迎えた。
 1月17日、毎年恒例の、きたまち商店街の新年会があった。
 昨年までは地元の2つの金融機関のみ来賓だったのが、理事長が代わったこともあり、今年は、両隣の北一とニュー北町の理事長および、練馬区長、商工観光課の課長も呼ばれた。久しぶりのことだ。
 新年会には、急遽当日の司会に指名されたが、何とか会を進めることができた。来賓の方以外にも、今年が選挙年ということで、議員の方も途中から何人かお越しになり、その都度、挨拶があった。

 その翌日、練馬商人会の顧問をしていただいて、日頃からお世話になっている二瓶哲先生からの依頼もあり、北区商店経営塾の公開講座の講師を務めた。時間は7時30分から2時間、北とぴあ701会議室で行われた。
北区商店経営塾  この講座は、買い物に対する消費者の心理や行動から商売を学ぶ北区独自の商業者向け講座であり、自店を活性化させるには、経営の視点とともに消費者の視点で考えてみることが必要であり、 僕にぜひ話をしていただきたいとのことだった。
 その公開講演には、北区の方はもちろん、板橋区や練馬区からいらした方もいて、全部で30人ほどの方が聞きに来られた。
 区や都の経営塾に沢山参加させていただいている僕としては、予定調和的な聞き応えの良い話や、建前の言葉はすごく退屈で、やはり現場の声が一番ありがたく思えた。そういう経験から、北区の経営塾の方向性は僕の考えと同じだと感じ、気持ちよくお話させていただけた。

 内容について、タイトルは、「個店だからできること。店主の体温が感じられる店づくり」。

 という内容の、自分なら聞いてみたいと思う話にした。
 見やすくなった配達やテイクアウトメニューのこと、多くの販促関係の資料(回覧して皆さんにみていただけたらと考えていた)もまだまだあり、紙に手書きで注文されたお客様の情報を書き込んでの管理やアプローチの仕方等、売上向上に直結するより具体的な内容など色々話したかったが、時間の関係でできずに残念だった。

 講演の2日後、受講された方が、娘さんを連れて食事をしに来てくれた。その方は、店に入りテーブルに座られてからも、すごく恐縮して礼儀正しくされていたので、もしかしたら経営塾に来てくれた方かなと思っていた。
 その時の店は、他のお客様や配達の注文もあり、また、仕込みも同時にしていたこともあって、バタバタとしていた。なかなかそばまで行って話かけられなかったけれど、帰りがけに、その方が、「北区の経営塾で教えていただいた」と声をかけていただいて、ようやくお話ができた。とても嬉しかった。
 そういえば、北区商店経営塾の告知が、1月16日付の朝日新聞に掲載され、そこに僕の名前も書いてあったと、お客さんから教えてもらったこともあった。
 二瓶先生からは、『「参考になった」という意見も多く、充実した時間であったのでは、そして、講演会では新たな取組み内容も聞くことができ私自身も勉強になりました。』と言っていただいた。

 また後日、北区の職員の2人の方も、食事にいらっしゃり、いろんな話をした。そして、隣のテーブルにいた他のお客さんと、店内に飾ってある、やはりまるとしの常連である、お風呂絵師の中島盛夫さんの富士山の絵で話が盛り上がった。
 北区は、隣の板橋区商店主との交流会を区主催で開いていたり、北区と練馬区の職員の同士が交流したり、いろんなところで連携を進めようとしている。
 「経営塾に参加されている皆さんはとても熱心な方が多く、この方々を次に繋げていきたい」と考えているそうだ。具体的にはこれからとのこと、僕に出来ることがあれば、ぜひご協力していきたい。

以下、次号。


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 その五 「実践によるご褒美」

 次から次へと、息をつく間もなく、毎日が積み重なっていく。

さくら 夜の営業が終わり、次の日の仕込みが、かたずけが落ち着いた、深夜までおよぶ。
 僕が常にこだわるのは、お客様が喜ぶことを想像・実践すること。それによって自然にメニューや食材の数は増え、その管理や調理の技術は一段と難しくなる。
 定休日をなくし、かつ、朝から休憩時間を設けず、夜まで連続で営業することは、マニュアルにもとづいたオペレーションのチェーン店では当たり前だろう。
 しかし、それを人員が限られた専門店が実践するのは、並大抵のことではない。
 そうすることで、今の社会環境の変化に合い、お客様に喜ばれることが多々ある。

 他店が準備中にして休憩する午後3時頃、鉄道関係の夜勤明けのお客様から、「まるとしでゆっくりとビールを飲み、食事をすることが楽しみだ」と声をかけられる。何でも、自宅にお孫さんがいて落ち着かないから、その前に一息ついて、帰宅するとすぐそのまま睡眠をとられるそうだ。
 店の裏のアパートに住む1人暮らしの84歳のおじいちゃんは、寂しくなると、昼・夕方・夜と時間を問わず、1日に何度も来られる。楽しみの焼酎を飲みながら、「明日は病院だ」とか「これから銭湯に行く」、天気のことやヘルパーさんのことなど、取り留めのない話を僕とするのが楽しみのようだ。
 このおじいちゃんは、お酒が回ってくると、言葉が秋田弁に変わり、解読不能の言葉で、周りのお客さんにも話しかける。そして話を理解されずにいると、助けを求めているように、僕をそのつぶらな瞳で見つめ、「そうだね」とか「大変だったね」といった相槌の言葉を、うれしそうに待っている。
 僕にとって、お客様からいただく、ちょっとした一言や笑顔、そして、お客様が楽しそうにくつろいでいる姿が、何よりのご褒美なのである。

 2月14日、東京都中小企業振興公社主催の「若手商人研究発表会」において、過去の研究会の実践報告を行った。当日はあいにくの雨の中、130人の方がいらした。時が経つのは早いもので、この発表会も3年連続で参加させていただいている。
 研究会参加の内容は、『平成16年度・お客様の購買意欲を高める販売促進』『平成17年度・「連携」による個店活性化を考える』について。
 具体的には、販売促進策としての、接客、商品、レイアウト、POP、チラシ内容への改善の取り組み。そして、商店街および個店の活性化としての、「連携」への取り組み、第2回きたまち打ち水大作戦、練馬商人会、商人会会合についての詳細。
 その印象について、会場にいらした方がブログで、取り上げて下さった。以下、簡単に紹介したい。

 『それにしても若手商人がんばっています。
ねりまのとんかつやさん「まるとし」の若旦那が発表していました。
「練馬商人会」という「連携」をテーマにした活動でやる気のある商人たちとの横の繋がりでのシナジーを図るという手法によりマネジメント力を向上させていく手法をとっていました。非常にいろんな場面で活動をしていて、商店街という大きなくくりの中で貢献している人材だな、このような人がいると自治体も動きやすくなるんだろうな、将来が見えるんだろうな、と思いました。非常におもしろい活動をされています。』

 自分では、多岐にわたる実践報告の中身を、短い時間では伝えきれなかったのではと心配だった。それが、このように内容をしっかり受け取とめて下さった方もいると知り、ほっとした。
 なお、今年度、僕も参加した研究会『地域特産物活用による商店及び商店街活性化』が東京都産業労働局長賞をいただいた。後日、その賞状が郵送され、店内に飾らせていただいている。日頃の地道な活動が、また1つ、形になった。

 今年に入ってからは、地元、きたまち商店街のホームページ新規作成に関する雑事に日々追われていたが、周りの方のお陰もあって、無事にアップされた。
 その中で最も力を入れたのが、ホームページのリニューアル。ここ7年、商店街のホームページは、作成されて以来、情報更新が停滞していた。紹介されていた個店は、時代の流れから、閉めている店もいくつか含まれていた。
 どこの商店街も似たような状況であると思うが、運営資金も限られ、余分なお金はない。何とか更新だけでもしたいと思い、そのリニューアルに関して、業者見積もりをもらってはみたものの、法外な金額に思え、費用対効果を考えると、振り出しに戻った。
 このことは、2年前の理事会で、ホームページを有効活用したいという提案をして、担当になったことがきっかけだった。調べてみて至った結論は、結局業者に頼むと見栄えはいいものの、温かみのないものになってしまうことだ。

 そのような中、いろいろな地域活動をしていることを好意的にみてくれていた商店街の、ある店主の方が、「無料でやってあげる」と声をかけてくれた。このような温かい協力をいただき、長年の課題であったサーバーやドメインの保管料等の出費を抑えた上で、本格的に形になった。情報満載、イベントや地域の紹介などいろいろな項目について、充実したものに仕上げていただいた。
 とにかくこのことを進めるにあたって、商店街における商店主同士のコミュニケーション不足を痛感することもあった。今回のことでインターネットやホームページへの認識のある商店主は一部であることも知った。アナログな感覚の方も多く、精神的に追い詰められることも多々あった。それでも、1人、そして2人と、協力していただける方も増えていき、現在も、ページの作成の作業は日々進行している。

 2月18日、日本のマラソン史に新たな1ページを刻んだ、東京マラソンが冷たい雨が降りしきる厳しいコンディションの中、初めて開催された。
 マスコミにも大きく取り上げられ、社会現象となったこの大会に、僕は参加しなかった。その理由は、昨年2月19日に開催された第40回記念青梅マラソンの30キロの部に参加した時の経験からだ。
 青梅マラソンは、市民ランナーの草分け的レースであり、青梅の市街地やレトロな映画館の看板街、渓谷を走る。折り返しのコースは、アップダウンも多く、厳しいものだったが、特に商店街の方々を中心とする沿道からの声援が力を与えてくれた。
 2月の気候はまだ寒く、僕が走るには、向かないと思った。2度目の参加になる第10回荒川市民マラソン(今年3月18日開催)に参加することにした。
 雑多な用事や店の忙しさ、大会の前の週には腰に違和感もあり、ついに練習もせず、2年ぶりのフルマラソンへの参加になってしまった。参加の見送りを何度も真剣に考えた。 
 それでも、今回参加しようと思ったのは、毎年この大会の35キロ地点で、シャーベットステーションのボランティアをなさっているお客様が、この地点で僕に会えることを楽しみにしている様子だったから。このお客様に顔を見せなくてはと、参加を決意した。

 当日、天候には恵まれたが、折り返し地点からの向かい風、走りこみが十分でなかったことが、35キロから40キロで出た。足が前に動かない、ここは無理せずに歩くようなペースで進もうと、ゴールに向かった。
 前回参加した時より30分の遅れはあったものの、何とか無事に完走することができた。お客様とは、ハイタッチもできた。その後来店された時に、とても喜んで下さった。
 タイムは不満だったが、目標は達成したので、次に繋がる走りになったと思う。妻からは、「準備をせずにいきなり走られて、完走させてくれた自分の体にも感謝しなさいよ。」と言われた。

究極のとんかつ  3月23日、JTBパブリッシング発行による、観光ガイドブック「るるぶ練馬区」の第2弾が発売された。
 2003年の第1弾の初版が3万部、その後3万部を追加増刷されたということだった。そして第2弾、聞くところによると、初版が4万4千部だそうで、前回同様、今回も取材があり、大きなスペースをいただいた。ありがたいことである。
 『探究心が生んだ究極のとんかつ』、「店主の思いが凝縮したとんかつはおいしいひと言」「練馬北町しぐれ煮定食1000円やゆうに2人前はある6種8個のフライがつまったまるとし定食2000円は特におすすめ。」という言葉が記事の一部となった。

 取材を受けた時に、僕が考える良い店を記者の方に聞かれた。そこで、練馬商人会の赤井茶店、そして、いくつかの店を紹介した。後日、取材に行かれたと聞き、実際本に掲載された店もあり、とてもうれしかった。
 店では、ここ数年、年に何回か色々な方から取材の依頼を受ける。取材趣旨がしっかりしていて基本的に費用がかからないもの、その中でも、記者の方の熱意が強く感じられるものは、特にお受けしている。

 子供たちの春休みも終わりに近い4月の初め、エアコンのメンテナンスに半日かかるということもあり、その日を使って、伊豆に一泊旅行をした。
 相変わらず仕事ばかりで、どこにも連れて行っていない子供たちから、「こんな毎日なら、学校に行った方が楽しい」と言われていたが、ようやく出掛けることができた。
 それにしても、ここのところの子供たちの活躍はめざましいものがある。


     

 2月23日に小学校で初めて行われた、「2分の1成人式」。4年生が成人までの半分の10歳を祝うもので、今までの自分の成長を振返り、周りの人への感謝と未来への意欲を語る行事だ。その式で、次女がクラスを代表して、3分間のスピーチを行った。

 「私は、大人になったら、しっかり者で優しい人になりたいです。これからも家族や友達を大事にしていきたいです。」3年生と4年生、そして僕や妻を含めた父兄の前で落ち着いて語った。また、翌月の「6年生を送る会」では、全児童を代表しての言葉を述べたことを、今年卒業した長女から聞いた。

 長女は、3月31日の3度目のピアノの発表会、マクダウェルの「野ばらによせて」、初めてペダルを使って弾いた曲で緊張していたが、とても綺麗だった。その長女も今年中学生。
 家でピアノを練習する長女の演奏で、音を覚えた三女は、ピアノの鍵盤を1つ1つの音を確認しながら1人で覚えていたりする。2年生の最後にもらったリコーダーを、家でいつも練習している。

     

伊豆  伊豆に近づくにつれて、山があって、海があっての景色が繰り返される。時々小雨が降ったり、日がさしたりする天気だったのが明るくなってきた。
 車内では、普段から読みたいと思っていた本を手にした。
 旅館では、温泉につかり、部屋でのマッサージも初めて受けた。美味しい料理と、綺麗な景色、久しぶりに、ゆったりとした時を家族で過ごすことができた。

以下、次号。


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 その六 「みんなの輪」

 春のさわやかな風が、街に流れていく。物事は見方や考え方次第で、大きな差が生じるように思う。大きな風や小さな風が、みんなの心を動かすようだ。

 きたまち商店街のホームページは、立派なものになった。その作成や更新は、商店街のある商店主の方が日々こつこつと、仕事の合間に行ってくれているお陰だ。
 商店街では、予算のない中、作業がしやすい様に思いきって、そのホームページ管理者用の持ち運びができる、新しいパソコンを購入した。
 そのことで、組合員だけでなく、街路灯費を毎月実費負担してくれている店も、ショップ一覧に加えて、無料でページを作れるような、画像容量に悩まない体制ができた。実現には、みんなが後押しをしてくれた。
 こうして、商店街で長年商売を行っている方が、ご自分の1番得意な分野で、商店街運営の新たな側面から関わって下さるようになったことは、何よりうれしい。

 いつものように、大泉学園町商店会にある、練馬商人会の仲間の店に買い物がてら顔を出した時に、商店会のブランド品として、純米吟醸酒の「桜泉」というお酒が発売されることを知った。発売前であったが、立ち寄った片山呉服店の片山さんに声をかけてもらい、1本買うことができた。
 大泉学園町の三大お祭りの1つである、「桜まつり」の翌日、ナカタヤの中田さんが店に家族で食事に来てくれた。そして、その時、貴重な「桜泉」をみやげに持ってきてくれた。会場での限定販売分は、即、完売だそうだ。
 大泉学園町の「水」と、山口県の「桜酵母」を小仕込みによる酒造りには、多くの方が関わられているそうで、美味しくいただいた。
 「桜泉」には、大泉にお住まいの漫画家による「桜泉誕生物語」という漫画もついていた。その話では、練馬商人会の仲間の3人も堂々と登場、商品開発に大きな力を発揮している。



旗持ち武者  5月13日、石神井公園およびその周辺で「照姫まつり」が行われた。華やかな時代行列を最大の見どころとする春の祭典は、今年で20回目を迎えた。
 一昨年は、重臣役、去年は、輿警護武者役を務めたことは、以前にも書いた。(第20号・第24号参照)
 そして、今年、念願であった、親子共演が実現した。人気の稚児童姫役に次女と三女が選考されたのだ。僕は、旗持ち武者役となった。

 本番の早朝、衣装が並べてある小学校の体育館に入った。それぞれの役ごとに雰囲気のある着物や鎧兜があり、その側には名前の紙も置いてある。
 集合時間より、かなり前についたつもりだったのに、同じ稚児童姫役の子供たちの半分くらいは来ている。
 2人の娘は自分の名前を見つけると、うれしそうに、そこに座った。もうすぐこの衣装を身に付けられるんだと、わくわくしている様子なのが分かる。
<  そして、手際よく着付けをしてもらい、髪の毛やメイクをほどこすと、すっかり可愛い童姫になった。
 頭の飾りが少し重くて、傾きそうになるのが気になるらしかったが、親子3人で写真に納まることが出来た。

 例年の照姫まつりは、4月下旬の日程だったが、選挙の時期と重なったことで、開催時期が5月となった。
 時代行列をするには、むし暑いが、さわやかな五月晴れの天気に恵まれた。昨年の雨模様を思えば、今年の行列は大丈夫だろう。
 殿様である豊島泰経の役は、毎年芸能人が扮するが、練馬区独立60周年をかけて、夫婦そろって60歳を迎える、田辺靖雄さんと九重祐三子さんが、泰経、奥方になった。九重さんが行列で通ると、人垣から「コメットさん」と声がかかった。
 子供や僕のシャッターチャンスをとらえようと、静かな裏通りで待っていた妻が、「見物人が少ないところでも、九重さんはにこやかに手を振っていらっしゃるのが印象的だったわ。」と言っていた。

 石神井公園内や、石神井公園駅前と2度行う、ステージでの演技は、次女が演技をすることより、キョロキョロと客席にいる妻の姿を探しているのが分かった。
稚児童姫  無事に行列を済ませて戻ってきた、僕と子供たち。やっと飲み物や食べ物を口にできた。妻は、物産品やたこ焼きなどを買って、先に体育館で待っていた。
 「本当に楽しかった。楽しかったけど、この衣装すごく暑いんだよ。昔の人はこんなに重ねて着物を着ているなんてすごいね。」と三女が言った。
 この日行われた、「照姫まつり」は、史上最高の来場者を迎えたそうだ。ケーブルテレビでは、1時間にわたる野外ステージでの演技が完全生中継された。泰経公の前を先導した僕や2人の子供たちの姿もそこにあった。



きたまち打ち水大作戦  春から夏へと季節も移り変わる。今年は猛暑という予報も耳にする頃、商店街の会議で、今年の「きたまち打ち水大作戦」の日程について、話し合った。
 僕からは、昨年と同じ日程での8日間開催という提案をした。それを1週間早めて、特に人が集まる、7月28日(土)の「きたまち阿波踊り」の日も入れて、午後の打ち水を1時間遅くし、阿波踊りを観戦しようと場所取りをしている人たちにアピールをしてみてはどうかという貴重な意見もあり、予定を組むことにした。
 北町は東西に長く3つの商店街が連なっている。昨年は、2つの商店街で共催することができた。今年の「きたまち打ち水大作戦」では、あと1つの、北一商店街の方々にも参加してもらうことが、この2年越しの願いだった。

 店のお客様はもちろん、地域に住まわれている方々には、商店街ごとのくくりはない。でも商店街からすると、それぞれが独自性を持つ意識が強く、そのギャップは大きいものである。
 企画書等を用意し、きたまち商店街の理事長から、北一商店街の理事長にお話をしていただけることになった。もちろん他の理事も了承していただけた。

 また、隣のニュー北町商店街での会議にも出席し、この打ち水の日程に合わせて、今年も共催という形で開催出来るよう話を進めた。練馬商人会の仲間であり、ニュー北町商店街の理事長の岡本さんにも、大きな力をもらった。
 ありがたいことに、当初からの僕の目標であった、3商店街合同開催の「きたまち打ち水大作戦」は実現した。北一商店街は、夕方歩行者天国になるので、午後のみの打ち水への参加ではあるが、みんなが街のために力を合わせられる。
 「第3回きたまち打ち水大作戦」は、7月25日(水)から8月1日(水)の8日間の開催。1回目11時30分。2回目16時。ただし、28日(土)の「きたまち阿波踊り」の日のみ、2回目17時。

 話は前後する。6月に入り、このように、会議で予定を進めている時に、1本の電話をいただいた。相手はNHKの番組のディレクターから「都内各所の打ち水を取材した結果、とても脂がのっている、きたまち商店街を番組で取り上げたい。」とのこと。そして、商店街の会議でも、撮影の話にみんなが協力してくれることになった。
 一週間ほど、商店街での撮影があり無事終了した。その後行われたスタジオ収録に僕が呼ばれた。有名芸能人の楽屋が並ぶ中、用意されていた大きなスペースの1人部屋には驚かされた。リハーサルではなかなかうまく話せなかったが、本番は何とかこなすことが出来た。
 その番組、「難問解決!ご近所の底力」は、7月29日の朝10時5分から、NHKの総合テレビで放送された。その内容については、以下、番組のホームページより、その一部紹介させていただく。


     

『東京・練馬区の「きたまち商店街」では、夏場、暑さをしのぐため、町をあげて通りに「打ち水」を行っています。昔ながらの知恵ですが、涼しさを長続きさせるには、様々な極意があるんです。

@「みんなで一斉にまく」
一人だけで水まきしても、道路にたまった膨大な熱の影響を受け、水がすぐに蒸発し、効果が小さくなってしまいます。みんなで時間を決め一斉にまけば、一気かせいに熱を奪うことができ涼しさが長持ちします。

A「朝と夕方にまく」
昼間暑い盛りに水をまくと、すぐに蒸発するだけでなく、空気をジメジメさせ、むしろ不快になることがあります。朝、まだ日ざしの弱い頃にまけば効果が長続きするほか、夕方や夜にまけば、寝苦しい熱帯夜を緩和することもできます。

B「日陰や風通しのよい場所にまく」
日なただけでなく日陰にまくことで水の効果が長持ちします。また、風通しのよい場所に打ち水すれば水が蒸発する際に作る冷気が町に流れ出し、涼しさが増します。

C「水道水は使わない」
「きたまち商店街」では、原則として水道水は使用していません。“風呂の残り湯”“冷蔵庫に貯まる水”などを再利用して使っています。 』

     


 放送後、番組をご覧になった方から、多くの方から、声をかけていただけた。時代なのか、いろいろなブログ等でも、この放送内容を紹介していただけているのは確認できる。
 その中にも、しっかりと番組をご覧になり、心に残る言葉を書いて下さる方もいらっしゃる。以下、Braintrustの川名様のメルマガ『 街づくり・店作り・人づくり 2007/7/31 366号【打ち水】で街づくりなんて、いかがでしょう』より。


     

 『街ぐるみでの【打ち水】運動。2年前から取り組んでいるのは、練馬区きたまち商店街(東武東上線駅前)です。 この商店街のある通りは、川越街道(中山道の脇道)の旧道にあたります。お昼前と夕方の二回、町内放送で「打ち水タイム」を知らせる音楽とアナウンスが流れると、あちこちの商店からバケツと柄杓を持った人たちが現れ、打ち水を始めます。』

 『興味深いのは、小売店や飲食店の人だけではなく、信用金庫の職員や、病院の職員が、一斉に外に出て、水を撒き始めるのです。
 その街で働く人同士が、顔を合わせるチャンスができるだけでも、すごいことです。
 考えてみれば、昔の商店街では、普通の風景だったように思います。朝は、店頭から店前の道路の掃除をして、打ち水をして、店の入口には、盛り塩をして、お客さまを迎える準備をしたものです。
 打ち水というのは、茶道でも、客を迎える準備の、重要な要素です。十分に、水を撒いてから、客が歩く石畳などの余分な水溜りを、雑巾で吸い取っておきます。客の履物や着物を汚さない配慮です。
 そういう文化が、江戸時代には、町人まで行き渡っていたのですね。』

 『エアコンが普及してから、夏場も冬場も、各商店の入口が閉ざされてしまいました。
 その結果、店内の環境は快適になりましたが、店前を通るお客様や、隣の店の人々と、気軽に言葉を交わす機会が減ってしまいました。
 この【打ち水】、ほとんどお金をかけないでできる、商店街活性化の方法として、とても有効だと思います。商店街を歩いたり、車で通るお客さん予備軍も、喜んでくれるはずです。
 欲を言えば、朝の通勤時間帯にもやりたいですね。大都市の駅前商店街では、もっとも通行量が多いのは、通勤時間帯で、お客様と挨拶しあう、良いチャンスになることでしょう。
 全国の商店街で、ぜひ、取り組んでほしいと思います。』

     


 このメルマガには、番組のホームページやきたまち商店街のホームページ内にある、打ち水の紹介ページのアドレスも書かれており、番組をご覧になっていない方にも、その意義をしっかりお伝え出来る内容になっていた。この度の機会をいただいたことに、心から感謝している。



 7月28日、恒例の「第15回きたまち阿波おどり」が開催された。心配していた直前実施の打ち水は、大成功だった。店先で飲み物や軽食を販売されている、普段交流がない店も参加してくれた。
 天気も上々で去年よりは観客も多かった。けれど今年は、新潟中越沖地震の影響で、踊り手の人数が減った。災害支援が主な仕事の、練馬駐屯場の自衛隊員の方たちが大勢支援に行かれていた。プログラムでは踊る予定だった2つの自衛隊の連が不参加となり、また、いくつかの連でも、個人的に自衛隊員の方々が、それぞれの連に参加している場合もあって、その人数が減ってしまうという事態だった。
 振り返ると、大勢の観客やスタッフ、たくさんの踊り手や連が力強く踊ってこそ、祭りは盛り上がるのだと思った。そういう年は、本当にありがたい年だったのだと思う。世の中が平穏で平和であることの大切さが感じられる祭りだった。

きたまち阿波おどり  今年も踊りを続けている次女は、子供踊りの先頭だった。
 練習が始まったばかりの5月には、うちわ踊りと言って連の先頭で、うちわをひらひらと舞わせる踊りの練習もさせていただいた。
 本人も、教えてくれたうちわ踊りのお姉さんも一生懸命にやったのだけれど、6月の終わり頃、ちょっと本番までに完全マスターは難しいのではということで、来年に見送られた。来年が楽しみになった。
 「きたまちじゃじゃ馬連」の連員の方の中には、娘が踊りに参加して以来、食事に来て下さり、娘への励ましの言葉もかけて下さる方もいて、ありがたい。しっかりと安定感のある鳴り物、年々進化する踊りのコンビネーションにも磨きがかかっている。



 8月5日、トーチ出版の雑誌「S・A(Sales Adviser)2007年9月 第119号」にて、きたまち商店街が、12ページの特集記事として取り上げられた。編集長が僕の研究発表会での話を聞いたことで、取材の申し入れがあったからだ。
 記事には、商店街の成り立ちから、現況はもちろん、各種の商店街のイベントを詳しく記事にしてくれた。「S・A」は、中小小売商店の繁栄と商店街の活性化を目指す小売業界向けの業界専門誌で、みんなの頑張りは、テレビや雑誌に紹介されるまで、幅広くなってきている。

 以下、次号。


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 その七 「大切なこと」

  ホノルルからマウイ島へ向かうため、ハワイアン航空に乗り継ぐ。
 成田からの飛行機は日本人ばかりだったのに、ハワイアン航空の待合室には、僕たち家族以外の日本人は、若い男性が1人だけだった。
 ロビーの椅子はビックサイズで、外国人の親子が絨毯の上を素足でくつろいでいる。
 日本から一緒に来た人たちはホノルル滞在の人が多かったのか、アロハ航空に乗ったのか、どこに行ってしまったのだろう?

 さわやかな朝の光の中を飛ぶこと数十分、大きな雲を抜けると、海の中に緑豊かな広々とした島が見えてきた。
 カフルイ空港からホテルのあるカアナパリまで車で1時間位。どこまでも続くさとうきび畑の中を走り、島でたった1つになってしまったというさとうきび工場が見える。
 その後、海岸線に沿って走ると、すがすがしい眺めと、赤くて力強い岩肌が風土の違いを感じさせる。子供たちは移動の疲れで車に乗るや、すっかり眠ってしまった。

 ホテルに着くと、早速周りを歩いてみる。ビーチが目の前に広がっている。日差しは強いけど、爽やかで汗をかかない。日本でみる観葉植物が道路わきに生えていて、葉が大きく茂っている。
マウイ島  翌朝は鳥のさえずりで目覚めた。半分眠っている頭の中で、「これはきっと南の島をイメージするための何かの効果音でも流しているのか」と思った。美しい響きで、鳥が大きな木の周りを飛びながら鳴いている。
 コネクティングルームでは家族5人でも広々使えた。ベッドもセミダブルのサイズで、子供が眠ると埋もれているように見える。
 せっかくここまで来たのだからと、翌日からは欲張って予定を詰め込んでしまった。日本でイメージしていたのは、デッキチェアに横になりながら、海辺をぼーっとしている姿だったのに。

 翌朝8時からスノーケルツアーに参加。港までの遊歩道ではジョギングをしている何人もの外国人とすれ違った。朝から虹も出ている。
 100パーセント英語でのツアー、参加者は30人位いたが、その中で日本人なのは僕たち家族だけ。風が強くて、少し肌寒かった。
 出航してすぐにまた港に戻り始める。どうしたのかと思ったら、日本人7人家族(おじいちゃん、おばあちゃん、若夫婦、そのお子さん)が遅れて来たためだった。
 日が照っているのだが、風が結構強くて、僕以外の家族は、この後ひどい船酔いになるのだった。
 パンと飲み物の軽い朝食を船でとる。それから、シュノーケルのポイントまで連れて行ってもらうのだが、子供も妻も段々頭が下がってきて、かなり気持ち悪そうだった。
 海は真っ青で、ところどころ大きな雲も出ていたが、青空で申し分ない天気のはずなのに、船の上下のゆれは続く。

 やっとポイントに着く。説明があり、水中メガネやスノーケル、フィンを借りて、海へ下りようとしていたら、次女が吐いてしまった。
 スタッフがすぐに片付けてくれて、話しかけられる。「ジンジャー」と言って差し出されたのは、どうやら酔い止め薬らしい。
 船にいるよりは、海にいる方が気分は良いので、入って魚が泳ぐのを見たりして過ごす。
 三女は足が着かない海へいきなり入るのが怖いのか、風が強くて寒いのか、震えていて、防寒用のスーツも貸してもらったが、結局すぐにそこのポイントでは船からあがってしまった。次女は海の中では元気になって泳いでいた。

 次のポイントに移動する時、またエンジンを止めて何かを探しているようだった。どうやらイルカがいるポイントのようだ。けれど、この何もしないで、漂っている時が1番気持ち悪いのだ。
 見つからずあきらめて船が進むと、すぐそばで何かつるっとした頭のようなものが波間に見えた。海亀だ。足をパタンパタンさせて泳いでいる様子は、とても可愛らしい。

 壊れた橋のそばのポイントには魚が多いという説明で泳いだが、水に細かく浮いている物があって、水も透き通っていない。
 その後、船に戻って昼食にパンとチキンとゆでたとうもろこしなどが運ばれたが、僕以外のうちの家族は誰も食べられなかった。僕はチキンをお代わりした。
 外国の人たちも並べてあるチップスターなどのお菓子やフルーツ、飲み物などを食べたりとったりして談笑している。船酔いとは無関係な様子だった。
 遅れてきた日本人家族たちも、ほとんど料理に手をつけないでスタッフに皿を返していた。やはり船酔いだ!
 帰りはエンジンを止めて、帆をはって、風の力で帰る。やはり風が強い所なのだ。
 妻とは今まで何度もクルージングに参加したことがあるが、初めて船酔いを経験したと、ぐったりしていた。「もうダメだと思ったけど、眠ると何とかなるんだね。」と長女が笑った。

 その後、夕方からは星空ツアーに参加した。ハイアカラ火山に車で連れて行ってもらって、サンセットと星空を観測するというものだ。日本語がとても上手な韓国人のガイドさんだった。
 富士山位の3000m級の山だったので、途中何度も休憩と取りながら、ゆっくりと登ってくれた。中腹では山すそがなだらかに広がり、西日の暖かな光の中、遠くの海まで見渡せる雄大な景色を眺めた。
 あちこちに乾いた糞が落ちているのは、牛が放し飼いされているからとのことだった。馬の姿もあった。ガイドさんが呼ぶとそばに来た。乾いた草をその馬にやってみせてくれて、子供たちにも草を取ってきてやらせてくれた。
 ハイアカラ国立公園に近づくにつれ、気候が涼しいから肌寒いに変わってきた。植物や木もまばらになり、周りの景色がゴツゴツした岩肌になる。
 夕日が沈む頃を見計らって、ちょうど山頂に着く。「ここからものすごく寒いですから、防寒服を着て下さい。」とダウンのコートを貸してもらう。
 車から1歩出るとあまりの寒さに震えた。辺りには心待ち顔に夕日を待っている人が同じ方向を向いて並んでいる。

星空ツアー  夕日が沈み出すと、空がスクリーンの様になって、水色、うす紫、ピンク、オレンジと美しい縞が出来た。地球の影も現れて、幻想的だった。
 日がすっかり落ちて暗くなると、今度は風当たり少ない場所に案内してもらい、星空観測になった。月が半月だったため、その明るさで、60パーセント位の星の数だと言われたが、「星が大きくて、とても近くに感じるね。」と、子供たちは3人とも大喜びだった。
 望遠鏡とレーザーを使って、北斗七星やオリオン座、水星やアンドロメダなどの星座を初めに、一つ一つの星の名前を詳しく教えてくれる。望遠鏡から見た星は、眩しくて、生き生きとした命を感じる。
 月のクレーターも望遠鏡からのぞいたものを写真に撮った。「これで、『宇宙に行ったよ。』と話してごらん」とガイドさんが笑った。

月のクレーター  流れ星が何回も落ちていく。「女性の中には、涙を流して感動される方が結構いらっしゃるんですよ。」山の下の方で、街の光が瞬いている。
 美しい自然とのんびりした雰囲気のマウイ島の2日間は、あっという間に過ぎた。マウイ島のみの観光にしたかったのだが、申し込みが1ヶ月を切っていたので、マウイ島4日間はホテルが空いていなかった。そして、ホノルルに戻るツアーとなった。

 ホノルルでは、日本にいるのと変わらない街の様子を感じた。海辺もテレビでお馴染みの風景だ。買物に興味のない僕たちは、マウイ島の豊かな自然が懐かしかった。
 オアフ島でも指折りの美しさを誇るカイルアビーチでの無人島探検ツアーに参加する。去年、沖縄でカヤックを楽しんだ次女が、またやりたいと言うので、シーカヤック体験をする。
 5人家族の為、2人ずつと1人に別れて乗るように言われる。長女が1人で、僕と三女、妻と次女の組み合わせ。
 長女が1人で乗るにあたって、本人も妻も不安に思っていた。そのことをスタッフに伝えたからか、実際、海に出ると、1人でカヤックを操る長女に、スタッフが代わる代わるパドルの使い方を側まで漕いできて、「右漕いで、もっと右に」と細かく教えてくれたため、どんどん沖の方へ進むことが出来た。

 ところが、妻と次女は、向かおうとしている無人島とは反対の左の方向へ進んでしまう。長女の心配をしていた妻とやる気満々だった次女のカヤックは波と平行になって、ついにはひっくり返ってしまった。
 浜辺にいたスタッフのおじさんが一緒にカヤックを起こしてくれたが、「砂まじりの波にもみくちゃにされて、しょっぱい海水は鼻と口から入るし、波が荒い。」と妻が言った。
 子供はカヤックにぶつかったらしく、口からちょっと血を出していた。スタッフのおじさんも自分のメガネを失くしてしまったようだ。

 いろんなハプニングもあったが楽しかった今回の旅行は、僕が店主となり、定休日をなくし、5年ほどかけて、この日のために少しずつ貯めた貯金をはたいて行ったものだ。
 長女が中学に入学して、毎日部活(吹奏楽部)に忙しくなり、これからあまり家族で旅行にも行けないだろうし、三女だけは今まで海外に連れて行っていないので、せっかく行くならと、ハワイ島を選んだ。
 長女は中学校に入学してから、「英語なんてつまらない。全然興味がわかないし、覚える気になれない。」と話をしていて、困ったものだと思っていた。
 けれど旅行後には、何か心に感じるものがあったらしく、英語も自分で勉強をしだした。そして、夏考査でのリスニングの問題が「なぜか分からないけど言っていることが、よく分かったんだよ。」と驚きながら、全問解けたこと喜んでいた。



 7月29日に放送されたNHK総合テレビ「難問解決!ご近所の底力」。その番組がきっかけとなり、同じNHKの別の番組のディレクターから連絡が入った。商店街で前回のように集まり、一斉打ち水の撮影をして放映したいとのことだ。
 その番組は、NHK総合テレビ「ゆうどきネットワーク」。放映は、僕が旅行中の、8月23日夕方5時15分。
 撮影日は、商店街の多くの店がお盆休みの時期で、たいていの店が休みだったため、当初予定していた撮影日を1日ずらしてもらった。休み明けの店の方に、撮影時間直前まで、あきらめずに、声かけをした。何とか雰囲気を、前回の撮影の時と遜色ない形にできたと思う。
 今回リポーターとして来て下さったのが、気象予報士の中村次郎さん。店の前で打ち水のやり方を説明させてもらった。
 また、以前情報誌「朝日タウンボイス」の「ねりま生活応援団」コーナーに商店街を紹介したことがご縁で、面識のある、春日町のサンリーム商店街の渡辺さんから、恒例の夏祭りでの出し物を相談されて、打ち水を紹介した。そして、実際、区役所の環境政策課に協力を依頼して、打ち水を実施されたそうだ。

 そして、9月7日発行された、人・街・元気マガジン『ぱど bX50』(212板橋区・東上線エリア)、情報発信コーナー「マンスリー地元ガイド・商店街を歩こう」で、きたまち商店街が、1ページ全面の特集記事となった。
 きたまち商店街が力を入れている事業である、「わくわくカード」「きたまち阿波踊り」「打ち水大作戦」や、観光資源として、「北町聖観音座像」など、カラー写真で紹介された。
<  この記事の中で『この街この人』というインタビュー記事が掲載された。

 『「きたまち打ち水大作戦」の仕掛け人、若山さん。誰でも気軽にできる環境活動と、近年注目をあびている「打ち水」を、地域貢献の一環としてはじめました。商店街の枠を超え、活動への参加を呼びかけたことが実を結び、3年目を迎える今年は、周辺2商店街を含む、およそ100店舗が協力してくれたといいます。このような地域活動を通して、各商店と地域の人々といったコミュニティの活性化を考える若山さんに「きたまち商店街」の魅力を問うと、「とにかく人が温かい、知れば知るほど味が出る街ですね」と応えてくれました。』

 『ぱど』では、このコーナーは今回が初めてということで、きたまち商店街に続いて、今後、東武東上線沿線の商店街を次々に取り上げていくそうだ。

 10月26日、僕が事務局を務める練馬商人会の4回目の会合を顧問である二瓶哲先生の事務所、株式会社タップクリエート・創造経営研究センターで行った。
 テーマは、練馬商人会の仲間の赤井茶店の創業100周年について。また、東京商人会の結成について。
 今回の会合は、二瓶先生にゆかりのある板橋区「マルフクベーカリー」の阿部さんや、豊島区「並木米穀」の小木曽さんをゲストに呼び、参加された方々の近況報告はもちろん、年内に練馬商人会と関連させて結成する、東京商人会について、先生や皆さんと話し合った。
 練馬商人会は、一昨年の12月に、練馬区内の商店街(きたまち商店街・ニュー北町商店街・大泉学園町商店会・石神井公園商店街)で商売を営む若手商店主同士の交流を通して、商人としての志を高め、それぞれの個店の活性化を目指そうと結成。仲間が活発に店に行きあう交流が多々あり、お互いに刺激しあい、切磋琢磨している。
 僕も日々仕事に邁進しつつ、東京都や練馬区、商工会議所などの研究会には、今も頻繁に参加している。スキルアップはもちろん、そこで得たものを自分だけでなく、気の合う仲間に伝え、話し合い、新たな発想を得ている。
 結成以来2年が経ち、さらに充実をと、この練馬商人会と連動させて、東京都に住む練馬以外の他地域の若手商人で、やる気のあり、かつ人柄が良い仲間に声をかけ、東京商人会を年内にも作ろうと動いている。
 「店にいつも来て下さっているお客様はもちろんのこと、ふらっと来て下さった方にも、少しでも幸せな気持ちになってもらえるような店でありたい。」
 そのために、店での努力はもちろん、お客様からも、仲間からも力を日々いただいている。



LAST  なお、この連載は今回が最後となります。お読みいただいた、読者の皆様、そして、編集にお力をいただいた電子マガジンの実務担当者様方、本当にありがとうございました。
 今まで書いた文について、読者の方が1つにまとめて下さいました。お時間がある時にでも、また振り返っていただければと思います。

 http://www.kitamachi.or.jp/newpage6-7-4.htm

 最後に、昨年亡くなった、父が生前いつも口にしていた言葉、「人に対する気づかいと思いやりが何より大事だ」これをこれからも大切にしていきたい!



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