人生を豊かにしてくれる出会い
国際情報専攻 2021年度入学 2023年度修了 和田 真規子
大学院進学を決意するきっかけは人により様々で、時代の流れの中で変わる社会背景や個々人の居る環境によって、その目的や目標設定とタイミングによっても異なると思います。私の場合は、仕事で修士号を有す方々に会う機会が増えたこと、自分自身が中堅の立場になってきたこと、コロナ禍で時間の使い方が変わりつつあったこと、等が大きかったです。そもそも大学院で学びたいという気持ちはずっとあったのですが、時間と資金を投資するには漠然としすぎた弱いものでした。学部卒業時に大学院へと進む人は身近では少数でしたし、修士号を目指すことができるのはごく限られた人のみ、周囲の方からの理解が得られるはずがない、と思い込んでいました。社会に出てしばらくすると、海外の方と接したり、修士号の有無で展開が変わると言う場面に出くわすこともあり、また業務上で積み重ねることのできた知識や、生じた疑問を体系的に整理したいと考えるようになりました。そこで社会人向けに開講している学校を調べたり説明会に参加もしましたが、それでも尚、私には遠い世界のことのように感じているうち、いつしか忘れていました。2020年以降のコロナパンデミック時には、これまでの行動や考え方を改めざるをえない変化もあった中で、これまで学びたいという気持ちを無視し、出来ない或いは難しい理由ばかりに目を向け、前進や挑戦するということを避けていたことにも気が付きました。そして、かつて参加した入学説明会で聴いた、生涯学習の研究に取り組んでいる方の言葉を思い出したのです。
「学びたい時が学び時である」
社会全体や職場で、家庭でも暗い雰囲気になる事さえある時期ではありましたが、危機は好機とすることもできると言いますし、今やらなければ一生挑戦できないのではないか、と再度大学院を調べ直しました。その際に本学の通信制を知り最適な方法かもしれないと考えました。実際には自分の考えの甘さや弱さを思い知ることになるのですが、あの時に本学に出会い、勇気を出して挑戦することを決めることができて本当に良かったです。
入学試験事前相談の制度は、とても有難いものでした。修士号取得、研究・論文作成への挑戦は、ここから始まっていたと言えます。この時に曖昧であっても考えを言葉にでき、また教員の方が真剣に聞いて御助言をくださったからこそ、研究への道が現実味を帯びてきたようなもので、ここから既に修士論文奮闘記は始まっていたと言えます。目指すべき道・切り拓く方法を想像することができ、一歩踏み出すために背中を押して頂けたような、貴重な機会でした。
「学びたい時が学び時」、「荒削りでも言葉にして口にしてみる」、「まずは勇気を出し一歩踏み出してみる」ことで周りの方や環境から後押しが加わり、あとはその道を進む覚悟さえあれば何事も拓けるのだと、今となっては思います。その後の手続きや準備、入学試験等は、その覚悟を再確認するためにあると思いました。試験日までには周囲の方からの理解も得られている必要がありましたし、最低限求められた基礎学力、仕事との両立といった現実的な環境・意志確認が試されました。今振り返ると自分では試験の結果は落第点をつけたいですが、タイミングとしては最初で最後の最適な時期だったと思います。
「2年あるようで、実質は1年半。ゆっくりしている時間は無い。」
合格のお知らせを頂いてから新年度の初日まで少し時間があるように思っていましたが、今振り返ると何かしら参考文献にあたるなど少しでも進めておけば良かったです。実際に、全体スクーリングの日が終わると一斉に動き出しました。その後のゼミやスクーリングは、コロナ禍の影響でオンライン開催となり、多くの先生や学友とはパソコンの画面越しでお会いするのみで、指導教員以外の先生方や他クラスの方々とは卒業式で初対面、といった状況でした。移動時間を抑えることができた反面、孤独な戦いと感じる時間が長かったとも言えます。
実際に会うことのできたゼミの初日では、指導教員から喝を頂き2年後の修了時の姿を描き、ゼミの先輩から1年後の自分たちの姿を想像できるような経験談を伺い、同期ゼミ生と共に覚悟を決めた事が今でも思い出されます。この初日の時間と想いは、修了するまで心の指針・励みとなりました。具体的なご助言はもちろんのこと、「実務家としての修士という自覚!」、「学びは一生。だが今は割り切ってやるべきことに集中!」、といった多くの言葉が奮闘中にも度々思い出されましたし、卒業後の現在にも活かされています。
仕事と学業の両立という条件での時間管理は、更にそこに体調管理も含まれ、想定以上に難しいものでした。社会人として誰にとっても必要なことで、既に工夫しながら経験されているものと思いますが、学業であるということ、異なる生活環境に居る教員やゼミ生とのやりとりであることなど、新たな工夫や見直しが必要でした。学生期間中、在宅または出社して勤務する日の仕事後は主にオンラインのデータベースも活用し参考文献にあたる時間とし、週末は図書館やカフェ等集中できる環境での時間、といったように切り替えました。コロナ禍ということもあり仕事・業務上の変化が激しく、学業と比例するかのように本業が想定以上に多忙になってしまい、隙間時間を意識し継続していてもそれが精一杯でした。折しも在宅勤務や外食禁止の時世であったことは、お昼休みと仕事後の時間確保に繋がったかもしれません。それでも夕方以降は疲れが出たり、休みの日は通院、家事といった家族や相手のある時間では計画通りにいかないこともあり、毎週毎朝、頭の切り替えとスケジュール再確認を意識していました。家族や身近な人からは、半ば呆れられていたような面もありましたが応援の裏返しであると考え、修士号取得へ向けた良い意味でのプレッシャーと捉えていました。
資料収集については、全体スクーリングでも様々な方法をご教授頂けたように、インターネットのデータベースを活用できましたし、近所と通勤途中の図書館が充実していたこともあり、恵まれていたと思います。私の場合は、紙媒体を好むため、テキストや参考文献を購入するだけでなく、繰り返し必要なものは印刷して活用していまして、持ち歩きのしやすさと書き込みがたくさんできる点が良かったです。情報収集は必須であり多いに越したことはありませんが、便利でたくさん集められるからこそ、自分の処理能力や置かれた環境も考慮しながら、収集量の限度と期限を設け効率的に行うことが重要でした。スケジュールと資料収集の管理は、管理台帳を作成するための時間が間にあわず、いつも使用しているカレンダーと手帳とに色分けして書き込んでいました。
体調管理についても、社会人で学ぶ方は様々な環境・背景の方が居られますので、自身の性別や年代、体質にあった管理、自分の能力=体質変化、を考慮して対策を考えることが重要だと考えます。私自身は、仕事も学業も全て身体が資本、という基本理念を崩さないようにし、最低限のメンテナンス時間は確保するようにしました。このことは、人生100年時代と言われる今、奮闘までいかなくともあらゆる場面で大切であると考えます。
実際に振り返ると、時間・体調管理はとても不出来なもので、苦手であったと痛感しました。レポート課題や論文作成にあたり、基本的なWord操作で些細な事でも確認や教えて頂く必要があったりと、周りの方にご迷惑かけた事が思い起こされます。学部時代は手書きの最後の時代とでもいいますか、wordでの作成も可能だが必須ではないと言う頃でしたし、業務ではExcelを使うことの方が多かったため、学び直しが必要でした。更に体調の変化などもあり、自分がこれまで得意と感じていた、例えばExcelでさえ失敗したりと、悪循環になっていきました。修士論文作成スケジュールも佳境に差し掛かる頃、締め切りに間に合わないということが解り、退学の覚悟をしなければなりませんでした。延長申請の手続き可能な期限ギリギリまで粘りましたが、焦っても良い論文が書けるわけはありません。これまでの日常生活や仕事上で出来ていた或いは出来ると感じていた事、些細な事さえもできないと思え、結果として、指導教員と大学院の方へお願いし半年の延長申請をさせて頂くことになりました。その後、多くの方にご迷惑をかけながらも助けて頂いたおかげで、どうにか修士論文の完成・提出をすることができました。
コロナ過における社会不安や自身の体調も要因ではありましたが、家族や友人から応援してもらえている中このような悩みはなかなか相談できず、ゼミ仲間は同じ悩みを共有する者として心強かったですが実際に取組むのは自分しかいません。言い訳ばかりが容易に思いつく自分自身の不出来さに、これまでの人生が情けなくさえ思え、これまでの在り方を根底から覆されるようにさえ感じました。修士号取得を目指して大学院に挑戦したはずで、本来ならそのような時間はないはずなのに、ぶつかった壁を見つめるために、学部生の頃にまで戻って自分自身に問いかけ、振り返る時間を持たなければなりませんでした。なぜ修士を目指したのか、なぜそこまでして必要なのか、と問う時、自分のこれまでの人生における勘違いや単なる意地、見栄、私欲…といった醜い部分とも向き合わなければなりませんでした。このような心境で良いリサーチや文章などできるはずもなく、一旦手を止めざるを得ませんでした。とにかく良い景色やリラックスできる場所で休み、思考整理のため紙に書きだすなど、初心を再確認する時間を設けました。次第に体力や思考がスッキリしてくると、1年次の履修科目の振り返りやこれまであたってきた資料・先行研究の再整理を行えるようになりました。そこで、いつの間にか大量の文献・資料にあたっていたこと、ゼミ当初から頂いてきた指導・助言の中で少しであってもできている点があること、いつの間にか身についてる力があるということにも気付けました。自分の得意不得意を認識して必要な努力を続けること、少しでも得意なことでは周囲の方へ協力すること、といった基本的かつ大切な事を再認識しました。
学生期間中もっとうまくできたのでは、という反省は多くありますが、少なくとも成長した時間は積み重ねていました。情けないと思える過去の自分を変えることはできないですが、学びたい気持ちを見ないふりしていた自分は、今はもういません。その代わりに居るのは、不出来ながらも奮闘した経験や研究したことを伝えたい自分、こんな私にも恩師や仲間が増えたという自分、です。大学院で学ぶということを高い壁に見てしてしまっていたのも、一歩踏み出して乗り越えようとしたのも、そして乗り越えた先で違う景色を観ているのも、今の自分です。他者にとってはたいしたことではないかもしれませんし、大学院を修了することが全てだとは決して思いません。しかし勇気をもって一歩踏み出したこと、後押しやアドバイス頂けたこと、どうにか奮闘してきたこと、その先で得られた出会い等、全て私にとって確実に自信となり修了後の今に活かされています。事前相談時に2年で修める想定で受け入れてくださった指導教員と大学院の皆様には、期待に応えられなかったようで悔しい想いが残っています。しかし2年を超えても修了の機会を与えていただけたのは、厳しさという愛情を頂けたことでもあり、私の人生にとって豊かな一幕となりました。
最後になりますが、恩師とゼミの先輩方と同期の仲間、大学院の皆様、かつての同僚や友人、家族らに(そして一歩踏み出した自分にも)、感謝致しますとともに、現在或いは今後修士号を目指される仲間の皆様に敬意を表します。