議会と選挙と大学院生

国際情報専攻 2020年度入学 2022年度修了 鈴木 岳幸

1. 2020年新春の決断

静岡県藤枝市の市議会議員として働いていた私は、2020年の年明けから、一つの決意を固めていた。「大学院に進学する」、その思いは十何年も前からおぼろげに抱いていた希望であったが、仕事が忙しい、お金がない、そもそもやらなくても困らない等々、様々に自分に言い訳をしながら過ごしてきた。しかし、自分の政治への思いをさらに強固なものとするため、社会の政治への関心を高めるため、そして何よりも自分自身の知的好奇心を満たすため、大学院進学というあえて難しく厳しい選択をすることを決意した。
 思えばこの決断は、政治の世界で働きたいと思い、民間企業を退職して国会議員の秘書となった時よりも、市議会選挙に出馬すると決意した時よりも、重い決断であったかもしれない。何せ当時はまだ独身であったため、決断は自分一人の思いと責任において決められるものであった。ところが、大学院進学を決意した時にはすでに妻がおり、家族のことも考えなければならなかったからである。
 決意を胸に事前相談のため東京に向かう日は、前日まで市議会議員の公務として、台湾の台南市を公式訪問しており、現地の市議会議員の皆さまと友好交流を行ってきたばかりで身体の疲れも抜け切らぬままであったが、私の気持ちは高揚していた。久々に東京の地に降り立って市ヶ谷のキャンパスまで歩く道のりも、足取りが心なしか軽く感じた。瀧川修吾先生とお話をさせて頂き、私自身の思い、「政治参加が市民自身のためになることを示したい」ということにご賛同いただき、2月の入学試験に臨むことになり、その結果何とか入学許可をいただいた。

2. 入学とコロナ禍の始まり

晴れて日大の大学院生となった私は、議会と学生生活の両立を目指して活動を開始した。市議会議員のメインの仕事は、市役所で行われる本会議定例会であり、それが年4回で各回とも会期が約1か月ある。それ以外には、行政視察や地域要望、行事への公式参加などがあるが、それ以外の時間は基本的には個人企業と同じで、自分でスケジュールを管理してやりくりするものである。しかも予定が重なるときには休みのない時期が長期にわたって続くが、議会が閉会して行事が少ない時期になると、エアポケットのように予定のない日々が続くことがある。
 そのため、そのように時間が空くときに大学院の勉強に精を出していくことを考えていたが、入学とほぼ同時期に流行を見せたコロナ禍により、その生活は一変した。様々な行事は中止になり、行政視察や会議も中止が相次いだ。東京に行ってのスクーリングやゼミも楽しみにしていたが、全てオンラインとなり、歯がゆい学生生活となった。
 それでも議会の仕事は無くならないため、市役所内での市議会本会議や委員会は、入場制限をして行われていたが、私が所属していた地元の青年会議所や商工会議所などの各種団体の例会や懇親会は軒並み中止となり、人との交流や飲みニケーションが人生の大きなウエイトを占める私にとっては、心の栄養が絶たれたような非常に空虚な気持ちとなったことを覚えている。
 私が居住する静岡県藤枝市も含めた近隣市では、多くの公立図書館があるため、テキストや参考資料を蒐集するために大変役立った。議会のない日には近隣市の図書館をハシゴしてはテキストや参考資料を渉猟し、その道すがら、今まであまり立ち寄る機会のなかった地域密着の知る人ぞ知る蕎麦店や町中華で食事を摂ることが、コロナ禍で制約された中での学生生活の小さな楽しみとなった。

3. コロナ禍と留年と選挙

入学してからの2年間はコロナと共に過ごした学生生活であった。その間は、相変わらず議会の公務としての行政視察は行われず、行事も自粛で中止となり、各種団体の懇親会もほとんど行われないままであったが、途中からは小人数での飲み会は徐々に復活をしており、少しずつ日常を取り戻しているような感覚を覚えた。
 そのような学生生活は大変でありながらも何とか単位は取得していた。そして2年目の学生生活の冬には、いよいよ修了論文を仕上げにかからなければならない時期へと差し掛かっていた。ただ、その修論の中身は、瀧川先生と何回かやり取りを行い、分量も内容も及第点との評価をいただいたものの、私自身の思いである「政治参加が市民自身のためになる」ことを指し示すには十分であるとは言い切れないものであった。そして迎えた2022年1月、瀧川先生からZOOMにてご指導をいただいていたが、「もう時間もないし、もう一年じっくり取り組んでみたらどうでしょう」という一言をいただいた。
 実はこの頃、同年4月に私自身の市議会議員選挙が行われるため、その準備にも心を砕いており修論の完成度を高めるところまで手が回っていなかったというのが現実であった。ここに、私の大学院生活は留年が決定し、来るべき選挙では『現役大学院生で市議会現職の候補者』という大変珍しい肩書の候補者となることが決まった。当初の予定では大学院を修了して、心置きなく修士の候補者として活動するつもりでいたものが、期せずして現役大学院生候補者となったが、もしも落選の憂き目にあえば学業の継続も困難になる恐れもあり、大きなプレッシャーを背負って選挙をむかえることとなった。
 2022年4月に執行された藤枝市議会議員選挙では、定数22名のところに24名が立候補するという少数激戦の選挙となり、私、鈴木岳幸は10位にて3期目の当選を果たすことができた。

4. 修了と新たな挑戦

選挙の当選により何とか学業の継続もできるようになり一安心であったが、ここで私の、良く言えばもったいない精神、悪く言えば欲深い性質が現れてしまう。単位数は2年間で28単位をすでに取得しており、修了要件の30単位まではあとは特別研究のみを履修すれば事足りるはずであったが、せっかく学費を払うのだからと、そのほかにも2科目の履修を登録した。
 この登録した科目がまた難しい内容であり、得手不得手もあったのだろうが、大学院生活の中で最も難解であったと感じられた。しかもそのテキストも参考資料も非常に希少なものであり、入手も困難なものも多く、参考資料を求めて図書館のハシゴをさらに繰り返すことになってしまった。しかも3年目となったこの年からは、コロナ感染も減少してきたため、行政視察や各種団体の行事も復活し、従前の忙しさが戻ってきていたため、それまでの大学院生活よりもさらに忙しく働く中での学習となった。しかしその甲斐もあり、今まで以上の労力を費やし、より深い知識を得られたと現在では考えている。3年間在籍した結果として、特別研究も含めて合計42単位を取得できたことは、私自身よく頑張ったものだと自己評価している。
 特別研究に関しても、私の思いである「政治参加が市民自身のためになる」ことを示すためにあらゆるデータを収集して関連づけた説明を試みたが、元来理系の人間であったため国語力もそう高くない私は、言い回しが下手なせいかうまくまとまらない。瀧川先生からは多くの添削をいただいて、修士論文を何とか上梓して、2023年1月の口頭試問を経て、ようやく学位をいただくことができた。
 3月の学位授与式では感慨深いものを感じたが、コロナ禍での学生生活には心残りもある。同じゼミ生や先輩後輩との交流が全くできなかったことである。東京から離れた地域に住んでいるせいでもあるが、今後も交流の場が設けられるはずであるから、その点は大いに活用して自らの幅を広げていきたいと考えている。図らずも、学位授与式後の祝賀会で、同じ瀧川ゼミの修了生の竹村さんと同席して、お話しすることができた。東京ではゼミの方同士で飲み会なども開かれていることをお聞きし、今後の開催への参加を要望させていただいた。
 3年かけてやっと修士となった私は、ここで新たな挑戦を決断する。次期衆議院選挙の立候補予定者となったのだ。この決断は大変重い決断であったが、地域の様々な人たちからの後押しもあり、「やってみたい」という気持ちがとても高まり、家族を説得して表明を行った。ようやく厳しい学生生活を終えたばかりでまた家族には心配と迷惑をかけてしまうことになるが、自らの思いと地域への愛情を示すため、鋭意活動を重ねていく決意を強く固めている。
 勉強したい、地域の役に立ちたい、社会を良くしたいといった前向きな欲求を満たしていくためには、行動を起こし挑戦するしかない。様々な曲折を経た大学院生活を経験した私はそのような思いをさらに強くしている。人間は死ぬまで成長し続けることができるから、私も歩みを止めずに成長したい、大学院の学習はあくまでもそのプロセスの一つであり、この修了はゴールではなく数多くあるステップの一つである。今後も挑戦する気持ちを持ち続けて活動していかねばならないと、決意を新たにしている。




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