博士論文を書き終えて
博士後期課程 総合社会情報専攻 2020年度入学 2022年度修了 吉田 敬
今回、指導教員の島田めぐみ先生から博士論文奮闘記執筆のお話をいただいたことは、私自身にとっても博士論文を書き上げるまでの一連の取り組みを見つめ直すうえで良い機会となりました。私の場合、手探りのなかで行ってきた少しずつの積み重ねによって、何とか博士論文を書き終えることができたように思います。もちろん、その過程では、偶然見つけた資料や、思わぬところから得られた着想もありますが、あらためて思い返してみると、それらもまた、日々の取り組みを通してもたらされたことのように感じられます。
この奮闘記は、試行錯誤しながら博士論文の全体像を見出していくまでの取り組みを中心にまとめたものです。結論から言えば、私にとって博士論文を書き上げるまでに重要だったことは大きく3つに要約できるように思います。
1つ目は、当然のことのようですが、調査・研究の実施です。博士論文を書き上げるためには、それを構成する材料が必要となります。そこで、博士論文のなかでの位置づけが確定していなくても、まずはパーツとなり得る調査・研究に取り組むことにしました。
2つ目は、資料の要点をまとめたメモを作っていくことです。博士論文を完成させるまでには、多くの資料を読むことになります。それらを参考にしたり、引用したりするには、どの資料にどんなことが書いてあったか把握しておかなければなりません。しかし、読む資料も膨大となるため、記憶だけでは追いつかなくなったり、目的の資料を見つけ出すのに時間を費やすなど、不経済であったりします。そこで、一見遠回りでも、読んだ資料の内容をすぐに再確認できるよう要点や情報をまとめておくことにしました。
3つ目は、他の博士論文の論理構成を検討したことです。これは必ずしも同じ領域の博士論文である必要はなく、私の場合、むしろ他の異なるテーマの博士論文から大きな示唆を得ることができました。以下では、これら3つのことを中心に振り返ってみたいと思います。
当初、私は、修士論文を踏襲しながら、調査範囲を広げたり、深めたりしていくことで何とか博士論文にまとめていくことはできないだろうかと考えていました。ただ、博士論文としての輪郭が不鮮明で、具体的な方向性が見出せていなかったため、本当に博士論文が書けるのだろうかという不安は常に感じていました。
一方で、博士論文の執筆要件は明確に決まっており、総合社会情報研究科の場合、主たる要件としては、入学後に研究指導を受けたうえで、査読付き論文2本以上、あるいは査読付き論文1本と紀要論文2本以上の掲載といった項目がありました。そのため、予備試験の行われる3年目のはじめには、これらの論文が掲載済み、もしくは掲載が決定していないとなりません。もちろんこのほかにも、所定の単位(12単位以上)の取得などの要件もありますが、内容的にも時間的にも最も大変になるのが、論文発表の実績だと思います。
そのため、1年目は、まずは博士論文のテーマに関係した調査・研究を形にしていくことを目指しました。それらは、博士論文のなかの位置づけの鮮明さに欠け、粗削り内容だったと思います。しかし、それらの研究に取り組ませていただき、しばしばゼミでもご助言をくださった指導教員の島田先生の存在は大きかったと思います。結果的なことですが、もしかしたら私は実際に取り組みながら研究のヒントを得て形にしていくタイプだったのかもしれません。そのため、しばらくボトムアップ的なスタイルで研究に取り組ませてもらえたことが良かったように思います。
このようにして、1年目には紀要論文を2本、2年目には査読付き論文と紀要論文をそれぞれ2本ずつ書きました。これらの論文のなかには、もともと授業のリポートで書いたものもあり、科目担当の先生や指導教員の島田先生と相談して査読付き学会誌に投稿することにしました。この一連の取り組みを経て実感することは、特に査読コメントを踏まえての改稿作業が研究力全体の底上げになることです。そうした改稿のトレーニングになるのが日々の授業だったと思います。リポートにおいて、担当教員からのコメントへの対応力が求められているのもそのためでしょう。そればかりでなく、授業での学びを通して、思わぬところから研究のヒントが得られることも少なくありません。実際、上記の論文も授業を通して着想を得たものでした。
こうして最も大きな課題であった論文投稿の要件は満たすことはできたものの、これらの論文が博士論文のなかでのどのような位置づけになるのか、私自身、まだ完全には見えていませんでした。このとき、もう2年目の終わりが近づいていました。それまでの中間発表を通して、博士論文の方向性や全体像などの修正を重ねてきましたが、未だ確固たる1つの筋道が見出せずにいたと言えます。
一方で時間は限られているため、このようななかでも、少しずつ博士論文を進めておく必要があると考えていました。しかし、博士論文の筋道が決まっていないと具体的なことを執筆していくことはなかなか難しいものがありました。そこで、研究の背景をまとめるうえでも重要となる文献のレビューに注力することにしました。特に、比較的昔の代表的な書籍や論文の読み込みが足りないと実感していたため、そうした資料を中心に読み進めました。
ところが、読んだ資料の数が増えるにつれ、どの著者のどの資料のどこにどんなことが書いてあったか、なかなか思い出せないという問題に直面しました。目的の文献を探すのに何時間もかかったり、結局どの文献に書いてあったか見つけ出せなかったりするようになったため、読んだ資料で参考になりそうな箇所や、引用する可能性のある箇所を中心にメモを作ることにしました。このメモは、文献を読みながら、あるいは読んだ後で、文献の情報や、参考になる記述、そのページ番号などをひたすら記入したものです。このメモにより、読んだ文献の内容については必要なときに比較的容易に見つけることができるようになりました。机の引き出しみたいに、一旦しまっておいた物を必要に応じて取り出せるようなイメージです。時間と労力を要しますが、このメモは博士論文の各論を書くうえで重宝しました。そのため、一方では、もっと早い段階から取り入れるべきだったという反省もあります。
これらに加えて、テーマに関わらず、数点の博士論文を読み、研究の目的や背景の書き方を検討してみたことも有益でした。博士論文では多くの事象を扱うためか、私の場合、研究の背景や問題の所在を明確にしたうえで本論に進むためのスムーズな流れが見出せませんでした。そんななかで目にした博士論文の1つが、とりわけ構成面において参考になったことは大きかったと思います。その博士論文は、研究の背景と先行研究、目的・課題が非常によく整理されて書かれており、また、それらの記述が極めて自然かつ必然的に本論と連結しているものでした。この論文を読んだ瞬間に、自分の博士論文の構成が見えたのを覚えています。
このほか、先述のメモ作成の際に読んだ論文のなかにも、博士論文の支流を定めていくうえで大きな示唆が得られたものもありました。こうしたことの積み重ねを経て、ようやく目次と骨子案を書き上げる段階まで達することができました。
その目次と骨子案の内容を踏まえて、指導教員、副指導教員の先生方から博士論文の執筆許可が得られれば、予備試験を経たのち、夏までに初稿を仕上げていくことになります。ただし、私の場合、その目次と骨子案に従うと、2年目までに書き終えている6本の論文だけでは足りないパートが複数生じる見込みであったため、これまで以上に時間的な問題を抱えながら取り組むこととなりました。実際には、3年目の4月から7月にかけて足りていない調査・研究や執筆を行いましたが、7月初めの時点では、初稿を夏の間に書き上げられるか際どいところにいると感じていました。それでも、何とかすべてのパートを書き上げて博士論文のすべての材料が揃うと、それらを1つの形にまとめていくのにそれほど時間はかからなかったように思います。
しかしながら、指導教員である島田先生のご指摘はこれまで以上に厳しいものがあり、完成稿を仕上げるまでに何度も修正を繰り返していくこととなりました。この修正にも頭を悩ませ、多くの時間を費やしましたが、やはり私にとって、博士論文を完成させるにあたって最も大きな障壁となったのは構成だったと言えます。これを乗り越えてからは、堰を切ったように筆が進んでいった感覚は今でもよく覚えています。たとえるなら、航海において、羅針盤を得たようなことだったのかもしれません。
今、あらためて振り返ってみると、私はこのように博士論文に取り組んでいったように思います。もちろんここに書き切れなかったことも少なくありません。様々な巡り合わせにも恵まれて、博士論文を書くことができたことも付記しておきたいと思います。
最後になりましたが、今回、奮闘記執筆の機会をくださった島田先生にあらためて感謝申し上げます。ここに記したことが、私と同じように漠然とした不安を感じながら博士論文に挑戦する方々にとって、少しでも参考になるようでしたら幸いです。