悪戦苦闘し,やっと書き上げた博士論文

博士後期課程 総合社会情報専攻 2020年度入学 2022年度修了 泉谷 清髙

私は66歳のエンジニアです。後期課程には2020年4月に62歳で進学し,65歳で修了しました。本稿では,博士論文を書き上げる過程で迷い考え,そして留意したことを中心に振り返ってまいります。最初に,「奮闘」の意味はいろいろありますが,私には「力をふるって戦うこと」の意がしっくりします。ここには「余裕綽綽で戦う」の語感は全くありません。修了生の中には余裕綽々で博士論文を書き終えた方もいらっしゃると思いますが,私の場合は悪戦苦闘し,何とか書き上げた次第です。以下の数値をご覧ください。これは,本学のホームページに掲載されている直近5年分の修了率です。修了率の定義は,後期課程において最短修業年限(3年)で修了したパーセンテージです。令和3年度(0%),令和2年度(44%),令和元年度(50%),平成30年度(30%),平成29年度(36%)となっています。私は,進学前より修了率の実績を見て,「博士論文の要件は厳しいものなのだ」と解釈し後期課程に臨みました。本稿は,悪戦苦悩した者の博士論文奮闘記です。博士後期課程に在学中の方と博士後期課程へ進学を検討されている方の参考になれば幸いです。

東日本大震災を経験し,前期課程に進学

私のバックグランドです。私は電機メーカーに40年間ほど勤務しており,現在もフルタイムで働いています。仕事は,NTT等の通信キャリア,データセンター,病院,工場の施設を停電から護るための非常用発電装置や無停電電源装置(UPS)を中心に扱い,その他,太陽光,風力等の再生可能エネルギー分野にも携わっています。「停電から護る」という表現は奇異に聞こえると思いますが,我が国のように電力の安定供給レベルが世界トップクラスでも,少なからず停電は発生しています。他に代替することが著しく困難なサービスを提供する事業が形成する国民生活及び社会経済活動の基盤である「情報通信」,「金融」,「航空」,「空港」,「鉄道」,「電力」,「ガス」,「政府・行政サービス」,「医療」,「水道」,「物流」,「化学」,「クレジット」及び「石油」分野では,その機能はコンピューターと通信ネットワークで維持・管理しており,停電で機能停止すると社会生活に非常に大きなインパクトを与えます。このような重要な基盤(インフラ)を停電から護る仕事に携わっています。

2011年3月の東日本大震災の際,電力や石油製品の供給の安定性が大きく損なわれたのを目の当たりにしました。東京電力福島第一原子力発電所事故では,大自然の脅威と人工物の脆弱性に強い衝撃を受けました。一方で「日本は地震大国なので,直ちに脱原発し,再生可能エネルギー主体にシフトすべき」という一部の世論には違和感を禁じ得ませんでした。震災から数カ月経ち,私は専門性をさらに身につけたい。そして,これから続々と発表される福島第一原子力発電所をはじめとするエネルギー施設に関する事故報告書や論文を専門的な見地から読み解きたいという強い願望を持つに至りました。これが前期課程に進学した動機でした。当時の関心分野は,システムの信頼性とヒューマンエラーであったことから,震災の翌年2012年4月(54歳)に,日本大学大学院 総合社会情報研究科 人間科学専攻に進学しました。ここでは眞邉先生のゼミに所属し,心理学分野を中心に学び実証的研究の一端に触れることができました。

前期課程修了から後期課程進学まで

前期課程修了後は,乾先生の主催する日本国際情報学会の安全保障研究部会に所属し,東日本大震災時に発生したエネルギー施設の事故に関する論文を書き始め,2014年から2019年の間に査読付き論文2篇,査読無し論文2編を執筆しました。

論文執筆の準備として「論文の書き方」についての書籍を数冊読み込みました。私には物理学者である木下是雄先生の『レポートの組み立て方』と『理科系の作文技術』の内容がしっくりと頭に入ってきました。論文投稿時の注意点ですが,投稿規定は同じ分野でも学会誌ごとに異なりますので,学会誌ごとの投稿規定をよく読み込むことが大事です。さらに学会誌に掲載された論文を習字のお手本のように利用することは有効な手段だと思います。

私は理工系の出身なので,研究は「実験ありき」もしくは「フィールド調査ありき」という意識を強く持っていました。しかし,個人で「自然災害とエネルギーの安定供給,脱炭素化」という比較的大きなテーマを扱うにあたり,研究スタイルつまり研究を行う際のアプローチや手法について,個人レベルで何が可能かを考えました。当然の帰結となりますが,私の研究スタイルは研究の基礎になるデータは国際機関や政府などの公開情報を用いて,新たな視点からの分析やシミュレーションにてアプローチする方法を選択することになりました。博士論文も同様のアプローチの方法を基本に組み立てました。

私は,研究スタイルが定まることにより論文スタイルも定まるのではないかと見ています。研究スタイルと論文スタイルのヒントは,論文サーベイを続けていく過程で得られ形成されるものだと考えます。論文サーベイの過程では「自分の研究にも,このアプローチ方法は使えそうだ」,「この論文は,自分の種論文になりそうだ」,「この論文は素晴らしいな,自分もこのようなシャープな論文を書きたい」などの意識を強く持って取組むことが大事だと思います。論文サーベイの結果,単に「新しいことを知り勉強になりました」では成果として不十分だと思います。このことは対象論文の内容の問題ではなく,サーベイする者の姿勢によるところが大きいのではないかと思います。

後期課程とゼミの効用

2019年夏から秋にかけ,執筆した4篇の論文を骨格とした研究計画書を何とかまとめ上げ,2020年4月に後期課程に進学しました。2014年から2020年の6年間は,私の研究にとって大きな環境変化をもたらしました。それは,6年という歳月を経て,震災直後の混乱していた状況は徐々に収束に向かい,事実に基づいた発信や議論をもって,世論も徐々に落ち着きを取り戻したことです。また,研究の基礎となる報告書,統計資料,論文,書籍が幅広い分野から数多く発表されたことです。加えて,私のような在野の研究者が利用可能なツールが徐々に整備されてきたことです。

後期課程では,経済学の陸先生のゼミに所属しました。ゼミは,本大学院の特徴でもある年齢,職業,関心分野も異なる多様なメンバー構成でした。陸ゼミの特徴は,OBの方々も論文サーベイ発表の場や合宿に参加して頂けることです。院生の発表に対してのコメント,さらには関連する論文や書籍を紹介頂けることもありました。このゼミのシステムは,私にとって非常に有益なものでした。当然のことながら,自分に対してのコメントが一番参考になりますが,他の発表者に対してのコメントも「人の振り見て我が振り直せ」に類似した効果がありました。この貴重なコメントを活かすには,素直に聞き入れる「謙虚さ」が何より大切だと思います。また,ゼミのメンバーから自分の専門分野に関する事柄について質問されることがありますが,専門外の方に分かり易い説明ができない場合は,自分の力量不足を痛感しました。このようなゼミ内の経験は,中間発表などで先生方との質疑応答の模擬体験になると思いますので,これを好機と捉え,説明の仕方をブラッシュアップしていくことも大切かと思います。

本大学院で公開されている博士論文を参照することが,論文作成を進めるうえで効果的だと思います。参照するには「日本大学リポジトリ」にアクセスします。ここには,「博士論文」,「論文の内容の要旨」,「論文審査の結果の要旨」が3点セットで収納されています。関心のある論文にアクセスし,最初に「論文審査の結果の要旨」を読むことをお薦めします。その後に博士論文を読むと,章立て,審査者の見方,評価ポイント,博士論文に要求されるレベル感などが見えてくるかと思います。

大学院のイベントをマイルストーンに

3年間の中間発表,予備試験などのスケジュールがあらかじめ定められており,後期課程3年間のスケジュールもおおよそ想像がつきます。入学後に最初に行う作業は,仕事のスケジュールと中間発表などのイベントを統合した3年間のスケジュール表を作成することではないでしょうか。完成したスケジュール表を一覧すると,やるべきことが盛りだくさんであり少々気が滅入ると思いますが,覚悟を固めて早目にペースをつかむことが大事だと思います。中間発表などに使用する発表資料には,作成するにあたり要件として「テーマを選定した理由・根拠」,「先行研究の総括」,「関連する研究の歴史の中で本研究が占める位置について」,「新研究において考察を進める際の視点について」,「今後の課題」などが定められています。これらは,常に意識すべきポイントですので,積極的に発表の機会を利用して,博士論文の不足しているパーツなど確認しながら進めてくことが大事だと思います。

何より大事なのは,博士論文に集中すること

多くの院生の目的は「3年間で博士号を取得する」ことであり,その手段は「博士論文を書き上げ,審査に合格すること」と思います。私は,「博士論文を書き上げることに集中すること」が一番大事なことだと思います。ここでいう「集中すること」とは「二兎を追うものは一兎も得ず,となるので一つのことに集中しましょう」という意味合いです。自明なことですが,自分で自身を取り巻く環境はコントロールできません,コントロールできるのは自分自身のことだけです。博士論文を書き上げるには,「己自身を統治し,冷静に戦い続けること」が肝要と考えます。


以上,駄文を長々と書いてしまいました。皆様の博士論文の完成と審査合格を祈念して,筆をおきます。最後までお読みいただき,ありがとうございました。




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