すべての経験は博論に通ず

博士後期課程 総合社会情報専攻 2019年度入学 2022年度修了 中村 かおり

博士後期課程に進学する前に、私はすでに大学の教員として日本語教育に携わっていたが、2018年に修士の学生に対する研究指導も任されることになってしまった。「なってしまった」と書いたのは、私が博士前期課程を修了したのは20年近くも前で、そのときに書いた修士論文はとても人様にお見せできるような代物ではなかったからだ。これまで、学会誌や紀要に論文を投稿することはあっても、100ページを超える修士論文の指導をどのように進めていけばよいのかまったく自信がない。初めてのゼミ生を2名受け持った初年度は、多くの指南書に救いを求め、ベテランの方々に相談をしつつ、学生とともに悩み試行錯誤しながら指導に取り組んだ。私はアカデミック・ライティングを研究対象にしているものの、修士論文の書き方について自信を持って指導するには圧倒的に経験が足りない。それなのに、所属機関からはいずれ博士後期課程の学生も受け持ってほしいと言われている。自分が書いたこともない博士論文の書き方を人に教えるのは無理だ。困り果てていたとき、同僚から、社会人でも通える通信制の大学院があると、日本大学を紹介された。「このままではダメだ。よし、ここでしっかり書き方を学んでみよう」と、2019年に覚悟を決め、縁あって、島田めぐみ先生のご指導を受けられることになった。入学後早々に私が気づいたのは、自分自身がいかに何も知らず、できないことだらけだったかということであった。

レポートを書く難しさ

まず、研究以前に、レポートを書くのに苦労した。先述の通り、私の研究分野はレポートなどを書くアカデミック・ライティングである。学生に書き方を指導している以上、自分自身がその模範となるようなものが書けなければならない。しかし、学生に対して口で言うのと実際に自分が書くのとでは大きく違った。毎回、書いては課題図書を読み直し、先行研究を調べ、また書き直しという作業を繰り返しながら、心の中でこれまで指導してきた学生に謝り続けた。私が伝えてきたことは本質的ではなかった。レポートの形式を知識として知っているだけでは書けるようにはならない。書けるようになるためには、内容に関わる指導も重要なのに、私はそこを学生任せにしてきた。もっと違う方法が必要なはずだ。学生たちの産出の苦しみにもっと寄り添うべきだった。…と、自分自身が学生として苦しみながら書いた。その一方で、書き手としての自分がどのように取り組んでいるのか、書けるときと書けないときの違いは何かなど、自分が書くプロセスをメタ的に分析しながら、ライティングに関する先行研究を読み込み、それらを評価し、またレポートを書いた。このときの書き手としての切実な体験は、ライティングをテーマにした私自身の博士論文の方向性に大きな影響を与えた。

無知と怠慢の自覚

入学後は、ゼミの時間外に、島田先生と保坂敏子先生が主催されていた有志の読書会にも参加させてもらった。在校生だけでなく、修了生や学外の方もいらして、その方々との討論は非常に刺激的であった。本に出てくるわからない言葉は調べていったが、メンバーの間で交わされる言葉の意味がわからないこともしばしばあった。私は日本語教師としてはベテランの域に入る年齢であったが、なんと狭い世界のことしか知らなかったのだろう。新しい知の獲得に対して自分自身が怠慢だったことに気づき、打ちのめされた。私が尊敬する国語教師の大村はま先生は、『日本の教師に伝えたいこと』(ちくま学芸文庫)の中で、「学ぶ子どもたち」は「自分を伸ばす苦しみと楽しみの中で生きて」おり、教師も自分を伸ばそうと学びつづけなければ、彼らと同じ世界にはいられないと語っている(p.37)。私は学んでいる気になっていたが、自分が得意で楽な、非常に限られた分野にしか関心を向けておらず、実際には学習者が学ぶようには学んでいなかったのではないか。大学院での他者との対話によって、自らの無知と怠慢を否応なく自覚させられた。
 それ以降、これまで見てこなかった分野の先行研究にも広く関心を向けるよう心がけ、同時に多様な学会や研究会にも参加するようにした。そこで新しく出会う方々との交流でも、自分の不勉強があぶり出され、落ち込むことが何度もあったが、活動範囲を広げたことによって、それぞれ無関係に見えていた点の知識が、少しずつつながりはじめ、自分の研究の核となるものの輪郭がゆっくりと見え始めてきた。

危機に射した光明

研究協力者も得て研究が軌道に乗り始めた矢先、未曾有のコロナ禍に見舞われた。研究対象である留学生が来日できなくなり、調査の継続が絶望的になった。留学生を対象とする研究テーマで博士論文が書けないことだけは明白だったが、どうすればよいかわからず呆然とした。それどころか、授業のオンライン化など、教員としてすぐさま対応しなければならないことが山積みで、自分の研究どころではなくなってしまった。そのため、新年度の直前に休学を決め、一旦教員としての仕事に専念することにした。
 オンライン授業は毎日が綱渡りの自転車操業だった。その日の授業が終わったら翌週の資料に音声を吹き込んだものをアップロードする一方で、コメントシートにフィードバックをつけて返却する。1日何時間もパソコンの前に座り続ける日々が続いた。担当する授業のひとつに初年次生を対象としたライティング指導もあった。大学に入ったばかりの学生たちが一人で資料を見て内容を理解し、課題に取り組み、短時間のオンライン授業でもレポートを書けるようにしなければならない。そのためには、本当に大切なことを、彼ら自身でつかむための授業デザインが必要だった。これまでと同じやり方ではいけない。もっと本質的なアプローチでなければ。このときに、自分が学生となり、レポートの書き手として苦しんだ経験と、多くの学会や研究会、先行研究から得た知見とがつながった。いくつもある制約の中で、考えて考えて、考え抜いた先に、光が射した瞬間だった。新しい研究テーマが定まった。

査読コメントに助けられる

そのあとは、とにかく実践をして結果をまとめ、学会で発表し、論文を投稿し続けた。投稿前は自分の研究の意義が認められなかったらと大きな不安も感じていたが、そんな研究で博士号が取れるはずもないと腹を括って投稿した。大きな学会に投稿したものはほとんどが再査読という評価だったが、査読者からいただいたコメントが博士論文執筆の助けになった。ある学会では3名の査読者から6ページにわたる詳細なコメントをいただき、その手厚さに感激した。定義の甘さや独りよがりな書き方の指摘、研究デザインの別の可能性や参照すべき先行研究など、多くの教示を受けた。自分のできなさ加減に一方では落ち込んだが、この研究の意義を認めてくれるコメントには大いに励まされた。
 最終的に博士論文としてまとめるまで、大学院入学後に書いた査読付き論文はちょうど10本になった。1本の論文につき査読者が2〜3人いるとしたら、延べ20〜30人の研究者からコメントをもらえたことになる。島田先生をはじめとする研究科の先生方や同じゼミの仲間以外にも、学会発表でのコメントや査読者の方々からいただいたコメントが、博士論文を練り上げていくのに非常に役に立った。これらの経験が読み手を意識しながら論文を書く力を多少なりとも伸ばしてくれたと思う。そしてこのことも、自分のライティング指導において、ピア・レビューを取り入れる強い動機づけになった。

終盤にまさかの骨折

いよいよ博士論文の執筆が大詰めを迎えた8月、アクシデントが発生した。足を骨折したのである。横になっていないと足が痛むため、執筆が進まない。もともともう一年かけて実践を重ねようかと考えていたこともあり、提出は翌年にしようとあきらめかけた。しかし、島田先生から「将来、何があるかわからない。書けるときに書こう。横になっていても頭は使えるから、大丈夫」と励まされ、痛む右足を気にしながら、ベッドの上で構成を練り直し、途中まで書いていた文章を推敲した。
 1週間ほど過ぎてからパソコンに向かえるようになったが、足がむくむため、パソコンに1時間向かったら1時間ベッドで休まなければならなかった。そして、初めての松葉杖生活は予想以上に大変だった。両手で松葉杖を持つと、ほかに物を持って移動することができない。コップに水を入れることはできても、それを自分の机に運ぶことができない。家の中でも水筒に水を入れ、それをトートバックに入れて肩にかけ、机やベッドまで持ち運んだ。家事全般がまったくできなくなっただけでなく、着替えや入浴など、自分のことも思うようにできない。
 論文提出までの約2ヶ月間、私の代わりに家事をするだけでなく、私のためにコーヒーを淹れてくれたり、包帯を取り替えてくれたりしたのは家族だった。その助けがあって、提出前の最後の1ヶ月は、家事に割くべき時間をすべて論文執筆に充てられた。人間万事塞翁が馬。禍転じて福となす。この諺の意味を心底実感した。

無駄な経験は1つもなかった

アカデミック・ライティングでは、書くことで思考が整理され、考える力をつけることが期待されている。博士論文の執筆を通じて、そのことを体感した。私は研究の最初からゴールが見えていたわけではない。途中でテーマ変更も余儀なくされている。しかし、書き始めたときには見えていなかったゴールが、書き進むにつれて徐々に焦点化され、最終的には、わずかではあっても、自分の問題意識への答えを得ることができた。振り返ってみれば、目の前のことに毎日必死で取り組んでいて、ふと顔を上げた先にゴールが見えたという感覚だ。
 博士論文の執筆は他では得難い経験だった。論文執筆のために取り組んだすべてのプロセスが、ライティング指導にあたる教員としての自分の血肉となった。レポート・ライティングの苦労や自分の書き方を知ったこと、読書会やゼミの仲間との討論と無知と怠慢の自覚、コロナ禍でのオンライン授業への転換と本質的なアプローチへの挑戦、学会での発表、投稿論文の執筆と査読者のコメント、そしてアクシデントにより降ってわいた執筆時間と家族のサポート。陳腐な表現だが、人生に無駄な経験などない。1つ1つの経験を糧にできるのであれば、思っていた道と違っても、なんとか目的地に辿り着けるものだと身を持って知った。


以上が私の博士論文奮闘記である。自分が何も知らないことに気づくところからという、なんとも情けない始まりであったが、周囲の方々に恵まれたことで、息も絶え絶えになりながらも学位を取得することができた。この場を借りて、島田先生をはじめ、関わってくれたすべての方々に感謝を申し上げる。しかしながら、これは博士論文を提出するというゴールの話であって、研究者としてはようやくスタート地点に立ったに過ぎない。自分の無知を自覚して他者と対話し、彼らの意見に耳を傾けながら、挫けず、あきらめず、ときに自分を疑いながらコツコツと研究を進める。ここでの4年間でそのような研究者としてのあり方を学び、ようやくあらたな第一歩を踏み出したところである。博士論文を書ききったというささやかな自信を支えに、今後も精進を重ねつつ、学生の指導にあたっていきたい。




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