オープン大学院を終えて ~多様性・包摂性への穏やかな変容

人間科学専攻 5期生・修了,総合社会情報専攻 9期生・修了 小林 敦子

2022年10月9日(日)日本大学大学院総合社会研究科オープン大学院が開催されました。2020年からすべてのプログラムがオンライン開催となっており、今回も前年の方法を踏襲しての開催となりました。短い準備期間にも拘わらず、好評のうちに終えることができたのは、ひとえに皆さんの熱意と、おそらく社会人経験で培われたであろう課題遂行能力の高さのお陰であると感謝しております。
 ご尽力いただいた担当の先生方、田中堅一郎先生、加藤孝治先生、秋草俊一郎先生、そして、大学の事務の方々、実行委員および準備に加わった関係者の皆様に、記してここに感謝申し上げます。(以下、五十音順)
 実行委員:岩澤平さん、内田幸さん、仁科丈彦さん、橋本丈次(副委員長)さん、松本江里子さん、松本文子さん、吉岡千由里さん、校友会:秋元美穂さん、中森幸雄さん、前副委員長:黒田智也さん

短い期間でしたが、皆さんとともにオープン大学院を作り上げることができたことがとても嬉しく、本当に貴重な経験となりました。
 本稿では、本会の準備から開催までを振り返り、一実行委員として、一修了生として体験したオープン大学院のあれこれについて、私見や感想を交えながらお伝えいたします。



オープン大学院ポスター(松本江里子さん作成)



開会までの準備

9月14日午後7時から第1回実行委員会が開催された。そこで、正副委員長と大枠の内容が決定した。開催まで3週間ちょっとしかないという異例の事態だったが、特に、副委員長の橋本さんの大らかなお人柄(彼がいなかったら、私の心は折れていたことでしょう)、加藤先生の細部まで行き届いたサポート(身体の隅々にまで血液を行きわたらせる毛細血管のような)に、委員の皆さんの超人的なパワーが結集し、第2回(9月18日)、第3回(9月28日)委員会と審議を重ね、なんとか開催に漕ぎつけることができた。因みに1回の委員会の所要時間は、いずれも1時間~1時間半程度の間に収まっている。個別に打ち合わせを設けたり、チャットやメールなどで細かい調整を行ったりしたが、今思えば、凄いなと思う。

そして、当日

実行委員はオンラインでの参加と日大3号館に参集するメンバーの二手に分かれた。
 オープニングでは、松重充浩研究科長からご挨拶を頂戴した。研究科長には開会直前に初めてお目に掛かったが、誰に対しても分け隔てなく接するお人柄に触れ感激した。オープニングの司会は私が行い、簡単な委員長挨拶とプログラムの紹介を行った。大学入学課の計らいと加藤先生の機転により、3階会議室にカメラを設置し、zoom参加者から実行委員のメンバーたちの姿が見えるように工夫が凝らされた。これにより画面を見ている参加者の一体感や臨場感を高める効果があったと信じている。
 その後、会場Aでは、在学生・修了生によるトークセッションが行われた。司会は副委員長の橋本さん、ファシリテイタとして仁科さん。実行委員からは、内田さん、松本(江)さん、松本(文)さん、校友会から中森さん、それから委員外で小野美和子さん、酒井信幸さんにご発表いただいた。続く研究・活動発表では、室賀雅之さん、岡豊樹さん、佐野邦治さん、赤塚肇さんにご登壇いただき、それぞれのご研究について発表頂いた。
 会場Bの公開講座は保坂敏子先生の司会により、上野広治先生に「国際競技力向上に向けた取り組み ~東京オリンピック」という題でご講演頂いた。その後、専任教員・OB/OGによる入学相談会が行われた。
 さらに、別会場を設けて泉ゼミによるサイバーゼミ・デモが行われた。
 こうして、オープン大学院のすべてのプログラムは滞りなく実施され、好評のうちに幕を閉じたのだった。実行委員ならびに関係者の皆様の本学への熱き想いの結晶であったと思う。



無事に終わり、ほっとしている関係者の皆さん



委員長拝命の経緯

ここからは、私が実行委員長になった事情とこの度の経験からつらつらと考えていることについて述べさせていただきたい。個人的な事情や意見も含むが、どうかご容赦ください。

「今年の実行委員、人間科学専攻からは誰も出ていないんだよね・・・」T先生がそう呟いたのが、委員長拝命のきっかけだった。9月初旬、学会発表のため日大文理学部でお会いした時のことだ。偶然にも、その頃の私には多少の時間的余裕があった。昨年のうちに出版するはずだった本の執筆が中々進まず、これからはそれに専念しようと、丁度、所属していた会社の役員を降りていたからだ。
 T先生には2003年の修士課程、その後の博士課程でお世話になり、現在では共同研究を行っている。初めての論文投稿では、査読者からの厳しいコメントに気落ちしている私を励まし、掲載まで導いてくれた恩師である。初めての国際学会では、英語のプレゼンの前日に緊張のあまり、先生につい八つ当たりをしてしまったこともあった。今でも軽井沢のゼミ合宿は楽しみに参加させて頂いている。それなのに、薄情にも私は実行委員をした経験がない。「研究に集中したい」「そもそも集団行動は好きではない」とずっと逃げていたのだ。だから、このT先生の呟きは、「いい加減、先生や大学へ恩返しをしなさい」という神の啓示のように私の胸に響いたのだった。
 T先生には、できることがあれば協力させて頂きたい旨をお伝えし、その後、気がついたら、うっかり委員長になることも承諾してしまっていた。初めから委員長を打診されていたら、きっとお断りしていただろう。お気づきの方もいると思うが、最初に小さな要求を承諾させ、次にそれより大きな要求を提示する、これは心理学では説得の技法として超有名な「ローボール・テクニック」というものだ。後から先生の術中にはまってしまったことに気が付いたが、後の祭りである。ところで、T先生とは田中堅一郎先生のことである。もとより心理がご専門の高名な先生なので敵うはずもない。

始まりは大学院祭 ~オープン大学院の歴史

さて、私なりにオープン大学院の経緯を調べてみた。2003年に大学院創立5周年を記念して、大学院祭が市ヶ谷と所沢で1日ずつの計2日間行われている。志ある一部の院生が自発的に始めた自由・闊達なボランティア企画だった。これが現在続いているオープン大学院の前身のようである。因みに私が修士課程に入学したのもその年であり、朧気であるが記憶にある。働きながら学ぶ院生が、どうしてそんな時間を捻出できるのかが素朴に不思議だったのを覚えている。その後、オープン大学院に名称を変え、神戸、名古屋、仙台、大阪、金沢といった地方都市で毎年開催されてきた。2009年からは東京で開催されるようになり、その後、原則2日間の催しから1日のみの開催に短縮された。2010年には東日本大震災で中止となったが、翌年復活し、2020年からはコロナ禍でのオンライン開催に舵を切り現在に至っている。
 このように、オープン大学院は、世の中の変化とともに少しずつ形を変えながら存続し発展してきたといえる。

実行委員会の位置づけ

院生の自発的企画により大学院祭として始まったオープン大学院であるが、時を経て入学案内の色彩が濃くなっていったようだ。それでは、現在の実行委員会の体制や位置づけはどうなっているのだろう。
 現在、オープン大学院は院生と修了生による実行委員会組織と大学の共催という形で実施される。大学側は、3専攻(国際情報、文化情報、人間科学)から、毎年輪番制で1名の先生が担当しているらしい。実行委員は、担当教員が中心となって、各専攻からボランティアの院生、修了生を募集しているようだ。
 ところで、いろいろ聞いてまわってみたが、このオープン大学院に関しては、実行委員会設置の根拠規定や、委員会会則、開催の大枠を定めた実施要領といったものがどうやら存在していないようである。私は公組織に長く所属し、実行委員会形式の会合にも多く関わってきたが、このような経験は初めてであった。大学側と実行委員会組織の共催であるのに、それぞれの所掌範囲や、委員会と教職員の関係を位置づける明文の規定が、私の聞き及ぶ範囲では見つからなかった。そこから考えるに、実行委員会の内情は、サークル活動に近いものではなかったのではなかろうか。それは勿論、悪いことではない。ただ、外から改めて入ってきて委員会に参加する人間にとっては、そこにきっとあるのであろう見えない慣行や不文律を読み解くのに大変な労力を要すると思う。

多様性や包摂性の実現

少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、最後に、多様性や包摂性について私見を述べたいと思う。多様性・包摂性は、メンバー同士が対等であることが前提であり、その人の年齢や性別、所属ゼミや学年などが、なるべくメンバー間の力関係に影響しないようにすることに誰も異論はないだろう。しかし、実社会においては、各々の持つ情報の量や人的ネットワークなど様々なものが、力関係に影響を与えている。メンバーとしてどれだけそこに時間を費やせるかといった、その個人の置かれた状況も構成員の力関係に影響を与えるものの一つである(これは、就労の場におけるジェンダー平等実現の文脈でも度々指摘されることである)。

少し具体的な話をしよう。私がこのオープン大学院のために送信したメールの件数をカウントしたところ4週間で200件であった。これには受信メールは含まれず、チャットや電話でのやり取りも含まれていない。メールには当然受信する相手がいるわけだから、夜昼問わず緊急性・関連性の様々なメールを受け取る委員の方も、大変なストレスだったに違いない。それでも、歴代委員長としては少ない方らしい。他の委員長経験者からは、「送信メールが500通を超えた」「1時間に20通以上のメールのやり取りをした」などの声を聞いている。
 仮に1件のメール送信にかかる平均時間を10分と見積もったとすると、200件のメール送信に費やす時間は2000分(33.3時間)となる。1日8時間労働として換算すると4日以上である。これが本業であれば、そういうこともあろう。しかし、本業として別に仕事で拘束を受けながら、院生として研究をしながら、そのうえでの33時間と考えたらどうだろうか。重ねて言うが、これは純粋にメール送信のみに掛かった時間であり、資料作成やその他、チャットや電話のやり取り、会議出席、当日の対応に要する時間は当然含まれていない。
 ここから、逆に「実行委員になれたのはどんな院生であったか」という疑問が湧き上がってくる。メンバーになるためには、きっと一定の条件を満たしている必要があった。そしてそのため、実行委員会は、どうしても同質性の高い集団になりやすかったはずだ。一般的にいって、同質性の高さは排他性につながりやすく、多様な意見を吸い上げにくくなる。
 多様な人材を取りこぼさないために、私たちは、目の前に見えている景色だけでなく、そこにいない人達-取りこぼしてしまったかもしれない、本来なら是非活躍してほしかった多様な人々―にも注意を向け、包摂していこうと努力することが必要だ。それには、明文化できるものは明文化して情報の偏在をなくすこと、ボランティアであることが前提なら、各々の委員の多様な関わり方を認めること、関係者の負担を小さくするためには、マニュアル化も必要だろう。今後の検討課題としていただきたいと個人的には思っている。

2003年の大学院祭を第1回と数えるならば、この2022年のオープン大学院は20年目の記念すべき節目の年にあった。そろそろ議論の時期ではないだろうか。
 この20年で私たちの社会は大きく変化した。このオープン大学院が、そして本学がますます発展するためには、固い結束から緩やかな連帯に向かって、穏やかにシフト・チェンジする時期に来ているように思う。




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