ごあいさつ

研究科長 松重 充浩

2022年4月に日本大学大学院総合社会情報研究科長に着任しました松重充浩です。平素は、研究科院生の皆様と接する機会がなく残念に思っておりましたが、今回本誌への寄稿機会を頂きました。この機会に私の院生時代(1980年代中盤から後半)の想い出を話させてもらい、皆様への自己紹介を兼ねたご挨拶とさせて頂こうと思います。

私は、博士前期・後期課程ともに、広島大学の文学研究科東洋史学専攻で学びました。広島大学を選択した一番の理由は、横山英先生のゼミが存在していたことでした。横山ゼミからは、当時の私の研究テーマだった近代中国の地方政治史に関する新たな研究水準の成果が次々に排出され続けていました。そのよう最先端の成果を出し続けているゼミ生が集う研究環境下で研鑽を積めることが、私には大変魅力的だったのです。

今から考えても、この選択は間違っていなかったと思っています。

これは、後に私自身が教員になってからの経験で改めて気付くことなのですが、あるゼミで次々に成果が出てくることの背景には、ゼミ構成員それぞれの個別独立の研鑽のみならず、往往にして、ゼミという空間における教員・院生による真摯な議論の継続と蓄積が存在しています。言い方を変えれば、ゼミという空間での議論は、個々の構成員が独りで研鑽を積んでいく上で、言わばプラスアルファとなりえる力を体得させる<場>となっていると推察されるのです。そして、私が横山ゼミの議論という<場>で鍛えられたと実感していることが「聴き取る力」というものでした。

横山ゼミでは、個々の報告について、徹底した、誤解を恐れずに言えば容赦のない議論が展開されていました(議論は、教室を離れて深夜の居酒屋まで続くことも屡々あり、それはそれで「昭和の昔話」ですが、私自身には良い想い出となっています)。言うまでもありませんが、議論を議論として成立させて(かみ合わせて)継続して行くためには、議論する者どうしが互いの主張を正確に「聴き取る」ことが大切です。そのためには、他者への先入観を排しつつ、他者への尊厳を失うことなく、更には他者の言葉を理解するための想像力をフルに活かすことが必須となります。そして、なによりも議論の帰趨によっては、自らが変わって行く勇気も持たなければなりません。

今にして思えば、ゼミでの横山英先生は、院生達に自由闊達な議論を許し、一見「放任」に見えながらも、ひとたび議論が上述した議論を議論たらしめる方向から逸脱することがあれば、逃さず至言を差し挟まれて議論の軌道修正をなされていたことが分かります。揺るぎのない学知と「待つ」という勇気を併せ持たれていたということで(横山先生は、時に「庭師の一服」という言葉を使われていました)、私などは未だ遠く及ばない境地ですが、当時の私自身は、私なりに横山ゼミの議論の<場>を通じて後述する「聴き取る力」を徹底的に鍛えられることになりました。そして、それが、後に自らが独りで論文作成をするに際しての力を養うことになったと実感しています。

他者に向かう時の「聴き取る力」は、先行研究の正確な把握と位置付けに際して資すること大でした。また、「聴き取る力」が自分自身に向けられる時、それは自らの問題の所在と課題の設定をより明瞭に言語化して行く上での力になるものでした。同時に、論文で自らが紡ぎ出す言葉が他者に伝わる形となっているのか(発信力)を鍛え直す契機になりました。更には、議論を通じて相互に連関しつつ相互に変容していくという体験は、先行研究と自らの論文の対話を通じて単なる新たな事実確認(fact finding)を越えた(単純な他者と自らの並列を越えて)、新たな研究水準の追究を進めていく契機にもなるものでした。

もちろん、以上の私の体験は東洋史学、とりわけ中国近現代史研究に即したもので、他の学問分野でも有効かどうかは不明ですし、それぞれの学問領域に即した望ましい別の形の学習スタイルがあろうことも十分承知しております。また、現在の通信技術を前提とすれば、議論が「対面」を前提にする必要もなく、新たな水準を持つ議論の<場>が準備されていることも確かです。

その上で、今回は、本研究科院生の皆様に、私の体験に即した、その意味で自己紹介ともなる私の学問のバックボーンの一つとなっている「聴き取る力」の想い出を話させて頂きました。本研究科院生の皆様が、それぞれの研究を進めて行かれる際に、もしこの「聴き取る力」が何かのヒントになることがあれば望外の幸せです。

本研究科院生の皆様の研究が、更に進展して行くことを心から祈念しています。




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