4年もかかった修士論文奮闘記

文化情報専攻 19期生・修了 昆 節子

わたしは2021年3月に文化情報専攻を修了しました。1月下旬に口頭試問を受けるため、修士論文の副本の送付締め切りは1月上旬某日とされていました。しかし、その1か月前の2020年12月上旬、内定をいただいたものの、コロナ禍のため、しばらく渡航が延期されていた東南アジア某国に出発することが決まりました。博士前期課程4年目の冬でした。というのは、わたしは実は2017年に入学していたのです。「修論はかなり書き進めたが、結論はどうなるか?自分でも分からない……」「新生活は忙しいのかどうか、見当がつかない……」このような不安や焦りと、退路を断たれ、やらない理由が全く見つからなく、武者震いのようなワクワクを感じながら12月、1月を過ごしたことはまだ記憶に新しいです。また、この2か月ほどは赴任のための移動や家族の他界による孤独感と同時に、直接的には保坂先生をはじめ、保坂ゼミの2017年同期入学組には遠隔からずっと激励をいただき、間接的には修士論文のテーマのフィールドになった前職でお世話になり、ご迷惑をおかけした先生方や学生さんたちのことを思い返し、多くの人に「書かせてもらってるんだ」と感じながら過ごした時間でもあります。
 4年もかからなければ、こんな綱渡りのスリルを味わうこともなかったかもしれませんが、修了計画が2年であっても、3年であっても、いつ、何が起きるか分からないものだと思います。とは言え、在籍中にわたしにとって修了を延ばさざるを得ないような重大な問題が起きたわけではありませんでした。計画を綿密に立て、仕事や家庭のこともコントロールされ、無事に博士前期課程を修了した奮闘記「じゃない方」もどなたかの参考になるのではないか?今回この奮闘記の執筆を依頼されたのはそういう理由かと思い、恥ずかしくはありますが、お受けすることにしました。

修了までに時間がかかったのは、端的に言えば研究テーマが定まらなかったからです。テーマ設定に悩んだとしても、自分の生活や仕事などとの兼ね合いにおいて、2年、または長期履修制度の3年で必ず修了すると決心したら、集中して先行研究に当たって、「これだ」というテーマを探したり、とりあえずの落としどころを見つけたりして、修了を目指していくものかと思います。しかし、わたしには自分が何を知りたいのか、何を解決したいのか、それが自分の中にあるはずなのに、それが何かつかめないという月日が続いていました。長期履修制度を利用していたため、「急ぎすぎなくてもいいか」と油断していたこともあると思います。わたしは日本語の教師をしており、GSSC入学当時はベトナムにおいて、とある日本語教育プログラムに従事していました。そこは独特なテーマにあふれていると感じるような職場で、知りたいこと、改善・解決したいこともたくさんありました。しかし、考えてみるほど、それらは研究というより、日常業務の中で教師個人、あるいはチームで対処すべきものに感じられました。よりよく先行研究にあたり、検討すれば、そうでもないのかもしれませんが、知識が足りず、考えてはすぐ捨てて、ということを繰り返していました。日本語なのか、学習者なのか、教育か、社会か。広く、いろいろなものに興味があって、聞きかじりの浅い知識も多いせいか、問いを立てられず、仕事に逃避したりしていました。
 そのような状態でも、ゼミでの発表の順番は回ってきます。先輩がたの研究経過報告や同期生の研究計画発表の中で、「なんか、まだ悩んでいます」と言うのは非常に恥ずかしく、何度も「ネタがないから、発表の順番を飛ばしてほしい」と言おうかと思いましたが、恥を忍んで参加し、さらけ出していこうと考えました。それは、オンラインゼミは先生やゼミ生と顔を合わせて話し合うことができる貴重な機会であるからです。目についた論文について発表するたび、当初、保坂先生はこの辺で手を打って、研究を進めるように促してくださっていました。「でも、なんか違うんです」と煮え切らない生意気な姿勢のわたしに、保坂先生はある時から、「そう。こういうのじゃないんですね。それはなんで?みなさんも一緒に昆さんに聞いてみましょう」と、ゼミ生たちを巻き込みながら付き合ってくださるようになりました。長引きそうだが、それでも4年以内には何とかするという覚悟がわたしに芽生え、そして、定かではありませんが、保坂先生にも感じられたのかもしれません。
 そうしているうちに、「昆さんは授業で日本語を教えるだけでなく、プログラムの運営や管理的な仕事にも関わっているから、日本語や教室の問題よりもっと上の段階で疑問を持っているのでしょうね」と保坂先生が言ってくださったことがヒントになり、研究が進み始めました。時間をかけて回り道をしてたどり着いたテーマは、これだ、これがわたしの疑問だったと思えるものであり、自分が今後、どこでどのように日本語教育に携わっていくかにも関わるようなものになったと思います。3年目には葛藤から迷惑をかけつつあった仕事を退職、帰国し、わたしと同じく3年での修了が困難そうであった同期生の奮闘を励みにしながら、調査、研究を進めていきました(ちなみにこの同期生は、入学時からブレが一切なかったのですが、責任が重大で多忙な仕事をされていました)。
 いざ方向が決まってからは、調査、分析、執筆などはとんとん拍子に進み、これは長い時間、悩みながらも論文の書き方や分析方法などについて勉強したり、文献や資料を収集したりしたおかげかなとも思いました。ただ、最後の考察、結論をどうしたらいいだろうと悩んでいるところで、冒頭に書いたように出国が決まりました。保坂先生がここまでの研究結果を受けて、結論はこういう感じになるのでは?と方向を示してくださり、そうだ!と思うものの、実際に書こうとするとうまくいかず、考えを文章にするということの難しさを感じました。本当に終わるのか不安でしたが、保坂先生にゴールが見えているのであれば、この論文はきっと終わる、いや終わらせる!と自分を奮い立たせました。すでに修了した同期生たちに励まされながら、真夏の新天地で2021年1月上旬に修士論文をなんとか書き上げた数分後に、もう1人の同期生も書き終わったという連絡を受け、ものすごく嬉しかったことを覚えています。

入学してからテーマ設定に関して長く停滞することがないよう、現在はゼミの進め方もだいぶ変わったように思われます。4年も在籍するほどの学費はない。そう思ってはいても、なんかうまく進まないということが起きないとは限りません。多くの博士前期課程修了生より時間も学費もかかってしまいましたが、そのことも含めて、修士論文が「これがわたし(かな)」というものになったことに晴れやかな気持ちがしています。2年、または長期履修の3年での修了が難しかったとしても、4年は在籍することができます。長らくテーマが決まらなかったことは反省点ですが、単純に「失敗」と言うことはできないと感じます。今も、修了が計画より延びてしまい、悩んでいる人がいらっしゃるかと思いますが、その人らしい成果が形になることを切に願っています。指導教員の先生をはじめ、多くの先生方のご指導やゼミ生同士の応援が心強い支えとなることと、しかしながら実際にやるのは自分だということを忘れずに、これだ!というものをつかんでいただきたいです。




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