『資料の森』をさまよい続けた修士論文奮闘記
国際情報専攻 21期生・修了 久野 えり子
本大学院に在籍していた2年間は、時間的にはいつもの2年間と同じはずですが、感覚的には、1日の24時間が風のごとく過ぎていく日々でした。実際には、入学試験合格発表の日から、この上り坂が徐々に始まり、必修科目の履修とリポート作成や、修士論文の先行資料閲読などによる小ピークをくり返し、論文執筆のラストスパートで大きなピークを迎えました。そののち少し落ち着くも、小刻みな波動を保ちながら、ついに最終面接諮問の日を迎えました。
その間、肌身離さず持ち歩いた参考文献にくわえ、「付せん紙」、「ペン」、「クリアファイル」は、私の論文執筆活動の『三種の神器』であり、名脇役でした。卒業した今、光栄にも修士論文奮闘記寄稿のお話をいただきました。時間の確保や研究方法など、論文執筆にあたっては、力を抜けない重要なことが多くありますが、本奮闘記では、資料の収集と整理の際に主人公となった「アドバイス」と「ツール」について、画像を交えながら、のびのびと綴っていきたいと思います。
博士前期課程・国際情報専攻において、川中敬一教授のご指導のもと、私は米中関係の研究に着手しました。研究テーマの題目「米国の対中政策の変動に関する考察ー貿易及び軍事活動史を基軸とした観察を通じてー」は、執筆者本人が一番驚くことに、入学願書提出時の研究計画書から一字たりとも変わることはありませんでした。そこには、様々な情報に飛びつき、さまよう筆者を、常に静観して目的地に向けて導いてくださった川中先生のお力添えがありました。
論文執筆に向けた活動は、入学前から参考資料の通読という形で始まりました。入学当初、川中先生から「資料の森に迷うな!」という、当時の私にとっては不思議とも思えるお言葉をいただきました。これは、収集した資料に囲まれて、どこへ進んでいっているのかわからない状態になることらしく、参考資料をまだ読みあさっていない当時の私は、迷うどころか、森ができるくらいの資料集めができるのだろうか、というおぼろげな感覚でした。ところがそれは、ほどなく、そして例外なく、私にもやってきたのです。
『資料の森』に迷い込んだ私は、ノートに記していた川中先生のアドバイスを思い出しました。「サイン、コサインのX軸をつかむ」という至難の業に入る前に、まずは、ひとまとめにした資料のバインダーにしっかりと『資料の森』というタイトルを入れました。こうすることで、愛着がわき、木々の見出し付けと、森の中の行き来の準備が整いました。
必修科目は、修士課程1年目に5科目、2年目に1科目を履修しました。早速、入学時のオリエンテーションの際に先輩方からアドバイスを受けた「シラバスの携行」を実践しました。履修科目のページを2セットコピーし、いつでも確認できるようにしました。スマートフォンでもPDF版で確認することは可能ですが、やはり、全体を隈なく確認するためには、私にとっては紙媒体が勝っていました。
持ち歩くバッグに1セット、そして自宅の勉強机にもう1セットを置いていました。実際のところ、案の定どころか、予想以上にレポート提出の締め切り日を確認したくなるのです。厳密に言うと、頭には入っているはずなのですが、時々確認をしないと不安になると言った方が正確でしょう。「履修上のポイント」の確認は言うまでもなく、レポート提出日を確認し続けて、このように使い込まれていきました。
夏期合同ゼミ修了後の懇親会では、「資料集めを行うそばから引用文をそのまま、ページ番号なども含めて、パソコンに入力しておく」というアドバイスを修了生から受けました。参考資料を通読する際にパソコン入力を行うのは、時間がかかる一方です。しかし、あえて早いうちにまとめておくことで、その引用文(データ)の検索に役立つのはもちろんのこと、執筆の際にそのまま挿入でき、作業の効率化に直結するということで早速実践しました。その際、入力エラーのダブルチェックにも役立ちました。
データ収集にあたり、どのような形でまとめていこうかと試行錯誤しましたが、エクセルで簡単な表を作成し、1シート1種類の参考資料を割り当てました。出先で資料に目を通す際は、大事な箇所に付せん紙を貼り、付せん紙かノートに簡単なメモを書き込みます。帰宅後、エクセルシートに入力するという方法をとりました。この作業を行うことで、検索範囲を単一のシートではなく、ワークシート全体と指定すると、ひとつのエクセルファイルに入力していったすべての参考資料からキーワード検索をすることができるのです。先輩のアドバイスをしっかりと実践したおかげで、検索作業は予想以上にうまくいきました。
数十年前に短期大学を卒業していた私は、大学院入学の少し前に日本大学通信教育部3年に編入学し、2016年3月に卒業していました。英文学を専攻し、卒業論文はイギリスの小説家の作品でしたので、大学院で専攻した国際情報の分野からはかけ離れているようにも思えます。確かに、フィクションの世界からノンフィクションの世界に急転換したことで、当初は戸惑いもありました。ところが、修士論文に挑みはじめて間もないうちに、時代背景や当時の人々の生活や感情など、この2つの分野が無関係ではなかったことを認識し、短大、大学で使用した教科書、参考図書、授業ノートを読み返しました。約30年前と数年前にお世話になり、お蔵入りとなっていた教科書類が、修士論文の執筆で思いもかけず日の目を見ることになり、歴史的観察を軸におき、人文的観点の補強による解明方法をとった研究のなかで、より身近に感じられる形で役に立ちました。
私は予備自衛官として年に数回、陸上自衛隊駐屯地における宿泊訓練に参加しています。この間は集団生活になるため、通常通りの学習ができません。日々の訓練終了後の、訓練の復習・予習、そして、初めて会う仲間との情報交換は重要です。それが終わると、大学院生の私は参考資料に目を通しました。私が拠り所とした資料は、おおかたが書籍や、印刷物でしたが、この時ばかりは電子書籍端末のKindleが大活躍しました。スマートフォンは、夜中にこっそりと読むには明るすぎて光がもれてしまうのです。訓練中だけでなく、自宅で夜中に目が覚めて眠れないときにもKindleは活躍しました。
大学時代のレポートは、提出用の専用用紙を使った手書きで、大変苦労しました。しかし、大学院のリポートには、ありがたいことに、リポート作成用に書式設定された Microsoft Wordのテンプレートファイルが用意されていました。ご存じの通り、Word文書には、ページ番号や、脚注の挿入などの基本的な機能があり、また、見出しやセクション区切りなど、知っておくととても役に立つ機能が満載です。なかでも「見出し(目次)」の挿入機能は大変重宝しました。Word画面左側のナビゲーションウィンドウに表示した見出しで、飛びたい章や節に一気に飛ぶことができます。また、見出しをドラッグ&ドロップで移動させると、文章の移動はもちろんのこと、章や節番号、脚注番号などまで自動で変更されるのです。このような便利機能が大いに役立ち、時間短縮に貢献してくれました。
書籍類のカバーを、別のカバーにかけ替えることは、私の密かな楽しみでした。これには2つ理由があり、1つは、もともと付いていたカバーを汚さないため、もう1つは、好きな図柄の紙で包んで気分をアップさせる、ということでした。展覧会などのチラシや、おいしそうな食べ物が掲載された雑誌のページなどをとっておき、書籍類が増えるたびにこのカバーがけを楽しんでいました。
さらに、開いたページをしっかりと留めておく本立ては、とても便利で、集中力アップにつながりました。
私が常に持ち歩いた参考資料にくわえて、「付せん紙」、「ペン」、「クリアファイル」が『三種の神器』でしたとお話ししました。参考資料を読みながら付せん紙を貼りつけたり、メモをとったりするなど、皆さんと使い方は同じだと思います。この数々の気づきを、どのように整理してデータとして吸いあげていくのかが重要でした。論文のデータは収集するだけではその価値がでませんので、何のためにどうやって使うのかを意識しながら集める必要があります。そこで私は、付せん紙にデータとなる疑問点、問題点、自分のアイデアなどをさっと書き留めて、まずはその場で資料やクリアファイルに貼りつけていきました。その後、週末など、腰を据えて向かい合えるときに、見開き状に切り開いたクリアファイルの上に、トランプ遊びの神経衰弱さながらの並べ替えを行いながら考えを整理していきました。この並べ替えは、次にお話しする脱出ツールとリンクすることになります。
以上の「アドバイス」と「ツール」が私の執筆活動を後押しし、毎月の論文執筆成果報告を経て、最終締切日は着実に近づいてきました。私が研究に着手してからも、周知のごとく、中国の経済成長や軍事活動には、目まぐるしい動きがありました。米中関係の歴史研究といえども、毎日の米中両国の動向は見逃すことができません。始業前の中国人民網日本語版ウェブサイトの閲覧と、就寝前のアメリカ・ホワイトハウス報道官によるプレスブリーフィングの視聴は日課となっていました。大変重要な世界の動向ですが、ここでは、両国の現在の動向を注視するあまり、研究範囲を拡げてしまうことがないように切り替える必要がありました。
コロナ禍によって、変更を余儀なくされた学習計画も、その都度対処しながら、頭のなかを整理するために『A3用紙一枚にまとめた研究計画書』を作成しました。このA3用紙計画書が、『三種の神器』のクリアファイルの付せんメモとリンクするように、付せん紙の並べ替えを行いました。この計画書を何度となく取り出し、目の前のデータや情報に集中し、研究計画に忠実にいることを心がけました。
『資料の森』をさまよっていた私は、何とか脱出成功に近づき、最終盤の印刷作業に四苦八苦しながらも、最終面接諮問の日を迎えました。オンラインによる面接となったため、スムーズに進められるようにと、それまで何度も頭の整理に使っていたこのA3用紙計画書を面接時に用いる許可を得ました。
こうして、さまよいながらも、結果的には研究テーマの題目を一字も変更することなく、『資料の森』からの脱出に成功しました。ホワイトハウス・サキ報道官のプレスブリーフィングでの答弁をイメージして臨んだ私の面接諮問の有り様には、言及しない方がよいでしょう。
入学前の不安をよそに、様々なデータが集まっていきました。十分ではなかったとも感じますが、データは収集しただけでは価値があるとはいえず、収集したデータを分析して初めて成果が出ることを考えると、それは準備段階そのものでした。実際に、収集したデータを使って考察していく作業は困難を極め、意気消沈し、立ち往生もしましたが、蓄積されていった個々のデータをもとに、考察結果が生成されていくというひたむきな作業を振り返ると楽しくもありました。
また、米中関係の歴史を考察するという特別研究において、その時代を反映する小説のなかであからさまに表される、ごまかしようのない「データ」を、補強材として加えられたことは、目新しくもあり、私にとっては、とてもなじみ深いものでした。
執筆活動を通して賜った精神的な支えによって、諦めない強い気持ちや忍耐力が鍛えられ、物質的な支えによって、多少なりとも効率的に、修士論文を書き遂げることができました。その結果として、「知識」と「達成感」を勝ち得たと感じています。そして今、大切な記憶の「回想」の機会をいただいたこと、すべてに対して心から感謝申しあげます。ありがとうございました。