ごあいさつ

研究科長 川又 祐

    これまで皆さんと接する機会に残念ながら、恵まれませんでした。しかし今回、電子マガジンに寄稿することができ、うれしく思っております。


    ここで私自身のおよそ30年以上前の大学院生時代を振り返ってみたいと思います。私は、日本大学法学部政治経済学科を卒業後、日本大学大学院法学研究科政治学専攻に進みました。当時の大学院では、大学院生はもはや学生ではなく、研究者の一員として扱われていました。私の敬愛する指導教授の授業では、毎回出席することは求められず、出席よりも自分の研究に専念することが求められていました。なぜ授業に出てくるんだ、授業に出席する時間があるなら、その分自分の研究をせよ、資料を集めて来い、というのが当時の指導であったのです。指導教授に、自分の論文原稿を見せて指導を仰ごうとすると、一読後、「ううん、もう少し良くなるんじゃないの。」という一言とともにいつも原稿を返されました。原稿のこの部分をこうしたら良い、ああしたら良いというような具体的な指導の言葉はついぞなかったのです。今思い返すと、指導教授は、原稿の良い部分、うまく書けている部分、そして悪い部分、不出来な部分は作者である本人が一番分かっているはずであり、いちいちそれを指摘する必要はない。大学院生といえどもすでに研究者の道を進み始めた以上、他者に左右されず、自分で最終的に納得できる原稿を自力で完成させなければならない、ということを言いたかったのではないか、と考えています。その一方で、指導教授からは、引用文献、参考文献については厳しい指導がありました。引用が不明確な部分については、注記を確実にするよう求められました。また重要文献への言及がなかった時も、その理由を尋ねられました。当時は、本学図書館に所蔵がなかった場合、図書館事務課を通じて、所蔵していそうな他大学図書館にはがきで所蔵の有無を確認してもらっていました。所蔵しているとなれば、図書館に紹介状を作成してもらい、当該大学図書館を訪問し、資料を閲覧させてもらっていました。他大学に所蔵がなかったということが判明した時はじめて、指導教授は「それではしょうがないな」と、重要文献への言及がないことをようやく了解してもらえたのです。論文作成に必要な文献は、最後まで収集することを指導教授は求めていました。

    このような指導を皆さんはどう思うでしょうか。今現在では、無責任だ、放任し過ぎだとの批判を受けるかもしれません。そして、授業に出ないことを奨励するような指導はもはや許されないでしょう。私はもちろん、自分の指導教授を批判する気持ちはありません。学生の自主性、自由を尊重し、研究に口出しをしない、というのが当時のやり方であったのです。今や研究状況は、インターネットの登場で劇的に変化しています。文献収集で、国内で見つからないので原稿に反映できないというのは、もはや理由にならなくなってしまいました。国内になければ国外の図書館に照会をすればよく、所蔵している外国の図書館に連絡を取り、複写を取り寄せることが可能となっているからです。文献が見つからない、入手できないというのは、単に手を抜いているに過ぎないということになってしまいました。

    最後に、私の指導教授の言葉を紹介します。
    「川又、原稿を書かなければならないよ。こんな原稿はあってもなくても同じだ、という評価を受けるかもしれない。しかし、書かなければ評価の対象にならない。書くことをやめてはいけない。ゴッホは、何百枚ものデッサンを描き、その中から名画を一枚残すことができた。数多く原稿を書いて、その中の一つでも評価してもらえれば十分なんだよ。だから原稿を書きなさい。」皆さんにも同じ言葉を伝えます。「原稿を書いてください。」