研究を通じた「無知の知」

総合社会情報専攻 16期生・在学生  出雲 晃

私が「大学院で学位を取ろう」と決意したのは国際機関に派遣されていた頃である。国際機関では各国から専門家を集め、国際会議を取り仕切り、専門家たちの発表や意見を整理して報告書(=国際機関内の手続きを経て出版物となるもの)を取りまとめることが主な仕事であった。国際機関の職員は修士以上の学位を持っていることがほぼ当たり前とされている。私が派遣されていた国際機関では周りのプロフェッショナル・スタッフ(=専門職の正規職員)は全員博士号を取得していた。興味深いことに、同僚たちは自分の名刺に「Ph.D.」や「Dr.」といった表記をしなかった。真偽のほどは定かではないが、同僚の一人は「ここではほとんど全てのプロフェッショナル・スタッフが博士号を持っている。だから、敢えて表記する必要はないのだ」と説明してくれた。

私は専門家たちの説明を聞き、コメントを返し、意見を総括した。国際会議の休憩中、「ドクター、あなたの専門は何ですか」と問われた。それも1度だけではなく、会議の度に尋ねられた。私のコメントが見当違いだったということではない(見当違いだったこともあったかもしれないが)。それなりにポイントを突いたコメントをしたため、専門家たちは私の専門分野に興味を持ったのである。しかし、問われるたびに言葉に詰まった。私は「ドクター」ではなく、自信を持って専門分野を語ることができなかった。研究することが専門分野を極めることだとすれば、私は研究をしたことがなく、専門性の観点からはまさに「無知」であった。学位を持っていないことで仕事に支障が出ることはなかったが、学位を持ち、高い専門性を身に付け、これらを武器に世界を渡り歩く国際機関の同僚や各国の専門家たちは魅力的だった。

大学院に入り、博士課程前期の2年目に入った頃、国際機関での勤務が終わり帰国した。海外ではワーク・ライフ・バランスを確保できたが、日本では仕事に追われる毎日であり、研究のための時間を確保することが難しくなった。それでも何とか博士課程前期を修了し、モメンタム(=勢い)を維持したまま博士課程後期に入った。研究のための時間確保は引き続き大変であったが、研究を続けていくうちに研究をすることが楽しくなった。研究のためにいろんな文献に目を通したが、新たな知識を得ることも多かった。研究を通じた「無知の知」である。「学位を取ること」を目的に与えられた課題に対するリポートを書いて提出することを繰り返すことは正直に言って苦痛であった。やがて課題から少しずつ解放され、自分の研究に没頭できるようになってくると、目的も単に「学位を取りたい」から「研究を通じて自己研鑽に励みたい」に変わっていった。

課題に取り組むことは苦痛ではあったものの、研究を進め、論文を書いていく上で身に付けておくべき最低限の「お作法」を改めて確認し、習得するには大変役に立った。ここでの「お作法」とは、課題に即して仮説を立て、理論的に論じる考え方、幅広く先行研究をリサーチし、そのうえで自分の主張を論じる手法に加え、リポートを書くに当たっての章立てや文章の流れの組立て方、脚注の付け方、引用・参考文献の書き方、研究倫理を含む研究に取り組む上での心得などである。大学院生の中には、「課題は締め切りまでに何かしらリポートを提出すれば足りる」という人もいるかもしれない。しかし、課題に真面目に取り組むことで、自分の専門分野とは異なる分野での知識を得られるだけでなく、自分の研究の参考となるような資料や文献を偶然見つけたり、研究を進めるうえでヒントとなるような論点を得られたりすることもある。

研究の進め方は極めてオーソドックスである。「学問に王道なし」と言われるが、研究についても同様であろう。とりあえず、メモ帳(=後日、「研究ノート」に発展)に研究テーマとリサーチ・クエスチョンとリサーチ・クエスチョンに対する中心命題(=自分なりの答え、仮説)を書いてみた。次に、「何故、これを研究テーマにするのか(=研究の背景や問題意識)」を思いつくままに書き並べてみた。この最初の頃の「頭の整理」は私にとって非常に重要なプロセスであった。「研究をしたい」と漠然と考えていたが、「何故、これを研究テーマにするのか」という問いに対する答えとして、自分が持っていた問題意識を少しずつ文字に落とし込んでいく過程で研究テーマが明確になっていき、同時に研究への意欲も高まっていった。

研究の背景や問題意識もきちんと説明しようとするとそれなりのボリュームになる。問題を提起するためには事実(=これまでの経緯や現状、課題など)を正確に述べることが求められる。そのためにエビデンスとなるような文献や資料を集め、これらを片っ端から読み、情報やポイントをノートに書き、後で使えるように整理した。筆(=タイピング)が進まない日も多いが、得られた情報はとにかくその日のうちに箇条書きやパラグラフ(=内容的に関連のある複数のセンテンスのまとまり)にして残しておいた。忘れてはならないことは、出典を後日振り返られるように情報を得た文献や資料のタイトル、著者名、ページ番号(←最重要!)、ウェブサイトのURL、検索した日にち(←重要!)なども一緒に記録しておくことである。

研究を進める中で最も時間を割き、注力したのは先行研究のサーベイである。私の研究テーマはすでに多数の先行研究が発表されている。また、関連するトピックは多種多様であり、これらのトピックをカバーする分野も多岐にわたる。海外の研究者の論文や国際機関の報告書も数多く存在する。最初の頃はキーワード検索を通じてヒットした論文をひたすら読んだ。もちろんこれらの論文は分野もまちまちで、自分の研究には全く関係ないものも含まれていたが、先行研究のサーベイは「無知の知」をますます深めていくプロセスであった。やがてランダムではなく、よりシステマチックなサーベイができるようになった。サーベイを通じて先行研究の論点と未解決の課題が明らかになった。研究のスタート時点では地図もなく、あてどない状況であったが、次第にぼんやりとではあるが進むべき道が見えてきた。

遠くに見えるゴールに向けて薄明かりの中を一歩ずつといった感じで博論を書いていった。博論の審査を受けるためには、それまでの間に規定の数の紀要論文や査読論文を書く必要がある。私にとっては、紀要論文は博論を書き進めるうえでのマイルストーン(=一里塚)として機能した。まず、定期的に紀要論文を書くことで博論の進捗を管理することができた。私は、博論の全体像(@研究背景の説明、A先行研究のレビュー、Bリサーチ・クエスチョンの提示、C中心命題・仮説の提示、D中心命題・仮説の論証、E結論と将来課題の提示)をイメージしながら、それぞれの紀要論文の構成や内容を博論につながるようアレンジした。ただし、複数の紀要論文を束ねれば自動的に博論になるといった単純なことではないので、それを意図したものではない。

ようやく博論を書き上げて、先日、最終試験(=口頭試問)を終えたところである。博士課程前期2年、博士課程後期3年、合計5年。大学院は終わってみればあっという間である。この『博士論文奮闘記』を書きながら、この5年間は自分の人生の中でもかなり充実した期間だったと感じている。しかし、感慨に耽っていてはいけない。大学院を修了し、学位を取ったとしても、研究者になったばかりであり、本格的な研究に向けたスタート台に立っただけである。大学院の先輩たちも「博士号を取ることは最終的な目的ではなく、生涯をかけてどのような研究をするかの手段でしかない」(宮本裕司(2018))、「学位申請論文の形にできたことは、研究を続けていくための1ステップ」(稲葉隆(2019))、「(博士号取得という)一つの終わりは新たな始まり」(吉川幸(2019))(※いずれも『博士論文奮闘記』)と言っている。研究は自分の無知を知るプロセスである。私は研究を通じて自己研鑽にもっともっと励みたいと思っている。




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