桜満開の中、初々しいスーツ姿の学部生とともに参加した、日本武道館での入学式が懐かしく思い出される。2年後、都内の大学の卒業式が、尽く中止になることを誰が想像できただろうか。このような中、本学の学位記伝達は、万全の対策が講じられ挙行された。直接、学位記を頂戴できたお陰で、あらためて修了の喜びをかみしめることができた。
さて、この2年間で、特筆すべきは、「哲学への挑戦」と、「子育てとの両立」であった。本論では、この二点が自身にとってどのような意味があったのかを振り返りたい。子育て中の大学院生の実態、その一例として受け止めて頂ければ幸いである。
「看護師なのに何故哲学なのか?」2年間で1番多く聞かれた質問だ。医療従事者の学生の多くは、医療・安全学コースを選択する中、私は哲学コースを選択した。理由は、研究テーマである「看護師の死生観」の醸成には、医学的・生物学的な視点だけではなく、多角的に「死」や「生」を捉えることが必要だと感じていたからだ。さらに、修士論文の研究方法は現象学的哲学の手法をとりたいと考えていた。つまり、これらを実現するためには、自身に哲学的な基盤をもつことが必要不可欠であったわけだ。しかし、私は哲学に関する一般的な教養さえない初学者であった。こうして、私の哲学への無謀な挑戦がはじまったのである。
入学早々、この挑戦が自らを窮地に追い込むことになる。はじめて教材『西洋哲学史』を開いた瞬間の絶望感を一生忘れないだろう。哲学用語、内容すべてが理解できず、一言一句調べるしかなかった。この調子では、修士論文はもちろん、単位さえ取得できないと焦燥感に駆られながら学習方法を模索した。そこで、教材の読解を諦め、入門書や漫画を読むところからはじめた。時間を要したが、少しずつ内容が理解できるようになってきた。こうして、学修を積み重ねていくうちに、気が付けば、西洋哲学史は現代まで概観できるようになっていた。
2年次は本格的に修士論文に着手した。「看護師の死生観」について考察するためには、看護の分野においても重要な位置づけにあるハイデガーの哲学的概念、現象学についての哲学的な方法の考察と理解が重要であると考えた。さらに、これを基にして終末期看護における看護師の死生観や看護の在り方に、新たな示唆を得られないかと考え、ハイデガーの著書『存在と時間』における「死の概念」について文献研究の手法をとることになった。ハイデガーは独特な用語を用い、翻訳であっても大変難解なことで有名である。「現存在」、「世界内存在」等、ハイデガー哲学の迷路に彷徨いながらも、指導教員である岡山先生の懇切丁寧なご指導を賜り、無事に修士論文をまとめあげることが出来た。
夫が単身赴任の中、学業、仕事、子育てに追われ、毎日が嵐のように過ぎていった。また、在学中は、学修者である自分と、二児の母親である自分との葛藤の日々であった。一方を大事にしようとするともう一方は疎かになってしまう。子供達にとって、母の大学院進学はまさに、突然降りかかった災難であった。母の機嫌が悪い日が増え、週末のお出かけが減り、手抜き料理も増えた。甘えたいときに甘えられないときもあっただろう。忙しさで余裕がなくなる自分に心底嫌気がさした。母親の都合に振舞わされる子供は被害者であり、自分は母親失格だと自責の念でいっぱいだった。こうして、1年次の夏、ストレスと睡眠不足が原因で、難聴と眩暈を発症してしまった。主治医にも休学を勧められ、その意向を先生や事務課にも伝え、夏休みは子供達とゆっくり過ごそうと考えていた。そんな折、友人から思いもよらない話を聞いた。長男が、「うちのお母さんは、とても難しい勉強をしているんだよ」と得意気に話していたというのだ。子供は子供なりに母親を理解しようとしていたのだろうか。私はわずかでも、母親を誇らしいと感じてくれている息子に応えたく、休学を撤回し、治療をしながら学修を続けることにした。その後も、子供達の存在が、学修への強いモチベーションをもたらしてくれた。同時に、子供達は私を見兼ねて手伝いをしたり、自分のことは自分でやる、兄弟で協力する等の成長がみられた。つまり、この2年間、母親の無謀な挑戦を通して、親子は互いに影響を与えあっていたといえるだろう。
哲学への挑戦は修了後の生活にも影響をもたらしている。哲学の本質である「疑問をもつこと」、「考えること」は、世の中で起きている事象に対し、これまでと違った視座を与えてくれる。たとえば、母親が何かに挑戦することは家族への影響があまりにも大きく、断念する場合が多いだろう。私も社会的に「良し」とされている母親像から逸脱することを恐れた。しかし、これも哲学を通して考えてみると、所詮は、社会的な価値観に縛られていることがわかる。子供は大人が考えるよりも、洞察力、想像力が豊かだ。一番身近にいる母親が苦悩しながらも、まわりの人間に支えられ、挑戦する姿や、家族で助け合う経験は、子供達に何らかの影響を与えるだろう。この具体的な評価は、子供達がもう少し大きくなった頃にしてみたい。こうして、今、哲学を通して思案することの楽しさを実感している。
最後に、修士論文をまとめることができましたのは、岡山敬二先生をはじめ、泉龍太郎先生、大熊圭子先生、リポート課題をご指導頂いた先生方より頂戴致しました、幾多のご助言、励ましのお陰です。誠にありがとうございました。また、いつも側で支えてくれた家族、友人にも心から感謝します。