日本大学大学院総合社会情報研究科は、社会人を対象とした通信制大学院です。社会人学生は様々な仕事に就き、家庭をもった中で研究活動をおこなうため、学部から進学した大学院生とはまた異なる問題や課題を負っています。それらは入学以前にわかっていることでもありますが、実際に研究をおこなう中で生じる問題も多いので、ここでは私の経験をもとに記したいと思います。
大きく分けると、@時間、A費用(研究資金)、B場所(実験場所)、C人(協力者)という研究活動に必要な基本的な問題と、D課題(問題意識)の研究への落し込み、E研究方法(論文作成、統計)の習得という具体的な研究実施上の問題、そして、F気持ちの維持という内面的な問題にまとめられます。そして、それぞれに対して“やりくり”と“サポート”が必要になります。
@時間
社会人が研究をおこなうにあたり誰しもが先ず考えるのが時間の“やりくり”の問題だと思います。企業に勤務する人、個人で事業をおこなう人、家庭・家事に専念する人など、状況はさまざまですが、その中で研究に費やす時間をどう確保するかは共通の課題です。私は色彩計画という仕事をしており、平日は会社での実務をおこない、夜・早朝・休日に研究という時間的な“やりくり”をしました。たとえば、昨年の今頃(9月)は主に学位申請論文を執筆しており、パソコンに残るWordファイルの保存時間を1週間分みてみると2:19、1:35、7:21、6:55、0:45、2:08、23:09と深夜早朝の時刻が連なっています。もっとスマートに時間を使えると良かったのですが遅筆ゆえ仕方ありません。また、ある程度計画的に時間を“やりくり”しても、時には仕事が詰まることもあり、家庭の事情や突発的な出来事も生じます。こうなると自分自身の“やりくり”だけではどうにもならず、周囲の人の“サポート”に頼らざるを得なくなります。
A費用(研究資金)
研究を続けるには学費以外にも多くの費用が必要です。書籍資料代、学会費、学会の大会参加費、実験や調査に必要な費用、統計ソフトの費用、論文翻訳に関わる費用など。私は、色彩と触感をテーマにした研究をおこない主に実験を繰り返しました。そのためには提示刺激や実験装置、記録用紙などの作成・購入費用などがかかります。調査をする場合にはWebリサーチ費用や郵送調査費用など結構な額が必要になります。また、実験や調査は思うような結果を得られないこともありますから、費用を無駄にしないためにも実験計画・調査計画は慎重に練らなければならない、というのが教訓です。ただ、こうした費用の“やりくり”は個人でおこなうことでしかありません。もし、研究内容を評価していただいた上で社会人の研究を資金的に“サポート”していただける制度があったらなら、と思います。
B場所(実験場所)
研究の内容によってはそのための環境・施設が必要になります。私は実験をおこなうための施設が必要でしたが、残念ながら総合社会情報研究科には学生が自由に使える教室や実験施設はありません。そこで、勤務先の会議室や非常勤講師をしている大学の教室をお借りしました。場所の提供の“サポート”がなければ研究を進めることはできなかったので、ありがたいことです。通信制というスタイルは社会人にとってとても大きなメリットですが、実際に使用できる場所(施設)がないことはマイナスポイントです。他学部の施設の利用許可などの“サポート”が充実すると研究活動がさらにスムースに進むと思います。
C人(協力者)
実験や調査では協力者・対象者の確保が不可欠です。私の場合はひとつの実験で10名から数十名の実験参加者に協力していただきました。友人、知人、そして、学生に依頼したわけですが、人数を揃えるためにはかなりの苦労がありました。調査票を配布して回収する、あるいは、Web調査でデータを得るという調査手法と違い、ほぼ全ての実験は実験参加者と対面式でおこなったため、場所と時間を設定して協力可能な人を募り来ていただくという流れでした。研究内容に賛同し協力していただいた方々の“サポート”は必要不可欠であり、その方々のためにも結果を公表する義務を感じます。
また、協力者の確保には別の問題もあります。2019年8月におこなわれた日本応用心理学会第86回大会で田中堅一郎先生が企画されたワークショップ「心理学における実践―現場研究の発信とその課題―」では、社会人研究者がおこなう研究の具体的な課題が示されました。特に印象的だったのは、現場にはいくつもの研究課題がある、しかし、研究対象者の確保が思うようにはできない、という社会人研究者の意見でした。応用研究に関しては、研究意義の社会的な共有、理解が進まなければいけないのだ、と思います。
以上の研究活動に必要な基本事項は、入学する以前からわかっていたことでもありました。しかし、実際におこなってみると、個人的な“やりくり”の限界とさまざまな“サポート”の必要性を実感することになったわけです。
D課題(問題意識)の研究への落し込み
前述のような困難な問題がわかっていながら、なぜ研究を始めたのか?なぜ実務をしながら大学院に籍をおいたのか?それは、解決したい課題や解明したい課題があるからに相違ありません。その課題は仕事の中から生じたもの、社会との関わりの中で生じたものなど人それぞれです。しかし、社会人として現場から湧き上がった問題意識が元になっている点は共通していると思います。そこで、重要なことは主張したいこと・解明したいことをいかに研究として成立させるか、具体的な手続きに落とし込むか、ということになります。ゼミの仲間の話を聞くと、この落とし込みがうまく出来ないケースや、元々あったはずの問題意識とは別の研究になってしまうケースが少なくないように感じます。これは根本的な問題意識と具体的な研究との間での整理、“やりくり”の難しさをあらわしています。
私は、研究科入学前に和田万紀先生の研究室に伺い、研究内容について相談させていただきました。その時にも、大元にある問題意識を全て解決することは到底できないのだから、その中のひとつの課題を徹底的に突き詰めていきなさい、というアドバイスをいただきました。そして、研究への落とし込みには1年程の期間が必要でした。
私の問題意識は、仕事(色彩計画)の中から生まれました。色彩計画とは様々な製品の外観を彩る色について提案をおこなうというもので、家電製品や食品パッケージ、大きな建築物や街並みに至るまで実に様々なものが対象となります。こうした実務の中で、色彩は視覚的な要素だが触感に対する影響が少なからずあるだろう、という考えに至りました。たとえば製品外観の色とテクスチャーを最適化するためにはどうしたらよいか、といった問題については実務をおこないながら考えていました。しかし、具体的な製品を対象とした実務内でできることに限界を感じ、きちんとした研究活動をしようと思い立ったのが入学の動機でした。よって当初は実務の延長上に研究があると考えていました。しかし、実際には応用的な問題を検討するために先ずは基礎的な研究課題を設定しなくてはなりませんでした。このような落とし込みをして研究を続けてきましたが、今でも実務に直結する応用的な展開とそのために必要な基礎的な課題との間で思い悩むことがあります。
E研究方法(論文作成、統計)の習得
実務と研究の間でなかなか馴染めずにいたのが論文の執筆でした。心理学論文には書き方から言葉使いまでルールがあり、それが実務でおこなうプレゼンテーションとは少し違う作法であるからです。論文のルールは「日本心理学会 執筆・投稿の手引き」や「APA論文作成マニュアル」を常に傍らに置き、繰り返し確認しました。また、前期課程2年の時に執筆、投稿した論文は数ヶ月にわたり和田先生とやり取りさせていただき推敲しました。論文執筆の基本的な考え方を教えていただいたこの経験はひじょうに重要であったといえます。
しかし、実務と研究には根本的な違いがあるようにも思います。たとえば、実務として何かのリサーチをおこなう場合、できるだけたくさんの結果を得ることで、費用対効果の最大化を目指します。つまり、依頼元である企業はかけた予算以上の多くの成果を期待し、結果を重視します。それに対して、研究論文では1つの主張したいことを論理的に展開することになります。和田先生からは繰り返し“one thing”というキーワードで指導を受けました。田中堅一郎先生の後期課程でのゼミで輪読した「心理学のための英語論文の書き方・考え方」(羽生, 2014)では、それを“一本道”と言っています。ただ、論文執筆に馴染めなかったのは、実務での作法が染み込んでいるというだけでなく、自分自身の考え方のクセもあります。どうしても研究途中で生じる様々な興味に気をとられてしまい、実験計画から結果の分析、考察に至るまで、ついつい寄り道ばかりしてしまうのです。そのたびごとに、和田先生から「言いたいことがたくさんあるのはよいことだけど、研究論文としてはもっとシンプルにしなさい!」といわれ続けました。“one thing”です。
ただ、実務も研究も裏付けと予測にもとづく説得力のある提案をしなければならない、という根本的な姿勢は共通しています。ですから、実務において結果を重視するあまり恣意的な主張に偏りすぎないよう注意する、というフィードバックも得ました。
以上は研究方法に関わる重要な要因ですが、実際社会人として研究を続けるには気持ちの維持が最大の要因かもしれません。
F気持ちの維持
入学時には後期課程のことは頭になかったのですが、修士論文を書き終えた後にやり足りなさをおぼえ後期課程に進みました。ところが、前期課程と後期課程ではすべきことが大きく異なりました。簡単にいうと、前期課程は研究の訓練の場、後期課程は成果を出す場ということになるかもしれません。成果とは研究を論文化すること、査読論文に採択されることに代表されます。田中先生のゼミでは期間内で成果を出すことを求められ、ひしひしとその重要性を感じて研究をおこないました。このように、前期課程と後期課程ではシビアさが違うと思うのですが、逆にいうと、前期課程はとても楽しい時間でした。特に1年次は久々に学生に戻ったというウキウキ感と新たに接する学術的な世界への興味で、何事にも新鮮さを感じていました。そのためか、いわば短距離走のようにあっという間に過ぎた1年間だったと思います。修士論文にとりかかった2年目は、その勢いのまま小さな坂を登りきったという感じでしょうか。うまくいかないことは多々ありましたが、前述の“やりくり”と“サポート”により初心(気持ち)を維持して修了できたということです。続く後期課程では実験計画から始まり実験実施、学会発表、論文執筆のサイクルを何度か回しました。投稿論文の不採用が続いたり、期待する実験結果が得られなかったりと穏やかならぬ気持ちにもなりましたが、ある程度楽天的に考えてこつこつ続けるしかありませんでした。もちろん時間をかけて執筆した投稿論文が不採択になるとがっかりもしました。ただ、査読者からの膨大なコメント(ダメだし)を読むと、著者以上に丁寧かつ深く読んでいただいたことの有難さの方が残念さを上回りました。これも研究に対する“サポート”だと思うのです。また、学位論文の提出期限などを考慮すると後期課程は実質的には2年半です。この期間は短距離走ではなく、中距離の障害物競走のようなものでした。
このように社会人としての研究活動を5年間おこない、学位申請論文の形にできたことは、研究を続けていくための1ステップになりました。社会人による研究・実務家による研究は実践的なものであれ基礎的なものであれ、社会的な意義をもつべきものだと考えています。その意思をもつ社会人・実務家の受け皿となる総合社会情報研究科の価値が今後さらに向上することを願い、すこしでもその役に立つような研究成果を出せる長距離走者になりたいと思います。ご指導いただきました田中先生、和田先生、諸先生方、ゼミ生の皆様の“サポート”に感謝申し上げます、ありがとうございました。
以上