終わりは始まり
総合社会情報専攻 2018年度修了 吉川 幸

 修了式の席上で原稿のご依頼を頂いてから、早くも6か月が経った。すぐに原稿を書いてもよかったのだが、「博士号を持つようになると何が変わるのか」ということに関心があり、あえて少し寝かせてみることにした。博論奮戦記とその後日談としてご紹介できれば幸いである。

 博士号をなんとか授与された今、私が感じているのは、一つの山を越えて見えてきた景色は「次の山」だ、ということだ。その先にも、きっとまた次の山があるという予感もある。

 前期課程の2年間はレポートを書く時間をどこで捻出するかという時間との戦いだったで、後期課程は自分との戦いであったように思う。修士号を授与されたときには、これで山を越えられたと思ったものだ。実際、修士論文のテーマは2年のうちに方向性の修正が必要だったし、そんなに長い分量で論文を書くというのも初めての経験だったので、やり遂げたという気持ちだった。

 そもそも、大学院への入学は、私にとっては偶然が積み重なった結果である。地元の大学を卒業して事業会社に就職した時には、大学院進学は現実的な選択肢では全くなかったし、会社員として過ごした20年強の間も、MBA取得が頭をかすめた時期が無いわけではなかったが、仕事やそれと並行しての育児に忙殺される中で、どこかに浮揚して消えていた。しかし、課のサブリーダーとして大型案件を担当していた時に、クライアントのいる東京に課ごと移転することになってしまい、急に退職することもままならず、単身赴任を余儀なくされた。小学校と中学校に入学したばかりの子どもたちを夫ひとりに委ね、週末は東京から新幹線で毎週帰省する日々は、「単身赴任のワーキングマザー」という新たな挑戦だった。しかし、望んでそうなったわけではないし、それまで子どもたちと過ごしていた平日の夜を、単身赴任だからと言って残業したいとは思わなかった。ワーキングマザーとして効率よく仕事をしたいという思いと、そうしてきたのだという自負があった。この時間をうまく生かしたいと考えるうちに、ふと、大学院で勉強して自分の考えを整理しようと思い立ったのだった。

 テキストを読むのはもっぱら新幹線の中で、調べものや書き物には平日の夜の時間を充てた。出張も多かったし、疲れて何もできない時期も多かったが、修士論文の形が出来上がっている過程には手応えもあったので、後期課程に進学することにした。もっと深めたいという思いと、2年で修士論文を書けたのだから、3年ある後期課程で博士論文も書けるだろうという、今にして思えば楽観的すぎる状態で進学した。

 現実はまったく違っていた。後期課程では、前期課程に比べてレポートの本数は確かに減るが、論文を書かねばならない。紀要論文なり査読論文なりを指定の本数書いておかなければ、博士論文の審査自体を受けることができない。後期課程に入学した年度には仕事はさらに増えたうえに家庭の事情も重なり、単身赴任生活は限界に近づいていた。そのため、なんとしても地元に戻ろうと転職活動を進めてもいた。

 幸い後期課程2年次を迎えた春に転職が叶い、4年ぶりに地元に帰れることが決まった。家族との生活を取り戻し、平穏な日々が戻ってきた。ところが、ワーキングマザーとしての生活ペースを取り戻すのと反比例するように、研究時間を捻出できずに苦しむことになった。ある程度は想定していたものの、初めての転職で、毎日くたくただった。新たな職場は大学法人なので、研究への理解は大変あるのだが、私自身の職務は教員でも研究職でもないので、勤務時間に研究することはない。それでもどうにかこうにか紀要論文を書き、後期課程3年次での予備審査もなんとか通過したものの、一日あたりの活動時間は明らかにオーバーフローしていた。せっかく地元に戻れたのに、今度は戦い続ける気力がどうにも続かず、私は戦うことを止めてしまった。

 3年次後半に休学届を出し、一旦、研究テーマから距離を置いてみることにした。結果としてこれが奏功して、博士論文の方向性がクリアになった。気持ちに余裕が生まれ、研究テーマを俯瞰し、論文とは違う形で文章を書き散らしてみたりしながら考えを整理することができた。休学して論文から離れたことで、ご指導いただいていた陸先生や池上先生には大変ご心配をおかけしたし、ゼミ仲間である学生の皆さんからも再三励ましていただいたのだが、あの時休学しなければ、オーバーフローした私は混沌としたまま、論文の行先を見失っていただろう。休学中に、文献で出会ってから会いたいと思っていた研究者グループに会うためにアメリカに行き、彼らの方法を直接見学し、数日間に渡りミーティングを重ねたのは大きな転機となった。前期課程や後期課程で得た知識や考察が、自分の中で腹落ちしていることが確認できた。

 学位を授与されたことでの直接的な変化は、名刺に学位を印刷するようになったことだが、高等教育機関に職を得ている身には、これは大変名誉なことだと思う。仕事では研究業務も新たにアサインされ、大学院での学びを活かせる場面が多くなった。国外の方との仕事では、研究内容について話題になることも多い。また、自覚する変化もあって、エビデンスを尊重しつつ批判的に考える姿勢、発言内容への気の遣い方、といった点は、自分でもふとした時に感じることである。

 偶然が積み重なった結果とは言え、前期課程と後期課程に在籍した合計6年間は、自分の学ぶ姿勢を変え、キャリアをも変えた。在籍中に書き上げたレポートと修士論文、博士論文は、読みたいような、読みたくないような、そんな複雑な気持ちを反映するかのような位置で本棚に収まっている。

 一つの山を越えて見えてきた景色は、やはり「次の山」だ。博士論文に収斂していく過程とは、連綿と続いているであろう山に足を踏み入れるということなのだと思う。一つの終わりは新たな始まりで、博士論文に奮戦したはずではあるが、やはり私は今も奮戦しているらしい。そのことを幸せに思っている。




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