修士論文奮戦記
国際情報専攻 19期生・修了 野口哲也

1. 研究をはじめるきっかけ

 大学院に入り、自分自身が抱いていた疑問について研究したいと思うに至ったきっかけを与えてくれた出来事が2014年にあった。その時、私は仕事で香港に駐在していたのだが、休暇を利用して台湾に旅行した。ちょうどそのタイミングは、台湾の議会が「ひまわり学生運動」の学生たちに占拠されているときであった。
 台湾の友人から、旅行客でも現場に行けば、議会に入れると言われ、妻と二人でさっそく出かけてみた。その現場には、台湾と中国がこれ以上の関係を深めることに反対する様々なポスターがあった。しかし、その中でショックを受けた1枚のポスターがあった。「我不要台湾変香港(TW is NOT HK NEVER EVER)」と記載されたポスターを見て、台湾と香港と中国本土の複雑なトライアングルを実感したのである。

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 その後、同年9月26日からは今度は香港で学生達による「雨傘運動」がおき、実に約3ヵ月間にわたって、香港の3ヵ所で道路の占拠が続いた。勤務場所が中心的な占拠場所だった金鐘にあったため、毎日、その占拠を見続けることとなった。

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 この二つの事件がきっかけとなり、香港で実施されている「一国二制度」について、その歴史的経緯を調べていくうちに、中国が何故この様な世界でも例を見ない制度を英国との間で約束したのか、そもそもそんな制度は持続可能なのか、ビジネス的には「一国二制度」を信じて、このまま香港を拠点に事業を拡大することにリスクはないのか、といった様々な疑問を持つようになった。
 2015年8月に帰国した後も、その疑問が頭から離れず、これをテーマに研究してみようと思うに至った。 本大学院を選ぶ時のポイントは、仕事を続けながらでも研究できそうなこと、地域研究、国際政治といった分野の先生がいること、といった観点で絞っていったら、日本では本大学院しかないということで、自ずから道は決まり、2016年4月に本校の門をくぐることとなった。

2. 課題レポート

 大学院に入ると、修士論文とは別に、様々な課題レポ−トの提出が求められる。研究テーマが、香港の「一国二制度」ということもあり、中国政治、東アジア政治、国際政治、安全保障、危機管理といった修士論文と関連ありそうな科目を選択していった。当初は、軽い気持ちで、単位さえ取得できればいいと思って取り組んだのであるが、それは良い意味で大誤算であった。
 課題図書を熟読していくなかで、多くの発見があったのみならず、各科目を担当頂いた先生達とのメールでのやりとりで、実に多くのことを学んだのである。論文の書き方というものも、この課題レポートをこなしていく中で、身につけることができた。本大学院の醍醐味は、実は、この課題レポ−トをこなしていくことの中にあるのではないかと思う。
 1年目も終わるころ、今度は突然の人事発令があり、現在も駐在しているイランのテヘランに赴任することとなった。転勤に伴う新しい生活・仕事と学業を平行して続けられるか不安に思ったが、ここは社会人大学院生としての特権を活用させてもらうこととした。つまり、既に仕事についており、修士過程を2年でどうしても終わらせる積極的な理由はないのである。そこで、テヘランでの新しい生活・仕事をこなしながら、2年目は課題レポートだけに集中しようと決めた。そして3年目は修士論文だけに専念することとした。今から思っても、この決断は正しかったと思う。
 研究環境としては、ネット環境があれば基本的な学業は続けられる。課題図書は、AMAZONと海外への転送業者を組み合わせればどうにかなる(AMAZONは、残念ながら制裁対象のイランには送ってくれない)。論文等は、ネットでみれるものは良いとしても、みれないものは国立国会図書館オンラインサービスで、海外までコピーを送ってくれるサービスを利用した。昔ならば、苦労したであろう資料集めは、今日、多少の時間はかかるが殆ど、問題は解決されていると実感した。

3. 修士論文

 当初は漠然とした研究テーマであったものが、課題レポート、関連文献の読み込み、指導教官との会話を通じて、徐々に修士論文としての形ができあがっていった。実際に、修士論文の題目の記録を遡ってみると、以下の通りの変遷をたどってきている。

2016年4月『香港における普通選挙』
2016年8月『香港「一国二制度」における民主化の考え方の変遷』
2017年4月『香港における一国二制度の持続可能性』』
2018年3月『国際関係論からみた一国二制度の理論的帰結』
2018年6月『国際関係論からみた香港「一国二制度」の理論的限界』
2019年1月『国際政治理論からみた香港「一国二制度」の理論的限界』

 この題目の変遷は、自分自身の関心の原点を突き詰めていくプロセスと、それを多くの先行研究を踏まえた学問としての論文に仕上げるという自分自身の葛藤の変遷でもある。こういった葛藤の中から、どういった理論を軸に論を展開するのか、核となる基本書をみつけ、論文の流れを固まていくことになる。この3年間、実に多くの文献にあたったが、結局、修士論文の核となる基本書は以下の4冊に絞り込まれていった。
 具体的には、国と国の政治的な関係を分析する国際政治理論の基本書としては、ジョン・J・ミアシャイマー『大国政治の悲劇 完全版』奥山真司訳(五月書房新社、2017年)、香港の一国二制度を法学の観点から研究した、廣江倫子『香港基本法の研究:「一国両制」における解釈権と裁判管轄を中心に』(成文堂、2005年)、香港の「一国二制度」の法原則となっているイギリス法のコモンローを解説した、戒能道弘、竹村和也『イギリス法入門』(法律文化社、2018年)、香港の返還に関する中英交渉史を丹念に研究した、中園和二『香港返還交渉』(国際書院、1998年)の4冊である。これらの4冊については、修士論文を書くときは絶えず、手元におきながら、自分なりのストーリーを作っていった。
 また、大学院に入学した年の7月に受講した夏期スクーリングも大変参考になった。先生方からの論文の書き方や資料の調べ方の講義以外にも、実際に論文を書かれた先輩方の話を聞けたのは、非常にためになった。特に、論文の構成などを考えるうえで、多くのヒントがあったと思う。
 最後になるが、多くの先生方から、口をすっぱく「まずは、書き始めることだ」とアドバイスを頂いたが、その意味するところが、実感として理解できたのは、3年目の夏であった。いざ書き始めると、自分自身の考えに無理があるなと分かったり、この点についてはさらに深く調べる必要があるといったことが分かってくるものである。そういったことは、単に文献を漁っているだけでは、気がつかないものである。

4. おわりに

 修士論文を出し終えて思うことは、研究は終わらないということである。世の中の動きはめまぐるしく動いており、そこには新たな疑問が次から次と日々沸いてくる。この奮戦記を書きながら改めて思ったことは、修士論文は自分自身の人生において、研究という活動のスタート地点に過ぎないということ。
 今後、どういう形で研究を続けていくにしても、この3年間で学んだ研究方法は、その土台になるものであろう。懇切丁寧にご指導いただいた先生方、貴重な研究の場を与えていただいた大学院、精神的に支えてくれた妻に深く感謝申し上げます。

以上




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