博士論文奮戦記  −思いを実現する−

文化情報分野 15期生・修了 宮本 裕司 

まず、私の座右の銘であるカール・マルクス(Karl Marx, 1818-1883)の言葉をご紹介する。

「学問をするのに、簡単な道など無い。だから、ただ学問の険しい山を登る苦労をいとわない者だけが、輝かしい絶頂を極める希望をもつのだ。」

どのような学問にも王道はない。だからこそ、努力していく過程自体が楽しいのである。もし博士後期課程の修了率が高く、博士論文やレフェリー論文が簡単に受理されるものであれば、博士号を取る喜びはこれほどのものにはならないであろう。先行研究にない新たな研究をすることで、その学問の進歩を押し進めるのが、博士課程後期というものである。私にとって、学問の進歩に貢献できたことこそが、数多くある山の一つに過ぎなくても、頂を極める喜びであったといえる。

今回の電子マガジンでは、私が博士後期課程の3年間をどう過ごしたかを記載する。博士後期課程に在学中の方と、博士後期課程への進学を検討されている方の参考になれば幸いである。

博士後期課程において、私には3つのポリシーがあった。
1.  3年で修了する
2.  逆算でスケジュールを組み立てる
3.  前例のないことをする

まず、「3年で修了する」というポリシーについてである。
私の場合、外資系企業勤務で業務が非常に多忙であり、「3年で修了する」という強い意思がなければ、精神的な長期戦に耐えられないことを危惧していた。また、仕事の環境が近いうちに大きく変化することがわかっていたことと、副査の竹野一雄先生に負荷をかけまいと、「必ず3年で修了する」と私は固く決意した。ひと昔前と比べると修了率が上がっているとはいえ、いまだ文系の博士号取得は非常に厳しい。もし、自分で3年という期限を切っていなければ、どこかで妥協してしまっていた可能性がある。

しかし、人間にはそれぞれの成長スピードや成長ステージがあるため、3年で修了することが必ずしも正解とはいえない。むしろ、恒久的に残る博士論文をクオリティの高いものにするため、4年や5年かけた方がよい場合もあるであろう。絶対的正解はないが、私の場合は3年という期限を切ったことが功を奏した。

次に、「逆算でスケジュールを組み立てる」について述べる。
2017年6月3日の博士予備試験と、2017年10月27日の博士論文提出期限という大きなイベントが存在することは、2015年の博士後期課程1年生の時点でわかっていた。その大きなイベントに到達するためのマイルストンとスケジュールを、博士後期課程1年生4月に考え抜いた。博士論文を提出するには、研究業績が必要となり、レフェリー論文2本掲載か、レフェリー論文1本掲載と紀要2本掲載、紀要5本掲載のいずれかのクライテリアを満たす必要がある。

これは困難なハードルであり、紀要5本掲載となると、博士後期課程1年生から3年生までの紀要全てに投稿する必要がある。また、レフェリー論文の場合はさらに厳しく、学会誌は1年に1回しか発行されない学会が多く、同じ内容を複数の学会に投稿することはできない。

紀要を何本投稿するのか、どの学会の学会誌の締め切りはいつなのか、それまでに並行して何本の論文を書く必要があり、もし投稿した論文が不採用となった場合、次にどのような投稿先があるのかを計算に入れておく必要がある。これに加えて履修科目のレポートと、業務負荷の波を計算に入れ、私はスケジュールを立てた。つまり、いつどのようなイベントや締め切りがあるため、そのためにはいつまでに具体的に何をどうしなければならないのかを考え、論文が不採用となった場合はそこから先のスケジュールを全て組み替えるなど、常に先の展開を読み続けたのである。

博士号を取ることは最終的な目的ではなく、生涯をかけてどのような研究をするかの手段でしかないが、在学中は目的とみなすことはできよう。その目的を達成するには、業績を積むという目標があり、その目標を達成するには関連する先行研究を読むことや、自分なりのオリジナリティをみつけることなど、小さな目標をクリアしていく必要がある。こうしたマイルストンを立てることが、「小さな勝利を積み重ねる」という経験になり、モチベーション維持になった。

最後に、「前例のないことをする」について記す。
私の場合、「紀要はいつでも書けるので、レフェリー論文のみに注力すればよい」というアドバイスを竹野先生からいただいていた。博士後期課程1年生最初のゼミで、「レフェリー論文5本掲載を目指す」ということを宣言した。レフェリー論文5本掲載は竹野ゼミでは先輩方もやったことがなかったため、実際にそれを言葉に出し、思考を現実化するべく取り組んだのである。

思いを実現するというのは、簡単なことではない。レフェリー論文は紀要と違い、厳しい査読があることに加え、その年の学会誌にどのようなテーマでどのくらいのクオリティの投稿があるかによって、掲載の可否も変わってくるであろう。それぞれの学会の主題や作法、体裁に合わせて、自分の研究テーマにかかわる論文を1本書くのである。3年間しかない博士後期課程でレフェリー論文5本掲載となると、常に2本の論文を書き続け、その全てが掲載されなければならない。

私の場合、あえて選択したこの険しい道が逆に自分の糧となった。常に論文を執筆するのが当たり前の状態だったため、1日たりとも気を抜くことがなかったのである。また、査読者から多様な視点から指摘があり、その指摘への論証や修正、自分が押さえていなかった論点をついてこられた場合の加筆など、非常に緊張を強いられる対応が必要だった。半年かけて論文を執筆するよりも、査読者への回答の方が勉強になったことも多々あった。そのような経験を積み重ねていくうち、レフェリー論文を執筆し、査読者のコメントを読む日が来るのが楽しみになったのである。

このような挑戦をしたおかげで、博士論文はそれぞれのレフェリー論文をつなぎ合わせ、論旨が一貫するよう修正する程度の負荷しかかからなかった。もし博士後期課程が始まった段階で紀要5本掲載という実績しか目指していなかったなら、博士論文はより高度なテーマの執筆と、タイトなスケジュールに苦しむことになったであろう。

結果的に、私の研究業績は、レフェリー論文4本と紀要1本であった。当初の目標には到達できなかったものの、今後研究を続けていく戒めという意味で、レフェリー論文が1本不採用となったことは良い経験となったと今では思っている。

修士課程の主査である竹野先生と副査の松岡先生、博士後期課程1年生の主査である石浜先生、博士後期課程2年生以降の主査である秋草先生、それぞれのゼミに参加して、様々な観点から学びがあった。超域研究を推奨しているGSSCの理念に沿うように、自分の学びの可能性を最初から限定してしまわなかったことが大きい。これからは、より広がった研究と、よりレベルの高いレフェリー論文を書いていくことをコミットメントしたい。

学位取得は終わりではなく、自立した研究者としての始まりでしかない。自分の研究が世の中のためにどう役に立つのか、自分が活きる価値を社会にどう還元できるのかを今後も考えていきたい。博士号を取得した社会的責任を果たすべく、これからも良い研究を続けることが、指導してくださった先生方と母校への恩返しであると私は考える。

私の大学院生活は、常に竹野先生とともにありました。2012年8月25日、私立大学通信教育協会の合同入学説明会で竹野先生と出会い、ゼミに誘っていただかなければ、今の私はなかったでしょう。「あなたが博士号を取るまで指導するから、私のゼミにいらっしゃいよ」と、出会った日におっしゃってくださった竹野先生は、そのお言葉の通り、私が博士号を取得するまであたたかく指導してくださいました。この電子マガジンを、天国の竹野先生に捧げます。




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